Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》HANA-ARASHI
かぜをひくと1週間ぐらいは咳とか鼻水が出て困る。昔は駅のプラットフォームには痰壺があったなあと思い出しては日頃街角で配られているのをストックしておいたティッシュを使う。最近の駅にゴミ箱や椅子が少ないことなど、自分がかぜの体になるだけでも普段は気にしていないことに気づくから面白い。
だからいまのぼくの身体は、静謐な言葉と言葉の隙間を見せる対話劇とか、闇としじまのなかから浮かび上がるダンス公演には、まったく適していない状態になってしまっている。今日もまたアートコンプレックス1928の席に座って、隣の福原さんに、うるさくしてしまうかも知れないけどごめんねと予めわびておく。
ところが不思議なことに、花嵐の『箱おんな』が始まって(19:36)、ほれ喉が案の定いがらっぽいぞと当初思っていたのに、終わるまで(20:41)、一回も咳をすることなく静かに見ていられた。偶然もあるし気をつけていたということもあるが、これは実に幸せで嬉しいことだった。
最後にちゃぶ台で3人が仲良くおむすびを食べるシーンではぼくもごくんとつばを飲んだ。素朴に美味しそうなものへの体内の無条件反射がおかしい。もう少しして痰も出ず健康になるのが待ち遠しい。身体そのものを見せ見られ、映し動かすダンスのあとにこそしみじみと思うこの公演についての平凡な感想が、頭の方からではなく、体の奥から沸いてくるのだった。
客席は100名を切るぐらいにしぼられ、床で踊るのではなく(1度だけ伴戸チカコが舞台の前から床に降り客席すれすれに来ることはあったが)、舞台は張り出されている。
今日から5回公演があるので(舞踏公演で5回もあるのは珍しい)選ぶことができるし、客席が5列しかないのでごく間近に三人の身体に出会い対話することができる。三条通りには、ビデオがあって過去の花嵐の公演の様子が映し出されているが、半裸のステージ映像もありかなりのインパクトを与えているように思える(母娘がずっと見て話していた)。
受付に今回のチラシ写真(橋本貴弘)とそっくり同じの(つまりスーパーリアル風の)モノクロの油絵があって、すごいなあとつぶやくと受付にいた舞台美術の望月奏さんが、私が描いたんですと教えてくれる。はじまるまでの舞台もモノクロそのもので、黒い幕に覆われた壁の上手下手の入り口だけが白い壁であることをのぞかせている。暗い舞台床。ホールの床との間は白。この1928ホールが白い壁なので、全体が色彩をなくしてはじまりを待つ。
伴戸チカコがまずそこにいる。ソロから。徐々にからだが撓められていく。すぐに同じ服装の古川遠がやってきてデュオになる。二人の衣装も白いブラウスに黒のロングスカート。色はなし。懐かしい感じがするのは、一つには伴戸の短いおかっぱ頭にあるのだと気づく。ワカメちゃんのように後ろが刈り上げられている。運動場で遊ぶ子どもたちの声かなにかのざわめく音響もそれを強める。
伴戸は弾力のある撓めの動き、古川遠は真夏の運動場で子どもが熱射病になるように、突然に倒れる。二人のシルエットが横からの光で強調されながらギターの禁じられた遊びのメロディ。
3人目のニイユミコ(前はむしちゃんと呼ばれていたはずだ)の塊が、尻を上にして頭は見えず、ごろり(と在る)。スエットスーツのような、あるいは、もう一つの皮膚のようなものに包まれて舞台に在る。尻が巨大な亀頭のようにも見える。性差の区別がない肉体塊で在る。
覆われた皮膚はケロイドかアトピーで龍の皮膚みたいになったものを連想させる。案の定、彼女はそれを破り出す。舞台では黒い幕が取り除かれて、そこには横に墨のような(じつは黒ではなかったが、はじめは色が見えなかった)地平線がけぶるいや、銀河系をレンズのように横から眺めているようでもある。赤と青の光。少しずつ舞台もその姿を現していく。
箱の女ということだが、直接に箱が登場するのではない。ただ、そこに頭を舞台に入れ込んだ巨大な顔のなかった「箱おんな」がくっきりとたつ状態変化がめざましい。裸体を陰影で囲うのではなく、光は煌々と照り、見られることの極限までそこに女は在る。
と、上手に一端隠れて、そこから青いワンピースを手にして戻ってくる。黒いパンティをはきワンピースに身を包む。脱ぐよりも着る過程を見せることの面白さがここにはあった。普通の格好に戻るのではなく着て見られることから違う移相へと舞台上で舞台の虚構としてのままに、うつるのだ。
セミが鳴いている。お馴染み「エリーゼのために」がかぶって、伴戸と古川が依然と同じ格好で戻ってくる。二人には変化はない。ただ、ワンピースの女が増えただけだ。三人。苦しみ泣いているような顔のニイユミコへ古川が接近する。ニイはときおり放心した笑い顔にもなる。童が呆けた女の指を探り一緒に遊ぼうと誘っているように見える。反応は直接的には起こらない。でも、二人は一緒に動き反応する。
圧巻はやはり3人の爆笑であろう。ニイと古川がまず笑う。伴戸はしらっとしている(ようにはじめ思われた)。ずっとしらっとするのは大変だろうと思っていると、やはり伴戸もつられて笑う。笑いの過剰、笑って相手を叩くは、自分が転げるは。はじめて身体どおしが接触する。一つになる笑い。でも、笑う身体は3人とも個性的だし、その口も歯茎も眼も違う。
やはりニイと古川のデュオ(頭を互いの体の中に入れて組み合って一体化する)と伴戸のソロになる。伴戸のバランス崩しに、声が落ちる。落ちる声が、お産の時の声のように響く。体の移動と喉の発声が連動する。最後は、地平線の壁も取り払われる。
じつに、奥行きを生かした公演だった。
さいご、ホールのもともと小さなステージに三畳のスペースが描かれ、ちゃぶ台におにぎり。三人が美味しそうに食べ出す。遊び疲れた子どもたちなのか。
星のつぶつぶの光が、子どもたちのちゃぶ台にも、いままで踊って遊んでいた舞台という地上にも覆う。
溶暗。星だけの模様が残される。
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