Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》mizu nokai -- mono sugoi ie


vol.633.
10/2(日)
水の会『もの凄いイエ』大阪市立芸術創造館  
通話不全状態である人たちのまったりとユルい時代のスケープゴート


10月とは思えない。森小路の帰り、クレープも売り出したアイスクリーム屋でソフトを買う。110円なり。起きてもすぐにパソコンに向わなくなった。ここに書く必要のあるようなことはほとんどしていない(とはいえ、今朝は枝雀の伝記を読んでいて、心にぐさりと来たところを拾って、芳江に向って朗読する:僭越ながら、枝雀師匠に自分自身とか、家族との関係とかで、似ているところがどうも多すぎるのである)。

テレビも前はニュースぐらいみていたのに、さっぱりつけない。新聞もそうだ。そうそう、新聞と言えば、内田樹さんが、朝日新聞が余りにもひどいので毎日新聞に換えたという。うちも毎日に替えようかなと思ったりする。毎日だって、「まちの宝物探し、イベントで文化発信」(京都新聞のいつものやつ:これは、立命館大ゼミのクリシェ紹介だったかな)なんて見出しが全くないとは限らないが。

自分の家族のことだけでものを言ってはいけないかも知れないが、テレビがない暮らしというのは、読書の時間が復活し、あれこれと思索する大学生時代を取り戻してくれるように思える。だから、「テレビのない下宿生活」というのを、うちの大学生に普及できたらどんなに素敵だろうと前々から思っている。勝負は合格後の生協などでの下宿探しの段階であろう、そこで家財道具そろえとしてテレビ受像機が入ると万事休すだから。

ということで、入学式までの間に何とかできないものか。いまも北風でなく太陽政策で。
パソコンでテレビも見たくなれば見られるから、まずパソコンをまず入れましょう、ニュースはそこから仕入れることで解決するから・・などといいつつ、うまくテレビなし生活を誘導できないだろうか。テレビのない生活をした先輩は、成績ばっちし、単位は楽々クリア、卒業研究など外部で賞を取ったりして、で、かつ能動的に京都を満喫し友達いっぱい、しかも価値のある資格を獲得して、余裕ある就職活動だったという伝説を作ることが肝心だろうね。

大阪市立芸術創造館へはじめて行く3人組がいたので、声をかけて一緒に行く、森小路の駅前でずいぶん戸惑っていたから。最近、どうも演劇鑑賞人口が減ってきたように思えるので、こうしてはじめて劇場に足を運ぶみなさんが迷ってしまって、結局行かなかったということがないようにしたいんです、とかいいつつ。

第三回大阪現代演劇祭ステップアップシアター参加作品、水の会vol.11『もの凄いイエ』(作・演出:奥野将彰)。70分余りのお芝居だったが、途中から俄然面白くなり、終わり方もインパクトあり。客席もぎっしり埋まっていて、今日に限れば、演劇鑑賞人口減少については、杞憂だったということかも知れない。

壊す予定のアパートに住みだしている「住人」にとってのイエの不安定性と住むことの意味づけなどというものだったから、「うちやまつり」とか、OMSの最後に見た南万歳一座のお芝居などを連想した。ここのいつものイメージは、もう少しコミカルな劇団というものだったが、テーマのためか(発電機が調子悪いのも、人為的なものだった)暗い色調がベースとなっている。

当日パンフを読むと、「ミステリ」を付加したという。そうだったのか、住人たちが呼んでいた「前田さん」がまず発電機の擬人化であるとともに、本当にいるとされていた立ち退かない前田さんという彼らの心の支えの二重化。そして、実在者であるはずの前田さんがいるというアパートの明かりと人影が実は・・・。フリーのルポライターがこうして推理し現場を撮影し、彼らの虚構を暴き、その彼らのイデオロギー的前提を覆していく。そして、この暴露のあと思いがけない展開に、そて、その推理したライターの運命は・・・。

追い詰められた疑心暗鬼とどん詰まりの袋小路状態である現在。わが国の地域や各種組織・社会の現在を、幻の不法占拠正統化イデオロギーやいつ何時闇になるかも知れない「サロン」があぶりだしている。不法占拠仲間という擬似共同体(似非コミュニティ)が、コミュニケーションがぎこちなく不全状態である人たちのまったりとしたユルい時代をよく象徴化していると思った。

こういう状態では、内と外という意識が明確化して外部の排除に陥りやすく、内部の過失や罪を外部の敵づくり、あるいは監禁というカタチで排除したり生贄にしたりするのである。 ボイスレコーダーは、演出的にずいぶん活躍していて、デジカメよりも心騒がせられる小道具であるなあと気づかしてもらう。



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