こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.8
8/27(月)
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドの帰り。福野から高岡。ここで降りて朝食。
越中万葉夢幻譚がちょうどスキヤキと同じ先週末にやっていたことが分かる。これはスキヤキよりも以前に(93年頃)現地で取材したことがあって、別途東京の芸術監督にも取材した。実際の馬を登場させたりする(野外劇というか)スペクタクルショーで、こういうのが文化観光イベントとしてヨーロッパの城などであるのを参考にしているようだった。確か5000万円ぐらいの予算だと聴いてたまげたものだ(いまは知らないけれど)。冒頭の影絵のような集団の姿だけはよかったが、あとは生涯学習フェスティバルみたいに日本舞踊のグループやモダンダンス教室の人たちなど演者集団が次々と代わっていくものだった。
早く八幡市に帰ると芳江とはなは、さき(28日に白州から一旦帰ってくる)が住んでいたアパートを引き上げるのでその準備をしていて留守だった。
福野の旅の間に読んだのは、二つの文庫本。
一つは前から古本屋で買って持ち歩いていた大槻ケンヂの『オーケンののほほん日記」(新潮文庫、1999.6)。私にとって、日記となるとなんでも興味深いものになってしまう。これは、1992.3.20〜1995.10.7までのミュージシャンでタレントもちょっとしつつ小説も書き出す男大槻ケンヂの「ぴあ」(たぶん?)に連載されたもの。
1992.4.25(土)『尾崎豊が死んだ。26歳。ボクと同い年だ。』
1995.6.16(金)『ブルーハーツ解散を知る。「バンドブーム」は遠くなりにけり。迷惑かもしれんが、僕は数年前のあのブームをともに駆け抜けたバンドマンたちに対し、勝手に「戦友」意識を持っている。だからブルハの解散は単純に残念だ。スタッフも含めたバンド内のゴタゴタは僕も、もー本当にダーッ! ちゅーほどによくわかる。・・』
筋少のかつてのファンが死んだことをきっかけにアーティストとファンの関係について考えたり、マネージャーが失そうしたり、なかなかに音楽のマネジメントの参考になる部分もある。彼がはまってしまうUFO話やプロセス、パチンコ道につきあわされたりもするが。後半、彼がノイローゼになってそれをできるだけ冷静に見つめようとするところもある。
マネジメント的に一番面白かったのは「筋少東京モード学園ライブ出演」事件だ。まず、1993.12.7に「聞いてもいないライブが勝手にブッキングされていた」。
そして、1994.1.29、ついにライブ当日。学園とバンド、事務所の間に「いくつもの代理店、イベンターが仲介業者として関連してい」て、なるほど複雑だ。そして会議では言った言わないの世界で責任の所在は見つからないという業界の定番に突入。ところが、イベント某社が責任をあっさり認める、代わりに幹部が来て出演してくれと頭を下げられ・・(筋少には以前この会社に恩義を受けたので、結局出演)。で、「イベント某社の某氏は責任を取り退社。」うーん、この某氏はいま何をしているのだろう。
もう一つの文庫本は『ダウン症の子をもって』(正村公宏、新潮文庫01.8)。これは福野町のア・ミュー内の本屋で買ったもの。なおこの本屋では、いま読んでいる宮川俊彦『壊れる子どもの事件簿』(角川文庫、01.7)と、農民芸術概論が載っている『宮沢賢治万華鏡』(新潮文庫、01.4)を同時に買う。
正村専修大学教授(1931年生)といえば、経済政策の重鎮みたいな学者、最近はテレビでは見かけなくなったけれど。彼の次男の出産から、その次男隆明君がダウン症だと分かり、家族中で隆明君とつき合っていく様を、一方では学者の淡々とした観察力を持って、時には障害児を持つ父親としての、障害児に振り回される妻を思う夫としての親密さで綴られている。
興味深いのは、児童学園に入るまでの2冊の観察日記と、この通園施設と家庭との「連絡帳」80冊がこの本の基礎データ(フィールドワーク記録にもなっている)として活用されていることだ。さまざまなテーマにこの連絡帳を活用している。衣服の着脱の苦労、風呂のこと、言葉の問題、台所でラーメンを作ろうとして失敗すること。旅行の苦労と母親にとっての開放の問題。母親の病気。彼が死についてどう感じているかの観察にも踏み込んでいる。
はなやさきが小さいとき、ティッシュやロールが散乱し、ビデオ/カセットテープがほどかれ化粧水がぶちまかれる経験をしている(これは小さな子どもを育てた家庭ではみんな通過するもの)が、その混乱の時期が多動的な隆明君の場合は長く続く。でも、生活を営むための隆明君の学習が、少しずつ、両親の辛抱強い取り組みにより進んでいくのが分かって、最後の章「可能性の哲学」は実に説得的に読めるのだ。
一種の「エイブルアート(ここでは可能性の技法という意味でこの言葉を使ってみたい)」に関しては、初めの方にも父親が隆明君に三輪車を教える件があって、そして次の感想がもたらされる。『彼に何かを教えるということは想像を越えた時間と努力を必要とする。しかし、投げださないで根気よくつづけることが大切である。彼は、実にゆっくりとではあるけれども、進歩する可能性をもっているのである。』
奥さんが、夫である著者に自分は自分の希望したことはほとんど何もできなかったと思います。・・と静かに言うとき、その気持ちを受け止めようと著者は夫として最大限の努力をしているように思える。ここの箇所は特に芳江(大した病気ではないが二人の娘のアトピーには彼女にはかなりの労力を費やしてもらった)に感想を聞きたいと思う。文庫本のあとがきの一節を引用しておこう。これはまた私と芳江のこれからの課題でもあるから。
『人生の「上り坂」をどう登るかという格闘だけが価値をもつわけではない。人生の「下り坂」においてほとんど不可避的に直面するさまざまな困難から目をそむけずに家族が支えあって生き抜くことは、少なくともそれと同等の価値をもつといえるのではないだろうか。』
昨日の1限にアートマネジメント論の追試が立命館大で行われ、2人が受験した。ところが一人は棄権(k)。答案を書いたもう一人についても少し甘めに採点しても60点には達しなかった(用語の解説がほとんど書けていない、持ち込み自由なのに)。せっかく点数をつけに産業社会学部へ出かけたのに。
この日まで載せるとフェアでないと思って載せなかったテストの解答例などをここで書いておこう。考えてみれば、前に載せてもよかったものではあったが(用語は別だったし、プレゼンの問題はタイトルしか解答は書かなかったから)。
以下7月終わりの本試験の問題と解答例。
1.次の言葉について、授業を思い出しながら簡単に解説してください。
1)先駆的芸術(先端芸術)
定まった芸術体系を持たず不確定でマーケットにはなじまない芸術。生活や人びとの様子に目を向けているが、限界芸術と異なりプロ意識を持ち合わせている。アーティストの意欲から行われる純粋芸術の一つでもあり、これは行為そのものに価値や楽しみを見いだす直接的なものである。また、商業性の高い大衆芸術や伝統芸術と限界芸術とをつなぐのも先駆的芸術である。
2)芸術投資(公共的な芸術への投資の意義を中心に)
20世紀末、企業メセナの考え方が確立され、企業の社会貢献の考え方が従来のフィランソロピーの意識よりも拡がったといえる。直接的な収益を生まない芸術投資はa)社会貢献、b)人びとの感性に癪目した長期的マーケティング、研究開発、c)社員教育(人材投資)に意義を見いだしているといえる。また、行政における芸術投資は、市民が芸術環境に参加するきっかけを与え、市民の自由な感性と思考を促すことが目的としてあげられる。
3)アーティスト・イン・レジデンス
A.I.Rは、芸術家が一定期間そこに滞在しながら創作/探究活動をすることで現在自分が置かれている環境を離れ、そこに同じく滞在する他の芸術家や新しい環境、そこの地元の人びととの交流などから新たなインスピレーションを受け新しい創造を行う目的で行われる。
4)アーツプラン21
文部科学省文化庁が行っている公共芸術政策。芸術創造活動に対する支援を抜本的に拡充するために従来の支援施策を再構築して1996年度からスタートした。内容は日本の芸術水準向上の牽引力となる芸術団体に対し継続的に支援する芸術創造特別支援事業などである。しかし横並び的な助成や伝統芸術であるオーケストラばかりが増加するなど支援芸術に問題も多い。このあたりのシステムを再構築する必要がある。(小暮注:2002年度の概算要求ではアーツプラン21は「新世紀アーツプラン」などと呼び直してかなりの増額要求をしていると新聞報道あり)
5)アウトリーチ
簡単に言えば、一般の人びとに対する芸術に対する潜在的ニーズや関心に直接働きかけること。芸術の出前と考えると分かりやすい。日頃から芸術文化に携わる人びとではなく、普段はあまりアーツに関心を持たない人びとに対して何らかのアクションを起こすこと。アーティスト自身が先方に出向いたり、そういった人びとと共同制作を行ったりとアプローチは様々。一般に芸術と聞くと敷居の高さを感じたり、別世界の話のように考えてしまう人びとが多い現状を変えるためには有効な手段。
2.「芸術が社会の人びとにとってより親しめるようになるために有効だ」とあなたが考える企画をプログラムし、それをメディア関係者にプレス発表する形で以下に書きなさい。その際、チラシに通常書く内容(アバウトなものでいい)のほか、1)目的やねらい、2)対象とするターゲット、3)組織体制、4)関連して行われるフリンジ企画などにも言及してください。なお、( )書きで予想される収支予算もおおまかなものでいいですから記述してください。
こちらのほうは、タイトルだけ少し:
「みんなで豆(まめ)地蔵をつくろう会」「ヒップホップとバスケットボール」「復活市(ふっかついち)〜イラナイモノはタカラモノ」「泡(our)PLANET」「アートにつかろう(ここに温泉マーク)〜お風呂に浸かりながらアーツについて話そう)」「こどもネット芸術館〜大型スーパーを舞台に」「アーティスト・イン・幼稚園」「マイホーム最後までありがとう」「まちの行間を知る」「人は皆芸術家なんです」「ART
TOWN MAP CONTEST(「街一つをまるごとアートと見なすコンテスト)」「紙芝居を通して心を遊ばせよう!!」「cafeでのつぶやき〜アートとしてのつぶやき」「ワラ展」「心の媚薬」「秘密のアジト計画」「おじいちゃんおばあちゃんと【しぼり染め】〜シワの数だけ素敵になれる」「Go しち Go ハイク便〜川に晒す俳句の手ぬぐいたち」「“たまや〜”で観るバレエ」などなど。
三条から淀屋橋までの6ヶ月定期を買ったので、これを利用しようと門真市の文化ホールでも覗こうかと思ったが、つい伏見稲荷をみたくなってドアが閉まる寸前に下車。いっぱいの鳥居が寄贈されている山道を進む。横道に逸れて竹林の散策路を歩いたりする。神社にもアーツのヒントはいっぱいある。100円で購入して人型になった和紙に願い事を吊すもののかわいさや、願い事に○をつけると翌朝に祈祷してもらえる仕掛けなどなど。お墓に鳥居がジョイントしている墓地も変。
吹田市文化会館メイ・シアター小ホールへ。13:30からの始まりなのに15分ほど遅れた。(社)日本建築学会 建築計画委員会
劇場・ホール小委員会の主催。『教育資源としての劇場・ホール〜その1.関西編』。この前の会合でも思ったのだが、立派な冊子が事前に出来ていて、準備がすごくできている委員会である。この冊子に今回発表する3人の人による要約や学会員による寄稿がある。
会場にはもちろんこの委員会の主査をしている小野田泰明さん(東北大学)や、上西明さんなどの顔。上西さんの一年高校の先輩になる松山東雲女子大学の徳永高志さんも来ていて、後半の質問にも参加していた。
はじめに話していた福岡の山田市の下山田小学校を設計した鮎川透さんの話は、初めて聞く話だった。学校内にホール(250席の固定席)を作った。もちろん文部科学省の補助金の対象をオーバーするので生涯学習の補助金を利用して、ただ校長が管理を任されるというもの。
小中学校にはどこでもプールを敷地がなくても作るということへの疑問が一方にあって面白かった。確かに喘息が多い学童が通う福岡県立の養護学校に温水プールを作ったことがちょうど自分が任務していたときにあったが、プールは市民プールをうまくシェアすればいいのかも知れない。下山田小学校の校長は特にホールで映画を上映したいと言うことらしい。
次にピッコロ劇団の石本興司さんが、大阪府立北淀高校での経験を中心に話した。
1995年にこの高校に舞台表現コース(週2時間を2コマ)が出来て彼が非常勤講師になる。練習場は交渉してやっと剣道場を借りる。当時とても荒れた学校で生徒は学校に来るかどうかも分からない。だから、公演をすることまでは期待されていなかったのだが、校内の視聴覚室を改造して公演をなんとかする。
主役の子は妊娠するし、男子は絡まれて手を折ったりとトラブル続出。生徒もうちらはキタヨドやからでけへん、というし、教師たちもキタヨドやからとマイナス評価ばかり。なんとか幕があくと、コメディなのに、役者で登場した生徒たちの出身中学校の教師たちがすすり泣きをし出したという。キタヨドの先生たちも、うちは面白い学校やなあと言いだした。これが一番大きな変化だった、と。
最後に、今回司会をしていた京都工芸繊維大学の森田孝夫さんのお師匠にもあたる舞台美術家の板坂晋治さんから、大阪府の中学校演劇コンクールの審査員での経験からの話があり、そのあと質問に基づいてトーク。そして、軽く1杯ということだったが、17時から天満宮にて、『第2回全国ちんどん博覧会』があるというので(今日から31日まで)、最後の懇談会はいかなかった。
阪急吹田駅から南森町で降りて初めて大阪天満宮へ行く。公式ガイドブック500円を購入。すると‘「田川律の店」香港揚げ’があってびっくり。早速田川さんの店に行って発泡酒などを買う。よくお会いする人たちがブースを出している。総勢29のチンドン屋が繰り出すことになっているが、29日にどれほど来ているかまでは分からない。博多から来ている連中もいた。チンドン屋以外のゲスト出演者がまた多い。チンドン屋よりもそちらのほうの多さに目がいく。
6つの固定公演場があったが、そのうち梅津和時がソロのあとチューバなどのチンドン屋とセッションした霊符社前ステージ以外は、少し離れた「星合の池」ステージに多くいた(ここにはマネキンを加工したオブジェが乱立している)。つきちゃんや假奈代さんなど多くの人に会う。「ベトナムからの笑い声」の宮崎君がいて、彼の顔はインパクトを持っている(ついこの前「ソビエトからの笑い声」の芝居を見たからかも知れないが)。
ここにいたチンドン屋の4人の女性の音楽はなかなかのもの。ENTENの踊りにも、実にうまくつきあっていた。サックスのうまい人が多いのだ。ENTENも縦横無尽に木の多い凸凹な会場を動き回っていた。声の呼びかけが特に好きだ。デカルコ・マリィ&アチャラカのステージは後半しかみなかったが、赤い袋に入ってしまう大道芸的な演出ははまり過ぎなぐらい。
劇団態変とあったのが、金満里のソロとは驚いた。お宮の小さな祠の前から少しずつ前へ出てくる。ショールを取ってそれで踊る。福森慶之介のフルートが山本公成のソプラノサックスとうまくセッションしていて音楽的にも(これに太鼓がつく)充実したもの。もちろん態変初体験の人たちも多いが、かなり集中して見入っていて、終わるとすごいと言い合う父子がいた。
見世物的なシチュエーションにおいて、そんな気配をまるで感じさせない金満里の強さを特にその手足の表情の始まりで感じさせる。あとは音のよさも起因するだろう。
9/26からの劇団態変ベルリン公演のチラシをもらった。
そのあと、団員が減ってしまったらしいひょうたんオーケストラプロジェクトの演奏があって、最後は今貂子&倚羅座。口上のお兄さんが髭を生やして、今度は見世物を呼び出す。出てくるのは、ろくろ首とか双子姉妹とかのはずなのだが・・。
28日夜に、さきが白州から久しぶりに帰ってきていたが、今朝、出町柳のアパートを引き払う。小山田徹さん(ご夫婦には色々お世話になった)に挨拶に言ったら風邪をひいていたということ。少し涼しくなって過ごしやすいのだが、なんだか私もはなも体が重く頭痛気味。さきの荷物が戻ってくるが、さきは明後日には戻る。9/1の夜には桃花村の公演が山梨であるのだ。
いつまで白州にいるのか知らないけれど、舞踏の基礎の体づくりのワークショップに、外国人の人たちの中に混じって(英語が伝達手法)やらせてもらっているようだ。少しは山羊の世話など農作業もしているらしい。まあ、彼女は田中泯さんらにとってはいてもいなくてもいい存在なわけだから(無料で居候させてもらっていることに感謝しています)、逆に食い下がれるところまではいたいのではないかと芳江が言う。厳しさが少しは分かるかも知れない。
この日に実は今週はじめからの日録を一気に書く。スキヤキについては、cobaという人の態度と町の感じにわだかまりがあって少し気持ちが収まってから書いた。
帰ってからすぐにしたもの(27、28日)に、高松でのレクチャーと大阪市立中央青年センターのレクチャーのレジメづぐりがあった。
今日は、どこも行かず(夕方、あまりにも家を出ないのもなんなので石清水八幡宮まで歩いて登ってみた。ちょうどいい散歩となりそうで嬉しい)にいたので、レジメ(高松のものを一部)でもアップしておこう。
(参考)
たかまつアーツの人づくりプロジェクト基礎講座
オープニング2001.9.7
オリエンテーション「今、演劇?」
1.演劇が敬遠される(かもしれない)いくつかの理由
・どなったり泣いたり動き回ったり、なんだか演劇って暑苦しくないかい?
・だいたい「お芝居がかっている」って、真実味のない人に言う言葉だ。
・演劇やっている人って集団主義ぽいし、独特の臭いがあってその中に入るのは怖い気がする。
・実際のお芝居に触れる経験が少なすぎるし、機会もほとんどない。
・BS2とかで芝居中継をしているけれど、それよりテレビドラマや映画の方が手軽だ。
・授業で演劇は習わないし、学校で見せられたりやらせられたりする芝居って苦痛以外の何物でもなかった。
・公共的施設で演劇をするとなると、不穏当な思想や発言にはチェックが入る心配があるし、する方も自己抑制を働かせるかも知れない。
・台詞があるとそれが臭かったりするし、ストーリーに縛られて、自分で自由に想像して楽しめない。それにつまらなくとも、ずっと席に縛られるのは嫌だ。
2.とりあえず演劇というアーツ(芸術)を少し知ろうよ
諸芸術(ARTS)は、おおざっぱに言っちゃうと、言葉の芸術(文学)、視覚芸術(美術、映画)そして実演芸術(performing
arts)に分かれて。演劇はこの実演芸術の一つなのね。
ちょっと豆知識。昔はたとえば古代ギリシャで「ムーシケー」(musicの語源)と呼ばれたものは、本来劇的な詩詞と音楽と舞踊とが一体になったものであったし、日本の能楽を見ても同じように実演芸術の諸ジャンル(音楽、舞踊、芝居)の融合体であった。
そこから次第に演劇が分かれる。ブロードウェイでストレートプレイとミュージカルと区別して言われたりするがここではこのどちらも演劇(Theater)だ。日本では狂言が純粋な演劇として古い。それにいまは、同じ演劇っていっても色々なジャンルがあるよね。
演劇体験は、映画を観ても、音楽実演に接しても、読書していても、あるいはもっと違うこと(たとえば、大会や儀式での挨拶とかプログラムの進行方法)にも大いに役立つ。
3.演劇はじめアーツを通じたまちづくりの必要性
・かつて世阿弥は、観客は「殺されたい」から芝居小屋にくるのだと言った。
・仲間はずれが怖く普通でいなくちゃいけない、変なことをしてはいけないと子どもの時から個性を殺して、お役目という社会的役割を担って教育も仕事もなされがちな世の中。
・ところが、まちづくりに必要なのは、相互監視に怯える組織内人間ではなく、自分で考え感じる力を持った市民の存在だ。(まちづくりの意義は、単に人集めとか、地域イメージアップの情報発信ではないことに注意しよう。)
・つまり、自由な批評力を持つ市民を生み出すのが芸術を容れる文化施設の役割である。
・芸術とは、見えているはずなのに見えていないものに気づかせる、聴いているはずなのに耳をすまさず聞き流しているものにそこで気づくきっかけを用意するもの。未来はまだ何も定まっていないと思わせてくれるもの。
・特に実演芸術は、闇の中から(象徴的にいえば)もう一つの隠された「社会」の有り様、人間関係、対話することの難しさ、孤独な存在としての私などについてを、時空の共有のなかで鑑賞者と実演者が出会うことで表現していくもの。
・ここで、観客は否応なしに自分自身の感じ方と言葉でその舞台を体験し、反すうすることを求められる。
・この自分で感じ考える繰り返しが、まちづくりの基本となるヒューマンウェアを形づくる。上からのまちづくりや物まねのまちづくりでない、私たちの「かけがえのなさ」から出発するまちづくり。
4.では、自らの演劇体験を書いてみよう。
私の演劇体験
1.正直にお答えください。
演劇は好きですか?
今年になって演劇の舞台を実際に何本観ましたか?
去年は、何本観ましたか?
自分は演劇をよく観る方だと思いますか?
2.いままでに演劇を観たり実際に舞台に関係したりしたことで、嫌な思いをしたことについてざっくばらんに書いてみてください。お芝居にはそのような思い出がない場合は、ダンスや美術、音楽などなんらかの芸術体験で嫌な思い、つらかったと思うことを書いてみてください。
3.逆に、一番演劇を観たりあるいは色々と関わったなかで、忘れられない素敵な思い出を書いてください。ないばあいは、1.と同じく何らかの芸術ジャンルでの最高の感動体験を書いてください。
4.演劇や劇場、舞台などについて、あるいはこの講座の進め方などについて疑問や
ご意見がありましたら、自由にお書きください。
たかまつアーツの人づくりプロジェクト基礎講座
目利きの観客になろう 2001.9.8
観客としての感性を磨こう
受け身でない観客になるために
1.基本スタンス、事前準備
テアトロンの大切さ。お客のいないお芝居はお芝居ではない。公演が演劇の成立だ。
事前情報をどう察知するか、場所の確認と時間、予約チラシとインターネット、口コミ、動員・・・・
ジャンルを多様に観るか、一つの劇団をしつこく負うか、違う場所で観るか・・・・
観る方の戦略。一人で観るか、みんなで観るか。
2.鑑賞の際のポイント
どこに注目するか?
俳優、劇作家、演出、照明、音響、舞台美術(宣伝美術)、制作(プロデューサ以下のスタッフの様子)、受付、サービス・・・
公演以外のコミュニケーション努力。ワークショップ、レクチャー、展覧や映像紹介・・・
観客の多様性はどうか?なじみばかりか。日頃足を運べない観客をいざなっているか?
3.観賞後の楽しみ
みんなで行った場合のアフター行動
鑑賞メモ、日記、インターネット
えんげきのページ
関西観劇ネットワーク「観劇速報」
4.演劇レビューの前の日記を書いてみよう(11/25に1000字〜2000字で演劇レビューを提出 (参考「こぐれ日記」より 略)
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