Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》SYOJIKI-MONO-NO-KAI

vol.594.
1/29(土)
正直者の会「その光の加減で 誰かを思い出しそうになる」アトリエ劇研ほか

鳥取の知人、森本さんの日記がかなりガチンコしていたので、エールを彼の劇団のBBSに書き込んでいたりしたら、出勤が遅くなって、芳江に車で大学まで送ってもらう。
10時から、文化政策研究科(大学院博士前期)の修士論文の審査。まずは、副査。それから主査。こういう風にするのかとやりながら学習。自分が相手の立場になったことがないので、対応って難しいけれど。終わって、すぐにコメントを書き、東京でのレクチャー(2/4)の資料を作り郵送。

あわてて、京都芸術劇場春秋座へ。けっこうな人。こんなに大きなところで演劇を見るなんてとても久しぶり(おっと、この前アルティでうりんこ座を見たが、それよりもっと舞台が遠い感じがする)。隣に橋本さん、その隣に午前中修士論文について考査していた本人(変なの)。

遊園地再生事業団+ニブロール『トーキョー/不在/ハムレット』作・演出・美術:宮沢章夫、作曲:桜井圭介、演出協力:矢内原美邦。15:05〜17:52。そのあともビデオを使った紹介挨拶あり。途中から、映像はニブロールぽくて、なかなかによく、はじめはどなる台詞がよく聞き取れず、舞台からの距離が遠いのと、無個性な出演者たちがどうも退屈でうとうとしていたが、次第に、阿部和重『シンセミア』みたいな北関東の北川辺町が主人公だと分かって、どんどん面白くなっていった。

長い公演時間。休みなし。ダンスとか映像で変化はあるが。ビデオを使ったりするのはチェルフィッチュぽく、ローソン前のだらだらした若者は五反田団ね。隣の女性が退屈したのか知らないが40分ぐらいで出て行った。確かにそこまではどうでもいいようなだらだらした町の連中のクソ物語でしかない(それだけではないはずなのだが、そういう表面を偽悪的なまでに出しているのだろう)。利根川の幽霊がハムレットの見た幽霊だったとしても、それがなんだというわけで。それでも、不在の牟礼秋人(ムレアキト)がハムレットのもじりなのだと途中で気づくと、ちょっと嬉しく謎解きに参加できたなと思う。

どう行けばいいのか分からなくなり、大学のギャラリーで染色の学生作品を見た後、タクシーでアトリエ劇研へ。1040円なり。宣伝美術家の清水さんがいて、明日の伊藤キム公演(奈良県王寺町)の話になる。招待券を研究室からとってくればよかった。劇団衛星の蓮行さんが、女の子が生まれた(安産)と嬉しそう。こちらも映像があったが、京都の街角が映っていて(はじめは電話機などがある通路を固定して映していた)、見慣れた三条大橋など。話と関係するところもいくつか出てくる。そして、喫茶店とか銭湯(梅湯)とか。銭湯は看板などの外見だけだが。そうそう、カラオケの字幕みたいな使い方もあったな。

「その光の加減で 誰かを思い出しそうになる」作・演出・出演:田中遊、出演:岡嶋秀明。
思い出すものは、誰かであるかも知れないし、何かかも知れない。でも、思い出す寸前で思い出せないのだから、それが誰なのか何なのかは分からないし、ひょっとしたら思い出そうとするものは、思い出すために虚構として心の中だけに作り上げたものなのかも知れない。どちらにしても、あるということが分かっているもの。あるということだけがある。いや、あると感じているものだけがある、というわけで、そういう会話からなんとなく始まる。

本当に、正直者の会って面白いと思う。喜劇というジャンルでは収まりきれないけれど、まずは安心して、その巧妙な笑いのツボに行き着くはずだ。
それに今回は、面白いだけではなくて、実存哲学をしていたりもするのですね。不在というかいまだ在らず(もう少しで在るはずのものの正体が思い出せるのだが)、そういう「未在」だけが在る。存在自体だけを感じる私。それが実在者なのだが、この場合二人は不在や「未在」を交互に感じなかなか一つに焦点が結ばない。実存の不確定性、確率でしか表せない量子論的実存主義が描かれているってね。

さらに(というか、こちらの方が演劇的には本道なのだが)、2人芝居の可能性をずいぶん広げる実験性もある。クルクル、男と女の役柄が交代する。二人が会話しているのだが、そぶりはどちらか一方の動きを二人ともしている。3人が話している(キリストとブッタとアラー)のだが、そのなかの二人をくるくる演じ分けている、など。

疲れたぼくに、笑いと涙(ちょっと可笑しいものだが)のウェーブ振動が気持ちいい。ポルトガル語みたいなラテン的なまくし立てで、客席になんだか拍手を促す田中遊。そういうライトな客いじりもまたスパイスである。
マツタケを食べていたら実はワライダケになった。笑いながら迎えるお粗末な死。死ねばすっかり記憶なんかおさらばさ・・。
でも、生きている間でも、いつも記憶は薄れ小さな死を繰り返している。捏造された思い出を引き換えにして。
いつもの公演後の拍手よりも、かなり強い拍手が場内から聞こえたように思った。これもまた、記憶はすでにあいまいになりつつあるが、でも、幻聴でも思い込みでも捏造ではないはずだ、この拍手の音は。


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