Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Key of Fountain-ITO Zon

vol.620.
6/16(木)

伊藤存「Key of Fountain」Kodama Gallery&劇団太陽族『音楽劇JAPANESE IDIOT』WA



大阪駅から御堂筋線で本町駅そばのKodama Galleryへ。丸信ビル2階は変わらないのだが、エントランスがきれいになっていて、少し入るのを躊躇した。ギャラリールームも、前にはなかった奥の部屋もあって(テーブルがあり、横は事務室になっている)、3つの部屋にわたって伊藤存「Key of Fountain」の美術が展開してあった。6/4〜7/16。作品のタイトルを見ようと思ったら(どれがどれかはちょっとみるだけではわからなかった)、ひとつ(たぶん紙で作られた恐竜の骨の繊細なオブジェを中心としたインスタレーションだったように記憶しているが)を除いて、みんな売却か予約のシールが貼られていた。

伊藤存という作家の作品は、時折、美術展のなかの一つとして眺めていたし、ここコダマ画廊でも一度目にしたことはあった。刺繍糸を使うということは、なかなかに珍しいものだなあとは思ったが、まず平面の印象が、どうも、か細い印象があって、ぱっと見が地味でとぼけている風でもあり、そのとぼけつつ意外と誠実で大胆な隠し味があるのだということに気づきだしたのは、最近である。

近江八幡のボーダレスアートギャラリーNO-MAの『縫う人』でも、展示だけでは、その他の作家たちの作品に圧倒されたあと、現代美術というのは、どうしても頭でっかちになるか、気弱な感じになるのは、どうしてだろうかと思いつつ、でもこのブック形式はよいよなあ、とか、他の作品がすごすぎるからであって、実は現代作家のなかでは、相対的にはいいかも知れないとか思う程度であった。

ところが、彼の刺繍をいっしょにしましょうというワークショップを見学し、自分も少し刺繍をやってみて、ずいぶんと印象がかわり、奥の深さとその素材の面白さにはまるようになった。刺繍とか裁縫とかを男子がしないのは、もったいないことだと声を大きくしたいぐらいである(が、まあ、きっとぼくは長続きしないので、それは別の人に任せたいな)。ぼくがやったのは、行き当たりばったりのものだったが、伊藤存はきちんとした下書きやプラン、策略がある。刺繍には、プランが必要で、けっこう、取り返しがつかないこともあり、偶然の要素ももちろんある。

布の繊維との相性、布と糸が同じ糸で凹凸のみの表現もまた絶妙であるし、糸を替える選択もまた楽しい実験である。自分など、はじめは具象をしているようで、その具象はどんどん(うまくいかないで)変容するし、抽象的な模様をやっているつもりでも、何かに見えてしまうことから、どんどん、蝶になったり、魚になったり、獣になったりする。彼の作品の鑑賞もまた同じことが言える。また、デザイン的配置は、布の加工、ファブリックアートの要素ではあるが、それと同時に平面芸術における構図でもあるし、水墨画、とりわけ、奥深い仙人が住んでいそうな山水画との比較も容易である。

何かのため、実用ではない刺繍、なぜここで美術は、刺繍なのだろう。その特質は。
刺繍はきちっと糸が重ねられていれば、版画や水彩画のようには色あせたりしないし、保存されていくものであるように見えるが、糸をはさみでぷつんと切るだけで、ほどけていくという場合を想定すると、実にもろい営為のようにも見える。

10点ほど展示されている手前の部屋の隣の部屋には、刺繍ではなく、白い紙を切り取り、立体にした(一部の骨は平面のまま)恐竜のインスタレーションがある。男の小学生で、とても図鑑好きの子がいるが、そういう子どもがそのまま大人になるとこういうことをするのではないかと思わせる展示である。魚もまた観察すればするほど、不思議なものである。

細い線を積み重ねて観察し写し取る。それが、刺繍としてまた変異する。刺繍が完成系で、墨や細い線でのスケッチがあり、白い紙でのインスタがあるのだろうか。この展示では、とりあえず、刺繍の作品の秘密が見られる仕掛けとしてだけでも楽しめるものである。ロールシャッハテストのような骨の影の紙もあって、まだまだ、伊藤存の全体像はつかめきれないけれど、その面白さがようやくわかったという意味では実に有意義だった。

心斎橋のメディアカフェポパイに行く途中、大丸を通って、アニエスb.の前を通る。河瀬直美など5名の女性作家のデザインTシャツが展示されていて、つい店員さんと話をする(購買する気持ちは毛頭なくてごめんね)。すると、祇園のお茶屋さんで京都の美術作家、やなぎみわ達とアニエス.bとの企画イベントがあったと雑誌の記事をみせてもらって、びっくり。青木陵子・伊藤存の作品も展示されていたのである。偶然。その店員さんは熱心で、ぜひ児玉ギャラリーに行きたい、とのこと。

最後の大阪現代演劇祭<仮設劇場>WA。劇団太陽族『音楽劇JAPANESE IDIOT』作・演出:岩崎正裕。19:29(客電が落ちない前に一人の白い服が入ってくる〜白=生成りは、伝統的に死者の表示だろう)から、20:28まで。間に10分間の休憩。帰りはさっとかえって八幡の自宅に着いたのが24時ジャズトなので、ゆっくり夜の埠頭から海を見られなかったが、そのかわり、中休みで海風を感じることが出来る。

鳩、たぶん白い鳩が重要な役を演じている。斎場の煙突にとまって、空へと消えていこうとしている。導き手であり、お使いの鳥である。そのまえに、伝書鳩を扱った創作され没になった童謡も歌われていた。それと、お葬式。演劇の起源の一つかもしれない葬送については、太陽族(岩崎正裕)では大切なシーンとして扱われてきたと見ている。実際の葬儀式部分ははしょっていて、そのかわり、葬儀ファッションショーになっていた。

これをミュージカルとは言っていない(音楽劇とおうことだが、わりとオーソドックスなもの)が、音楽(作曲・演奏:橋本剛、演奏:田中佑弥〜電子ピアノと鍵盤ハーモニカ)がきちんとあって、役者たち(音楽の方が強い人もいたのかも知れないが。サックスとトロンボーンを吹いている人もいた)が、その器のなかで一所懸命練習して歌っているのが微笑ましく好ましく覚えた。もちろん、ミュージカル用に訓練された人たちではないが、それでも、このような倉庫という音響の悪いところで、何を歌っているかがわかるように歌うといのは並大抵ではないと思う。

お話も、いまどきのニート(32歳だったかな)の男性と彼が介護していた惚けが入った祖母との関係を軸に、祖母の満州時代からいままで、そして、いまから10数年先までを描くもので、そういう面でも3時間は長いものではなかったし、少しこういう長丁場の作品には出会っていなかったので、盛り込みすぎのような気もしたが、とても楽しく、澪つくしを掲げる大阪市役所職員とか、愛知万博のマスコットが出てきたりして、カリカチュアの部分もそれなりに嫌味でなくさらりと扱われていた。

後半最初の壁のシーンのやりとりは客席を分断していて、よくある趣向としても、簡潔にいいたいことがビジュアル化されていたし、異国の丘の合唱とか迫力があった。もし、短くするとすれば、少し唐突な感じの未来法廷の部分だろうかなあと、帰り思ったりもしたが、逆に6時間ぐらいを描ききることも必要なのかも知れなかった。大阪市の100年を見つめるためには。




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