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vol.630.
9/12(月)

踊りまわり(28)−潮時なんですね−


以下、最近の自分の鑑賞態度を分かりやすく書いた文章をずいぶん前に書いたので、参考のために、こぐれ日記としても再録することにします。

P.A.N. PRESS Vol.58掲載 
踊りまわり(28)−潮時なんですね−

「ちょうど潮時ってあるのですね。」

蛍光灯と空間が光と音で点滅し振動するサウンドアートの展示を見終わった直後、潮風が涼しく半月が屋根にかかろうとしている。そんな、大阪港のすぐそばの築港赤レンガ倉庫の前で警備員さんとのおしゃべりをした。確かに、海の汐が満ちていき、それが止まり、今度は引き潮になる時点がある。それが、人間では50歳で、51歳からはどどっと60歳になるから、50歳の1年間はいろいろと前半戦を振り返る休息と作戦タイムなのだとこの警備員さんはいう。

「踊りまわり」も28回目となった。その前に「ダンスのリーチ」という標題でも連載させてもらっていて(初回が1998年9月)、それを合わせると、今回でちょうど40回となる。このP.A.N.PRESSは隔月なので、約7ヵ年を担当させてもらったわけである。

自分の雑文集(『アーツマネジメントみち』晃洋書房p71)で紹介させたもらったことだけれど、関西の演劇ダンスを紹介してきた『じゃむち』という雑誌が休刊してしまって、関西のダンスレビューの場を何とかして維持しておこうという思いから、このP.A.N.PRESSのなかに、Review Previewというコーナーができ、みんな、ボランティアで書いてきた。伊丹アイホールでのダンス公演のあと、ぼくは、批評ではなく(そういうことは出来ないから)ダンスをとりまく(芸術)環境エッセイを書けばと、ダンスボックスの大谷燠さんに言われて、じゃあ、書かせてもらいましょうと引き受けたのである。

正直、最近ネタがなくなってきていて、でも、忘れた頃に依頼メールが来るので、動物的反射で返事がわりに書いて送ってきた。マンネリな文章であることを本人も気づいていて、やめないのは、やめるというエネルギーよりも、書いてしまう方が楽だったからであって、これは、よくないなと今回まじめに思ったのである。で、休止しますとメールを打ったのだけれど、いま、休止しますとぼくに言われると編集している方は困っちゃうといま反省して、「潮時なんですね」いうエッセイを書いて、終わりにすることとなった。

理由は、ネタが枯渇したということでもあるし、コンテンポラリーダンス業界のソバで少し仕事をしてみて息苦しい気持ちが強まり、芸術環境づくり研究のためには、ダンス鑑賞を続けるにしても、特定のジャンルに肩入れするのではなく、もっとバランスを持ったスタンスでいたいと考えたからでもある(いまむくむくと関心が置きつつあるのは、冠婚葬祭以外には、建築/土木/廃墟と様々なタイプの「うた」)。

さらに、これが一番建設的な理由であるが、いま若手のダンス批評家が望まれているのではないかということがあって、このコラムの空白分をそういう人にやっていただきたいと切望するのである。関西のダンス批評を紙媒体で読む機会がほとんどないというのは、当時とまったく変わっていない気がする。

年間に演劇を100本見て、3年ぐらいしたら、少しはものが言えますよと励まされ、1991年(当時は、36歳だったのだ)から公務の時間をやりくりして、演劇だけで最大200本ぐらい見続けた数年があった。ダンスも100本近くになりそうだった。それが、いまは50〜70本ぐらいしかダンスを見ていない。

まさしく、50歳、潮時です。ダンスにかなり特化したダンス批評家が関西にもすでにいるしこれからもっと育つと思う。ぜひそういう方の自薦他薦があっていいのではないか、ぼくはここのコラムの選出者ではないが、前任者として、関西のいきのいい(あるいは未来の)ダンス批評家たちに積極的な挑戦を呼びかけたいと思う。小暮宣雄<芸術環境研究>



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