Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》mikangam & reading big issue
夕方から夜明けまでの話である。それが1週間ほど飛び飛びに連なって、独特のお芝居になっている。携帯電話の写真メール機能がキーになったりする。このような夜の帳に、その事実があるのかないのか不分明な、ずいぶんとシリアスな演劇に、すんなり携帯電話という最新利器が溶け込むのも時代だ(もちろん、それが事実だったのかどうか分からない芝居内容と、携帯電話でのやりとりとは直接には結びつかないが、事実というものの曖昧さの関連として、深読みすることはできる)。
みかんがむ・・・14th stage・・・『この夜の果て』AI・HALL共同製作「還る鮭たち企画」の第2弾。15:09〜16:51。作・演出:森美幸。週末になると台風がやってくるし、どうも制作者泣かせの今日この頃だ。
場所はマンションというか共同アパートというか。隣に住む19歳の女性が入り込むという感じから、高層のマンションという風情ではない。ユニットバス。関西であることは、関西弁で話されることからわかる。でも、主要人物3人(姉と妹、そして姉の元夫)の出身は福岡。それも、筑豊方面ではなく筑後ぽい感じがする。それははじめから、「ここは福岡ではないのでドアの鍵を閉めるように』という男、元夫、和洋(白井哲也)の台詞で明らかにされる。そして、感情が増してくるときに使われる元夫とこのアパートの主元妻の会話が福岡弁に変化する。
白井の長台詞の抑揚はまさしく、PM/飛ぶ教室のそれだ(あとで、この役者さんがここの劇団だと気づく)。多くを語るようでなかなかに事実には到達しない。事件は起こったことは徐々にわかるが、そちらのほうは、ドメスティックバイオレンス(DV)の程度であり(もちろん由々しき問題ではあるが)、その関係は妹と同じく夜の水商売に出かける愛ちゃんのDVと同程度であることが後になるとわかる。
それよりも、どうも元妻である姉にかかる電話からは和洋自体が事故にあって重態なのであり、実際は病院に眠っているはずで、だから、ユニットバスに閉じこもっている和洋はその遊離体のようなのだ。ここは、夜中の男という見えづらい存在をめぐる女の夢とも現(うつつ)とも判明としがたい状態を描いているのかなあと思って見ている。
もう一人、妹の彼氏であると一応紹介されて登場するいつ眠っているかわからない工藤(菅本城支)という正体不明の男がいて、和洋とは正反対の抜け目なさが特徴なのだが、彼も堅気のサラリーマン姿ではあるが、実際はどんなことをしているのか、ぼんやりしたままで、どうも、終わりのほうになると、愛ちゃんの彼氏でもあり、DVの加害者だと明らかにされてもいく。
ここでも見えづらい男というテーマが反復する。また劇団比較みたいになるが、このお芝居が劇団南船北馬一団(棚瀬さんが中心になってからの)の雰囲気に似ているなあと思っていて、あとで当日パンフを見ると、菅本という役者さんは南船北馬一団の人だった。
冷たいお茶しか出さない元妻。いま同棲していた女、優花は、温かい紅茶を飲もうとする。首を絞められたときもオレンジフレーバーティーを飲んでいたと男は語る。ため息をつくと幸せが逃げるという決まり文句。だからタバコも吸わない。ミルクアレルギーの女や甘いものが苦手の女、そんな女の集まりに男のバースデーだとケーキがもたらされる、それも2つ。さらに、19歳の女までが、ユニットバスに閉じこもっている男が好きだと告白する。デートしてください。その行き先はどこだというのだろう。
このあと松田正隆さんによるアフタートークがあったのだが、18時からのフェスティバルゲート4階cocoroomでの催しに間に合わせるために退席する。
大勢の人が並んでいる。ぎっしりのココルーム。上田假奈代さんやその仲間たちが挨拶したりいすを追加したりしている。PPPPABNスペシャル『リーディング・ビッグイシュー』。まずはBIG ISSUEの紹介であるけれど、野宿者(ホームレス)のこと、ドヤ街のこと、そんなことについての思いが満載された催しだった。そしてこのココルームが詩の場であることも再確認されていくのもすごいことで、ウヲン・ジクスー(ボイスパフォーマー/現代音楽家で、釜が崎暴動の現場近くに生まれ育った)のインタビューからの始まりもみんな言葉との関係がキーとなる。
冒頭、セキミハルという人(アーティストでもあるが、この新世界に近い病院相談員で救急車の運転手でもある)の文章が上田假奈代によって朗読されるのも実に有意義で、トークとは違ったかちっとした緊張感がもたらされるものでもあった。もちろん假奈代さんのイントネーションがとても優しいので、そのかちっとしたなかにもほのかな微笑みがある。内容としては、「選別できない」病院の苦労とかもあり、その複雑で一言では言えない行き倒れた野宿者の治療(とその不可能性)の話なのだが、その内容を伝える「伝え方」はじつに幾通りもあると教えられる。
受付に並んでいると今日登場する橘安純(たちばなやすずみ)さんに、今日朗読する「野宿生活春夏秋冬」の原稿を渡される。朗読はしっかりと前を向き、十分な声量と少しばかりの照れとそれらを包む体そのものから発散される人懐っこさがにじみ出たとても素晴らしいポエムリーディングだった。尾崎放哉みたいだなあと思ったら、山頭火に影響を受けているとあとで知った。
「路傍石になりきれず 時に反撃(爆発)」。こんな詩句(俳句)もあって、諦観だけではない人だなあと思ったら、このあとのつき山いくよとのパフォーマンスでその爆発する橘さんを見ることになり、その連鎖が実に気持ちよく、このあとも勝野タカシさんらが出るのだが、ここで退席した。
つき山いくよのパフォーマンスは瞬間的な驚きとリリースがいつも気持ちよいのであり、今回もそうでもあったのだが、それとともに、橘さんとつき山さんとの往復する練習とかその過程とかが詩となり日記となっていて、それが合わさってできるものであることが特に興味深いしすごく有意義な試みだったのだろうと思う。橘安純の住まいをたずねて「フラミンゴの見える家」の詩をつくり、それを送ったつき山いくよに対して、橘さんは「ホースをふく」などの詩を作る。その詩がパフォーマンスとして体と声で膨らんでいく。
詩は詩のままではなくなり、それは動物たちとの交渉や相乗り、深層心理の爆発ともなる。橘さんの倒れこみや泣き声には迫力があり、つき山さんはサポートに回りつつ、でも応答するときの間合いになんともいえない味があった。辻野さんのお子さんがとても小さいので声を上げるのだが、それまでが舞台の呼応となり(ぼくの横の男性も一人でぶつぶつ言う人だったが)、短い時間なのにとても長い旅の報告を聞いた後のようなぼんやりした気持ちになった。帰りに50部限定の小冊子を買う(『未完成・運命・新世界 フラミンゴ つき山+たちばなパフォーマンス』300円)。
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