Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》art support FUKUOKA-2

vol.598.
2/19(土)
福岡へ(2)〜ガマ君とカエル君〜



断酒暦46日。福岡にいながらお酒を飲まないなんて、じつに奇妙で爽快な感じ。
今日も雨が降ったり、でも雨が落ちているのに水面の上に青空が泳いでいたりする、そういう、冬から春への胎動の一日。

大濠公園へ(明治時代は大堀公園と書かれていたことは、このあと県立美術館に行って知る)。ランニングしている人たち。ここに来ると気持ちがぐーっと広くなる。コケのついた木々の隙間、静かさと人の運動がうまく気持ちにリズムを与える。昨夜、アイランドシティの懇話会資料(それにしても、津村卓さんや吉本光宏さんはどこにでも出てくるなあ)をもらっていたが、ちょうど、大濠公園の前で「あなたも署名を!住民投票を実現しよう」のチラシを受け取る。美術館までのお供のチラシ。うまいチラシの渡し方だ。

そのチラシは、住民投票しようということだけれど、裏面はまさしく人工島、反対!という感じ。いまから2000億円以上の投資をする、三セク「博多港開発」の破綻を700億円で穴埋め・・ということだそうだけれど、大丈夫か!というもの。公共事業をこれからもすすめるために、「文化」は隠れ蓑にされるのだなあと、この両者を並べてみるとずいぶんと明らかになる。

そういうお金があったのならば、このあと藤浩志さんが言っていた「博多駅に下りたら海が見え、駅前にアジア各地のリキシャが勢揃いして、リキシャが通れるレーンがあり、川には、水上マーケットがあって、買う人も売る人もボートで行きかう」事業なんて、ずいぶんと安上がりの公共工事なのになあと思ったりする。

福岡市美術館企画展示室『違和感を飛び超える術!−藤浩志展』第6回21世紀の作家―福岡。Arts over Doubts!。飛ぶから飛行機とか鳥みたいなインスタレーションなのだろうと、ぼんやり会話の声を聴きながら、いろいろな素材の飛行機のあいだをさまよう。懐中電灯が貸与されるが、あってもなくてもあんまり変わらない。ゆっくりとマイクでタイトルを言うとそのタイトルのビデオが映し出される。鴨川の鯉のぼりがのぼるビデオが一番の人気のようだ。

1050円のカタログにすべてが載っていて、かつ1/5〜4/3までという長い期間の展示というのが素敵だ。だけど、彼のブログもそうだけれど、よく自分のいままでを保存しているものだなあと感心する。とても自分のことが好きでないとこうも出来ない。だいたい、昔の自分はどうしようもなく嫌で思い出すと惨めなことが多くて、つい捨ててしまうのだけれど、彼の場合、ビニプラまでそうなのだが、そういう「過去のぼくって何て嫌(いや)で嫌(きら)い!」な感情まで、経過系としてきちんと向き合っていくことがあんまり苦労しないで(きっと努力して)できるところがあるのかも知れない。

それがまさしくソフトで優しくOSみたいな環境づくりをしているとされている藤浩志の持つ強烈な作家性ということで、限界芸術家のぼくたちは、そのときそのときはハッピーな創作はするのだが、思いつきで終わってしまうし、それがいいねという人が親密圏内の人たち(その親密圏も永続していかない:現代アートの枠内の人たちは擬似親密圏を維持して生息するとも言えるが)に留まるのだろう(これは、次の日伊達伸明さんの「ナミイタ」を見てまた強く思ったことでもある)。

常設展示。黒崎彰の木版画。日本画の吉村忠夫。明澄な世界で、こういう作品がうちの大学に飾っていればいいのになあ(うちの大学にある絵はもう最低なのだ)と思いつつ、古賀春江「現実線を知る主智的表情」の前でたたずむ。帽子の女性が鉄砲で撃つ。その相手は、どうも障害物を飛び上がろうとする馬であり、乗っているのはロボット。美しい空が広がる。なんとも奇妙だが気持ちがいい。藤浩志カタログを買ったショップで古賀春江の画集を聞くが置いていない。絵葉書も違うのが一つだけ。いまミュージアムショップってどこもあんまりにも同じで、みやげ物屋と同じ様相(まあ、みやげ物屋そのもの)を呈している。

雨がちらつく大濠公園をまた通り、早いけれどお昼にする。手打天神大手門店、うどん定食650円。切干大根に野菜てんぷらと狸うどん(これは関東の人は違うものをイメージすると思うが、テンカス)。麺が塩辛いのが残念。天神に戻り、福岡県立美術館。須崎公園の野宿者さんの居場所をまたいで入る。『よみがえる明治絵画〜修復された矢田一嘯「蒙古襲来絵図」』。特にパノラマ館の話が面白い(オランダに行ったとき案内してもらった)。残虐な殺害の絵がまず眼を引く。怖いもの見たさはいつの時代もそうで、処刑場の見物ができなくなった明治以降は、こういうスペクタクルが代替したわけだろう。

博多山笠のお店で手ぬぐいを買って(ふんどしを買っても締めることがなさそうなのでやめる〜ダンスをするときに必要ならここに来ればいいか)、博多リバレインへ。しょっぱかったので甘いものが欲しくておしゃれなジェラード店みたいなを探すが見つからず、コンビニでシュークリームと牛乳(68円の地元のものがありやすくていいなあと思う)を買って、福岡アジア美術館に行く。

13時半からアジ美ホールで藤浩志さんのトークがあると古賀さんから聞いていたので、その前に、コレクション(タン・チンクァン「青い夜」)と『アニメイト。展〜日韓現代アートに見るアニメ的なもの〜』を見る。終わって、ほっとしておばさんたちが談笑しているソファーに座ってシュークリームをぱくり。すると、お姉さんがつかつか。ここでは飲食は一切禁止しています。食べたかったら、その下に出て食べてください。
隣にカフェがありますよねえ、というと、そこは買っていただいたものだけ、食べれます。とのこと。

うーん、そうとあいまいに答えて、食べかけだし、汚したりしないし、荷物も思いし、展覧会を邪魔していないので、まあ、注意する方はお仕事で注意したわけで、そのお仕事はちゃんとしたのだろうから、それでいいし、ぼくはすぐに食べ終わるから、と思って食べ続ける。ついでに8階も同じくフロアも禁止ですというし(ホールがあるのにそのロビーも飲食禁止だと公共ホールよりも鑑賞者環境は悪いことになる)、牛乳も飲んじゃえと思って(ここは悪い旅人性が少しは出たが、まあ、反応を見るのも楽しみたくなる)、悠然と飲む。ぼくを見ているかとその女性をみたら、横向いて見ていないふりをしていた。仕方がない中年おやじ!とかメールで誰かに送ったかも知れないね。

ついでに翌日のこと。兵庫県立美術館で、公募展というのがあり、見たくもなかったが時間つぶしにみていて、まあ、それなりに面白く、モンゴルの作家の絵(49番)がちょっとよかったし、手元に「県民賞投票用紙」というのを渡されていたので、こういう企画って、投票数が多いほうが学芸員さんも助かるだろうと(パブコメと同じ)思い、忘れぬように、書きとめようとボールペンをカチリ。

すると、つかつかっとひざ掛けおばさん(監視員さん)がやってきて、ここはボールペン禁止です。ボールペンは禁止なので鉛筆を持ってきましょうかと、ホローするところは、年の功。でも、面倒なので、49と数字だけ書いて、あと、最後の箱のソバの鉛筆で住所と名前を書いておく。ボールペンでぼくが絵に落書きをすることはないとは思っているのだろうが、規則を破っているのに見過ごしたら、監視員チェック!があって、あのとき監視していなかったでしょうといわれるから、注意するのは彼女のお仕事としてまっとうにいいことなのだが、見ている自分としては、絵を自由にうろちょろして見ていると思ったら、こちらも監視員さんに見られ続けていることにはっと、気づかされるわけで、その気分的なギャップはなかなかに深い。監視の連鎖のことを思って、展覧会より深い思索に没入してしまうのですね。

結局、藤さんのトークはアジビでなく、午前中行った福岡市美術館だった。

藤浩志さんのトークは出口さんという都市工学の人と一緒で(この人の話はかなり違和感があったけれど〜歯車の絵とか「アジア」と「福岡」「日本」が別の場所を指しているところとか〜)、いろいろメモったけれど、また別の機会に。それにしても、昔の紙芝居を声の調子が悪いにもかかわらず、とても久しぶりに(1985年4月GARDEN以来)、がまくんとかえるくん(アーノルド・ローベル)のシリーズから「(お)てがみ」と「おはなし」を大声でとても速いスピードで実演してもらって、感謝感激。かえるくんががまくんに書いた手紙をかたつむりに託して、がまくんとかえるくんが一緒に4日間も待っているあいだのこと、これが一番の幸せですねえと話す藤さん。その話自体が至福である。おはなしをかえるくんにしようとして、でもおはなしがでてこなくって壁にがんがん頭を打ち続ける。そのがまくんが藤さんなのだと藤さんはいう。ぼくはイメージする力が乏しくって、だから、関係を作ってイメージが出てくるのを待っているんですと、OS的なアートっていう解説で、でも、がんがんするガマ君みたいな体験知が今必要なのだともいう。みんな、イメージする力は乏しい。でも、そういう場に入っていて、イメージは出てくる。先生は自分で見つけるというのともつながる話である。

福岡に来た9割ぐらいは、(紙芝居と遭遇することで)この瞬間に大成功と思いました。絵は杉山雅之という一緒に個展をGARDENでした人かどうか(そうそう「中島君」って話していた)、具体的な名前を聞き忘れたのが残念ですが、街頭紙芝居のなかの黒クローズアップ技法とかいろいろ出ていてそれもまた面白く、額縁がなくても、文楽で顔を出して演じるところと同じで、藤さんぐらいになると、顔を出すみたいにカラダの前でするのもなかなかにいいものだとしみじみ。



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