Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》through the arts

vol.530.
5/5(水)
番外編【through the arts】:「アーツを通した青年の自立と社会参加に関する記録と検証の試み」について

この連休は原稿書きぐらいが成果といえば成果。それで日記として、あまりに寂しいので、番外編的に、一つ短い方の原稿を載せておく。

以下は、大阪市中央青年センターでのステージづくり(濱谷由美子さんによるコーディネート)を記録した報告書のまとめ部分の原稿である。全体は、本田さんたちによりいずれ完成することだと思うが、ぼくの原稿だけでも少し考え方がまとまっているところもあるので、何かの参考になるかと思う。

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『through the arts』−「アーツを通した青年の自立と社会参加に関する記録と検証の試み」−のまとめ(原稿)
(1)何の義務もなく、人がワークショップに参加するということ
 お互いをまるで知らない人たちが、大阪市中央青年センターの会場に集まってくる。丸く円になって、何がはじまるのだろうかとどきどきしている。
 1月の終わり、説明会のはじまり。このまま映画のはじまりになりそうだ。これからはじまるはずの自己紹介は演劇そのものだろう。見知らぬ人とのコミュニケーションは無言のうちにそのアイタッチではじまっている。
 このメンバーたちは、一体どんな思いで来ているのか、何がしたいのか、自分がしたいものをうまく外部に伝えられるのか、果たして舞台として何が出来るのか、どんなきっかけを与えればメンバーの能力は引き出せるのか。3月末の本番までに、それを引き出す時間的余裕はあるのか。達磨さん状態になったらどうしよう、仲間はずれはできないだろうか、作品を創る過程で、うまくお互い同士会話できるのか、取捨選択は可能か、意見の対立を調整する役目は誰が果たせるのだろう、裏方を志望する人はいるのか・・・。

 そんなかずかずの心配や期待をふくむ思いでいっぱいのナビゲーターや主催者メンバーたち。集まってきた人たちよりも待ち受けていた彼らの方がもっと不安になっているときだったのかも知れない。説明会がはじまるまでは、まだ参加者たちは、そういう疑問すら思いつかなかったのだろうから。
 「あなたのできることを持ち寄って」「一緒にステージを創りませんか。」「募集!」「あなたとの出会いを楽しみにしています!」「参加費無料」「対象15歳以上の方」「プロセス重視型舞台創作の試み」。こう書かれたチラシだけを見て、その言葉だけを頼りにして、何の義務もなく、自分の自発的な動機で参加しようと思った人がいた。そのなかで勇気を持って実際に説明会に来た人がいた。そして、いろいろな困難なことを調整しつつ、説明会を聞いてやっぱり実際に参加しようと、最後まで8名が残った。

(2)「アーツを通って」〜education through the artsの試み〜
 アーツのワークショップのはじまりに立ち会っていつも思う、このこと自体が奇蹟に近いことなのではないか、と。政治的に動員がかかっているわけでもない、経済的にお金儲けになるわけでもない、教育的に大学の単位になるわけでも、地位や出世につながるわけでもない。まだ、ダンスを上手くなりたい人のワークショップ、演劇人になるための通過としてのワークショップ発表なら理解ができる。
 しかし、今回はそうではない。つまり「アーツのため」に集まるのではないのだ。あるいは、「アーツを使って」環境問題を考えたり、差別する心を反省したりする集まりとも微妙に違う。もちろん、アーツをよりよく発表することは参加者にとって大切な一里塚でありそれをないがしろにはできない。ステージは誰かのメッセージの媒体でもないし、練習は単なる仲良くなったりするための手段ではない。でも、そうかといってアーツのためにアーティストになりたいから集まったのでもない。

 芸術教育研究の分野で使われている言葉でいえば、「education for the arts」(芸術を学び上達するための教育)でも「education by the arts」(芸術を手段として別の目的を果たすための教育)でもなく。あえて教育にこだわって言えば、「education through the arts」、芸術という表現の場を通して、その体験からしかできない教育、学習、自己実現の試み。
 したがって、今回の活動は、舞台芸術というアーツを通じ、その実現を経ることによって表現する機会を得ると同時に、青年たちが生きる「術」を発見し、相互に高めあう勇気を生む活動(のための一つのトライアル)だったのではないかと思う。

(3)青年センターがアーツを通って青年の居場所になるために
 「education through the arts」と書いたが、もう芸術を通っていく場は教育と特定する必要はないのではないかと思う。もちろん教育現場も社会教育だけではなく、学校という広大でなかなかにアーツが入り込めない現場もある。そして、教育現場以外、たとえば、老人や障碍者の福祉においても、医療の現場にあっても、「through the arts」は恐れず試されなければならないだろう。だって、アーツを通って、人はそれぞれの場所を見つけることが出来るからだ。
 とりわけじぶん探しに戸惑いつつある青年にとっては、アーツを通して、私という自己を発見するみちが必要となる。アーツはそれがそのまま他者発見・理解へと続くみちに足を入れる勇気を青年に与えるだろう。そしてさらに、他者とのステージづくりという共同作業を通じて「社会」を発見するみちが、青年たちの前にはずっと続いているのである。

 この「みち」を広げ延長させ、さまざまなみち同士を交差させ多文化共生が可能になるためには、今回のトライアルはいかんせん短い期間であったし、参加者の範囲も人数も少なかった。コンテンポラリーダンスを核としたものであったという点でも、そのチャレンジ精神に心から賛同するとしても、一つの試みとして評価される程度のささやかなものであったと言えよう。
 アーツを通って多様な価値観が交差する「まち」をつくっていくためには、アーツのジャンルもより多様なものを提供する必要がある。だが、ささやかではあったが、このトライアルで分かったこともいろいろあったことは確かである。まず、きちんとした観察者を置き、アンケートをその都度とっていったこと。作品づくりに追われるなかでは、類例が少ないものであり、資料価値が残る貴重なものであった。
 さらに、ビデオ記録も撮ったこと。これは発表当日においてステージに欠かせない作品となっただけでなく、参加者の意識をより明瞭にしていく役目を担っていたと思う。つまり、そのカメラの眼を通じて、自己の相対化を促し、参加者同士という他者から仲間へと変わっていくなかで、第3者の眼を保つことでそれ意識できたのは、大切なことであったと評価できる。

 そして、これが一番分かったことの中で大切なことだと思うが、こういう観察とワークショップ発表を同時に可能にする場所は、こういう青年の育成をめざす場がもっともふさわしいということである。芸術センターで実施する場合においては、どうしてもアーツが目的となる。芸術センターの社会における役割はもちろんアーツを目的とだけにはしないが、専門家はアーティストかアーツマネージャーとなり、青年心理の方の専門家はなかなかに得難い。逆に言えば、これから芸術センターが社会において求められる役割、機能として、青年センターが果たしている役割を共有する必要があるのではないかということもできる。
 もちろん、これからの青年センターがアーツにだけかかわることはできないだろう。しかしながら青年の自立と社会参加においてアーツの分野を取り込むことが、それ以外の文化面、教育面、社会化促進面など各種青年育成活動においても、十分有機的に生かされるであろうこと。そして、“「未知」を恐れない勇気と希望を与えるもの”としてのアーツが可能にする、アーツという分野でしかできないことが青年育成活動の分野として存在するということ。それらが、今回の「アーツを通した青年の自立と社会参加に関する記録と検証の試み」において、ある程度確かめられたのではないか。少なくとも、今後において、これを仮説として実証的に確かめる価値があることだけは、十分に言えると確信している。
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