Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》what is the arts management?

vol.612.
4/28(木)

『縫う人〜針仕事の豊かな時間』

ボーダレス・アートギャラリーNO-MA&アートマネジメント序論を少々


立命館大学産業社会学部アートマネジメント論。アーツマネージャーの心得10か条で終わる。進度は遅いようにも思えるが、丁寧に話せた気もする。ここで、いままでのポイントを書いておこう。


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アーツマネジメントの定義(伊藤裕夫1〜3、伊東正伸4)
定義1 芸術と社会の出会いをアレンジする非営利のマネジメント
定義2 諸環境の変化の中で、芸術の社会的意義を明らかにすることにより、社会の支持を獲得して、その芸術活動を継続・発展させること
定義3 芸術の組織や事業を、その目的・ミッションに即して、効率的運営によりやり遂げていくことで、具体的な柱は次のとおり。(1)ファンドレイジング(事業遂行のための資金確保) (2)オーディエンスディヴェロップメント(鑑賞者、観客を新しく獲得・開発すること) (3)オールタナティヴネットワーキング(新たな、もう一つのつながりづくり。市民・社会の再編成・リニューアル)
定義4 アートによって、いかに、社会をかえていけるかを学ぶ、実践的な学問
定義5 文化政策の一つ。芸術という文化を扱う実践的活動(=政策のなかの一つのマネジメント)

文化政策とは
(1) 個人の自由な活動を育み保障するための環境づくり
(2) ヒトが創ったものである文化の視点で、ヒトの幸せづくり(=政策)をすすめること

市場デマンドと文化的ニーズ
(1)市場(マーケット)デマンド・・顕在化した需要 コマーシャルな演劇(商業演劇) ex.ミュージカル企業が、欧米のヒット作品を日本語に翻訳して上演する <有名性の消費、受身の助長、グローバリズム、コロニアリズム(文化的植民地主義)>
(2)文化的ニーズ・・潜在的な必要 それを提供することが、人びとの文化的欠乏を埋めるもことになるもの とりわけ子どもの「文化教育」の必要性 <文化社会学的には「文化資本」格差問題>

アーツマネージャーの心構え10か条
第1条【多様】 アーツを深く愛し、ジャンルの多様性に対応するため、あらゆる機会を活かし、さまざまなアーツに触れる。
第2条【体験】 アーツ以外の文化活動、実践的体験をする(ボランティア、研究調査など)。
第3条【事務】 経理や法規、顧客管理はじめ、アーツを支えるルーティン事務の大切さを知る。
第4条【記録】 自分たちのアーツ活動をよく観察し、日記やサイトの形で記録する。
第5条【表現】 相手に仕えるための平易な表現力(文章術、話術、外国語力)を身につける。
第6条【交通】 交通(=対話型のコミュニケーション)する気持ちとメソッドを持つ。
第7条【環境】 アーツを取り巻く環境を意識して文化現場を観察し、企画に活かす。
第8条【継続】 変革と継続の大切さを知っている(過去にこだわらず、失敗を未来に役立てる)。
第9条【柔軟】 多文化への適応力と、非常事態に対する柔軟性(余裕、頭の切り替え)を持つ。
第10条【聴取】 アーティストの力を引き出し、鑑賞者の声をつかむために、臨床的聴取を常に心がける(傍らで聴く態度。bed-side listening)。

JR二条駅で待っていると確かに運転手がいて、そばにベテランが付き添っている。当分、JRに乗るとき、ちょっといやなことを頭に掠めることになるだろう。近江八幡からバスで大杉町下車。ゆっくりと回りを見ながらNO-MAへと歩く。今日見たテーマは、屋根や壁の草と、牛乳瓶いれ。これは、NO-MAのアンケート入れに牛乳瓶入れ(木製のもの)が使われていて、このまちの一つのシンボルかも知れないとも思う。NO-MAの隣が牛乳屋さんだし、駅から歩いていくと牧場があったし。地産地消が少しだけ残されているのだろうね。

今日から、6/12まで。『縫う人〜針仕事の豊かな時間』。ボーダレス・アートギャラリーNO-MA春の企画展である。「春の」と書けたのは「秋の企画展」のめどがたったからだ。二つのワークショップに行きますね、とはやよしこさんにいうと、5/15の伊藤存さんのワークショップはすぐにいっぱいになったそうだ。だから、実際にワークショップ参加の学生は、5/28にどうぞということである。ぼくは、見学なのでどちらも行こうと思っている。

入ってすぐは、萩野トヨ。あざみ寮の彼女は刺繍を50歳から始めたという。藍染ゆえに紺色中心の優しい同系色の色合いに、またまた優しい丸っこい模様やお魚である。階段の上ったところにもあって、室内装飾的な藍染刺繍としての実用性・工芸性も伴っているように思われる。室内から表を見ていると、本当にときたま、自転車が通り過ぎ、子どもたちがすーっと姿を見せては、消えて行く。学校からの帰り道なのだ。そのあと、ずっと誰も通らない。

奥に山本純子のアップリケ。大きなものは壁に展示されているが、小さなものは、丁寧に聞き取られたタイトルとともに、机に置かれ、手にとって見ることが出来る。フェルトの厚みとふわふわした感じ。意外なタイトルとの出会い。日常の台所にあるもの中心の世界なのに、なかなかにその全体は理解できない。この世には、簡単に分かる一つの世界というものは存在しないということが、自然に気づかされる。

伊藤存の「ぞんざい」な刺繍。これなら、ぼくでもできそうに思えるところが罠かも知れない。イメージが収斂しないまどろっこしさに、しばし呆然と出来るような布である。本になって触れるものには、かわいい具象なども入っていて、その対比もまた展示の妙であり、山本純子についての展示とパラレル(対)でもある。

坂元育代(菖蒲学園)と、上前智祐(具体出身)の関係は、より渾然一体となった展示風景のなかにある。内面に入り込んだような坂元の刺繍には、かわいらしさや優しさとは違うきりりとした重厚さと諦観があるように思え。上前作品も「具体」協会のイメージとはほど遠く、より求心的、求道的な静謐感に溢れている。

スリッパを履いて、奥の蔵に入る。中央アジアの伝統刺繍「スザニ」が天井から吊るされている。シンプルな展示で、向かいは上前智祐だったか。おっと記憶があいまいになっている。2階は、野間口桂介の過剰に刺繍を縫い付けて、シャツの機能を阻害してしまったオブジェの展示である。まあ、そんな野暮な機能云々は、彼にとってもぼくらにとっても、もうどうでもいいのかも知れない。

こちらも、2階の縁側で何の意味も目的もない刺繍の続きをやってみる。のどかなひと時。

帰ろうとすると、かわいい赤ちゃんが来る。伊藤存−青木綾子の子どもさんであって、赤ちゃんは存さんの刺繍つき涎掛けをしている。


17時からは、ちかくの酒遊館でオープニングパーティがあるのだが、それはパスさせていただいて、トキハ館などを写して、のんびりとまたバスを待つ。ここのバスは、夕方などは生徒がいっぱい乗るのでいいのだが、21時にはもう終バスとなるのである。


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