こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.7



57)7/16〜7/19

7/16(月)

京都橘女子大学に行っても出張があるのねと不思議がる芳江。この前も高校へ説明会に行ったからだ。今日は、文化政策研究センター運営委員としての出張で岡山市と高松市へ出かけた。朝必要だった傘が邪魔で仕方がなかった一日。

武藤学術振興課長はセンターの事務局でもあるし、リエゾンオフィスの担当者でもあって、どちらの名刺を出すか迷っていたが、要は大学と社会を結ぶ活動を二つの側面から京都橘女子大学としてしているということだろう。

もともと、岡山市企画局総合政策部文化政策課のみなさん(長崎課長、大塚主査、門田主事など)は、うちの文化政策学部に関心をもっていただいていた。それは昨年から岡山市が教育委員会から市長部局に文化の取り扱い部局を代え、しかもイベントを行う事業/支援的なセクションではなく、「文化政策」を行う企画セクションへと転換したからである。

いま、私たちが知っているだけで、金沢市、浜松市が文化政策課という名称のセクションがあるし(市長部局)、この方向は、かつて「行政の文化化」が叫ばれたがその流れを引き継ぎ「政策とその評価、説明責任」といういまの時代に接合する動きなのだろうと思う。総合政策部長の志田文毅さんは若いから市長と同じく経済産業省からなのかなあ、と思っていたら旧自治省の94年度採用(私が78年度採用、なんと16年も離れている)だった。

志田さんは、中期指針をまとめていて、中間答申(5/29、岡山市総合政策審議会)を出したところ。タブーなき議論をして岡山市の問題点なども浮き彫りにしたと話していた。長崎課長は演劇が好きで篝火歌舞伎を野外で成功させたソフトな人で一人ノーネクタイ。彼はじめよく研究している人たちのようだ。インターンシップについても前向きに取り組んでもらえそうだし、リカレント休暇制度でうちに大学院が出来たら来てくれる人材も現れるかも知れない(提言コンテストのチラシを渡しておく)。

アートファームの大森さんとその後会って、3人一緒に高松市へ。その前に岡山シンフォニーホールの地下にある丸善で、岡山の郷土冊子を3万円ほど購入する。岡山文化政策プロジェクトもそろそろ始めなくてはならないからね。

高松市は、久しぶり。でも教育委員会文化部の次長だった中村さんが部長になっていたりはするけれど、文化振興課の馬場さんも佐藤さんもいて懐かしいメンバーだ。京都橘女子大学としては初めての挨拶になっていて、レターも届いていなかった(市長部局の企画サイドに行っているだけだからだ)ので早速名簿に入れることにしますと武藤さん。

2004年にできる新市民会館(1500席に増えていたが、多機能スペースと300席の小劇場、それに導線が別で深夜まで稽古できる練習ルームなどは原案の通り)に向けて予算が厳しいので四苦八苦している(松木新市民会館整備課長)みたいではあるが、基礎体験講座を始めるなど開館前の準備はなんとかがんばっていると思う。

この講座の企画に実は大森さんが噛んでいて、私も講師になるのだけれど、さてどうなりますやら(9/7〜翌年3/10まで)。オープニングとクロージングに名前があがっていて、これは何をするのかな。とか、「観客としての感性を磨こう」というレクチャー?をしたあとに2ヶ月して「観客のニーズを探ろう」という枠(これはゼミっぽく発表したりすることにしたい)を担当する。そのためには、高松市内でその間に演劇があるのかとか、それを見てもらうとして私も見て置かなくていいのだろうか?などこれから色々企画しなくちゃいけないことが多い。

7/17(火)

京都橘女子大学文化政策学部の文化政策基礎論1の最終日。2講時は珍しく簡単な進行メモを作って話す。芳江に車で送ってもらったので車内で考えたからだ。135教室は本当に冷房が効かない(前は近くの子だけが寒いと言ってかってに弱にしていたのだが、今回は少なくとも始まる前は強にしておいた)。

もう一度、文化そのものから。生活文化と創出文化、創出文化のなかの学術、技術、芸術へ。芸術の2種類の分類。まずジャンル的なものとしての、実演芸術、視覚芸術、文学。そして、いままでここでは触れていなかった限界芸術をめぐるもう一つの分類(公共的投資論へとつながるもの)も出し惜しみせずに提示する(試験範囲ではないけれど)。

市場芸術と限界芸術をまず2つの世界の代表としてあげる。2つの世界とは間接的価値と直接的価値という鶴見俊輔の分類に基づいているが、ここに池上惇の固有価値をあてはめて説明してみた(彼女たちはそれが一番いま馴染んでいるからだ)。
つまり、固有価値を経済領域の議論ではなく、人間活動の広い意味での文化領域で考えると「かけがえのなさ」ということばになる。

つまり、人間の文化の営みには「かけがえのない」私である時と、「取り替え可能」な私=組織や肩書きの中での構成員である場合がある。かけがえのなさの領域が直接的価値領域であって、限界芸術がその典型例としてあげられる。お金儲けのためとか、福祉や医療のためとかいう別の目的をもっていない、即自的な芸術の営みである。

ただ、限界芸術は砂の中にある砂金のようなもので、それをあつめて継続できる芸術活動にするためには、「先駆的芸術」(先駆的芸術家とその環境)がどうしても必要になる。つまりみんなは芸術家だからそのままでいい、とはならないのがいまの複雑で分業化が進んだ社会の特性(そして芸術自身の自律化ドライブ)なのである。

こういう説明をしてから(伝統芸術や応用芸術、インテリアアートなどは説明しなかったが、その代わり芸術療法については話しておく)、野村誠が連載していたメセナノート(ある学生がこれは個人でも購読できますか?と嬉しい質問あり)の老人ホームでの作曲日記のコラムを初めから最終回まで学生と一緒に読んでいく。これは、理論の説明をしたために、老人=限界芸術家、野村誠=先駆的芸術家、という構図で理解が進んだようにも思う。

アウトリーチやワークショップを復習しつつ、ちょいと色気を出して、ジョン・ケージからのいまの音楽についての話をして午前中を終える。
午後は、こんどはマルセル・デュシャンを簡単に紹介して、いまの音楽と対照する形でいまの美術へと話を持っていく。レディ・メイドからパフォーマンスへ。偶然性や創発性の有り様について・・

そして最後に岸田康が撮影した(ディレクター/岡部あおみ)『田中敦子〜もう一つの具体』を上映する。白髪一雄や村上三郎が出てきたら、この人はあの紐でぶら下がって足で描くの、とか、あの紙に向かって通り抜けて破るのが美術だとやった変なおっちゃんがあの人、などというコメントを少し入れつつ。
これも、先週の上映よりは熱心に見る人が増えて、ちょっとほっとする。

でも終わって、来週のテストのなかにある「公立文化施設での芸術体験」リポートという問題で、枚方のある資料館とかでもいいですか?と聴いてくる学生がいてがっかりする。まず公立かどうか分からないし、そこに本当に芸術を探せるの?っていうとこれも文化財でしょなんていう。
彼女は、午前中の文化の分類をまるで理解していないことが分かってがっかり。それより祇園祭もあるし、京都芸術センターへ行ってくれば?というと交通費がもったいない、という。
(京都市内までの交通費がもったいないという学生はこれからの私の授業はとらなくていいとは言えないつらさ、こういうことを言えないのが「取り替え可能な」大学教員というお仕事としての私の辛抱なのである)。

愚痴も出たが、でも明日のゼミで前期が終わる。明日のゼミでは、みんな日記を持ってくるだろうか。天気がどうも不安定でやなだあ。
京都朝日シネマへ行って帰り、少し祇園祭のしっぽをみる。はっぴのかっこうをした人たちが歩いていて、小さな山車が行き、そのあとをのろのろと数台バスがついてくるのがおかしい。

《もういちど》原題はInocence。監督・脚本・製作:ポール・コックス。2000年、オーストラリア、95分。淡々としたこころにじんとくる映画だったのだが、ポロシャツ一枚だと冷房が寒すぎた(ちょっと今日の気温が低く、隣の「AI」は満員だが、こちらは、中年以上の観客がちらほら)。

クレアが70歳に近づいて初恋の人に会い、初恋の頃の性愛のまさぐりを思い出しながらそっと身体を触るシーンが好きだ。なんと美しい身体の思い出。そして、いまの疼き、生命の震えなのだろう。枯れてしまうことは最後まで出来ないのが人間なのだ。

もちろん、若々しい肉体の愛撫よりも老人同士の肉体の愛の可能性の方が、ずっといまの私の個人的な関心事である、ということもあろう。でも一般論としても、高齢になった後の恋愛やセックスについてはまだまだ探究していく余地の多い分野ではないかと思う。

恥ずかしいが、やっぱり見ながら自分の初恋のことについてあれこれ思ってみた。貧しい経験のなかで、たとえば、ぼくがピアノを弾くといつも横でぺちゃっと座って聴いてくれていたFのこと(アンドレアスがクレアにオルガンを弾いてあげる感動的なシーンを見たからFが私の初恋かなと思ったわけだけど)。シューマンの小曲が彼女は好きだった。転調のところで彼女がぴくっとするのが背後で何となく分かって、ちょっとドラマチックに弾いたりした。

でも、性愛を伴いつつちゃんとした恋といえば(Fとは小学校の同級生だったが大学1年生ぐらいまで、映画を見に行ったりはしていた)、もうずっとあと大学4年生の春に飛んでしまう。その間は妄想ばかり?
初めてお茶の水駅で待ち合わせて、またそこから彼女はさわやかに千葉に帰っていこうとしていた。電車が来てその時に別れの握手をした。でもその握手は普通の握手ではなかった。

ほとんどすべての触覚と血流がそこに集中し全身を駆けめぐり、それまで一緒に見てきたアヤメの花弁の紫が猛然とからみうつくような手と手の愛撫(思い出のなかでは)。その愛撫と彼女の長い指、先が少し細くなっている爪のカーブだけがいまもリアルなまま残っている。でも短かった。
そのあと冬に知り合ったアリストレテスを卒論にした女性とはそんな感じでのつき合いではなく。それも宮崎に行って、また別のことが起きていって・・

おっと、映画のことは何も書かなかったな。クレアの旦那の寂しさも心に痛い。70歳になったら、シューマンのクラスメイトやアリストテレスの哲学少女には淡々と手紙が書けるだろうな。でも、アヤメの君にはどうだろうか?ひょっとして(なんちゃんってね。きっと芳江もしぶとく生きているだろうから、その前に彼女へ手紙が来るかも知れない・・)。

7/18(水)

今日の基礎演習1のワークショップ発表で前期の授業は終わる。後はテストに採点のみだ。
朝、雨が残って心配したが、橘に着くと青空がのぞくぐらいに回復。教室からキャンパス内を巡るワークショップ日和になった。

「本を読む」ワークショップ発表〜声を伝えることのはじまりに〜。2001年度京都橘女子大学文化政策学部1回生〈アーツリボンゼミ〉。10:50〜11:52。

「本を読む」という題を桃田のんさんからかってに借りている。が、単に自分の好きな言葉を探し、それにふさわしい場所でふさわしい演出とふさわしい客席づくりによって、「本を読む」ものであって、桃田さんがやったような熟成型の本格的なものではない。
ただ、毎週顔を合わせアーツ日記を聞き合っているメンバーなので、小グループで本を読むというプロセスをしなかったのは残念だが、突然集まった15人でもなく、彼女がこの歌詞を読むのはそうだよね、とか本人の趣味や考え方とうまく接合できるものにはなっているようだ。

はじめは、いつものゼミの教室から。机を片づけて丸く椅子に座る(地べたの方がよかったようだが。3人とも絵本をみんなに見せながら読んだ。お母さんになったように。

福田は「こいぬのくんくん」。彼女はパウル・クレーのことをTVで知って「クレーの日記」を見せてほしいといって来たな。京都国立近代美術館の監視員がめちゃ感じが悪かったと憤慨している。

坂下は「もりのなか」。彼女も美術が好きだ。金沢に戻っておもしろい通りなどを再発見したりしている。本当におとなしい。写真を撮ろうとしても髪の毛で顔が見えない。

西本「ともだちがほしかったこいぬ」。最後は絵だけになって奈良美智の絵を黙ってめくっている。その時間が特によかった。彼女は吹奏楽をやっている。

清史館を出て少し坂があるので、その坂に傾きながら、私も混ぜてもらって内藤礼「世界によってみられた夢」のなかにあった「坂道」という文を読む。ヴァージンでもらった敷物を使ったがいまいち演技するほどでもなく、中途半端になってしまった。

あとは、清風館の1階の軒先劇場だ。

大橋「dis」。英語の歌詞を流暢に。ちょっと私たちには難しいか。でも、客席の後ろから読むという戦略に出てなかなか賢い。彼女の文章は、独特の口調があるから、何か書かせてみてもいいな。

魚谷「ぐりとぐらのえんそく」。大きなバッテンのコンクリの前で読む。私たちは池の縁に座る。彼女は漫画が好きで、天文台の人になることを夢見ている。
大森「のはらうた1」。彼女もおとなしい。しゃべるのはとても勇気がいるのだろう。

大橋といつも一緒。大原美術館に行って来たっていっていたな。日記がとても分厚い。

植田「午前9時の独り言」。階段に座って読む。みんなも座って下を向いて、くるりの胸にぐっとくる歌詞を聴いている。「先生、私、文化庁に入りたい」って言われたときは驚いた。

前田「いもむし」。たぶん、わがゼミ随一の快活な話し手。半円上になった空の見えるところで読む。彼女は土日バイトを入れているから、土曜日のゼミは早く予定してあげないといけない。彼女を見ていると京都橘高校ってほんとにいい高校だと思う。

工藤「Rhythm Reflection」。逆光で読みたいといって光に背を向ける。地元の滋賀でかつて劇団に入っていて照明とか音響とかの手伝いもしたという。写真が写らないよ〜。演劇をやっているだけに声の通りがいい。

和田「ZOE」。外の階段にみんなを座らせる。なるほどミニ野外劇場になる。彼女は写真家を目指しているだけあって、自分を含めてどう写るかを考えて演出しているようだ。

河田「誕生日の詩集」。差別とかの人権問題に敏感な学生。それだけに、質問をつっこんでしてとか言うと「先生、それっていじめじゃないですか?」とか言われることがある。地元のホールをすぐに観察に行ったり。バレエが好きなようだ。

渡里「びりのきもち」。のんびりしているようだが、しっかりもの。はずかしいけど大きい声で言いました、と。彼女と川上が大学案内に写っていたが、どちらも今頃の学生にこんな純な子がまだいたの?っていう典型なタイプ(でもうちのゼミはだいたいがそうだ)。

川上「ラチとらいおん」。好きな絵本なのだろう。みんなを上にあげて、自分は下で読む。誰かが彼女の大阪弁がよかったといっていた(自分自身はそれが‘めちゃはずい’のだが)。バナナホールのバイトに応募したが落とされたり。ライブがとても好き。

西岡「あたしをみつけて」。だったのだが、寮に本を忘れてしまったという。取りに帰りたがっていたが、あわてて外に出て事故るのも心配だったし、観客もになることも授業なので、私の研究室から何か探してきたら?というと大森さんが持っていた詩集を読んだ。かわいそうなことをしたが(読み終えると涙ぐんだみたいだった)、小さな声でみんなを近づけてささやくように読んだ。

石野「いつでも会える」だったか。彼女は結構恥ずかしがり屋だということが分かった。彼女が提出したアーツ日記は形は小さいが半端じゃなくすごい。何がすごいかというと、1コラムの文章とイラストのバランスがいいし、内容と文字や飾りが実にマッチしているのだ。みんなで彼女をアーツマネッジしたいよねとゼミの連中と話している。

無事、ゼミの連中の発表も終わった。今日初めてゼミ生の名字だけを公開したが、それはピヨピヨ一年生ながら、もう彼女たちもアーツマネジメントの領域の行為者であるからだ(双葉マークなので名字のみに)。こちらも特徴がつかめだしたし、後期はワークショップをこちらはアイデアぐらいをつぶやくだけで、基本は自分たちで企画させてみたいなと思う。まずは、「カメラエッセイ」っていうのはどうかなと和田らと話してみる。

教授会があって、そのあと、文化政策学部のみんなと奴茶屋で食事。また飲んでしまって、織田さんに「まちづくり」ってなんですか?とかからんだみたいだ。松政さんが、四月の合宿の時に夜中の3時頃にぼくが彼にかなりからんだと言っていた(内容を聞いてまったく覚えていなかった)。酒癖の悪さは相変わらずで情けない(今夜はそれほどひどくはなかったはずだが・・)。

7/19(木)

朝に、昨日のゼミの写真をプリントアウトしてから、今日もデジカメを持って出かける。15人の学生が読んでいる姿をハガキにして打ち出して夏休みのプレゼントにしよう。秋にはデジカメ(大学には15台分ぐらいはあるという)がゼミで活躍しそうだ。試しにぼくがやってみよう。

椥辻駅に降りてから、歩きながら気になるものをばしばし写していく。54枚写して大学に着く。キウイが出来ていたり、京都市の意味不明の空き地があったり・・・夏の花に目がいき出すとそれをどんどん追いかけたりする。小さなものや張り紙みたいなものが面白い。庭でお母さんが小さな女の子をミニプールに入れている。七夕がまだ玄関にくっついている。この女の子が作ったものだからはずすのがもったいないのだろう。
ゼミ生に見せる。テレビモニターに写してスライドショーみたいにできるから便利だ。
入学課の宮前さんが土曜日に100%ORANGEに会いに行くという。ご苦労様です。

そうそう、朝、先週キャンパスプラザ京都で講義をしてもらった中西恵子さんからファックスをいただいた。今日も講義があると彼女は思っていたのだ。伝えきれないことを補足してほしいとのこと。とりあえず、ここに書いておこう(そして後期の冒頭に紹介予定)。

《先週伝えきれないところ、焦点がぼやけたところ、反省多々。・・一つは“待つ”ことの大事さを伝えていなかったこと。待つことを大事にしながらはじめます。そして、一つの小さな動きから互いのコミュニケーションが生まれはじめます。ゆっくりと互いの表現したいという気持ち(だれでも必ず持っている)。伝えたいこと、伝わること、うけとること。小さなところからだんだん拡がってゆくたのしさ、おどろき、いろいろな感覚を身体を通して自ら選択し意志決定をしながら、そのプロセスを大事にしていきます。そしてそれを全体につなげます。・・・》

また、どこかで彼女のお話とワークショップに出会いたいなと思う。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』法蔵館、96.3。立命館の古本フェアーで買った本。予想外に面白かった。
「尾崎豊を殺したのは、聴衆の欲望である。いつまでも自分が癒され続けていたいと願う聴衆の欲望である。そして、そういう欲望を、尾崎が誠実に引き受けようとしたことである。・・」この部分を立ち読みして買った。私は何度も尾崎豊をきちんと聴こうとするのだが、投げ出してしまう。

でも、森岡のようにシンパシーを込めて、尾崎やオウム真理教に行ってしまったまじめな科学者の卵たちのことを書いてある文章を見ると、「癒し」が蔓延しているいまの社会の原点が、90年代はじめから阪神大震災やオウム真理教事件までのレンジにあることを思うし、このあたりに立ち返って考えることが大切なのだろう。

この本の最後の部分を抜き出しておく(第四章「私が私であるための勇気」)。
《自分の目と頭で考えようとする人々だけで閉じてはならない。自分たちとは違った生き方を選択した人々とも、可能な限り接触を保っていくべきだ。そして、彼らとのあいだに不可避的に生じてしまう「ディスコミュニケーション」(お互いに分かりあえない状態)それ自体を、絶えず試み続けていくこと。大事なのは「ディスコミュニケーション」から逃げないことだ。ディスコミュニケーションを通して、自己と他者のほんとうの姿を発見していこうと試み続けることなのだ。・・》

アーツに欠かせない交通のあり方を、よく私は「ディスコミュニケーションのコミュニケーション」と人に話すことがあって、同じような単語を使う人がいたんだと思ったことや、アウトリーチの定義や意義にもこの本を読みながら考えさせてもらった。

天満駅を降りて風俗の店のそばを通る。ギャルの種類の指定ができる店があって「癒し系」という分類があった。のけぞりながらも、どこまで癒しということばが意外な分野でも使われているかの研究(体験はまあしない方がいいものも多そうだが)もありかも知れなかった。

行く途中の公園でOMSの場所を聞かれた。気がつかずに通り過ぎた二人の女性。同じ会社の同僚がお芝居に出るので花束を持って初めてきたのだ。
扇町ミュージアムスクエア。汗を吹き出しながらHさんが最近とても不幸な出来事が重なったと話している。見終わり帰路に着く頃には、きっとHさんの心の重さもちょっと軽くなっているはず・・そんなことを思わせてくれる舞台だった。

清流劇場『きなこぱんネエちゃんの恋』、作・演出/田中考弥。19:35〜20:58。田中のモチーフの基調にあるのは、川や海を隔てた別の国、違う思想を持つ人間の間の葛藤である。彼が初めての恋愛劇を書くためには、そこへ七夕の伝説を追加することが有効だったようだ。
ただ、民族やイデオロギーの違いによる悲喜劇は新新宗教の世界との関係など、別のディスコミュニケーションの問題をも考えさせてくれるものでもある。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記245」をみてください。)


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