こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.8〜9
8/31(金)
久しぶりに京都橘女子大学へ。コンテストはこれから来るのだろうな(心配なのでチラシをまた取っていく)。すでに応募してきた提案部門の封筒が少しだけ箱に入っていた。高校生イラストは、ハガキに描かれてそのまま送られている(何だか少しがっかり)。要綱の書き方が不十分だったかも知れない。ハガキ大のもの(50円切手で送れる大きさと注書きしたのは、その範囲で大きさを工夫してもらうつもりだった)をプロフィールの紙とともに封筒で郵送、と書かないといけなかったのかも。
入学課の宮前さんが文化政策学部独自のパンフを持ってやってくる。やった!これは飛ぶようになくなるだろう。ファックスでラフスケッチは見ていたが、それが色づけられ冊子になるとやっぱりぐんとインパクトがある。100%ORANGEさんにはちょうど『ぶぅさんのブー』原画展もあって忙しい時期(いつも彼らは忙しいわけでしょうが)にぶつかったのに、実によくやっていただいたと感謝である。
黄色に近いオレンジ色の雲あるいはパレットに3人の女の子が座っている表紙。その女の子のうち二人の髪の毛が同じオレンジ色。そして一人の髪の毛は朱色でそれは別の女の子が持っているリーフレット(コンサートかお芝居かのプログラムが書いてあるのだろうか)の色と同じというイラストだ。表紙の紙質もテカテカしたものではなくて優しいもの(夜に出会った清水君がその紙質を誉めてくれた)。
残念なのはイラストレーターなどのクレジット(奥付)がなかったことで、これは自分もなにもチェックしていなかったから仕方がないし、ひょっとしたらこの方がいいということだったのかも知れない(これはよく聞いてみなくちゃ)。
昨年よりも充実しているのはこのイラスト以外にもたとえば当たり前だが1回生自身の声や活動の写真が載っていること。うちのゼミ生も色々思っているなあと感心。
池上学部長にすぐに見せると、この学生はねえとか二人で話し合いになった。思ってもみなかった学生がすごいことを書いていたりしているのだ。
14時前に総務課の広報担当、足立さんが『上方芸能』編集部の広瀬依子さんを連れて研究室にやってくる。142号の特集が『アートマネージメント--大学の挑戦』(仮)ということで関西の7〜8の大学を取材しているのだ。中川幾郎さんや小林昌廣さんにも原稿を依頼し、パナクリエイトの松本茂章さんもOBPアーツプロジェクトについて書くらしい。
足立さんがいてくれてよかった。こちらはついまだよく分からなくてなんて遠慮がちに話してしまうからだ。それでは京都橘女子大学のPRにはならんからなあ。でも実際は秋に学生が戻ってきてどれほど楽しんでアーツに取り組んでくれるのか、それを見なくちゃ仕方がないわけだけれど。きっとこの夏休み、色々と刺激を受けていることだろう・・(この学部では人は常に可能性がいっぱいあるという前向きな善人説になることが多いものです、なんて話したがこれも問題だったか)。
今日は実は松本さんから劇団四季の「ハムレット」をご招待してもらっていたのだが、これは時間的に難しいこともあって(18:30始まり)、芳江とはなに回し私は近場の新しいホールに出かけることにした。
新しいホールの名前は、『京都市右京ふれあい文化会館』という。会館名を公募して結局これになったという。うーん。でもシンボルマークの「う」の海苔巻きみたいなデザインはぼけっとほのぼのしている。ここは、たまたま、チラシの整理をしていて、モノクロームサーカスのチラシをよく読んで初めて発見したのだ。
京都市の文化担当に電話すると(インターネットでは分からず)、JR二条駅から亀岡方面へ行く普通電車に乗って2駅目の花園駅で降り、南口の細道を行けば3分で着くと言う。ちょっと迷いつつ(南口というよりは、駅は北だけに向かっていて駅の裏を行く感じ)すぐに真新しい文化会館が見つかる。「LIFE」というスーパーの手前にあって、観客のうちダンス関係者以外はほとんど地元の人たち。帰り徒歩や自転車に乗って、平均年齢が50歳ぐらいの皆さんが帰っていった。
中ホールで452席。ステージは結構広く下手の袖は余裕がある。音楽用のリハーサル室(87F)とそれよりは広くて芝居やダンスのワークショップ(小さな公演)ができそうな創造活動室(141F)が同じく1階にある。ロビーには寄贈された絵画などとその寄贈者名が載っている。チラシ入れはがらがらだったので、ちょいとコンテストのチラシを数枚入れておく。
開館記念事業(すべて無料)は、8/26京響ふれあいコンサート、8/27スクリーンミュージック(同志社交響楽団)、8/28松岡万希ソプラノリサイタル、8/29映画鑑賞「アイ・ラヴ・ユー」、8/30映画鑑賞「機関車先生」、そして今日のANRHLOGY・・。ダンスかどうかも分からないタイトルだと中西理さん。彼はまた初めの「SKIN/ephemera」がばりばりのコンテンポラリーダンスだったので、みんな帰るんじゃないかと心配していたが、実際の休憩の時に帰った人はそんなに多くはなかった。
なお、これからの予定は、9/1芸能のつどい/日本舞踊と箏曲、9/2人形浄瑠璃・文楽、9/5アントニオ猪木・トークショー「元気があれば、なんでもできる」(右京区制70周年記念事業・区民アイデア募集事業、参加申し込みはすでに締め切り)、9/16「芸能まつり2001」。
ということで、モノクロームサーカスの公演は、なかなかの異色プログラムである。19:36〜21:22。横浜ダンスコレクション2001で初演したという「SKIN/ephemera」は、舞台からやってきた坂本公成が客席の一番前にいた木村英一の手をひっぱりあげて、その二人の右手同士を離さないで踊ってゆく。美術も坂本。スクリーンを吊していて、それを垂らして木村の映像を映したりダンスの影を作ったりする。
(公演の詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記270」をみてください)
さきがまた白州に戻る。彼女を送ってから3人ともぼんやりしてしまう。今回は携帯電話を持っていったから少しは安心。いつか自分の生き方をきっと見つけてくれるだろうけれど。山村でしか住みづらいというのも心配だが、これも過渡期の避難所だということだろうし・・・
劇団八時半「トマトと、」を見ようと思っていたのだが、何となくはなに薦めていると、彼女は私と一緒に行くのは嫌な感じもあるし、こちらもどこかぐずぐずしていて、夜だけになった。はなが帰ってきて内容を聞き出すと、そうそう、二口大学と松本エリハが西陣gardenでやったやつだと思い出す。
京都府立府民ホールは満員。いや椅子ではなく階段に座ったり立っている人もいた。普段、ダンス公演として私がよく見かける人たちには会わない。小川珠絵が中心となっているらしいTMPPスタジオの関係者が多いのだろう(このスタジオでは、小川自身はステージダンスやキッドダンス、キッズタップを教え、あとタップダンス、ジャズファンク、ジャズダンスなどのメニューがある。でもジャズファンクってなんだろう)。
京の舞台芸術振興事業[京の舞踊作家シリーズ]vol.1、舞踊作家小川珠絵による『舞台美術館』肉体の作品展【点とそのあつまり】。19:31〜21:01。アルティの船坂義一さんから先月の大文字国際交流音楽祭のときに直接もらった公演だった。
いつもトリイホールなどで一緒にダンスを観る仲間としてのおつき合いが多い船坂義一が照明を担当(「さん」をつけないときは芸術関係者としての扱いの時だと一応区分しているけれど、こんな場合は書き分けが難しいのね。音響もアルティの職員/鈴木秀嗣)。
いやあ、第一部が終わって一旦1階の観客をロビーに出させ、普段の段差に変えるあたり、アルティを熟知している船坂義一の腕の見せ所だろう。踊りよりも照明の変化を中心に見ているとまた発見することも多い。
特に、第1部「フレームの揺らめき」では、まず額縁だけが白く浮かび上がり、次に中にいるダンサー(の絵)も現れる。この照明の見せ方のために席の段差を少なくしたりしていたのだろうが、かつての活人画(額縁ショー)を彷彿とさせるレトロなステージだった。踊り出すといかにも踊ってますという姿勢になって、おーっと思うが台詞がないだけに余り肌にべとつかずに見ていられる。
額縁が途中で白からゴールドになり、床に置いてあった中小の額縁を使い踊られたあと、上に吊される。めまぐるしい舞台装置のオンパレード。技術演習として見学するのにも最適だ。夜あるいは海の底の照明がゆらゆらしたり、民族舞踊風な踊りがあったり。奥のはじめに出てきた額縁へ帰っていくのだろうと思っているとやっぱり帰っていく。そして額縁も不活性の白に。
ロビーで感嘆しているお客さんたち。スペクタクルショーだろうが、それもまた面白いのかも知れない。
第2部は中村典子が作曲した「ムレ」で踊るもの。3人のマリンバを録音したテープを随分聴いて練習したのだろう。こんなに分かりやすい音楽を中村典子も書くのだなあと思ったりするが、これは踊りが伴っているから音楽自身もビジュアル的に分節化するのかも知れない。
ここでも照明は大活躍。白いウサギ?みたいな衣裳のダンサーが楕円の明かりに入るところは、月にいるウサギたちの集まりのような影になっていた。こうして書いていると恥ずかしい感じもあるが、見ていてそこまで恥ずかしいものではない(学校の創作ダンスでダンスが大嫌いになる人たちのことを思うが、それよりはずっといい)。
お客さんが体の切れが違うって話していたけれど、素人が創作ダンスという先生が身につけている型(結局型をするのだから、伝統舞踊の型とかアフリカンダンスとかを繰り返し習った方がずっとクリエイティブな刺激になると私は思う)をすると、体の切れがないから見ていられなくなる。
お尻だけを客席に向けて腕を一本にゅーとあげる仕草はおかしすぎ。エンドウ豆に芽が出た様なものかな。北村成美のおかしさとも繋がってくる。ただ、このダンスを見ながら、これらのダンス(モダンというのかしら、現代舞踊協会ダンスとかいうのかしら)とコンテンポラリーダンス(たとえば比較的大人しい昨夜のモノクロームサーカスを例にしてもいいのだが)の違いについて考えた。
ひとことで言えば、提示されたダンスについての多義性の多少(解釈に正解があるかないか)なのかも知れない。今夜のダンスを踊っている人にはやっぱり正解というものがぼんやりしていてもやっぱりあって、そこに到達する人が舞台に出られるとか、今日は90点ねという評価が出来る部分が多い。つまり正解がある(鑑賞上にも多義性が少ない)。
コンテンポラリーになるとあそこで足がぐらぐらするのはもう少し練習が必要ねということがダンスの中心にはならない。そこが違いだろう。ラストの新作「細胞」(腸のお化けのような鬼蜘蛛みたいな出で立ちに加えて虹色の照明で登場する)で小川珠絵とゲストの片上守という人が踊るのだが、小川は片足ですらっと傾いているのに、横で片上がぐらぐらしていた(たびたび)。彼が下手なのかゲストで練習不足なのか単に忙しくて疲れているのか知らないけれど、小川ってうまいんだなと感心することができる。
一方昨日のモノクロームの5人のなかで一人ちょっとあれっという動きをして(これは単に間違っただけかも知れないけれど)、ひょっとしたらそういう「ずらし」なんじゃないかなって思わせてしまう所があり、これがコンテンポラリー=多義的正解のないダンスなのかも知れない。
こんなことを考えながら、御所の北側を通って出町柳までを歩いて行った。自転車が多いのが京都の便利なところだが歩きにくいところでもある。
そうそう、雲も多かったが今夜も月がきれい。秋だ。
初めて八幡市の住人として芳江に連れられて防災訓練をした。竹が多くて小屋に火を放たれるとばんと大きな音がする。バケツリレーをして火を消すなんて戦争中を思い出しますねと話したら、真面目にそうそうとおじいさんやおばあさんに言われて笑ってしまった。
消火器を自宅から持ってきてそれで練習しまた詰めてもらうようになっている。三角巾の使い方という救急隊からの話もあった。炎と煙が本格的。新宿歌舞伎町の雑居ビルのことを初めて一緒になったご町内の人たちの話題になっている。完全には終わっていなかったが、近くで六方焼きとそば饅頭を買ってから、石清水八幡宮まで二人で登る。
少し草臥れたが、わがゼミ生工藤さんが出ているという『西遊記』を見にびわ湖ホールまで出かけたら、あらあら当日券はなかった。前売り券1500円は安いし、県民130人も出ているから、花束を持った家族の人たちはじめ多くの人が駆けつけたようだ。それに、タレント?の喜多嶋舞や茂山逸平が出ていること、さらに湖南省歌舞劇院、モンゴル国立馬頭琴楽団、ドクタ民族舞踊団(インドネシア)も出ていてお得だとみんな駆けつけたのだろう。
結果論としては電話で確認して、代わりに生國魂神社で上方落語家総出演の「彦八まつり」に行けばよかった。県庁の人に以前アドバイスを求められた公演だったのだから、普通はま案内があるだろうと思っていたが、まあ担当も変わったりしたのだろうね。名刺を県庁の人に渡してもらうように花束係の人に話し、京都橘女子大学のコンテストチラシが情報サロンに置いてあることを確認してから、滋賀会館シネマホールへ。
ウディ・アレン監督映画を観るなんて何年ぶりだろう。彼の30本目の監督作品(1999、95分)『ギター弾きの恋』。ウディは登場人物(一応、1930年代に実在したジャズギターリストだということになっている。これも本当かどうかと疑うこともできそうだが)について語る役で出演している。同じように音楽雑誌のジャーナリストなどの証言や研究が語られ、この、エゴイストでどうしようもなく音楽だけしか愛せなかった男の人生が断片的に描かれる。
シニカルな物語。愛することがとても下手な男がギターを壊してしまうまでの半生。ギターを持っているときだけが自在なギタリスト、エメット・レイ(ショーン・ペン)だが、それも、彼が崇拝するジャンゴ・ラインハルトが見ているとだまされるだけで逃げてしまうような不器用な所がある。
そうそう、大きな三日月に乗って降りてくるという仕掛けを自分で考えたのに、落ちると大変だと言われて突然ノイローゼになり、怖くて酒でぐてんぐてんになって本当に落ちてしまったりするのだ。噂で構成するので、何通りも事件が描かれるあたり、いつもながらの機知。でも、可笑しさにペーソスが幾分多めに混じっていて、すぐに演奏をキャンセルしてしまったり、酒癖も悪く奇癖も多い。
ゴミ箱を漁る鼠をピストルで撃つ、それもガールフレンドになった女にやらせるという趣味や、何でも盗む癖(すぐに捨ててしまう)は奇癖だが、貨物列車を夜中に見る癖はそんなに変でもないように思った。でも、都会の男女が真夜中に行くところでもないか。
口のきけない女性(会ってからすぐに積極的な態度をとる彼女に面食らう主人公が印象的)のことだけは忘れていなかったようだが、全編かなりシニカルなタッチで主人公を見つめていて、それはウィディの現在の心境、あるいは存在の投影のようにも思える。アーティストについての固定的な当時のイメージ(=何でも堕落していることが自由な創造の基礎にある)に彼の回りも自分自身も縛られていて、自ずとそれを演じているようにも思うし、そういう風にかってになってしまうのかも知れない。
アベックで見ている人たちにとっていい映画だったかどうかは分からない。30人ほどの入りで悪くはないものだ。「ヤンヤン夏の想い出」が次週。そして、今月は「春香伝」「リトルダンサー」「はなればなれに」と続く。これから多くの人が来て欲しいなと思う。帰って話すとはながみんな行く行くって。珍しい。昔は私が薦めたものは意地でも行かなかったのに(メジャー映画ばかりこの夏もはなは見ていたのよ、さきが私と一緒のマイナー路線であるからかも知れないが)。
プラッツで無印良品の最終バーゲンを漁っていたら、清水君が私を見つけてくれる。今月は忙しいという(モノクロームサーカス関連とか)。今日は湖西で、しげやん(北村成美)の写真を撮っていたらしい。彼のダンス写真展もダンス宣伝美術展とともにたちばな軒先劇場でしてみたいアイテムだと思った。
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