Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Dance&people paformance committee

vol. 607.
3/26(土)混沌のなかで(2)『ダンスパフォーマンス 見えるひと 見えないひと 見えにくいひと 見えすぎるひと〜視覚障害者と晴眼者がつくる舞台〜』ピッコロシアター中ホール



展覧会をいっぱい楽しんだミンパク館を出て、バラ園(みんな刈り取られている)のベンチで弁当を食べ、工事中の壁をみながら、大阪府立国際児童文学館へ。1階は、2週間以内で貸し出し可能な部分で、教育紙芝居がある。童心社が大部分だが、それ以外のものも少しある。2階はロッカーに荷物を預けて入る大人の場所で、ここでは、請求すると街頭紙芝居を見せてもらえるし、街頭紙芝居を展覧会などで貸し出すことも出来るという。1990年に作られた図録集があり、それによると街頭紙芝居の部分は塩崎さん(三邑会)による提供であることが分かる。

さて、ピッコロシアター中ホール。早く着きすぎたなと思ったら、五島智子さんが「混乱していて・・」という。視覚障害者がこんなに出演もし鑑賞もするのだから、混乱することは確かだろうが、かなり悲痛な感じではあった。中に入ってという。ワークショップでもしているのだろうか。入ってみる。入ると、ちょうど「舞台空間体験タイム」が始まっていたのだった。出演者と同じ直径7メートルの円に入って手をつないで見る。音が9時のところから鳴ったり、3時、6時のところから鳴る。音の扱いが大切なのだろう。

15時の始まりまで、野村誠さんらと話す。彼はこの『ダンスパフォーマンス 見えるひと 見えないひと 見えにくいひと 見えすぎるひと〜視覚障害者と晴眼者がつくる舞台〜』だけではなく、今年度(第1期)は8つが選ばれたという明治安田生命社会貢献プログラム(エイブルアート・オンステージ。第2期もすでに募集されている)の実行委員で、福岡や東京などですでに3つも見ているという。

ぼくもあるプログラムで審査員をしていて選んだものを出来るだけ見るつもりなのだが、これが1地域だけなのになかなか大変だから、全国の企画を見る野村さんはもっと大変で、でも、見るといろいろいえるからと言っていた。「障害者と一緒に作る」実演ステージのパタンが決まってしまっていることが多くて、それについてもっと面白くできないかを考えているのだろうと思う。ぼくのように審査委員ではなく、実行委員というのはそういう役目もあるのだろう。

肩ほぐしとごあいさつをする五島さん。照明が落とされていくのはなかなかに気持ちのいい経験だし、ずっと公演中も照明が落とされることが多く、それによって、ここに見えないひとがいっぱいいることを実体験させてもらえ、暗闇の方がつながっている気持ちがする。ぼくだけ、こんなにダンスを楽しむなんて悪いなとどうしても思ってしまうからだ。また、今回、急遽、音声ガイドを中西恵子さんが務めて、20のイヤホンには、見えない人もどんな動きかを解説してもらえる工夫がされていた(映画の音声ガイドもそうだが、視覚を言葉にすることは、とてもむずかしく無理がある。それに同時通訳とは至難の技。言葉に出来ないダンスの方が素敵であるともいえるぐらいだから、よく中西さんはやったなあと感心した)。

ダンスは2つに分かれていて、どちらも西宮で見たものがどんどん発展し構成されていったものだったのだろうが、作品的にも十分コンテンポラリーダンス公演として成立するものであった。でも、やっぱり、かなり即自的なものでもあり、再現はきっと不可能であろう。とくに、前半の「Dance In Your Eyes」は、視覚障害者4名と晴眼者4名による作品(ワークショップナビゲート、振付・演出:伴戸千香雅子)だが、視覚障害者のなかでも年配の男性はステップを習えると思ってきたということで、当初はこのステージに来てもらえるとは思えなかったらしい。少女も出ていたがとても恥ずかしそうで、その恥ずかしさはかなり半端ではないように思える。だから、いつ出ない!となってもおかしくなく、その瀬戸際にこの舞台が成立しているように推量した。

休憩中、座布団が十字に並べられてガムテープで止められる。まん中にちゃぶ台。日常を切り取るのか。なかなかにうまいセッティング(ワークショップナビゲート〜一部藤原恵理子が代行〜、舞台構成:エメスズキ)。4名の登場人物はみんな視覚障害者である。背の高いお兄ちゃんに陽気でおしゃべりな妹、黒めがねをしたお父さんに着物に着替えるお母さんという設定だろうか。ミンパクで見た世界がまたここに響きあっているのだ。

ラジオ体操が変形する。大きなお箸、味噌汁椀。携帯電話で話している妹は、お母さんの着物着替えのときを作っている。電車の音によるおにいちゃん(中垣斉士)のダンスはまた格別で、後半は言葉や声が多用されたが、構内アナウンスにすっと唱和するところなど、電車の中などで見かける風景(どうしても実際は障害者の人の動作とか物まねにかかわりにならず、見てみないふりを乗客はしてしまうのだが、かなり意識する)を思い出させる。

じつは、ステージ上もとても楽しかったのだが、もっと楽しかったのは隣の男の子の反応だった。車椅子で、言葉も不自由そうなのだが、暗くなると、暗くなったで〜とぼくに合図するし、後半のなかで、走る格好があると、自分もその格好をシュシュシュシュシュとするので、もうおかしくて、おかしくて。帰り、さよならというと、ぼくの頭をなでるではないか。おっと、先を越されたな、あわてて、こちらも彼の頭をなでる。

暗闇になることが多く(「暗転]ではなく、そのあいだも踊りがある)、それでダンスを鑑賞するということのなかに、「見る」以外の感じ方が随分あるのではないかということを実感させてもらえることが出来、鑑賞についても多くのことを感じさせられた。音の響きや体の重心移動の感じが、ダンスと共に響いてくる。もちろん、ダンスをそこでやっている人も面白い部分もあるだろうが、見るほうが、その意外性ゆえに多分出演者よりも数倍楽しくしかも踊っている体験にとても近いことになっているのではないかなあと、ちょっとそんなこともスタッフに話してから、外に出た。



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