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vol.628.
9/4(日)

骨の舞謡


ある若手の舞踊手から依頼があって、この冬に催される彼らの公演チラシのなかに入るかも知れないひとつかみの言葉を考えてみた。

どうしても、いま、ダンスや演劇、音楽について、懐疑的な自分としては、夢のようなことかも知れないが、こういうライブがなければ、もう見たり聴いたり、それについて、考えたり言葉に置きなおしたり、なにもしたくない。そんな気持ちが出てしまって、自分らしくなく高踏的な文章の断片を綴ってしまった。

でも、これは、いまの心境をかなり誠実になぞっているように思うし、鑑賞の髄ということをめぐって、あんまりぶれてはいないかも知れないと信じているものではある。

【骨の舞謡】
骨が舞っている。
肉もメッセージもテーマも消えうせ、骨だけが見える、
そういうダンスに出会いたい。

骨が謡っている。
感情もビブラートもいらない。
脂肪が震えるのではなく、カルシウムが結晶する謡。

4万年前、ネアンデルタール人の骨に手向けられた花粉を想う。
白く乾いた骨を文身する受胎の祀り。

舞う骨よ、謡う骨よ。
ひっそりと眠りについた、白い骨へ辿り着け。
骨と骨が邂逅する乾いた音を空に響かせよ。

これは、100〜200字という注文だったので、このように添削しつづめた。
昨日のJRの中で書いたメモは以下のようで、それが上記のように彫刻されたというわけであるので、参考に、試行錯誤前の原稿も記すことにする。

(参考)
【「骨の舞謡」になるまえの試行錯誤な原稿〜「タコの骨が見えますか」】
骨さえ踊っていれば、豊かな肉はいらない。
深刻な社会メッセージも、姑息なテーマ性も不用である。

水槽の前で色のないタコの泳ぎを無心に見ていると、ないと教えられているタコさんの骨が見えてくる。
不思議だが、そうなのだ。踊る骨は、無駄のない身体の軌跡としか見えてこないものだとタコに教わる。
だから、そういう、タコの骨のようなダンスに会ってみたい。
いつか、骨だけが見えるタコの舞いに、出会いたい。

骨が謡う、骨の声が聴きたい。
癒しのメロディーも中途半端な感情も、繊細を装うビブラートもいらない。
思惑で脂肪が震えるのではなく、
ただそこに在るカルシウムが結晶するときに発する白い唱、
いまはどうして、それを誰も謡ってくれないのか。

4万年以上も前、北イラクに眠るネアンデルタール人の骨に手向けられた花粉の跡を想う。
ひたすら乾いた白い骨のまわりに手向けられた受粉の祈りの輪。

踊る骨よ、謡う骨よ。
ひっそりと眠りについた白い骨を想え。
骨と骨が会話する乾いた声を空に響かせて。



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