こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.8
8/6(月)
広島原爆の日。黙祷してから大学へ。うちの学生はキャンパスにはほとんどいない。みんな地元に帰ってのんびりしているのだろう。追試(キャンパスプラザ京都でやっている講座)の学生一名がちょうど試験をしていた。音楽療法を実験的に利用して彼のスポーツに生かしていると試験のリポートに書いている。ほんとにちゃっかりとしている。授業をいかにも聴いてますよとアピールするところは、立命館らしい。
100%ORANGEさんから文化政策部用のパンフレットのイラスト(ラフ)がファックスされて入学課に届いていた。これでぐっとうちの大学を身近に感じてくれる高校生や受験生が増えるだろう。でも、入ってから失望させないようにしなくちゃなあ。パナクリエイトの松本さんからファックス。OBP arts project《PULSE 01》の参加大学に京都橘女子大学も入っていて驚く。
ゼミで行けるかどうか分からないのに・・。まあ、いいか。橘アーツマネジメント研究会(仮称:略してTAM研)なるものを、学生サークルであり学生学会のサブシステムとして作るように誘導しよう(自然発生的にしたかったのだけれどなあ・・)。
夕方、もう少し待てばよかったのだが、一番雷が鳴って雨が土砂降りの時に大学を降りてしまった。ビッグステップ(アメリカ村)のマザーズで100%ORANGEのグッズを探すが、女性用のTシャツが少しだけバーゲンされているだけで、この店も今月末で閉まるという。なんだか、そごうにビブレと大きな店が閉まりみなみは寂しくなっているような感じがする。
時間つぶしにぶらぶら。法善寺の西向かいに、手ぬぐいや風鈴が飾っているお店があるのでのぞいて、狐が遊んでいる柄の手ぬぐいを買う(きつね色、1050円)。歌舞伎の柄が多いなあと思って外へ出ると、ここは「上方浮世絵館」という今年4/28にオープンした展示用の建物だった。中には入らなかった(500円で入ればよかったかも)。どこが経営しているのだろう。もちろん、これは行政とは関係がないのは言うまでもない。
TORII HALL DANCEBOX vol.69『heaven』20:00〜21:00。このようにぴったりと始まり終わるダンスやお芝居は珍しい。昔、渋谷のジァンジァン(これもなくなったでしたね)にて伊藤キムが、NHKテレビの音声により19時から20時まできっかり踊ったことはあったけれど。
構成・演出・出演:清水啓司。彼は確かパパ・タラフマラ出身だったと大谷さんが言っていたようにも思えるが、もうずっと関西のダンスシーンで活躍し続けているパフォーマーという紹介が適切なのだろう。爆発的な動きが特色で、それは即興なのだったのかと彼が書いた当日パンフで再確認する。
今回は、ゲストダンサーの吾妻琳、中田そよか(踊るというよりも座っていたりポーズをしている)、そしてエメ・スズキを配して構成を重視した作品づくりに挑戦したわけである。エメ・スズキの少年のような直線的な動きを久しぶりに楽しめた気がする。
ミニマム音楽の断片的な感じとエメの姿は実にフィットしていて、最近曲線的で舞踏みたいな世界へも拡がっていた彼女がちょっとオリジナルな世界に戻った感じがした。清水啓司が自分の頬を「ぺしゃぺしゃ」、ミニマムに動きとシンクロするように叩く。一方吾妻琳はいつもどこか寂しげな佇まいで、左手を右肩の後ろ側まで伸ばして「ぱしり、ぱしり」とする。それも、照明道具いっぱいの檻の中で。けっこう、この檻は新鮮だったし面白い美術装置だった。が、暑くてやっている二人はたまらんかったのではないだろうか。
先に読んだ『公益法人-隠された官の聖域』(北沢栄)と同じく岩波新書の『福祉NPO-地域を支える市民起業』(渋川智明/毎日新聞社社会部編集委員/著、2001.6)を読む。この本は、取材が中心で、前半は介護を中心とした福祉サービスの草の根的な紹介が事例としてあり、後半はNPO制度を巡る考え方や情勢が書かれてある。
必要な情報の整理に重宝、その分強い主張は少ない。マークした単語などを以下、列挙。
介護福祉士の資格(江戸川大総合福祉専門学校)。グループホーム(「痴呆対応型共同生活介護」というのが役所的名称だ。この動きは実に興味深い)。時間預託制「ふれあい切符」(地域通貨とよく似た制度。さわやか福祉財団による)。
CBO(コミュニティ・ベースド・オーガニゼーション。USAにある多様なNPO団体をひとことで説明する言葉。コミュニティとは地域だけでなく、障害者、高齢者などサービスを必要としているグループも含む)。Subsidiarity(補完性の原理。個人は社会、国家のためにあるのではなく、社会、国家は個人を支え、補完する仕組みとして存在すると考える社会観。地方分権の基本的思想)。
そして、国税庁長官が今年10月から行う認定NPO法人(寄付金控除のみが特例措置になっただけだが)の要件:基本的な要件(情報公開など)の他に、広く一般からの支援を受けていること(USAのパブリックサポートテスト)、広く一般を対象とした活動をしているかどうかが次の要件(1〜3)でチェックされる。
1)総事業費の80%以上がNPO事業費で、総収入金額に占める寄付金・助成金の割合が1/3以上。2)一件でその総額の2%を超える額、また3000円未満の少額の寄付金は参入しない。3)活動範囲や寄付金が複数の市町村にわたる、など。
わがNPO法人アーツワークスが認定NPO法人になるためには、今後どのような方向をめざしたらいいのか(この要件自体が厳しすぎるということで、このままだとどこのアーツNPO法人も入りそうにないということは分かっているとしても)、シミュレーションだけでもしておくことは必要かも知れない。
そして、認定された法人はどんなところなのか、その内容も是非勉強したいものだ。
NHK人間講座2001.6〜7『日本人とスポーツ』(玉木正之)。
ぼくなんかはこれは逆じゃないかと思う記述もあった。
たとえば、コンサートホールや美術館を建てるときには反対運動はそんなに起きないのに地方自治体が体育館やスタジアムを建設するときには反対の声が少なからずあがると聞きます、という伝聞(これはちょっとずるい書き方で体育協会などスポーツ側の人から聞いているからだ)のくだり(122〜123P)。そして「つまり、スポーツという身体文化は、芸術や芸能などの精神文化よりも、低く見られる傾向が現在もあるのです」と続ける。
身体の復権の話は重要だが、それは芸術もそうなのだ。だって、少なくとも実演芸術(芸能)は身体文化でもあるし、スポーツを映像化し批評し鑑賞することが精神と関係がない(スポーツが産業化されて精神に影響を与えているという人もいるかも知れないがそれもコマーシャルな精神文化の問題である)というのもおかしい。
それに、少なくとも国や自治体にとってスポーツの方が人気があるから票にもつながり重要視されていることは、参議院選挙の当選議員を見ても、大阪市のオリンピック招致を見てもそうだから、だれがスポーツを芸術よりも低く見ているのか、よく分からない。
が、スポーツと体育についての混同やすり替え(明治以降における国威発揚/国民規律訓練利用)の問題。そして、本当のプロの意義(スポーツマンの自立がプロ化ということ)とアマチュアリズムについての誤解(エリート学生やホワイトカラー階層による労働者排除イデオロギーだったことを隠してきた)や弊害など、とても本質的なことを分かりやすく書いてあって気持ちのいい冊子だった。
特に「日本のスポーツ界も、メディアが主体となってスポーツを利用するのではなく、スポーツが主体となってメディアを利用し、メディアは、あくまでもスポーツ・ジャーナリズムとして、豊かな社会づくりのためのスポーツのあり方を論じる」という所は大いにきちんとやっていくべきだろうと思う。
日本の読売ジャイアンツ(出来たときは東京ジャイアンツと言っていたという)を中心としたプロ野球も聖域なき改革を迫られているわけだが、確かに《最近のプロ野球選手の「アメリカ流出」は、日本では野球選手は利用されるだけで、野球選手として自立できる環境がないから」だという指摘は、大切なポイントをついていると思う。
それに、交響楽団をNHKや読売が持っていることや、各新聞社の事業部が美術展などを企画していることなどを思うと、芸術の領域も無関係でいられない課題でもある。
今日は、午後から大阪市役所へ出かけて、初めて8階の市議会フロアーに文化振興課の山崎課長らと出かける。徳島市や福岡県でよく議会根回しに議員棟へ出かけたものだなあと、行政部門とは違ってそこだけ広々と作られたスペースを懐かしく見やる。
文化通を自認する大西議員と彼の兄貴分みたいな表さん(外務省とのパイプがあるのが彼の重要なポイントのようである)と話した(それに日本文化伝統産業近代化促進協議会/ジェイアート副会長の中原賢二さんという初めてお会いした人が横に黙って座っていた)。
私は元自治省の北里さんという先輩から電話があり、一度大津の前の職場でお二人とはお会いしただけだった(北里さんが京都市副市長時代に表さんが西陣のイベントに関わった縁から、表さんが彼の元へ来てその場で電話してきたのだ。当時はまだこちらも役人だったから仕方がないけれどこういうのが日本の密室的な直すべきやり方だ)。
が、行政とはいろいろと過去の経緯もあり、2時間以上、ボタンを掛け違いましたなあとか言いながら、築港レンガ倉庫の利用についてあれこれ。結論は、9月にもう一度会って、4棟のうちいまアーツアポリア事業では使う予定のない1棟についての話し合いを持つことになった。
山崎課長は終わって反省会に行こうという感じだったが、アートコンプレックス1928で公演があるので、その反省会には出かけなかった。
19:31〜21:12。『PANTDANCE』というのは、何ともいえないものだった。ニッキー・ソティエフという俳優はブルガリアの映画スターであってパントマイム・アーティストという。たとえば、指揮者が銃声を指揮していてそれが自分に向かってくるというものは一応批評的なもので「バルカンの身体詩人」であるから、なんとなくその気持ちは分かなくもない。
でも、全般的には何をやっているのかがよく理解できないことが多かった(第1部「孤独な人に関する印象」)。また、それが分からなくても動きがびっくりしたり美しかったりすればそれでもいいのだが、冒頭ちょいと注意が行ったがそれ以降はそんなふうでもない。
テープの音楽が最後までうるさくて第2部では、平野弥生という人がお能に基づく長い無言劇を昔風の大げさな演技でするのだが、その時の琴のテープも大仰で、横で園田容子という人が打楽器類を奏でているのも何だかもったいなかった。第3部は滑稽な風刺ものなのかどうか(そうであるとしか判断できない)、それも分からない。
ただ、彼女が動かない人形のようにソティエフのソロに出てくる所や、最後に下がっていくマイムは、それなりの確かな技術を持っているということは分かる。
私の前で見ていた中西理さんが週末小倉に行ったと話しかけてくれた。飛ぶ劇場を見てきたらしい。‘北九州市は新しい劇場のプロデューサーを東京から呼ぶんだから、本気だね、これでは関西を抜かしてしまう’とか言って西宮の兵庫県の劇場について聞かれたりした。
北九州市の市山君もずっと着実にやっているなあと思う。
が、兵庫県の劇場については知事が替わったのだからもう美術館だけでいいぐらいだし、芸術監督もいなくてもいいのになあとも、ピッコロ劇団やピッコロシアターのことも大切にしなくちゃなあとも思う。
3Dから待望のオーダー家具類が届く。鍵井さんとデザイナーの二人が来て手際よく設置。当たり前かも知れないがぴたりと収まるのが不思議なぐらい。下駄箱には玄関ミニ画廊風の空間もあるし、CDの大きさに合わせて作られた箱は長方形と正方形があって積み木感覚に自由に置ける。テレビとビデオの台もピタリ。少し赤みのある木の感覚が自然と内装にマッチして、前から友達みたいにリビングに収まっている。
五条坂の陶器祭りが気になると芳江が言うので一緒にぶらぶら。いつもは静かな広い道なのに、両側の歩道に露天がいっぱい。陶器以外の縁日に出る食べ物屋などもある。
京阪五条駅からエスカレーターで上がって行く歩道の方には量産品とかが多い。もともと陶器屋さんが並んでいるので、店の中に入ると路上では100円単位だった値段から「0」が一つ増える。
二人用の急須(有田焼500円)、手描きの四角い大きな皿1600円×5枚、小鉢500円×5枚を買って向こう側に渡る。
郵便局のある歩道には自分で陶器を作って持ってきている作家や趣味の人が多い。作者が長い髪でいてその恰好などもトータルに楽しみ作者と話をしながら選ぶ感じ。こちらの楽しみはまた別の面白さがありそうだから、芳江は来年はこちら側中心にぶらつきたいなと言う。最終日にはきっと持って帰るのが面倒になってもっと安くなるんじゃないかなと私は現実的に思ったりする。
OMSの松井さんから、COMMON BAR SINGLESのスケデュールを教えてもらい今日は山納洋さんの説教バーだというので、OMSにほど近い阪急東商店街そばの堂山町の雑居ビルを探す。十三と同じような雑雑とした歓楽街のはずれ。
今年の2月にバーが閉じられて、バーをコモンな会話の場にしようと山納さんが考えだし、5月ぐらいくらいから営業しだしたらしい。
つまり、《COMMON BAR「SINGLES」は、様々なジャンルに関心を持つ日替わりマスター、企画スタッフにより共同運営され》るシステムだ。
今日は山納さんは哲学カフェもダブルで持っていたので、マスターにこれからなる人への営業説明会に立ち会ったことになる。
すでに日替わりマスターは40名を超えてもう応募は打ち止めになっているらしい。今日来ていた人は、14日と26日に『【よいたち】へ〜文芸考房〜』をする鈴木ツナさん。彼は小説を書いている人。それにバーのアルバイトをしたことのある写真専門学校に通っている若い男性。あと、イラストレーターのMILという男性と彼女で17日に彼の誕生日パーティをする(イラスト展示)らしい。
マスター候補がどうやって補充表を出すのかとか、カクテルをどうして作るのかとかとか、コミュニケーションの前に基本的なバーテンダーの振る舞いが全然初めてなのでそちらで精一杯のようだった。
山納さんが戻ってきて、学生マスターに見られることだけれど、同じ仲間のグループだけでしゃべっていて、他のお客さんを無視していてはバーは経営できないことを「説教」していた。
ふといま、バザール・カフェが同志社大学の身内サークルになってしまって、異なる文化ベースの人達の交流を大切にしていた設立当時の人達が呆れてしまって遠ざかったり辞めたりしているという話を思い出した。
はなは、来月16日、岸田コーイチさんと中沢聡さんのマスターのときにここ「SINGLES」で歌わせてもらうそうだ。(今日、渋谷アピアでたまたまはなのライブがあって、鈴木英生さんや親戚や友人が駆けつけてくれたらしい。「蚊」の評判がよかったという。)
飲んだ日の次の夜の体重計はいつもよりも多いのではあるが、73kgというのは初めての数値でこれはびっくり。家でごろごろしているのもよくないのだろうけど、夏に食欲が落ちずにビールを飲むからなのは当然なのではある。
旭堂南湖さんが、宮沢章夫さんのHPでこぐれ日記を知りメールしてもらってこの老舗の講談会を知る。
第275回『上方講談を聞く会』、場所は「日本一」芸団協関西(日本一歯科センタービル6f)。275回というからその歴史はとても古そうだ。日本橋の駅のそば。18:30からということだったが、すでに南鱗の弟子かりんさんという講談師の卵がお試し(たしか、からいた叩きと言っていたはず)として、那須与一をやっていた。
さて、旭堂南楓の登場「怪美人伊藤夏子」18:28〜19:01。天満講談席は平均20分ぐらいなので、このスリムな女講談師さんは少しテンポがまだゆっくりなのかなと思ったが、この『上方講談を聞く会』はみんな平均30分の持ち時間だった。女性の講釈師ならではのネタ。明治時代に出来た「探偵講談」という種類でこれが探偵小説やテレビの刑事物につながっていくものだろう。
これも続き物だったらしいが、次回のお楽しみと旭堂南湖のようにはせずに無罪となった夏子が、恋人によってその罪を暴露される件を付け加えられる。明治ものというのも軍人が出たりして取り上げられにくいのだろうが、結構レアな感じで面白い。
さて旭堂南湖「玄意と天王寺屋」28分。そのテンポのよさに驚く。少し時間が経ったが前に聴かせてもらったときよりも堂々として伸び盛りって感じがよく伝わってくる。
それに今日が藪井玄意物語の第3回ということで、前2回のあらすじを3分弱でざっとするところなど、マンガの連載のようでとても親切。
続きはアーツ・カレンダー「こぐれ日記250」の配信(まだ登録されてない方は、http://www.arts-calendar.co.jp/Report.htmlからすぐに登録できます)をどうぞお楽しみに!
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