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vol.627.
8/3(水)

京都シネマ1『ヒトラー〜最期の12日間〜』&京都芸術センター夏休み企画『うたかたさんぽ』岩村源とこどもたち


四条の証券会社で親父からのギフトに対応しようとして思いがけず手間取り、京都シネマ(会員になったので、当日で1000円になる11月まで数回は行かないともったいない)、10時半からの映画日本国憲法(ジャン・ユンカーマン監督作品、Mシグロ)は間に合わず。途中から入るのはいやなので、DVDを買っておく。ゆっくりとあとで観ることにしよう。自民党による改憲の案文が出たところなので(自衛軍に関する2か条追加〜9条の枝番号条文〜以外もずいぶん検討すべき変更がある。自治関係とかも)、タイムリーな上映である。

12時半からの上映『ヒトラー〜最期の12日間〜』を予約して(予約番号28、今日が当日でも1300円の日だったからもあるだろうが、この回も次の回も満員となる。年配の方が熱心に見ていて、しかもすすり泣きも聞こえる会場であった)、京都芸術センターへ。

京都芸術センター夏休み企画『うたかたさんぽ』。岩村源とこどもたち。確かに、この企画に学生たちがワークショップ(7/23と7/30に子どもたち25名定員で行われた)も見学し、展示を見ると、アーツセンターの機能と意義、アウトリーチや限界芸術(だれでもアーツ)と先端芸術(さきっぽアーツ)の関係性の面白さに自ずから会得できるのになあと、大学のセメスター制をうらやむことにもなる(大学生が7月いっぱいまで試験などがあるというのは、子どもと文化の関係を体験するのにずいぶんと支障が出る制度なのである。

南のギャラリーは、軽やかに「コマ」(上が白で下=裏がオレンジの鮮やかで爽やかな円盤)が回っている。台や支えは、昔活躍していまは静かに現役を退いた道具たち。どこで見つけて、どこに保管してあったのだろうと監視をするボランティアの人も懐かしそうにその姿に目を潜めている。展示のリズムも重ならず、しかもばらついた感じがしないのはさすが。不思議なのは、円盤の速度が違うということ。重いから遅いといのではなく、子どもそれぞれの速さを設定しているのかなあとも思う。ただ、電池で回っているもので、そういう精緻な工夫ができるかどうかはわからないが。

回っているものは子どもがワークショップで観察して描き切り抜いた昆虫や草花。小さな、どこにでもあるけれど、ちゃんと観察して描こうと思うとお手本がないから、かなり真剣な作業になるものたち。大きかったり、かわいく分散していたり、これもかなりの差異があって、見飽きない。

北のギャラリーは、大きな泡だという。その泡に色とりどりの藻とか光のプリズムとかが写っているように針金が巻かれ、象られていた。上のほうには象徴的な模様も現われているが、奥の方は針金が少なかったりしてちょっと時間が足りなかったのかなあとも思える。それがまたワークショップの醍醐味なのだろう。出来れば、会場に来た子どもたちにもう少し針金を加えてもらってもいいぐらいだけれどなあとも思うぐらい。

また、cocon烏丸に戻って、いつも列が出来るラーメン屋で昼食。そんなにラーメンが好きというのでもないが、手っ取り早いのでつい入ってしまう。最近、スープが割りとさっぱりとした「昭和時代の支那そば」風が流行っているようにも思える。ここも、そういう野菜をダシに加えることで「丸」くなる味を選ぶことが出来る。

1階のアクタスやaura collectionを少し丁寧に眺める。AXISが六本木(というか狸穴)に出来た頃の思い出話をauraのショップの人にしたりする(AXISでここの人のものも置かれたりしたそうだ)。ずいぶん前(24年ぐらい前かな)のことだけれど。3階のStudio Kinoで、アニメーション上映会『栗田やすお作品集』を見る。京都シネマでは、「緑玉紳士」の映画バージョンが夕方からあるのだが、まあ、これを見てもどんなパペットアニメなのかは、だいたいわかる感じがする。

ということで、満員の京都シネマ1。
考えることが多くて、155分。長いとも感じなかったし、余計なことはまるで描かれていないという感じがした。複数の視点が入ればこれの数倍にもなるので、仕方がないことではなかったかとも思った。

ただ、もう少し、始めの部分に登場したヒットラーの側近たちのディテイルをよく観察したらよかったと思うし、ゲッヘルス(妻と子どもたちも含めてナチズムがあったのだと再確認:日本では軍国の母として子沢山のぼくの母方の祖母が表彰されたことを思い出す)は宣伝の名手としてまあ知っていたが、ヒムラーやゲーリングなどほとんど史実を知らないのはもったいないことをしたと自省する。

ヒットラーの自殺まで身近にいた女性秘書の証言(原作の翻訳も売っていた)を基にしているので、ずいぶんと密室の出来事と感情のゆれを丁寧に描かれた作品である(再現ドキュメンタリータッチドラマという感じだろうか。でも、日本のテレビの再現ものとは重厚さがずいぶんと違う)。

『ヒトラー〜最期の12日間〜』・・彼の敵は世界:全てを目撃した秘書が今明かす、衝撃の真実。監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル。アドルフ・ヒットラーになるのは、あのブルーノ・ガンツ。正直、ベルリンの天使が墜落してヒットラーになるので、どうしても、ヒットラーの弱弱しさに同情してしまう部分があるし、それは、当時の秘書であった語り手のトラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララのすくっとした姿勢そのものが、ラストのシャツブラウスで川のある風景まで辿り着ける運命を作っていたのかと思う)の視点がそうだったから仕方がないといえば仕方がない。

ヒットラーは総統であるときはあんなに残酷になってしまうけれど、愛人や秘書、そして料理人など女性には優しいということを拠りどころについてきた自分(トラウドゥル)がいたわけである。もちろん、戦後、ユダヤ600万人殺害という事実を知り、きっと、当時の会話のはしばしから、自らそんなこととは想像すること、そういう事実ではないかと疑おうともしなかったことを悔やみ反省はしただろう。

ただ、どうしても、ヒットラーとその周辺の目線から外の世界を眺めて密室を描くということは、オウム真理教のドキュメントである『A』と同じ困難さがあるように思える。たとえばだが、ユダヤ人がこの映画を見て、どう感じるのかということは、特攻隊を描いた日本映画を見た韓国人が思うもやもやした感情(無意識の正統化のようなものとか、疎外感みたいなそらぞらしさ)と同質かも知れないなあとは見ながら感じはした。

しかしながら、では、日本映画が昭和天皇を真正面から捉えてこのような戦争映画が作れるかどうかということを考えると、きっと、まだまだ秘密やタブーが多いのではないかとぼんやり感じられる。ただ、では、いままで日本映画は、玉音放送の前の12日間の天皇とその側近のさまをどのように描いてきたか、ということをちゃんと知らないので、これも重要な探求課題ではあるけれど。


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