こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.4〜5
4/30(月)
新聞は取っているのだが、あんまり見ることもないのでいつそうなったかあいまいだけれど、日本の一応の代表が森さんから小泉さんに替わったらしい。女性の閣僚が5人も出たとニュースになっている。
文部科学省の遠山敦子さんという大臣は、元文部省の女性官僚出身で、財団法人地域創造が出来たときのパーティ(94/10)に文化庁長官としてやってきて紹介され挨拶した。
こちらは遠山さんとかいう人のことをなにもしらなかったが、会った瞬間「芸術」とは何のゆかりもなさそうな人だと思って以来いままで忘れていたら、新聞に出ていた(27日朝刊、そのあと元国立西洋美術館長とかもやっていたらしい)。
確か、小暮さんてあなたでしたか!と言われたことを想い出す。まあ、元文部省文化庁としてはなわばりを犯すこんな財団を作られるのはとてもいやだったから名前を覚えてくれたのだろう。
それでもこの財団が出来たのは、元自治省には学校費などにおいて地方交付税という財源を握られているので、元自治省に頭を下げさせる材料があればそれはそれで元文部省としてはいい取引になったからだ。文化という元文部省の「山」荒らしではあるが、お互い何らかの手打ちが行われたのでパーティに遠山さんも来たのだろう。
手打ちといえば、地域創造という財団(この名前ももちろん苦労して私と当時の石井地方債課長の間で相談していてやっと財団法人「地域と創造」という案が残り、結果的にこうなった)の寄付行為などには「文化」ということばや「芸術」という言葉を一切使わず「創造的表現活動」という言葉を捻出した。
ただ内部組織として初め企画部と呼ばれていた私のポジションを「芸術環境部」と変更したのが唯一の抵抗だった。
役人という仕事は、こういう組織内外の駆け引き作業が8割、あとの2割が国会議員対策などである。それから、自分たちがその駆け引きに勝って作った法律や組織(もちろん定年後の自分たちの「組」の就職づくりである)の解説記事を書いたり講演に行ってフリンジ収入を得ることが自分の努力の見返りとなる。
いまは公務員倫理法ができて出来なくなってきたが、これの一部によって自治体のように空出張などの巧妙で危険な手口を使わなくても(自治省ではあまりしないが他省庁では必要な)大蔵接待とか自分たちの飲み食いの経費などが算出できていたのだ。
・・・・・
ちなみに、地域創造の生みの親である石井地方債課長という人は福利課長の時にも財団法人ライフプラン協会(地方自治体職員の退職後の生活設計支援組織)とかいう外郭組織を作った〜当時私は福岡県地方課長としてその財団が必要だというための提灯持ちの役回りをしていたから同罪ではあるが〜やり手官僚である。
その石井さんが、静岡県総務部長当時に鈴木忠志さんや斉藤郁子さん、それにいまは浜松で教えている元電通総研の伊藤裕夫さんに会って何だか演劇も面白そうでうまくすると駆け込みで自治省の外郭団体を創出できるかも知れないと考えた。
このことが、もちろんもう少し格調のある議論もあるとしても、直接の財団発足のきっかけだった。宝くじのお金でやっていた通信衛星の事業が一段落つき、当時の地方債課には融通のつく「宝くじ公共事業」予算というお金がありだぶついていると世間に思われずに有効に活用したいから欲しいのは大義名分であった(これからは石原二世大臣のもと外郭財団も行政改革の対象にはなるだろうけど)。
閑話休題。
心斎橋(私は最寄り駅が長堀橋になって心斎橋より近くになる)ウィングフィールド、DMTプロデュース『新世紀偽装演劇祭』へ。3つの作品(作家はすべて偽装機械王子の仲悟志)を3回ずつ公演するもの。今日見た『姉仙骨』を演出した岩橋貞典のオリゴ党は一度見たことがある(いま一つ鮮明なインパクトを受けなかった)が、偽装機械王子という劇団は名前だけかすかに記憶しているだけで、その実体はまるで知らなかった。
DMTとは、「仲悟志を主幹に、映像・音楽・美術などの若手アーティストが相互補完的に集まった芸術集団」だということ。お芝居の始まる前に5分間の映像の予告編があって、前に十三の第七芸術劇場でみた大阪芸大出身(たぶん)の人(SHIBATA GO)の映画の予告(数字記号を題名にした下北沢で上映される映画と未見の「欲望といえる神々」という題名の映画予告)があった。
改めて『姉仙骨』作/仲悟志、演出/岩橋貞典、13:35〜14:55。長辺の方を舞台(絨毯にアニメのちゃぶ台、冷蔵庫)にして、3方から見るが、一番客席が多い奥の部分は、普通は正面だがここでは上手側面になっている。
でも、見づらいことはなかったと思うし、ごろごろ寝転がったり毛布にくるまっている出社拒否の姉(豊島由香)の姿を見るにはふさわしい席の設定だったと思う(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記213」をみてください)。
はながふちがみとふなとを聴きにアザー・サイドに行って来た。水曜日(5/2)が飛び入りなので、彼氏も来るからまた飛び入ろうかなと言っている(結局行かなかったけど)。気持ちが前向きになっているからこの調子だ。
さきが吉田荘に引っ越し。昨日はお芝居が終わって大阪の父母に会って、心配しないようにさきの「家出」のことを話す。母には分かってもらえる。親父は4人がやっと一緒に住めてよかったとばかり言っていたので、ちょっと寂しそうにしていた。そんなことをしているうちに時間が経ち、誘われていた曾根崎2丁目(トカーテ?)のクレズマー音楽ライブには行けなかった。
財団法人滋賀総合研究所の古田さんから依頼のあった原稿(400字×10〜12枚)を書く。雑誌「滋賀の経済と社会」に載るもの。コーナー名が「市民と文化」、「市民参画による文化振興とまちづくりを考える」特集のなかのものらしい。
ここでは、原稿の目次案だけを載せておく(実際の発行は6/30の予定)。
【 市民参画と文化環境 】
〜生きた文化と自由な市民の誕生のために〜
第1章 文化施設の市民参加−その背景と現状−
1)市民に閉ざされた芸術文化施設
2)参加型プログラムの増加
3)芸術のお出かけと文化施設への誘いかけ
第2章 文化はどうして市民から遠くなったのか
1)生活文化と創出文化
2)明治時代以降の、西洋近代芸術を模範とした「文化」からの脱却
第3章 アーツ・コミュニケーションを市民と協働で行うために
1)日本に「市民」はいるのか
2)生きた「創出文化」に地域「市民」が出会う場所
昨夜さきは戻ってきていた。今日改めて、山田電気で買った一番小さなコンロを下げて吉田荘へと旅立ち。かわりに、はなの彼氏、仁(ひとし)君が来ている。今朝出来たまた新しい曲「川辺の灯り」をはながみんなに聴かしている。「飛行機星」なんて変な単語が混じっていた。駅からここのマンションまでの川辺を通るときに出来た歌。だったら「八幡」ってどこかに入れてよと注文する。
夜、アザー・サイドに飛び入りしに行くと出かけたのに雨が激しいとか言ってすごすご二人は帰ってきた。それでビールを飲みながら買ってきたビデオ『田中敦子〜もうひとつの具体』(1998、Ufer!Art Documentary。Director/岡部あおみ、Co-Director,Images and Edit/岸本康)を芳江、仁、はなとで観る。
田中敦子と金山明が明日香村で静かに制作している姿は以前テレビで見ていたし、芦屋市立美術博物館で、具体のパフォーマンス映像も何度か観ているから、私には他の3人よりは衝撃的ではなかったが、それでも45分を一気に観ると彼女の美術家としての40数年の強靱な持続力に静かに圧倒されてしまう。
ゼミ生にどういうふうにこのビデオを教材として活用できるのか(個人研究費として買ったので)、話さなくてはいけない題材が多すぎて大変だ(強烈なピンクの表紙の図録〜特にその構成〜も合わせて解説してみたいし)。
ということで、午後から私は、『田中敦子:未知の美の探求:1954−2000』を訪ねて、芦屋市立美術博物館へ行って来たのだった。
(ここからの通知に芦屋市内にあるミュージアムの案内地図があったので、行く途中に少し西へ入って高浜虚子の記念館も覗いたのだが、お休みだった。ここのあたりもすぐに海だが立派なお家とマンションが並び、芦屋市美の隣も大きなマンションが建設されようとしている。)
丹念なキュレーションである。ベルや電気服から田中敦子は実質始まると思っていたが、その前年の作品、カレンダー=数字コラージュや黄色い布の作品を丁寧に研究し展示してあって、その周囲にあの伝説的にけたたましく鳴るベルが這っている。
一人の作家の47年間の作品を、作家の仕事に忠実なよう、順を追って辿るように作ってあって、少し執拗なほど観る順番を教えてくれる会場設定になっていた。
平面になってからの彼女の作品をかなりの量観させてもらったが、一枚一枚飽きることがない。
サインを見ると、「田中」(一つだけ田中敦)と漢字で書いてありその表情がどこかきまじめなのにコミカルでいいなと思っていると、途中からサインがなくなった。もう彼女のサインがなくてもそれは田中敦子以外の何ものでもないから、サインをしなくなってのかも知れない。
「具体」を脱退して(1965年)、田中敦子は精神的にかなりの動揺を受けたという。作品を見ても私には心理的な変化を見たりはできないし見ようとも思わない。ひたすら一つの絵画のなかの円たちの並び方のありようを見て、それから結ばれる線の行方を辿る。
でも、そこにあるのは確かに完成した作品ではあるが、平面に付置されたというものではなく、「書」に極めて近い順序があるように思えてならない。しかも時間性は書と同じものではあるが、書と完全に違うところは、その線の先がどこに向かうのかがまったく未知=不明であるということだろう。
書においても、なぞって形を作るのではなく一瞬の動きで初めて軌跡が生まれるものではあるだろう。しかし、そこにはいまだ書かれていなくとも、あらかじめ言葉を表す文字という存在がある。
でも、田中の軌跡はどこに向かうのかまったく定まっていない。「具体」のころは電気の明かりの点灯や巨大な布という、限界への挑戦という未知の探究だったわけで、絵画に専念するようになっても、基本はまったく変わっていないということなのだろう。
絵画の展示の途中にビデオが流れている。絵画鑑賞に少し疲れたところだったので、ここにぺしゃんと座ってぼーっと観る。
『ラウンド・オン・サンド』(1968年秋、淡路島南部の海岸)、彼女がピッケルの柄を筆の代わりにして砂浜に線を引いている。この映像は、彼女の芸術という行為がもっている「未知の行方」のことを考えるのにふさわしいものだった。
ランドワーク、アースワークということになるのだろうけど、そして波で記録だけは残ったがすぐに作品は消されてしまうのだが、どこか、しっかりとした確信が彼女にはあるのではないか、と思えて仕方がない。それは何だろうといまも思っている。
どこへ線を向かってもいいはずなのに、線を丸めたり伸ばしたりする一つだけの選択。その選択は怖くないのだろうか。以前彼女は自分の体に電線を這わして電気を入れ灯りをつけた。それから、平面作品として円と線の絡まりの無限のパタンを描き続けている。
誰がその「円と線の絡まり」の彼女の作品たちに電気を入れるのだろうか。
観ながら彼女だけがスイッチを入れてその結果がココにあるのではないと気づいた。
彼女の絵画を観ているうちに、その作品の運動が私たちの体にまといついてきて、鑑賞する私たち自身でもう一度その絵画という服にスイッチを入れていく、そんな感じがする。
帰り少し時間があったので、芦屋市谷崎潤一郎記念館ものぞいてみる。彼の3人の妻のうち、一番すぐに離婚してしまった古川丁未子の写真が気になる。すごくきれいに写っているのだ(それにしても田中敦子の姿も美しかった!)。
ロビーに100人の文筆家の原稿用紙の本が置いてあって、三島由紀夫は分かりやすく大きな文字を書いていることなどをぱらぱら見ている。と、立原道造の詩(散文も)の原稿があって、字の次に絵文字みたいに鳥の絵があったりして驚く。ひらがなもデザインしたりしていて、他の文筆家との違いが大きくてびっくりした。
プリンターが動かなくなったので、芳江の車に乗ってプラッツまで。芳江はそこから出町柳のさきの吉田荘へ。お金を大家さんに払ったり荷物を届けたりするためだ。銭湯でやっていけるのだろうか。高校に住所変更を届けないでやろうとしたら通学定期が買えないことが分かって困っているらしい・・。
私は元町から坂を上ってCAP HOUSEへ。caprty vol.10。夜に藤本由紀夫さんが来て去年に比べると肌寒いですねと話している。まず、BIG Smileとして野外に大きく映るらしい自分の顔をドアップで徒ってもらう(問題が起きないように使用許諾書みたいのを書くようになっている)。
1000円払って今回はボックスをもらって、そこに各ブースのお土産を入れる仕掛け。
それと目玉は、Tシャツを7つのブースに入ってサインをもらうともらえるという工夫。まず東京から来ているとうじ魔とうじさんから「東京みやげ」をもらってはんこを押してもらい、PMP(これの詳細などは「こぐれ日記214」に掲載します)が始まる前に橙のTシャツをゲットする。
Kahm dance+performance「カフェ・ジャック」というCAPI HOUSEにしては激しい公演もあった(500円)、19:18〜20:12。出だしとか、天井の水槽に金魚とか、nestを想い出したけど、なかなかかっこいい始まり。
終わってから300円でカレーを食べる。日本のカレー味ではないがインドで食べたものよりもっと親しい味がする。レモングラスっていうのか香辛料を噛むとちょっと苦手な感じ。yuko nexus6さんと「苦手なもの話」にふける。
暇なときに使われていない別棟の建物にこっそり入った。94年の朝日新聞の束がおいてあった。2kぐらいの畳の部屋が建物内に並んでいくつかあって文化住宅長屋の博物館みたいだった。牛乳箱が玄関(でも建物内)にあるのが何ともシュール。
《KOGURE
Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る