こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.12



98)12/7〜12/9

12/7(金)

さきの県外受験のために私たちの住民票がいるので、市役所に寄って大学へ行く。そのうちにパナクリエイトの松本さんが来る。この前の日本アートマネジメント学会全国大会の精算。私のCD-ROMも5枚売れた。全国事務局からの10万円の負担金は、向こうの台所事情が厳しいと言うことで返上することにする。それでも赤字にならなかった。少しの黒字は関西部会で活用しようと思う。

OBPアーツプロジェクトについては、大阪教育大学さんが今年度は参加してくれるということで、来年度になると他にも色々候補があるようだ。秋に集中しないように散らしたいもの。シンポジウムのようなものを来年4月にしようかということが話題になった。彼も色々初めての経験で大変だったようだ。が、大新聞社勤めでは経験できない個人同士のつき合いの難しさと面白さについて、一緒に語った。

その間もゼミ生が色々と相談に来る。ホテルブライトンシティ山科に頼まれていたキャプションを向こうもまた作っていてダブったり、連絡がうまく行っていないようだ。まあ仕方がない。ホテルに9日の夜から入るのだが夕食は出ないと言うので植田さんがバイトしているテイクアウト寿司屋さんで買ってくるようにお金を渡す。

今日は、2つ芝居を観る。
よしもとriseシアターは、もと梅田花月。劇団衛星12月興行『赤ベコカマトト早急便』作演出/蓮行。17:02〜18:38。昔数多く衛星の芝居を連続して京大吉田寮食堂でやっていたことがあって、そこで観たことがある。初期のギャクもの。こういう立派な地下の施設で観るにはちと大きすぎるかも知れなかった。ヨーロッパ企画が20時からあって、交替でするという企画。

よしもとriseシアターの支配人から日記(実際は日録)を見ましたと言われる。自分が一杯しゃべっていたと書かれていた、と。彼が冷たいお茶を運んできてくれる。飲食が出来るところなのだ。出入り口が狭くて分かりづらい。前の5列ぐらいは個別の椅子を並べているが、それから後ろは、固定のテーブルがあって舞台を上から見下ろす感じ。

暖房があんまり効かなかったこともあり、少し寒気がしてコートを羽織った。バンド「もののあわれ」が舞台の上部に組まれていて蓮行が赤べこ運輸社歌を歌っていた。岡本唯司の何役だろう、管理人がみんな一卵性の町というのはちゃんとした批評ではあるが、どうしてもコメディには時代」が反映するから、再演はなかなかこういうギャグ芝居には難しいハンデがある。

今回はクールな殺し屋をやっていた田中遊が、「正直者の会」というユニット?をやっていて、東山青少年活動センターで1/19.20と「イス」という3人芝居をするそうだ。商業系とインディペンデント活動が並列し、尼崎のアルカイックホール・オクトで歌謡曲オペラもする(3/16.17)劇団衛星あち。内容の当たりはずれは、このような多角経営化故に彼らの宿命なのかも知れない。でも、走りながらの熟成を彼らには求める可能性があるはずだ。

少し歩くと吉野屋があって、12日まで並250円という安さと、寒気がしたのでラーメンでも食べたいなという食欲望と、ほとんど満席で狂牛病より安さの時代という観察欲などで、牛肉断ちをしているのだが、禁を犯す(この禁を破るということもその誘惑にはあったかも知れない)。数ヶ月牛を食べなかったが、ちょっとすっぱい食感がした。女性も結構多い。

梅田方向から扇町ミュージアムスクエアへ行くと列があったが、これは手前の映画関連だった。でも、清流劇場の方もほどほどに入り、実に誠実な舞台を堪能させてもらえた。場内も暖かだったが隣の女性がずっと咳をしていて少し気になった。

ここの劇団は何人いるのかよく分からないのだが、今回はいままでずっと控えめだった3人の女優の確かな存在感とその成長の姿が、心に沁みた。清流劇場の社会派としての流れの中で、主張やイデオロギーの押しつけでなく「舞台を成立させるために演劇が本当に必要とするもの」について考えさせられる。

そのあとに、生のバンドとかチンドン行脚などの演出とかさまざまなアウトリーチもあるのであって、制作サイドが強くなりがちな劇団は原点をいつも確かめることが不可欠。そういう意味ではこのステージを特に劇団制作者にゆっくりと楽しんでもらいたいなあと思った。

清流劇場2001年12月公演『約束のヒト』作・演出:田中孝弥。19:32〜20:48。舞台はとてもシンプル。白い明かりが白い5つの箱にさしている(照明:岩村原太、西岡奈美)。19時半頃から白く薄い霜のようなものが上から半円の形でゆっくり下りてくる。
制作協力は應典院でお会いした柳澤尚樹。

美術(B.flow)はシンプルなのだが、下手の赤い風車が印象的。最低限の装置で再最高の効果をあげようとする潔い行き方だ。彼岸花のような、そして、舞台を観ると分かるとおり、水車谷の「ねじり花」をまずは表し、水車谷の水車の回転、一家と部落の変遷、葬儀のお別れの花へとその象徴性は淡々としかもダイナミックに繋がっていく。

イプセンの「人民の敵」から想を得たという。少し三男コウゾウ(中川浩三:フリーの役者のようだ)が長台詞で時代がかっている感じがしたが、イプセンの時代性がこのあたりに残っているのかも知れない。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記295」をみてね)

12/8(土)

文化環境研究所の吉岡伸さんから文化環境研究所ジャーナル(HP)への原稿依頼があったので、以下のような文章を書いてメールする。夏までの話なので、写真が冬にはおかしいのだが、まあ、こういう形で私たちが始めたゼミを振り返るのは大切なことだ(原稿料などはなくても)。

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【芸術のリボンをまちに結ぶ】
〜京都橘女子大学文化政策学部こぐれゼミの途中リポート〜

(リード)

2001年度にできた京都橘女子大学文化政策学部。この学部に入った学生はみんな基礎演習(12〜15名ずつ)に参加します。私たちのゼミは「芸術のリボンをまちに結ぶ」というテーマを掲げました。ただ芸術と社会を結ぶアーツマネジメントといっても1回生ですから、まちにアーツをプレゼントしている先輩たちの姿を拝見し感動し、その場の空気を一緒に吸わせてもらうのが、主な目標です。
前期は彼女たち学生がどんなアーツから近づけば自然なのかを知るために手探りした半年でした。後期になってやっと実際に「まち」に出て文化現場の息吹を感じ自分たちに出来ることを探り出しています。ここではその前期の経過を報告したいと思います。

(本文)
○リボンゼミの始まり〜どんな芸術体験ができるのかな?

基礎ゼミのクラスは全部で12あります。リボンゼミには15名が参加しました。京都橘女子大学は全国から来ている珍しい女子大学ですが私のゼミは比較的関西近辺が多いです。それでも富山、石川、愛知、岐阜、岡山2名、高知それに京都府の北の方と8名が親元を離れて住んでいます。
ですから、どうしたらアーツの現場に近づいてもらうのか、そのために彼女たちはどれほどの諸芸術体験を持っているのかを探る必要がありました。そのうちに制約はかなり大きいことが分かります。例えば下宿している環境や寮の門限の関係で夜遅くまで出歩くのは難しいということや、バイトをしなくちゃならないので土日を使うのがなかなかしんどいこと、お小遣いをそんなに持ってはいないので出かける交通費を含めた出費はどうしても抑えなければいけないこと、などなど。
一番の問題は、お芝居など多様なアーツにほとんどの学生が接していなかったことです。西洋クラシック音楽を生で聴くことも少なく、ですからダンス鑑賞とか現代美術とかにはまるで未体験で、若い人たちが好きなポップ音楽、そのライブを企画したいとか映画の広報をしたいというような漠然とした希望を持っている人が大半だったようです。天文台の職員になりたいなと書く学生もいました。

○楽しいおしゃべりと「アーツ日記」

まずは、もじもじとムーミンみたいに恥ずかしくしている学生たちの気持ちをほぐしながら1週間のアーツ体験を語ってもらうことから始めました。ネイティブアメリカンの集まりでは枝を持った人の言葉に耳を傾け、その人が語り終わったら次に話したい人がその枝をもつという風習があるそうです。このゼミでも、何か手に持って話すと少し安心できるかと思い、ふにゃふにゃのぬいぐるみを手に持ってしゃべってもらうことにしました。
お掃除がはかどるCDが見つかったこととか、夕日が綺麗だったので写真に撮ったことなど、なんでも美しさや驚きなどの心の動きに関することも含めて彼女たちの日常が登場します。テレビを見ていて障碍のある人の美術について熱く語る学生もいます。エイブルアートのことを解説はしますが、それは控えめにしておきます。なかなか対話にはなりませんでしたが、お互いの心の動き、活動の様子を聞き合うことをまずは課題としました。
話したことなどを忘れないために日記帳をつけてもらいそれを唯一の評価としました。「アーツ日記」の提出です。驚いたことに、体験をとてもデザイン化した1頁にして書き付ける学生がいたり、鑑賞した展覧会の半券を大切に張り付ける学生、特有の語り口で書いてみるエッセイストの卵など、想像以上の楽しさでした。

○「本を読む」〜初めてのワークショップ

前期も学内だけではなく、小さな小屋で別役実の「いかけしごむ」を息を詰めて観劇しそのあとバザールカフェまでお散歩したり、神戸アートビレッジセンターの島袋道浩展をこわごわ覗いたりと鑑賞体験を一緒に増やすこともしてきました。さらに学生同士で京都芸術センターやアートコンプレックス1928へ出かけたりと演劇空間にもギャラリーにも少しずつ関心が出てきたみたいです。
前期の最後、夏休みに入る前にキャンパス内でちょっとしたワークショップをしようと思いたちました。「本を読む〜初めて声を伝える試み」。彼女たち一人ずつに5分の時間を与えて好きな文章を読んでもらいます。絵本でも好きな曲の歌詞でもなんでもいい。場所もいつものゼミの教室でもいいですし、野外でも構いません。
文化政策学部が入っている清風館1階には大きなピロティがあります。私は「タチバナ軒先劇場」と名付けていますが結果的にここがメイン会場になりました。軒先劇場への階段に座ってもらって読むことで緊密感を創った学生、ばらばらに散らばって聴いてもらった学生などさまざまです。中二階の部分から下に向かって読んだり逆に見上げたり、みんなの背後から読む演出を試みる子もいます。そしてこのワークショップを最後にそれぞれの夏休みに入りました(動きの多い後期の実習などについてはまたの機会にお話しします)。

◎関連サイト
「こぐれ日録」(水曜日などにあるリボンゼミのことも書いている毎日の私の芸術関連日記帳)http://www.t3.rim.or.jp/~hs01-ckc/KOGURE/Diary.html
「京都橘女子大学」http://www.tachibana-u.ac.jp/official/index.html

◎プロフィール
芸術環境研究者。京都橘女子大学文化政策学部教員。1955年大阪市生。78年自治省入省。財団法人地域創造設立メンバー。2001.3に役人生活に終止符を打つ。NPO法人アーツワークス副理事長。日本アートマネジメント学会関西部会長。「大阪市文化振興のための懇話会」座長。

◎近況〜2002年の初めの予定
2/8〜2/11:アルティ舞踊フェスティバルにアフタートークスピーカーとして参加。
2/22、23:京都府京都文化博物館別館にて「関西女性アーティストファイルvol.1〜「文化政策」が息づく芸術の傍らにあるために〜」を、京都橘女子大学文化政策研究センター公開セミナーとして企画(当日は全体のナビゲーターをする)。
3/9:滋賀県水口町碧水ホールでアートフォーラム「これまでの展覧会、これからの展覧会」レクチャラー。
3/10:高松市役所主催のセミナーで「検証、今、演劇!」講師。
3/17:大阪市立中央青年センターにて「声の祭典」(青年芸術文化劇場)NPO法人アーツワークス制作
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先週も行った国立京都国際会館。本館は迷路みたいだ。うちの学生とおぼしき女性が立っている。2階には確かに文化政策学部の学生がいるが、見覚えがない学生もいて私が知っている学生とは違ってよくお勉強する連中なのだろうと思う。途中から梶原さんもいたが(途中でダンスにいくんよというと早くから言ってくれなきゃ、って言っていた。彼女もダンスをしているのだ。まあこんてんさんではないけれど)。

Room B-2。130名の定数。結構入っていた(無料、往復ハガキ)。文化政策学国際シンポジウム『文化による創造的地域づくり』社会システムを変える新しいビジョン。上原恵美さんが一番前に座って招待報告をするデイビッド・スロスビー、オーストラリア・マコーリー大学教授と話している。元気になったと会ったら言っていた。

1時間このスロスビーの英語を配られている冊子を見ながら聞く。だいたいそのまま。ちょっと金沢のこととか出てくるだけ。用語でけっこう気になったものがあった。たとえば「traditional arts」として文学や視覚芸術、工芸、音楽、演劇、オペラ、ダンスなどをあげているところなど。

一方、Arts policyという節では「creative arts」という用語を使っている。じゃあ、反対の創造的でない芸術とは何か?それは別の文脈で出てきた「traditional arts」(メディアとかを使ったものと対照して使っているから)ではないようだが、じゃあそれは何かはよく分からない。

休憩の後シンポジウム。河島伸子が日本の文化政策学の1990年代の前半と後半をうまく説明していた。社会学者へ文化政策学の面白さを伝えたいと彼女は話していた。カルチュラル・スタディーズという言葉もでてクレバーだなと思う。

つまり、90年代前半は文化支援はなぜ必要かという議論だったが、後半になるとそれはするということを前提にして、結果の評価や市民参画などの過程を議論するようになってきた。簡単にいえば、「なぜ」から「いかに」へ。
また、前半は支援主体についての議論(公的な機関か民間かの役割分担論)だったが、後半には支援される側(つまり文化創造者側、さらに享受すべき市民側)と支援する側との関係が問われるようになった。つまり、支援主体から支援-被支援関係へ。

この辺で失礼して天満橋へ。
17:30に着いたら、ちょうど黒子さんが生け花を受付に持ってくるところだった。向かいの釣鐘堂がある住友生命の寮みたいなところで少し待機。

都住創センター。研究室に過去の舞台記録を置いているので、私的日記を繰っていると、ここに来て帽子と黒子さなえのダンスを観たのは1998年11月8日(日曜日)のことだった。かなり昔。

「風邪でぼーっとしている。13:18〜14:20まで、飯田成実の唄と詩の朗読、さなえちゃん(かぜをひいていた)の多彩なダンス」とその日記には書いてあった(このあとに中国韓国と出張したあと、12月には出張先の名古屋で酩酊転落、腕を折って入院するのである。早くこんなばかばかしいことを記録したCD-ROM第2段を出したいな)。

このあとに、去年「Les chapeaux d'art 2〜アートのなった帽子たち」があり、今日は「Les chapeaux d'art 3」の初日である。京都芸術センター製作支援事業とあるが、京都芸術センターで帽子を被って多くの写真(生田恵子)が撮られた。その写真がパネルになって壁に貼られている。さらに早く来たお客さんにパネルを渡して見てもらっている。

手伝っている人を入れて25名ぐらいの集まりだっただろうか。黒子さなえは、11/28.29と由良部正美のPhantomにゲストとしてソロで間に踊ったのを見損なっている。舞踏家との違いを感じながら、言葉と踊りについて感じたという。

彼女の踊りはまず踊りたい身体がそこにある、というのが前提だ。他人を振付けするときには言葉が必要なことをいまはとても感じているそうだが(02/3/2〜3に京都芸術センターで9人に振付けて発表するから)。

18:41〜19:06。第1部は前に見たことのある『populus'poplars'populorum』。ゆっくりしたダンスとか舞踏でじれったくなるものが多いかれど、彼女のダンスにはじれったくなることがない。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記296」をみてね)

終わってから、黒子さんにタフの説明。一度京都文化博物館別館に見学してみるという。2/22だけならいいけど(次週の本番で土日はもちろんリハだ)。少し強引だったが、場所のおかげ(面白い空気が作れそうなのだ)もあり、トークは苦手ということながら、かなり今夜は子どものこととかいっぱいしゃべってくれた。

この当日パンフに彼女は「1967年大阪生まれ」とあって假奈代さんと2年上だと言うことが分かる。何となく、女性が生まれた年を書くことが増える方が心地よいような気持ちがした。これは色々な意見があるだろうけど。

12/9(日)

もちろん、山田せつ子《ダンス》×伊藤高志《映像》コラボレーションに行こう(studio21)と思っていた。ところが、どこか体調がすぐれない。のんびりすることにして、山田電機でスキャナーを買いに家族で出かける。これでカラーコピーをしてはながイラストを作る必要がなくなるし、かなり便利になるはずだ。京都精華大学のはなが火曜日のゼミでエイブルアートについて発表するというので、買い物をしながらレクチャーをしている(ちゃんとメモを取るようになっていた)。

少し早めに山科へ。山科の図書館で京都新聞を読むためだ。取材時には7日に載るということだったが、探してみると8日の朝刊の市民版「南部」に載っていた。カラー写真でゼミ生4人と上田假奈代さん、それに私がホテルの大きなテーブルを囲んで写っていた。

そこには、「京都橘女子大高齢者と交流深め/社会参加まず地元から/10日に文化祭運営の準備に熱」と見出しにあり、「このゼミは芸術の社会への浸透方法を研究するのが主テーマ。地域住民同士の交流を促進するイベントへの参画を模索していたところ、会場となる同ホテルの協力もあり、2つの高齢者グループとの交流が実現した」。このあたりは少し私たちが主体的すぎる書き方になっているようだ。

この企画はホテルブライトンシティ山科の総支配人平さんの仕掛けで始まったわけで、私たちゼミ生がどれほど具体的な交流が高齢者団体とできるかは分からないが、高齢者の文化活動のすごさを体験するにはとてもいい参加だろうと思ったし、プログラムの順番を考えエクセルでパンフを作る準備の段階がまず学べる。そして司会進行や舞台監督的なお手伝い、展示の準備や当日の会場案内など総合的な催し物の制作課程を学ぶことができることは確実だった(実際やってみて予想以上に面白かった)。

「文化祭本番を前にこのほどあった打ち合わせでは、前日に掛け軸や絵画などの作品を泊りがけで展示することを決定。また、日本舞踊や歌謡といった芸術発表の司会進行役をするほか、進行の段取りなどを決めた」。ということで、今日(=前日)になったわけだ。図書館の周辺には山科青少年活動センターがあって印刷機の周りに人たちが集まっていたし、図書館もいっぱいだった。全体的に施設は広くない。「東御坊」という石碑があるお寺のイチョウの黄色が鮮やかに地上を覆っている。

夕食は、植田さんがバイトしているおすし屋さんで彼女が海苔巻などを買ってきてくれる。20時までは、私と12人のゼミ生は室内でくつろいでいる。絨毯などなかなかよくって、平さんがホテルガイドにこのホテルに大きく載っている(5000円から1万円以内のホテル紹介)と、フロントで見せるのも故ないことではなさそうだ。

20時過ぎになって展示会場となる4階の部屋が空く。さっそく丸いテーブルなどがホテルマンによってダイナミックにかたづかられる。その彼によるプロの仕事を見れるだけで今夜ここにいるかいがあるというものだ。掃除もてきぱき。
NPO法人亜細亜老人学友協会日本本部(山科区)と山科区老人クラブ連合会の人たちの作品が持ち込まれている。2つの部屋はちょうど東洋風と西洋風になっていたので、台湾からの書や日本人形などはイーストルーム(大橋さんと魚谷さんがチーフ)へ、フランス人形とかクリスマスツリーのキルトなどはウェスタンルーム(西本さんと坂下さんがこちらのチーフ)へと振り分けた。

平さんが日曜道具を持ってきてうまく書をつるしていた。ところがタピストリーとかキルトなどをつるす仕方が分からない。結局事務用クリップを用いてそれに針金を通して吊り下げる。ブリコラージュ(器用仕事 byレヴィ・ストロース)。そして、梱包をほどいてみないと展示プランもできないという即興的な対応(創発性)などを学ぶことができるわけだ。

12時を回ってやっと展示ができる。應典院や100%ORANGEの経験の後さらにまた展示の勉強が積み重なっていると思うとありがたいことだ。司会の4人も少し3階の公演会場を点検。紙芝居をする渡里さんがバイトで来れないのが痛い。3階の入り口に京都橘女子大学のパンフを展示しておく。


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