こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.1
1/26(金)
14時に、読売新聞大阪本社編集部地方部内信課の杉山主任が取材にやってくる。2/7に掲載予定の「ふるさと2001」という紙面に、私のコメントを入れるため。西陣の町家倶楽部のサイトから丸善ライブラリー「現代のまちづくり」を見つけ、ここまできたという。私が同じ地方部にいた松本さんと友人だと話すと驚いていた。二人は同期だった。
なぜいま人は古い建物に惹きつけられるのだろうという質問に、いまは世界中に旅をしても同じファーストフード店があったりするから、昔という時間の旅の方が新鮮なのだろうとか話す。
取材中に旧自治省の先輩(京都市助役だったことのある人)から電話。ある人を紹介する(西陣でもイベントをやったりした人だという)から会ってくれというもの。いろいろ間接的に聞いている人だったので慎重にしよう。
鈴江戯曲には山がよく出てくる。そして川とか池。今回は泉だった。
近畿大学文芸学部芸術学科演劇・芸能専攻9期生卒業公演『これは白い山でなく』近畿大学会館、19:02〜20:43。作・演出そして指導が鈴江俊郎。1999年4月から彼が専任講師になっているのだ。客席はぐるりと取り巻く形。西堂行人さんに3/20に近大でファウストをしてシンポをするので遊びに来ませんか、と誘われる。AとBにキャストが別れていて、今日はBの人達12人が登場していた。
心のぎりぎりまでをえぐるために、何もない過疎地域の静かさに反比例するかのように、ヒステリックな感情が爆発すること(心の破裂)もままある青春群像。岩松了「アイスクリームマン」を少し思い浮かべるのは、これも都会から学生達がアルバイトに住み込みで働きに来るという設定だからだ。大学生たちを中心に彼等よりも上の世代の夫婦と学生より若いの姉妹を登場させ、青年達のもがき苦しみをサンドイッチして浮かび上がらせている。
8人の大学生は男女4人ずつ。それぞれに特色がある。一人だけ地方の言葉を使っている「ネコ」(枝広由樹)とか、自殺未遂を防ぐために離れられない男とか、豊富ないまの大学生のサンプルがある。どじで暗い男が最後に集団脱出をとめるところは迫力!、そして彼の言葉によって山に白いものがやってくる。
でも、工場長と妻とのあいだには依然として呆然とするような距離があることは変わりないのだった。
一方、女子高校生(16歳)は二卵性双生児のはな(永井直美)とさき(新田知子)。偶然なのか知らないけど、はなちゃん、さきちゃんと呼び合っているとどうしても自分の娘たちとシンクロしてしまって、ちょっと尋常でない気持ちになってしまった。うちのはな(もうすぐ18歳か)と違って、このはなちゃんはガリガリ勉強をしていて、でも泣きべそ(これは同じか)。妹のさきちゃんは、うちのさき(15歳)よりも、ずっと発展家のようだ。
お揃いの色違いのパジャマ。二人ができるだけ似ないようにしているけれど、やはりその連帯は強い。母のようになることを怖れ、女性3人でのしめった暮らしへの愛憎がここで反すうされる。大学生の姿を見るのもすごく生々しいけどいい体験になったのではないだろうか、奥手の理科系女子学生へはなちゃんが心を向け声をかけるところなど。
古本屋で日本の日記文学を綴ったドナルド・キーンの「百代の過客」上下を買って、日本橋の地下鉄へ乗ろうとすると、知人にばったり。マルセ太郎の死について話しながら、谷町九丁目の「伽奈泥庵」でアジア料理を食べる。ここはライブなども盛んなディープな場所だった。明日には「世界聖なる音楽祭」ビデオ上映(ダライ・ラマ14世が提唱)があるという。
13時半すぎから17時時前まで。同志社大学今出川キャンパス扶桑館2fマルチメディア・ルームにて、第28回文化経済学会関西支部例会。20人弱の参加(阪本さんによると180人弱に毎回案内を出しているらしい)。
初めは、同志社大学経済学部の河島伸子による発表。『美術館・博物館の独立法人化〜イギリスの経験から〜』:イギリスにはミュージアム(動物園とかは入らない)がMGCに登録されているもので1676、全体では2500あるという。今回は地方自治体730の民営化度を中心に話された。
DCMS(文化・メディア・スポーツ省)から直接資金提供されることによってnationalと分類されるミュージアムは1997年当時で37、いまは17になっている。自治体ミュージアムもチャリティ化や戦略的経営の導入、民主化を要請されてきたと考えられる。そこで、彼女が独自に143のミュージアムに調査をした。ところが、実際は、民営化したものは1割にも満たないし、部分的な民営化(業務委託)も1部に止まっている。
ただ、日本と比べると、自治体直営のミュージアムでも一般公務員の天下りや出向は全くないし、Independentと分類されているミュージアムは自治体営のものに匹敵するぐらい増加している。
方向として、自治体はいままでProviderであったが、これからはEnablerになるべきだ、という言い方は要を得ている。
次に、京都橘女子大学文化政策学部で一緒になる若き文化経済理論家、阪本崇による発表。『「文化評価」の可能性〜環境評価論を手がかりに〜』。公共や大企業の開発の際に「環境評価」をすることによって、そのプロジェクトにお墨付きを与える必要が増加していることもあって、「環境評価」とりわけ選好依存型評価法のうち、仮想評価法といって、人びとがその環境へいくら支払うか(あるいは補償を受け取るか)をアンケートする調査がさかんになっているという。
これら「環境評価」手法を「文化評価」に使うことができるかどうか、その場合文化における固有の問題は何かということが話された。「環境」というのはほぼ物理的な自然環境を指しているようだから「文化環境」というような部分までを含んではいない。「文化」というものを評価するということばは生理的にぎくりとするが、厚生経済学的なシンプルな具体事例を使うのなら問題は少ないだろう。
彼の発表は「文化評価」へのアプローチの見取り図を示すもので、寄付金税制やバウチャー制度によって個別のサービスやプロジェクトを市場に委ねつつ、大枠の政策評価や全体の事後評価について文化評価を行うことが必要である、というのがとりあえずの結論となっている。
話を聞きながら、大学内や大学とその周辺で、アーツクーポン的なバウチャーを実験できないかどうかを考えていた。地域通貨をアーツクーポンとして使うことも十分検討に値すると思う。
扇町ミュージアムスクエアはいっぱいで席を慌てて準備している。山下残君はここに初めて来たという。鈴江俊郎さんて野球もうまくて頭もいいから嫌みなんだよなあ・・残君からきくと笑ってしまう。扇町アクト・トライアル2000、ENTEN『箱じかん』。飛箱、時箱、息箱の3部作、19:18〜20:38。映像もあるし生音もあって大作。
京都造形芸術大学の学生などが来ている。ここのホールのこけら落としが4月からあって、太田省吾にせつ子さん岩下さんが出るとともに、学生の企画もあるという。
演出・振付の竹ち代毬也のつるつるの坊主頭に袈裟風のミニスカートはインパクトあり。トリイホールで短い時間だとなかなかに面白いのだが、それが続くと拡散する。人形とか、最後の大声の「オーイ」から、輪になってかけ声を連鎖させるのは大好き。
叡山電車茶山駅から北白川疎水まで歩いて少し南へ疎水沿いに歩く。いま『顔の現象学』(鷲田清一、講談社学術文庫)を読んでいるせいか、家の顔、特に表札が気になる。
字がかすれている木製のもの。真新しいピカピカのもの、堂々としていたりひっそりとしていたり。二つの名前。民生委員などいろいろひっついているもの。見飽きない。プライバシーとはどんな関係があるのだろう。名前を外に出している以上、デジカメで編集することなどはできるのだろうか?でも怪しまれそうだ。
駒井卓記念館・アートスペースの本田さんたちには法然院(鼓童の小島千絵子さんの踊り)でお会いしていた。駒井邸にやっとたどり着いたわけだ。姫路出身の駒井卓はダーウィンを敬愛していた遺伝学者だったらしい。
1927年、ヴォーリズ建築。始まるまでお庭を散歩。テラスにお茶が飲めるテーブルと椅子。小さな温室だったところにも座れる。少しカップなどが置かれている。たぶんウグイスかも知れない薄緑の小鳥の姿があった。
ノーマ・リッチーのメゾソプラノ独唱と彼女によるハープ演奏。演奏だけのときやアカペラもあり。『スコティッシュ・ハープの調べ』14:07〜16:07。定員40名限定となっていたが、ぎっしりなのでたぶんそれぐらいのお客様。個人の邸宅に招かれ、親密なコンサートを聴き、あとで紅茶をいただいて、ベルギー土産のクッキーまで味わえるひとときを得た。
天井も高くないけれど、絨毯と木の内装に囲まれた贅沢な空間とゆったりした時間、そして柔らかいハープ(32弦、体にかかえている感じが愛らしい)と歌声(凛とした透明感もある)。なじみがアイルランドよりも少ないスコットランドの音楽や物語、地形と人びとの暮らしをかいま見た。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記」をみてください)
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