Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》2005 arts tsurezure-4


vol.638.
12/23(金)
今年一年をつれづれに振り返る(その4)

【2005年9月】
演劇5本、ダンス0本、音楽4本、美術2本、映像5本、合わせて16本。ダンスがゼロになる。ダンス公演の方がより関係者が多く特定されているので行きづらいということもあるが、結局、まあ、よく見たのでだいたい新鮮味が少なすぎるのである。映像もDVD鑑賞主体。

東山青少年センターのビギナーズユニット公演は思いがけず落涙したし、みらいの会「なみのうた」のも感心した。NO-MAの秋の企画展(アサヒビール助成「モノと思い出」も無事始まり、いろいろあっても、タフ5の稽古など関係しているアーツは順調に進んでいた。演劇力ビジネス活用研究会でも、劇団衛星ほかの力により、関西電力でワークショップ研修が出来るようになるなど、なかなかいい実践的研究になってきたのもこの頃である。

【2005年10月】
演劇15本、ダンス0本、音楽1本、美術6本、映像6本、合わせて28本。タフ5=まちかど芸術の本番であった。はじめて演劇のプロデュースをしたなあという気分になる。見たいものが見たい、見たことのないものが見たい。そういうシンプルな欲望がアーツマネジメントの基礎にあることを自分自身で体感した月であった。感謝することの多かった月でもある。ギターの鈴木大介、クラリネットの亀井良信のデュオが外部ものでは一番印象に残っている。

【2005年11月】
演劇4本、ダンス0本、音楽4本、美術6本、映像3本、合わせて17本。大善院さんでのCool5が面白かったし、大善院お寺ギャラリーも素敵に出来ていた。兵庫県立芸術文化センターが思いのほか楽しく、大阪市精華小劇場の太陽族も手堅い。さきらでの音楽祭もあり、国立文楽劇場で新人の浪曲師菊地まどかの初々しさにも好感を持つ。桂枝雀のDVDと伝記、書物を読みいろいろ思い、成瀬巳喜男映画のよさの一端がようやっと理解できるようになる。甲賀市碧水ホールで映画祭が始まり、青森市に合併されたなみおかでは映画祭が最後となった。

なお、日本アートマネジメント学会の全国大会で、「いまの学科主任が忙しくて関西部会長を替わってもらおうと思う」と話したらみんな納得してくれて、やっぱり、いま私のやっている仕事って大学関係者間では大変だと分かってもらっているなと思うと、ちょっと嬉しいことでもある(でも役人であったときのことを思うと、大学教員ってまったく事務とか調整の作業をしなさすぎって思うのも事実です、はい)。

【2005年12月】
演劇4本、ダンス2本(+2は予定)、音楽0本、美術3本、映像2本、合わせて11本(13本プラスα)。
ダンスは、珍しくこのあと、25日にヤザキタケシ、29日に花嵐。音楽や美術、映画も何か見るかも知れないが、ここではこれでいいだろう。

ということで、予定を入れて、2005年の合計が290本。300本(これには映画だけライブ以外も入れているので少し水増しではあるが、それ以外はライブの数字)を切ったのは、10年以上前にしかなかったことだろうと思う。この一年、演劇83本、ダンス41本、音楽(伝統芸能含む)39本、美術82本、映像45本である。ちょっと、ダンスも来年からは見ようかなと思ったりもしている。手始めはシゲヤン(1/8)やヤザキタケシ(1/13)、藤田一(1/14)など。

さあ、どんなアーツが来年は待っているのか。もう300本になることはないにしても、ぷっつんにはけしてならず、地味に見ていこうと思っている。文化政策的にも、栗東市さきらなど公立文化施設における指定管理者制度の適用の動き(実質のタイプリミットが来年3月議会になるため)など、先月から今月にかけて(来年も続くが)目が離せない月でもあった。

最後に、(ちょっと、鑑賞することについてのスタンスになっているので、まとめにかえていいかと思い)観劇のあと書いた日録(2005.12.16)の一部を引用して終わりたいと思う。

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トリコAプロデュース演劇公演『他人〜初期化する場合』作・演出:山口茜。アトリエ劇研。岩田由紀、ハラダリャンも出演していたこともあり、連続の観劇となる。1回生のN村が制作に混じっている。彼女が最後に生のギター弾き語りがあるよと嬉しそうに言っていたわけは、終わってよく理解できる。なるほど、そのとき、世界は実に明快なまでに単純だと思えたから。

そう、世界はしごく単純かも知れず、あるいは、底なしに複雑怪奇かも知れず、でも、そのどちらかということは死ぬまできっと分かりっこないだろう、少なくともぼくには。そして、表現者は、この世界に向かいあい、ある人は、複雑怪奇な表現でしごく単純な世界を描き出そうとし、ある人は、ごく単純なもの、ささいな指標によって、複雑怪奇な下界を描こうとする。この作品は、どちらかというと(最後に、いままでとは世界が違ってしまって、生の気持ちが浮き出しそうになるほどに、シンプルな世界を提示するところをみると)前者であろう。

人間様という生物が見える光は、たかだか赤の波長から紫の波長までの間でしかない。日本では虹は七色ということになっているが、たとえていうならば、つねにヒットを使命とする市場芸術は、この七色のうちいくつかをピックアップして感動的な表現を行う。一見したところ難解にみえる(難解系の)アーツでは、この七色全部をメリハリをつけずに使ったり、それでも足りず、分割しなおして八色とか四色にしたりすることを行っていることが多い。

しかしながら、本当の表現者、開拓者は、この枠に留まらず、つまり、可視光線よりも不可視なヒカリで世界を照らそうとするもので、紫外線のように、心を凝らす細密な世界で対応したり、シンプルすぎて逆に見えない赤外線のような表現の外に出るヒカリをぽかぽか当てようとする。
ぼくがつねに気にしている限界芸術って、この赤外線のようなものであり、さらに既成の表現様式から自由な遠赤外線がアウトサイダーアーツであると、比喩ながら、思ったりする。http://kogure.exblog.jp/2849235/



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