Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》KAKIO MASARU

vol.599.
2/24(木)
垣尾優ダンスパフォーマンス『ガムをすすめる』Art Theater dB



断酒歴51日。あさ、研究室に到着。
小暮はながヘルマンヘッセ「シッダールタ」を読んでいたので、アマゾンにて注文。見あたらない「ぷちチャショナリズム症候群」(あとで大事にしまっていたのに気づく)とさきに読ませたい「先生はえらい」もまた注文。
ビデオのスイッチ。
メールのチェック。
神戸アートビレッジセンター(KAVC)から求人票(プラネットワーク)。さっそく、Mに電話。恐れずにゆけ!指定管理者制度は、わが大学学生にとっては、求人増となる。まずは契約社員なれども、アーツマネジメントが活かせるのであれば、良し(了)とすべし。

Yが来て、28日のインターゼミナールの準備をする。本当に2期生は自分からやってくれて助かる。ただ、就職活動積極組とためらい組に分かれているのが心配。自分探しの続行なのかも知れない。ますます、2回生から専門演習を始める意義を実感。

雨が降り出す。フェスティバルゲート。アートシアターdB。水野さんに福岡はご苦労様でしたといわれる。少し気まずい。岡さん一家が来ている。100%ORANGEさんの葉書セットを持ってくればよかった。時間が余ったので、モスバーガーを食す。ハンバーガーを食べたのは数年ぶりだ。なぜか食べてしまった。でも、マクドなどよりはヘルシーな感じはする。

15時半の公演に行って、夜は京都の演劇賞の対象公演(まれびとの会「蜻蛉」)を京都に戻って見る予定だったが、19時半のこれだけになってしまった。

ダンスインデペンデント『ガムをすすめる』。垣尾優(KAKIO MASARU)ダンスパフォーマンス。1時間ということだったが、もう少し長かった。74分間。目隠しをしてチューインガムを食べてその味をあて、壁に貼るとか、3600から1ずつへらして0にするとか、その偶然性もあるパフォーマンス(コンセプチュアル美術の手法にとても近い)だから、音楽でセットされた舞台よりも時間管理はあいまいになるのだろう。

垣尾さんは、1973年福知山市生まれ。31歳ぐらいだ。もう少し年齢は上かと思っていた。呆然リセットというデュオダンスユニットを振付踊っている。このユニットはかなりスピード感に溢れていて、演劇で言うと「正直者の会」みたいである。ところが、今回は「正直者の会」がそうなりつつあるように、滑稽さはあるのだが、もっと哲学的なダンスになっていた。それは、福知山出身の谷垣さんという人や桐村さんという人を登場させたからかも知れない。

動きに限界芸術が混じって、福岡まな実が彼らの動きをなぞるという逆転現象を与えていたりするあたり、ダンスのダンスによる批評となっている。自己言及性。入れ子構造。「現代舞踊」ということばを本来の意味に戻せば、彼の今日のダンスは「現代」という20世紀芸術(アートの意味を問い続けるアート)にかぶせられた芸術分類にとてもふさわしいものだったと思わせる。とはいえ。

シニカルにおかしい。シリアスにおどける。くりかえしとずらし。美しい動きとは。
ジャケットが裏返る。ジャケットに囚われる。口をふさぐ乱暴な愛。こめられた拳骨に、逃げ場のなさを包む。
紀元は3600年。時間は遡行する。
2005年はすっと過ぎた。自分の生まれ年に来たときびくりとした。0に近づくともう福岡まな実の声は極小になった。
出演している男性2名がダンサーでなく、垣尾さんの友達みたいなのがおかしい。鈴虫などを当てるのは、彼が里山学などを研究しているからだそうだ。

基本的にはとても面白くとりわけ実験的だと思った。少しルーズな時間帯があって、それはそれでいいのかも知れないが、もう少し動きの構成を緻密にすることも必要なのかなあとは思う。垣尾さんって、もっとおどけてこっけいでスピーディーなダンサーだと錯覚していたので、こんなに主知的でいい加減で、少し人間的に怖いかも知れないと思わせるダンスを構成していて、びっくりした。

ガムを噛む習慣が少し減っているような気がする。子どものとき、ガムは少し不良の味がした。タバコを吸う前の一つのステップ。飲み込まないで噛むという行為が潔かった。ガムをすすめたことがない。すすめられたことはある。ぼくは唯我独尊なので、誰かとコミュニケーションすることを怠ってきた。だから友達が生まれてからほとんどいない。垣尾さんはこうしてガムをすすめてきたから、いま舞台に友達がいるのかなあ。もうやめるというけれど、もう友達作りをやめるのかな、それとも違うコミュニケーションを見つけたのか、きっと後者だろう。

ぼくはいつになったらガムをすすめるのだろうか。きっとすすめないままに、ガムを噛む習慣はなくなったので、何もすすめず、ただ死んでいくのだろう。それも螻蛄(おけら)の声のように、静かに落ちつく考えである。



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