Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》RINKOGUN=DANGER!!MINES!!
午前中、はなと一緒に、音楽を巡っていろいろ遊んだり考えたりする。最後に、もし、いますぐにはなの第2弾のCDを作るとしたらどんなラインアップがいいかと仮定して、わいわい考える。昔作っていまは歌えない曲を入れれば、まだ30曲ぐらいは残っているが、実際に歌える曲は20曲弱だ。
「だるまさんが見ている」という曲もそのなかの一つ。今日は、これから『だるまさんがころんだ』というお芝居を見に行くのだが、この彼女の唄の題名も10文字になっていて、偶然の面白さを感じる(じっさいの観劇で、「だるま」と渾名されていた義足の女性が、いままでずっと彼女は見るだけだった「だるまさんがころんだ」の遊びに参加するラストシーンで見て、より不思議な気持ちになる)。
京橋駅前(京阪とJRの間)ではいつもストリートミュージシャンがいたり募金の呼びかけなどがあったりして賑やかだが、今日はもっと人だかりがあり、何だか踊りがちらちら見えたので、のぞく。「第5回こいや祭り」という、大量動員型マスメディア的露出優先「イベント」の一環で、メインステージ(大阪城公園)の他に地域会場が2〜3個所あり、ここはその一つだった。
アイホールへ。指定席だったこともあり、岡山の大森さんと北九州の市山さんがぼくの横に並ぶ。明るいポロシャツを着た市山さんはオートバイでやってきた(帰りは夜の路を飛ばして帰るそうだ)。久しぶりだ。この春、地域振興の部署に転勤になったという。かれは北九州市の公務員。それなのに、演劇=劇場の仕事を16年間したのですからねえと笑う。
指定席でしかも多くの客席、そこに人がびっしり、気持ちよく満員である。燐光群『だるまさんがころんだ』(作・演出:坂手洋二)の評判は高い(今年2月に初演。劇の最後の方に登場する「セントラルパークの地雷」の部分は、2001年に発表)。2時間以上なのに、しかも「地雷」というモチーフをめぐるユニットもずいぶんと輻輳しているのにかかわらず、じつにシンプル。
一つのことを、シンプルにことさらに声高にもならず、もちろん誰にもおもねず、ストレートに伝えようとする舞台であるために、あっという間に終わってしまう(『私たちの戦争』を見終わるとこちらのほうが、シンプルでストレートという表現に適していたかと思ったが、これを見終わったときは、これも実にシンプルでストレートだと思ったし、いまもその考えに変わりない)。
ストレートと書いたが、プロパガンダ演劇ではもちろんない。ここでは社会性を深刻に(必要以上に深刻ぶって)伝えようとする姿勢はない。逆に、押しつけになってしまうメッセージ演劇を避けるためもあり、地域々々、国々で「だるまさんがころんだ」という遊ぶときに使うテンカウントの仕方が違っている話が冒頭に出てくるなど、まず、地域と文化の多様性についてが、分かりやすくしめされる。国内だけでも、大阪の「ぼうさんが屁をこいた」から仙台の「兵隊さんが通る」まで、その幅も大きいなあとその遊びを思い出す。
娯楽性というほどには軽くはないが、巨大化する地雷トカゲ(トッケイ)ややくざの世界のカリカチュア、人を殺したことのない自衛官が遭遇する地雷原での哀れな姿(イラク派兵を拒否してアメリカ兵に変わった男まで出現)、皇居に地雷が敷設されたとしたら起きるやりとり(地雷撤去に関して自衛官をまったく信頼していない宮内庁役人=侍従)など、話題はつきず、内容のディテールも知的刺激に満ちている。
義足のためにずっと子ども時代から遊びの輪に入れなかった地雷撤去志願の女性が、サイボーグになっていくこと。他方、やくざの親分に地雷を探せと言われ、そのためにどんどん地雷通になっていく情けないやくざが、その義足の女性と恋をする部分もあり、恋愛劇の要素もあるといえばある。さらに、家族劇でもあって、自衛隊のために地雷を作ってきた会社の「職人」である寡黙な父親がキチンと描かれてもいる(身近で、しかも隠されているものだけに、ぼくにはこの日本の家族のエピソードが最も興味ぶかかった)。ただ、この日本家族への言及においては、地雷に覆われた故郷を離れて、難民になる中近東あたりの家族の物語(こちらのほうが、壮大な宗教的逸話である)との比較にも注意を払うべきだろう。
シンプルというのは、まず素舞台に近い演出という意味であり(張り出した舞台の下を上手く使って、そこから地雷を出したり、人が出現/退出したりることで、隠された危険を的確に表現している)、地雷というモチーフの一貫性、ぶれのない戦争批評性という意味でもある。(観劇後、新聞記事を丹念に見ていると、バグダッドの南でウクライナ兵が地雷で死んだりしている記事があるが、ぼくはじめいまの日本人で地雷のことが直接に話題になったり議論したりすることはほとんどないのではないだろうか。)
隣の大森さんと話していたら、突然、闇になりドカンと地雷が爆発してはじまる。音響は常に大きくこわい。ちょっと大きすぎるかなあと思った。あと、巨大になるトカゲの話には少し違和感があった(寓話化することもありだろうが、ちょっと焦点がぼやけるかなあと思ったので)。役者はいっぱいで、しかも何役もする。外国人も男女2人いて、英語やそれ以外のことばも話される(日本語の字幕が出るが少し小さい)。あとで、詳細な解説を当日パンフでみて、思い出すことが多く、1回見ただけではもったいないぐらい見落としている時代の事件があることを痛感した。
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