こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.1〜2
1/29(月)
星野明彦さんから「劇場通い」(27)が送られてきた。どうしても嫌いな劇団が、大きなミュージカル劇団以外に、初めて3つ(国家主義的な感じでかつ攻撃的らしい)出現したという。それは仕方がないことだろうけど、彼のようにお芝居好きの優しい人にはつらいだろうなあ。
このようなペーパーは目が通せるのだが、本になるとどんどん消化しきれずに積み重なってしまいそう(でも買ったりする)。注文していた本たちが届く。なんと雑多なものを頼んだのだろう。
『S.フロイト/自我論集』(ちくま学芸文庫)、『知覚はおわらない〜アフォーダンスへの招待』(佐々木正人著、青土社)、『千利休
無言の前衛』(赤瀬川原平、岩波新書)、『世界によってみられた夢』(内藤礼、ちくま文庫)、『絵本を抱えて 部屋のすみへ』(江國香織、新潮文庫)。
最後の本は司書の鈴木さんに、読んだら見せてね、と言われる(人気のある作家だなあ、精華小劇場コトハジメ「本を読む」でも取り上げられていた)。
そして企業メセナ協議会から送られてきた『なぜ、企業はメセナをするのか?〜企業とパートナーを組みたいあなたへ』(2000.12、編集委員/伊藤裕夫、トランスアート)。
これは大学でも参考図書になるだろう。
早く帰ってつれづれ日記CD-ROM版のなかで記録がない日の補足をしようと思っていたのに、肝心のCD-ROMを忘れてしまう。間抜けな月曜日の夜。
100%ORANGEのホームページがすてき。掲示板に書き込みをした。すると数時間したらお返事が来る。嬉しい。彼らのNOTE
BOOKという日記(不定期)を読むと、何気ないところに着目する視点があって感心する。
夕方、読売の杉山さんから2月7日付ふるさと新聞「町家生活」のゲラが送られてくる。
最近談話について事前に見せてもらうことがなかったので、嬉しかった。
嬉しくて即座にいいですよと電話で言った(自分の紹介とか「ミュージアム・シティ・福岡」については山野さんに確認してから少し直すように話したが)。
そのあと電車に乗りながら、最後だけ少し言い回しをかえてもらおうかなと思い出す(でも普通はしゃべらないような「時間移動(タイムトラベル)」なんてことばが出たのは、最近読んでいる昔の少女マンガのお陰かも。直接的ではないが日渡早紀「無限軌道」や「ぼくの地球を守って」など)。
つい最近移転したOther Side(先斗町)へ出かける。
ハガキを見せると前売り扱いで800円。ハヤシライスを食べ、バーボンをストレートで飲んで待つ。大津市(出身)の女性デュオ《月下美人》。
「つめをきちんとする」のが今年の抱負の山本佳名子のヴォーカルとギター、今日はほとんどしゃべらなかったベースの石田珠紀によってマイペースに9曲。19:32〜20:16。奇抜ではないが歌詞のよさが光る。借り物でなく自分の体内を通過した詩だ。ことばの大事さを十分に噛みしめ、それを生かすようにささやいたり、グルーヴしたりして曲を作り演奏している。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記」を)
久しぶりに、「弘前劇場」HP内の三上雅道さんの映画日記を見ると「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をけちょんけちょんにやっつけていて、爽快極まりない。自分は煮えきれない感想を綴っている(いずれ「こぐれ日記」で配信されます)。
きっとすごい映画に違いない、それにしても最初の闇は・・とかビョークってほんとに音楽的に優れているのか、とかあれこれ考えていたことが過半数すっきりする。
ただ、堕落したミュージカル映画ばかり観ている(そして死にそうになる実際のミュージカル!にも幾度も耐えた)私としたら、ミュージカルのなかではましだといういう感想はやっぱりもっている。本職の弁護士さんにあそこの法廷シーンはひどいと指摘されるのは実に納得であるが。
神戸に住む天楽企画の中川博志さん(いやHIROSさん)から、サマーチャール・パトゥル Vol.27がメールされてきた(http://www.pure.ne.jp/~tengaku/)。わたしのずらずら日記とは違ってもっと洒脱だけれど、大先輩にあたる音楽日記。さっそくアーツ・カレンダーの紹介掲示板にアップする。彼がHIROSへ名前を変えたところだけ読んでもその面白さが伝わると思う。
《博志という名前は、わたしの承諾もなく両親が勝手につけたものです。ところが、彼らは、名付けたそのときからヒロシではなく、これまでずっとヒロスと呼んできました。母親の使う言語は、文字通りマザータングです。・・ヒンドゥー至上主義政党BJPが政権を取ってから、インドでは地名の改変が行われました。ボンベイはムンバイ、マドラスはチェンナイ、カルカッタはコルカタになりました。これは、イギリス植民地時代の英語なまりの地名を、それ以前の正式な呼び名に戻したいという理由からです。・・さて、誇り高きインド人が敢行したのだから、わだすも改名をやっていいはずです。これまでずーずー弁というさげすみに満ちたレッテルを貼られてきた我がマザータングである山形語の正式な発音を表記すべきだ、と考えたのでありました。》
どんな評論でもそうだが、読んでいてそこに登場するお芝居やダンスに出会いたいな、と思わせる文章がやっぱり大切だ。ネガティブなものでも、自分ならどうかとチャレンジしたくなるようできれば最高だが、これはむずかしい。
だから、江國香織『絵本を抱えて 部屋のすみへ』(2000.12、新潮文庫)のように、そこに自分のその絵本への想いが直接伝えられるようなレビューがあると、絵本コーナーをうろうろしたくなって仕方がなくなるのだ。
(すぐにこれからの仕事に結びつけるのがせこいが)絵本についての評論文を書くというワークショップから「芸術鑑賞演習」の授業をしてもいいかなあ、と思い出す。特にロバート・マックロスキー「すばらしいとき」の文章がすてきだと感じた(「本を閉じることさえ せつなくなってしまうではないか」)。
風邪でぼんやりしている。京龍館の手伝いをしていたというダンス好きの英語の先生(たぶん米国出身の女性)が、チラシを見に私の庵に入る。すると・・
大人計画『エロスの果て』のチラシを見るやいなや「ブー」と裏返す。裏にも「イメージガール林葉直子」が足を広げているので折り曲げ怒っている。裸体より生理的嫌悪感が出るのだろう。
台所の机の下。かじったパン。電気ストーブ。下着、広げられた脚から写す。テーブルの上にはティッシュと柿。このチラシの宣伝美術は吉澤正美。近鉄小劇場での公演のときは新入学でばたばたしているけど、行きたいものだ。
午後から京都でギャラリーそわかに立ち寄って、大阪市役所へ行く。
京都駅の本屋で丸善ライブラリー「文化政策入門」が出ているかとのぞいたがまだのよう。かわりに新書をいっぱい買ってしまう。角川oneテーマ21『ミトコンドリアと生きる』、講談社現代新書『天皇と日本の近代/上〜憲法と現人神』『天皇と日本の近代/下〜「教育勅語」の思想』、岩波新書『ワークショップ−新しい学びと創造の場−』、文春新書『新聞があぶない』『「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ』。そして古本屋で日渡早紀『ぼくの地球を守って』(全21巻、花とゆめCOMICS、白泉社、2200円)。
清水克久個展(ギャラリーそわか)。13時からだったので、ちょうどご両親と清水さんが自動車でやってきた所だった。すべての部屋を使いながら、実に抑制された展示を行っていた。実際のデジカメを見せてもらう。なるほど、こうして自分の左手の指を使って、本当は指でつかめないようなものをあたかもつかんでいるように写しているのか、ということが分かる。昔のなので、映像が滑らかに動かないのが新鮮だ。蛍光灯が緑色の光が出ているように写されているのを私の目で確かめるのは忘れていた(残念)。
ギャラリーの入り口から廊下までが、電話や窓や、人物さえ、指でつまんだりのっけたりしている写真。対象から離れているのにつまんでいる、接近している作者の関係が面白い。そして対象が実際よりも小さくして初めて安心しているようなそんな感じがする。展示は下の方に並んでいて、屈んで視ることになる。
奧の部屋には、蛍光灯の光が緑に降りている写真。これは目よりも高いところにある。実際の蛍光灯を目をひそめて視たがどうしても緑色にはならなかった。2階には、同じ緑色に校舎が色づいてしまった写真。空と建物の間、スカイラインだけになって、建物が厚みや重量感がなくなっている。
一番、驚き心震えたのは、地下の展示。細い緑の糸でそのポットの蓋は吊されてるのだが、ぱっと見には、浮かんでいるように見える。それだけの展示だが、床の汚れた模様もじっくりと見ると美しいし、ありえないことだが、瞬間を止めることがあったらこんな感じになるのかなあ、と面白く眺めた。
15時から大阪市文化振興課のみなさんと中西さんとで、アクションプランなどの打ち合わせ。本文はほぼできていて(乾さん、ごくろうさま)、私は参考資料にコメントを今月中に書くことになる。3月に築港レンガ倉庫では、コンテンポラリーミュージックを軸とした催し(衣装デザインが絡む)が企画されているようだ。
そのあと、ビール。
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