こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.4
4/16(月)
昨夜は22時前に寝たので、3時頃目覚めたりはしたけど目がひくひく言うことはなくなったみたい。
芳江と堀江へ出かける。バリ島の低いテーブル(熱いものを直接置くと白くなるのでランチョンマットも買う)を注文してあとはブレザー箪笥を探す。はながいる寝室のコートかけは、私には使えないからだ(これは引っ越しの際の予想できなかったことの一つ。実は、木曜日になると、この箪笥がいらなくなる新しい事態が発生するのですけど)。
そのあと、キリンプラザ大阪(KPOホール)へ(17:10の回=Eと18:50の回=H)。
「第6回アート・ドキュメンタリー映画祭 in 大阪」が8日から始まっていたのだ。客席はまばら(特にEは)。
たまたま2回とも(EとH)美術作家の記録だった。しかもルイーズ・ブルジョワのドキュメントが2本あって、高齢でありつつ、枯淡さを微塵も感じさせないアグレッシブな彼女の姿が強烈に飛び込んできた。
まず『C・ボルタンスキーについて彼らが思い出すこと』2000、フランス、33分。監督+撮影=編集=佐藤京子。クリスチャン・ボルタンスキーが公園のベンチにいる。初老のごく平凡な男性である。彼についての語りも淡々とした印象から始まる。
実は彼は子どもが好きでないという。彼には子どもの写真(それも遺影風)が多く使われ、このナレーションは、ちょうど彼が子ども達を撮影している映像とともに流される。あとでチラシを読むと、すべてボルタンスキーが自分で自分のことをあたかも知人や友人が彼について語るように書いたシナリオだという。してやられました。
カタコンベのなか、頭蓋骨や骨がぎっしりと几帳面に積み上がっている映像。その几帳面さが新鮮だった。「写真は遺骸と同じものである」という説明へとつながる。
『CHERE LOUISE〜親愛なるルイーズ』1995、フランス、50分。ルイーズ・ブルジョワは1911年生まれだから、83〜4歳の時の映像である。時に隠れてしまったりアーティスト独特のきままさが出るが、童女のようなほほえみや恥ずかしい様子もあって、一筋縄ではいかない人物のようだ。
フランスの監督ブリジット・コルナン(女性)がインタビューするのでフランス語、ときに英語も混じる。彼女は、自分の芸術というものは、自分が家庭の葛藤のなかで生きていくために必要だったから、その結果としてたまたま生まれたものだという。
先に見たボルタンスキーも、自分は芸術家になっていなかったら気が狂って生きてはいられなかっただろうと言っていた。
彼と彼女、どちらの話からも「ABLE ART」との共通項を感じさせるものだが、ルイーズの作品における偏執的なモチーフの繰り返しがとくにそうだ。精神の安定のため、彼女の作品は創っては壊され、そして首を切り取られて人間像として完成するのだなと納得させられる。
助手として彼女の展覧会を成功させたジェリー・コロヴォイの、マッチョと正反対の存在が独特。ジェリーの細い顔や髭を観ていると、殉教者像とかホスピスにいる介護人とその仕事(=臨床するということ)を思ったりする。
あとのビデオであったものだが、ルイーズとジェリーとが、指と指を重なり合わせる作品があってその傍らにガラス瓶が置かれる(これ全体で作品なのかも知れない)映像があって、実に見事に二人の関係を表している。これについて、ルイーズは、精神的に壊れやすいものと物質的に壊れやすいものがここにはあると話していた。
順序が逆になるが、もう一つのルイーズはナイジェル・フィンチというイギリスの男性監督(アートドキュメントの開拓者、45歳でエイズにより死亡)によって撮られたものである。
すなわち『ルイーズ・ブルジョワ』1993、イギリス、54分。ベネチアビエンナーレに93年彼女がアメリカ代表として出展されたちょうどその頃に撮られたもの。でもルイーズはベネチアへ社交に行ったりはしないという。アートを創ることがそんなことよりずっと大切だからだ。
彼女にとってもっとも影響(かなり悪い方の)を与えた彼女の英語の家庭教師であり同時に彼女の父親の愛人であったセイディについては、『親愛なるルイーズ』でも後半触れられはするが、こちらの方がきわめて濃厚に彼女と自分のことが語られる。
ルイーズの10歳から20歳までの傷が、このときまでも(80歳代)主要な彼女の創造の原動力になっているというのは、実にすごいことだなあと思う。父親から見捨てられ、家庭教師として慕おうとした女性からも相手にされず。
彼女は兄弟の中で一番かわいがられたいという欲求を強く持っていた子どもだったというが、きっと父親への愛が強かったために取られたという憎悪が百倍心の底に貯まっていたのだろう。では彼女の母親(セイディは母親の運転手でもあった)はどうだったのだろうか。それにはまるで触れられていない。
その映像の前に、『ロバート・メイプルソープ』(1988、イギリス、52分)があった。
同じくナイジェル・フィンチ監督。
最近メイプルソープについて彼がいかに自分のイメージ形成に策を弄したかを探った本が翻訳出版されていて、読みたいなと思っているところだ。
この映像は42歳で彼が死ぬ直前のインタビューが含まれている。そのインタビュー映像は、彼が骸骨と一緒に撮ったラストフォトとまるで同じ構図になっていてここにも、彼のスタイルへの偏執が伺える。
このHプログラムは、ルイーズが自分の作品(大きな男根に見えるが彼女はそれについてはコメントを避ける)を抱えている写真がメイプルソープによって撮されていて、近過去のアメリカ現代アートのシーンの誕生と絡まり具合が浮かび上がってくるプログラムになっている。
メイプルソープの撮る花の写真と、いかにも美しくてかわいい姿として描かれた花の写真を比較すること。それによって、同じ被写体でも現代アートはどうやって既成概念としてのイメージを変換し、その隠されたものを暴き自分の目線で切り取ってきたか・・についてゼミで話すのは大切かも知れない(と、すぐに自分の授業のことを考えたりして観ている)。
『あいだ 63号』(発行=美術と美術館のあいだを考える会)は、「富山近美事件はこう終わったか?」についてのアンケートが特集されていた。そのなかで松永康学芸員が「公立美術館−20年の夢とうつつ」という文章を寄せている。
その文章の後半は、美術館裁判をめぐる直接の話題を越えて、この20年間の公立美術館の役割とこれから美術企画を担う人への展望をきわめてわかりやすい言葉で簡潔にまとめてある。それで無性に引用したくなって・・
《(80年代に入って普及活動が行われるようになったまでの流れを受けて)・・学芸員というのは、美術に関する展示・保存・研究、さらにそれらの解説を行う技術者です。これはかなり専門性の高い仕事であり、片手間にできることはありません。ところがそこに、鑑賞者の育成という新たな仕事が加わってきたわけです。こうした美術館の付加価値の肥大化により、本来の役割が見えなくなってしまったのが今日の学芸員の姿です。》
《(これまでのような地道な啓発活動を税金で出来る時代は終わったとして)・・私が勤める美術館でも、近い将来、本来の意味での学芸の仕事ができる者を何人か残し、あとは巡回展専属、学校対応専属、広報専属といったいくつかのパートに振り分けられることになると思います。逆に言えば、それが本来の美術館の機能を守るための最後の手立てだと私は考えています。》
《思えば80〜90年代は、新たな美術の価値づけに公立美術館という行政体が大きく加担した時代でした。しかし、これは絶対に健全な状態ではありません。民主主義のもとでは、行政が意図的に文化の創成に関与すべきではないからです。むしろ私は、この時期の美術館を、国民主体による文化創成活動を再開するための一種の触媒であったと捉えるようになっています。・・》
《事実、近年では、美術館に代わって美術を社会化させるための新たな動きが確実に始まっています。それは、おそらくはその多くがこの時期の美術館を揺りかごとして育った、民間のフリー・キュレーターたちの活動です。これまで展覧会のコーディネートといえば、美術館学芸員と企画画廊主の特権と思われていました。でも、展覧会の企画というのは誰にでもできます。これからは、もっとたくさんの人がこの活動に携わってほしいと思います。・・一方で美術家たちも、かつての同業者的な連帯意識から開放され、個としての自覚を高めつつあります。こうしたことから、周囲の支援者の力で美術家を社会化させてゆくシステムが構築される日も、私はそう遠くないと見ています。・・》
劇団万国博覧会新歓公演『ここだけの話』、京都橘女子大学リバティーホール3F多目的ホール(50席ぐらいの小屋で軽音楽部と使用を競争するのだそうだ)。無料。16:30〜17時すぎ。脚本:高橋いさを、演出:矢野祐子(2回生)。「ショーマ」という劇団はどうなったのだろう?30分の本というのは、高校演劇向きに書かれたものだろうか。
1回生の多くが授業中だったようで、学生はごく少数。いっぽう端所長はじめ文化政策学部の教員が5人もいてあたかも新人教員歓迎芝居になっていた。3回生以上がいなくなって2回生だけのステージ。去年の文化祭に観た二人(子ども役だった)が男高倉(矢野祐子と花嫁明日香(安藤きく)をやっている。ボーイに立松巴、ほか。
花嫁明日香が高倉の部屋に逃げ込んでくる。高倉は明日香の強引さについつい引き込まれてゆく。初めは不倫のために女を待っていると思っていたら奥さんがくるのだという。結婚記念日か?と高倉のことばに思わされていると、実は離婚話だった。
次第に高倉の離婚の決意がにぶってくる。それは花嫁が結婚解消のための決意がひるがえっていくスピードには負けるが、徐々に徐々に3年前のことを思い出しながら、もう一度のやり直しについて心の中で自問している。そんな展開がホテルの密室で行われる。
去年も安藤きくの活発さには注目していた。かわいい華奢な花嫁というイメージとは違うタイプ。逆に、左手の不自由さをまったく感じさせない元気さ(彼女は障害があることを隠さずポジティブに活かせる場として演劇を選んでいるのだと思う)。
相手役の矢野も安藤の左腕を抱えてひっぱるなど、遠慮がなくて、それがすがすがしい。小さな舞台なので声の大きさはもう少し自然に抑えていく方が聴きやすかっただろう。オリジナルにも挑戦してほしい。
朝早くに大学の健康診断。身長がちょっと減っている。血圧もまた上が100を切った(低血圧なのに朝早く目が覚めるのはなぜ?)。
2講時は基礎演習。先週に芸術との出会いをつづるノートブックを作るようにと話していたので、この1週間にあったことをしゃべってもらう。一人暮らしや寮での二人暮らしを始めた学生は、親元を離れた生活にとまどうことばかりの毎日のようだ。
それでも、京都の地下鉄のサインや合図になる音楽の話、山科駅前のバンドのことなど、自分の目と耳で観察しているから頼もしい。自分が撮した写真を見てもらった感想を話す人もいる。
自宅から通学している学生の中には、高校時代にやっていたクラブに出かけて、しまっていた自分の楽器を取り出してみたり、新たに吹奏楽団に入ろうと探していたりしている者がいる。
また、劇団の音響をやっている学生や、先生、漫画のことを書いても良いですか?と聴いてくる人もいる(もちろん、いいけど、評価する方としてはジャンルは多い方が嬉しいのです)。
3講時の池上学部長の講義が控えているので、少し早く全体のゼミを終えて、あとは研究室でがやがやすることにする。先週はわんさか詰めかけてきたが、今日は数人だった。まあ、自分たちですることが多くなってきたのだろうからそれもいいこと。
先週、かなり難しかったと言われたらしくて、今日の池上先生の講義は実にコンパクトで、これならみんなついていける感じがしてほっとする。TAも6人そろって、私がいる必要はなかったのだが、TAの人のミニ講義(厚生経済学のさわり)も含めてあまりに興味深かったので、ずっと残っていた(また教授会に遅刻してしまったけど)。
トフラー(LPレコードって学生には分かったかどうか)とボウモルをこんなに分かりやすくしゃべれるの?という感じの文化経済学入門の出だし。それに厚生経済学のピグー(A.センはちょっとだけ)。
学生たちは先週書いて出した自分の答案に対してぎっしりと先生のコメントが書いてあって驚いている(学部長の字が読めない子もいて教えてあげたり)。コメントも含めてメディアセンターでパソコン打ちをして自分のデータベースを作りなさいと聞いてまたびっくり。パソコンができないよ〜とまた悩んでいる学生もいる。
数日、プライベートに不安定なことがあったが、なんとか解決する(事件は「ルイーズ・ブルジョワ」の映像を観たときに起こるから困ったものだ)。子どもは旅立つものだよね。きっかけは自分のせいだったけれど、これも彼女のためには重要な経験だろうからしょげないでいよう。バザール・カフェがあってほんとに助かる。小山田さんはじめみなさん、どうもです。
でも、さきはもうすぐにけろりとしているから何だろなあ。はなは彼氏と離れて寂しがっているし(連休にその彼が泊まりに来るという。逃げてしまいたい・・)。久しぶりに歌っている。21時が過ぎてもやめない。今度は周りに迷惑がかからないかと心配になる。
朝、さきが学校を休んでアパートを探しに行くと聴いて、複雑な気分になった。けれど、私が出かけるときに彼女は、シロクマのぬいぐるみにバイバイをさせて、「私が見送っているんじゃないよ、クマがバイバイしているんだよ」と言う。
劇団八時半のお芝居で、指人形に話をさせることでしかコミュニケーションできない登場人物がいたことを思い出す。
キャンパスプラザ京都へ。「芸術をまちへ」の2回目。久保課長が前は来てくれたけれど、今日は自分が全部しないといけない。VTRを使うために事前に練習。すると、ブラインドが降りてしまって、あとのアンケートで開けて欲しかったと書かれてしまう。白墨を探していて、白墨の箱を落としてしまう。教壇の床が白墨の屑だらけ・・
始まる前にBGMとして「はじめにきよし」のCDを流している。ほのぼのした気分になってもらえたようだ。60数人ぐらいか。JR高槻駅前でジャズのコンサートがある(5/5.6)ことを告知したい社会人がいて、そういうポスターもどんどん紹介することにした。
終わってから生活デザインを専攻している学生から相談を受ける。確かに、アーツマネージャー、特に芸術と社会を結ぶアウトリーチやコミュニケーションをする仕事はまだほとんど日本にはないと言っていいだろう。
金沢現代美術館ではキュレーターの他にプログラムコーディネーターを1名募集しているぐらい(あと北九州市が演劇で教育関係の人材採用を検討している)だから・・・。
まずはデザイン会社か地方公務員(公的財団)試験を狙う(そういう教養試験が出来る学生のようだったので)のがいいんじゃないかなあ、と現実的な話をしたりする。自分で仕事を作ることが出来るようになる(NPO法人を創設するとか)といいけどね、理想は。
でも、生活や街のデザインやアーツアウトリーチに理解があり環境を整える実践力を持つ公務員が増えることはとても嬉しいのは確かだ。仕事は税務課でも、いつかは公園行政や福祉医療、あるいは教育委員会などへ行く日が来る。それまで待ちながら、さまざまなアーツ現場にNPO的に参加して実力をためてもらうといいし、独立できれば、それもまたいいし・・。
JAM Westという学会はそういう若きマネージャー志望者をつなぎ応援することを大きな使命にしているのだな、と再確認する。
去年の春に難波の「精華小劇場コトハジメ」で「本を読む」ワークショップに参加していた人から昨日メールをもらった。精華小学校の年表が観たくなったとのこと。フロッピーを探したけれど、見あたらず。よく覚えてもらっていたなあと思いつつ、研究室の袋をひっくり返してやっと見つける。
堺筋本町駅を出て、すぐにCLEAN SISTERS GALLERYとCLEAN BROTHERSのアトリエ場所を見つける。どうして前に見つけられなくなったのか分からないぐらい簡単に。船場大成ビル7階。川端嘉人さんはこのビルと大成ビルを所有する川端株式会社の代表取締役なのだが、もう一つ、(有)CLEAN BROTHERSの代表取締役でもあるのだ。
ギャラリーにて村田真紀展「every day」のオープニングパーティが始まっていた。
スニーカーの人物の大写し。ハレーションを起こしたようなタッチ平面が並んでいる。
いかに自分たちの「日常」を切り取るか。焼き付けようとしてはみだしたり、流れてしまう仲間たち・・。
村田さんもCLEAN BROTHERSプロジェクトスタッフの一人。同じスタッフの木版画をやっている山沖由里さんからここのシステムを聴く。(有)CLEAN BROTHERSの一つにこの清掃プロジェクトがあって、それ以外のプロジェクトとしてはSUMISOとか絵画教室などがあるのだそうだ。
女性ばかりなのでブラザーはやめたのだっけと思っていたが、「CLEAN SISTERS」というのはギャラリーの名称で、実はシンプルに整理されていたのだった。ギャラリーの奥にスタッフが座る机と椅子があり、おのおのの場所を探して制作の場所にしている。
モップなども置いてあって、このスタッフがアトリエを借りる対価に、ビル清掃というサービスを本格的にしていることがよく分かる。CLEAN BROTHERSのユニークな取り組みは少なくとも関西のアーツマネジメント関係では有名になっているけれど、アトリエの広さとかそこの雰囲気の匂いを知って(=現場に来て)、ようやく分かった気になった。
アトリエの机は、川端さんのオリジナル。実に安価に作っているという。押入の棚とかを作ることもやってみようと奥さんと考えているらしい。もう少し早く分かったら、うちのマンションについて川端さんにも相談すればよかった。でも、吉田さん(リビングにカーテンが今日設置された)が紹介してくれているから、その家具の方に頼めないような所について、川端さんにもお願いしようかと芳江と話す。
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