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Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE
Journal》626 vol.626.
めずらしく、わがマンションでは、冷房を一度もつけていない。芳江さんは日中、電気代を考えて去年までもつけないでやってきていたらしいが、ぼくが帰ると即座につけてもらっていた。夜も去年まではつけたまま寝ていた。それが、一転して、どうしたことだろう。年の功?熱量がなくなっちまった? 試験監督から無事、解放されて、蹴上駅から、まずギャラリーすずき。加須屋明子企画(イメージの新様相ィ」)、Companion Species Manifesto。山吉ちえのビデオは仲間(コンパニオン)としての2匹の犬、わんちゃんのビデオとインスタレーション。ふつうぽい(紹介ビデオのようなもの)ものもあるし、わんちゃんのお尻の穴から覗くと、ぺろぺろ雑念なく水を飲むわんちゃんが映るものもあった。 いちばん、気持ちいいのは、この夏にぴったりの金魚が泳ぐ水槽に、なぜか、ぴよ〜ん、ぴよ〜んと音たてて飛び上がるわんちゃんである。その、無意味さがおかしくってつい声を出して笑ってしまった。なんにも考えないですむ現代美術をめざしているようにも思えるが、一応、フェミニズムとか寛容と和解とかとの関連での解説もあって、そういうこともまったく念頭から抜けたわけでもないが、軽さが特徴な作風のように思った。 軽さという意味では、ちょっと松山賢の絵画やインスタレーションの方には分がない。それよりも、薄さが際立ち、その薄さというのは、日本が世界で一番薄いのかも知れないと思わせるぐらいに、その着ぐるみのような動物もヌードな手足に過剰にレースされていうる女の子も、つるつる地表を滑っているスケーターも、表面はどんな素材であっても何もかも同じく、薄いのである。 おっと、一つだけ、薄さだけではすませないコーナーがあった。そこには、小さな骨の立体そのものが置かれていたのだ。人工に作られた薄さというものの正体をいつでも無効に出来る意思を伴って、世界を静かに見つめているかのように見える小動物の頭蓋骨。あるいは、それを少しだけ加工したと思われるインスタレーションがあった。 ペットとか着ぐるみとかぬいぐるみとかが、ロリコンな女の子の図像以上にエッチに見えるには、夏の日差しにぼくがやられたのかも知れないと思いつつ、アートスペース虹へと道を横断する。 こちらは、爽やかな木々の世界である。 朝の散歩のときに目を留めて、夕方、紅茶を飲んだあとに、ふと絵筆を持って気がつくと作品になってしまったかのようなリズムが聞こえてしまう(もちろん、そんなお芝居じみた話ではないとしても)。 松山賢の絵画はキャンバスの側面まできちんと模様が描きこまれていたのに対して、児玉靖枝の側面は水彩絵の具のように自然と植物に含まれている水蒸気が光の色をともなって流れ出してしまったかのような、無造作なあとを見せている。 このあと、アートスペース虹は、8月は22日までお休み。お休み前に、避暑地の涼しさを味わえて幸せにさせてくれる展示だった。地震もテロもサリンも被爆も何もかもすでに知り尽くしたあとの静けさというか、あるいは、逆にそういう悲劇と無関係にこの世界はあっていたとしてもいいような瞬間はまだ残っているという信念であるかのような、平穏さ。 ギャラリーはねうさぎでは、若い人たちの個展。マンホールを陶器にしている人と平面の人と。 「こぐれ日記」の扉へ 無断転載禁止 掲載:アーク編集室 |