Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》RINKOGUN=LOST IN THE WAR
燐光群『だるまさんがころんだ』をアイホールで観劇(こぐれ日記551参照)した後、次の公演『私たちの戦争』まで、大森さん、市山さん、棚瀬さん(南船北馬一団)、そして小堀さん(関西演劇界のオルガナイザー)と隣のカフェで雑談。小堀さんから精華小劇場のことなどを聴く。名古屋市文化振興事業団が共催を撤回したのは、『私たちの戦争』の方で、それは係争中の事件と関わっているからだそうだ(あとで、渡辺修孝さんが国に損害賠償訴訟をしている〜国からの費用請求への対抗でもある〜ことなどをインターネットで知る)。
名古屋市としては、人質になった日本人への「自己責任論」バッシングで自衛隊派兵の国家責任を逃げている状況において、それについて考えさせられるドキュメント的演劇への共催を避けることで、名古屋市の議会などで問題になる(寝た子を起こす)ことを避けたつもりなのだろうか。でも、『だるまさんがころんだ』だけを共催するというのも、何だか腑に落ちないし、五十歩百歩のような気もする(いま質問状が劇作家協会から出されているそうだ)し、中立を守るといいながら、それでは一方への加担があまりにも露骨に出てしまうことを恐れなかったのだろうか。
ちょうど、美術の世界では、横浜美術館で高嶺格作品「木村さん」が展示拒否になった(表向きは刑法のわいせつ罪との関連ということ)ことが話題になっている。ぼくは残念ながら見ていないが、この作品が、劇団態変の木村年男さんと高嶺格さんとの創造者同士の交流だからこそ生まれた希有の時間をすくい上げたものだろうということは容易に想像できる。青少年への影響を云々するだけなら、何らかの制限や注意をつけることで、展示上映は可能だったはずだから、障碍者の性、自慰支援という深く隠されているテーマを考えさせてくれるせっかくのチャンスを直前になってやめるという自己規制が何とも寂しくこわい(何のために公立で美術館を作ったかと情けなくなる)。
坂手さんがそのうち来て、いま来ている服が福袋に入っていた話などをしてなごむ。うちの大学のポータブルアーツプロジェクトのチラシをみんなに渡すと、早速坂手さんが「口八丁」を劇作家協会に呼ぶってどう?と棚瀬さんに聴いたりと、なかなかに嬉しい反応がくる。お風呂屋さんライブにも反応が大きい。
さて、19時からの燐光群公演、『私たちの戦争』も『だるまさんがころんだ』同様、ピタリと始まる。スプレーで青年Kがトイレに「戦争反対、反戦、スペクタクル社会」と書くところから。
作品は、3つのパートから出来ていて、はじめが「LOST IN THE WAR」(台本・演出:坂手洋二)。これは「反戦落書き」事件、米国大使館前「昼休み抗議」事件、アブグレイブ刑務所の「虐待」を公判やインターネット資料、ブルキッチ加奈子「個人に対する警察による弾圧について」によって、事件と公判の模様を叙述するように、構成されている。ドキュメンタリー(的)ドラマとして、じつに興味深い演出である(イスラム社会では、どうして犬が一番侮蔑される動物なのだろうか、帰って調べなくちゃと思ってまだ調べていないことの一つ)。
これも係争中の事件もあるようだから、中立性を保ちたい名古屋市にとって、煙たい部分なのだろう。でも、そもそも見えないものを見せることが使命であるアーツなのにもかかわらず、行政としては、すでに決着がついたものだけしか関われないとでもいうのだろうか(昔、美術館で評価の定まらない現存作家の作品は買えないとか言う議論をしていたことを思い出す)。
過去の事実でも隠れたものを暴くことはできる。でも、いま進行中の事件において、真実に近づくために見せるドラマを提示し、マスメディアでは知られることの少ない、抑圧された少数意見の存在を明らかにすることは、より市民社会に複数の視点を提供するために重要なことではないだろうか、それは演劇の公共性という言葉そのものではないか、プライバシー問題や公序良俗違反がない限り(横浜美術館問題ではここが一応拒否理由)。ここでは、演出家坂手の立場も明らかにされているし、反論や反証も可能だろうと思う。だから共催したからと言って、名古屋市はこの演劇と同じ立場をとっていると間違われる心配はないはず。
つづいて渡辺修孝「戦場イラクからのメール」(台本・演出:坂手洋二)。燐光群は、『反戦自衛官』からずっと継続した問題意識を貫いているから、こういう時事的な人の事件を扱っても表面的な印象を受けないで見ていられる。劣化ウランの心配は現場に行けばホントにそう思うだろうと感じる。棺桶が確か40個、自衛隊派兵とともにイラクに持ってこられたというくだりは、ぼくが葬送について少し勉強しているためにとりわけ興味深かった。
米軍などには、エンバーマー(葬送ディレクターはみんな遺体の腐敗・修復処理をして本国に送るために、エンバーミング技術を持っている)を多数雇っているが、日本の軍隊はそこまで連れてきてはいないだろうとは思う。ただ、死亡したばあい、自衛隊員を現地で荼毘に付すことはできるのだろうか。あるいは、火葬しないで日本に送還するとなると、かなり冷温処理に気をつけねばならないだろう。そういえば、現地で殺された大使館員などはどうだったのだろうか(調べておく必要あり)。
これもシームレスな感じで「Blindness[盲目]」(作=マリオ・フラッティ、訳=立木あき子、演出=坂手洋二)へ。ラスト、勇敢に戦って(現地の民家を襲撃してイラク兵やそれを匿った人々を殺して)、そのあと殺されたことになっているその家族の長男が、じつは、自殺だったことを、盲目になった同僚のイラク戦争帰還兵からその長男の弟(平和運動をしている)に伝えられる。自殺をした遺族の、表に出せないかなしみ(グリーフ)のケアについての新聞事を思い出す。戦争を肯定する父親のみが孤立している家族。父親は表面的には(世間体のためもあり)息子の名誉ある戦死を悲しまない。でも、もし父親が息子の自殺を知ったとしたら・・・
それが鉄砲射撃ならば、自殺か他殺かは、遺体では区別がつかないのだろうな。それにエンバーミングを施されていることから、より、その証拠は消えているだろうとも思ったし、政府がボーナスを出してまでエンバーマーを集め綺麗な遺体を送還させるようにしている理由も、兵士の死を遺族に納得させる手段の一つであることは間違いない(日本ならば、かつての靖国神社合祀のように、神になる扱いを政府がすることが大切で、あとは、遺骨さえあれば問題ないかも知れない)。
〈今日入っていたアイホールのリーフレットの感想〉
アイホールがPRESENTSする今年度後半のラインアップを見て、ついさきごろ、NHKにここの取材を推薦したことが間違っていなかったことを確認する(糾、みかんがむ、水の会とつづく「帰る鮭たち企画」ももちろんだが、それ以外にも見応えのある他のラインアップが控えている)。
コンテンポラリーダンス(BABY-Q、山下残、砂連尾理-寺田みさこ、LUDENS、BATIK、笠井叡・・10/11は第10回目のプレイ!だ)の充実度のすごさ、そして、弘前劇場「賢治幻想 電信柱の歌」(別役実の書き下ろしだ)が関西で見られる幸せ。
もちろん、劇団八時半「石鹸心中」、土田英生がイギリスから戻ってきてのMONO「相対的浮世絵」、そして太陽族の新作(どちらも提携公演)。精華小劇場の桃園会(廃校が似合いすぎる少年王者舘も精華でするということなので、これもまた大変な楽しみである)を含めると、とりあえず、関西演劇ダンスシーンをこのあたりでほぼ語り尽くせるのではないだろうか。
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