Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》2005 arts tsurezure-3


vol.637.
12/23(金)
今年一年をつれづれに振り返る(その3)

【2005年4月】
演劇6本、ダンス1本、音楽3本、美術9本、映像1本、合わせて20本。新学期がはじまったし、3月に比べれば減っている。それでも、よく行っているなあ。大阪現代演劇祭の仮設劇場<WA>や、ココルームでのかまなびごえん(いまのむずび)紙芝居や砂連尾理+上田假奈代のダンス。築港赤レンガ倉庫での「さあトーマス」(エイブルアートオンステージの一つとしてのガムラン公演)。そして、実行委員として参加しているので客観的な物言いが出来ないけれど、テーマが美術であるとともに生活シーンに密着した裁縫や刺繍と絡むので来訪者の多様性と人数がともに増加してよかったと思ったNO-MA企画展「縫う人」。

いままで、大学では、学生部委員&京都橘大学文化政策研究センター運営委員だったのが、この月から文化政策学科主任となって、仕事はあんまり変らないだろう(だって、2つから1つに減ったし、組合の執行委員長のときは結構忙しかったから)と思っていた節があり、確かに前期はそんなに忙しいこともなかった(たとえば今年度から始まった各学部教授会のとき、裁判長の横にいる裁判官みたいな役だし、全学教授会がなくなってそのかわりに大学評議会というのにも出なくちゃいけなくなったが、これもぼくだけが質問するというような平穏なお仕事だったから)。後期になると、入試関係の人員手配とか(あとは秘密ないろいろ、ごちゃごちゃ、とか)、なんと中間管理職的調整がおおいんや!と思うようになったし、それだけでは小間使いなので、学科のプレザンス=存在価値に責任を持つのは自分しかないと思い出して、やるべきことも考え出したこともあって、雑務が飛躍的に増すようになるのだが)。

【2005年5月】
演劇9本、ダンス4本、音楽5本、美術17本、映像4本、合わせて39本。美術が多かったのは、青森県内を回ったからである。桜吹雪の弘前城に奈良美智の生まれ故郷の赤レンガ倉庫での展示、八戸市での豊島さん@モレキュラーたちとの出会いなど、収穫の多い青森行きだった。いつも美術館や劇場は建設途中ばかりみて、その後のオープニング以降は行かない(金沢や北九州など)というジンクスがあるが、ぜひ青森県立美術館は行きたいものである。

劇団八時半や劇団飛び道具などがあり、林英世の一人語りはこのあとも鑑賞させてもらうことになる。高田和子や田中悠美子、石川高などの邦楽器演奏はありがたいものだった。かつてのたまのメンバーがいるパスカルズは新鮮だったし、CAP HOUSEで思いがけず獅子舞をみたりもした。

国立国際美術館でのシュテファン・バルケンホールの木彫に心打たれ、NO-MAには数回行ったが、伊藤存さんと刺繍遊びをしたり、おばあちゃんに教わったりした近江八幡の休日すごしも貴重な時間であった。うずらギャラリーでみやじけいこに久しぶりに会い、タフ5関連では、まちあるき写真講座が平野愛さんによって開いてもらえる。

【2005年6月】
演劇7本、ダンス4本、音楽1本、美術3本、映像5本、合わせて20本。京都市立東部文化会館で子どもの文化フォーラムをやったり、タフ5の企画(ワークショップ)がすすんで、老人ホームで紙芝居作りのセッションがあったりと、仕事がらみが徐々に増えている。

なかでは、France-panという若い劇団の作品が予想外に力強く、いま蔓延している変な難解系自己満足(+不完全で保身も見え隠れする切っ先が鈍った演劇・ダンス)の轍にはまっていないものだったので、面白かった。もちろん岐阜の劇団ジャブジャブサーキット「成層圏まで徒歩6分」の水準はいつもながらきわめて高いもの。太陽族の音楽劇は長すぎるが悪くはなかった。

【2005年7月】
演劇7本、ダンス5本、音楽6本、美術6本、映像4本、合わせて28本。古賀千賀子さんに来ていただいて、大学の授業として伝統的な街頭紙芝居をしてもらった(それ以外にエイズ防止紙芝居も披露しれもらう)のが一番印象に残っている月。ダンスも多く見たが、この月の出来事から、ちょっとコンテンポラリーダンスはいままでよく見てきたので、お休みしてもいいなあと思ったりした。映像ではDVDで森達也監督の「A」と「A2」を見たのが衝撃的。タフの会場となっている山科ハイツのもう一つの面をオウム真理教側からドキュメントしていたからである。

【2005年8月】
演劇7本、ダンス2本、音楽2本、美術3本、映像3本、合わせて17本。回数も減っているし、内容も自分が関係しているところ、授業に役立つところのみ(あとはミッフィー=ブルーナ展ね)になっている。先月のトヨタショックというものが尾を引いていることがみてとれる。この月も、以下のブログ内容について、しょげたコメントがついたりもした。なお、「(それを楽しいと思ってつくったり、鑑賞したりする人たちがいらっしゃるのか)」という部分はよくないと思って削除せずに謝っておくことにしたりもした(http://kogure.exblog.jp/2187896/参照)。

・・・・・・
≪今日のような八時半などの公演(自分として安心して訪れることが出来る演劇)は、鑑賞後の満足度に多少のでこぼこはあったとしても、早く終わって欲しいなどとか思わずに退屈しないでどんどん楽しめる。一方、どうしてこういうすかすかした内容のありふれた物語テリング(テーマ)を表面的で定型化した演出で公演しつづけなくてはいけないのだろうかと怪訝に思い終わりばかりが楽しみな演劇が、今日見たお芝居とかこの前の北村想のmono語りなどの演劇の対極に、あるのか(それを楽しいと思ってつくったり、鑑賞したりする人たちがいらっしゃるのか)ということ(二種類への演劇の分裂)が、いまだに不思議で仕方がない(ぼくのなかで、明確に言葉化して区別できない状態に留まったままである)。これを明らかにするのが演劇評論家の役割だろうが、評論家はどうしても、自分が面白くない(演劇批評としては終わっている)と主観的に思う公演を見ないから、その比較を平明にしてくれる人がなかなかいないのだろう。≫2005.8.20「こぐれ日録」「こぐれ日乗」より



こぐれ日記」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室