こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.7



54)7/6〜7/8

7/6(金)

立命館大学も今日を入れてあと2回になった。コミュニティ・アーツの例として、そして、限界芸術家を集合させ、ワークショップを作るワークショップという事例として、昨日に続いて「ひょっこり松山」を紹介する。2度目になるとコメントがしやすくてマネジメント的に少しビデオにかぶせて話を入れた。

久しぶりにアンケートをとる。ここでもともと上映しようと思っていたビデオ内容だから反応もいい。自分も夏休みどこかへ行ってアーツに出会いたいという感想もちらほら。
レポートがほぼ出そろった(200ぐらい?)ので読まなくちゃ。補足としてまたレポートを追加する熱心な学生もいる。京都芸術センターなどにかなりの人数がその鑑賞と観察に初めて行ったことになるから、芸術のアウトリーチにこの授業も少しは貢献したかも知れない。

板井さんはどうやら面白い仕事が京都で見つかりそうだ。彼女の友人が、宮崎市でアートマネジメントを専門とする職員(学芸員資格はいらないそうだ)を募集しているので受けようかなと話している。そういう職員採用が本当にあるのだろうか?大学の就職情報として張り出されていたらしい(帰ってHPを見たが確認できず)。

京都橘女子大学の試験問題の一つに「公立文化施設」の観察を挙げている。そして具体的な事例としては京都国立近代美術館の「MINIMAL MAXIMAL〜ミニマル・アートとその展開」も例示していたので、久しぶりに岡崎公園へ。たまたま今日は夜間も展覧会を延長する日だった。830円。

ミニマル・アートはドナルド・ジャッド、カール・アンドレぐらいしか作家名は知らないが、見るとシンプルな四角形の重なりなどが主なのでミニマルというフォームは一目で分かってしまう。それは分かりやすい(他と区別できる)けれど、じっくりと鑑賞するということになるとどう見たらいいのっていうことにもなるかも知れない。

一番、ゆっくり楽しんだのは、モナ・ハトゥームの「マーブル・カーペット」だったろうか。ビー玉がぎっしりと四角形に床に敷き詰められているだけなのに、光の波が様々に押し寄せてくるからだ。そうそう、全体として、シンプル故に光の影がとても重要な演出になっている。

ダン・ピーターマン「4トン縦型収納庫」は集積のあほらしさがちょっと微笑ましい。カーリン・ザンダーの磨いた壁自身とか、壁を剥いただけのローレンス・ウェルナーはコンセプトアートにとても近くにいる。

アイホール。久しぶり。昨年度なったばかりの坂井健二館長が1年で交代して、いま彼は伊丹市みどり環境部環境保全課副主幹の仕事をしている。全然違うし1年間はもったいないなあと話し合う。

桃園会のチラシのイラストを描いている山田賢一のハガキが8セット売っていたので全部買う(1900円)。帰って翌朝確認するとなんと「かえるでんち」の2枚だけがなくなっている。どこかで見せびらかしていて落としたのだろうか?ばかなばかな・・。

ということで、桃園会第21回公演『かえるでんち』(作・演出/深津篤史)は、ハガキを探していて書く時間がなくなったほど。でも、冒頭の女性二人の会話は謎のままだったが、それ以外は本当に難しくなくて書くのも楽チン。そのなかでどこか曖昧な日常を簡単に割り切らずに放り出した部分が素敵だった。

「反復」をテーマとしたということ。深津流のノスタルジーって何?まあ、夏は小学校や中学校のことを思い出すからかなあ。
「かえるでんち」というタイトルには、理科室の実験ともちろん大きく関係する。一応、主人公はケロッグというあだ名の「情けない子犬」的な男性。カエルの脚に電流を流すとぴくっと反応する実験の話もでてくるので、このあたりと連動するのだろうか(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記241」をみてみて)。

7/7(土)

文化経済学会関西支部の総会と例会が、京都橘女子大学文化政策学部の清風館であったので、自分の勤務場所へ初めて土曜日の午後に坂をのぼる。
演劇部の2回生とかに合う。補講だということ。文学部の先生たちって熱心なんだなあ。

初めは、CDIの松野精さん。博物館の評価をめぐっての話。実に物知りでいっぱいいっぱいお話があった。もう少し絞って例をあげながら話してもらうとついていけたのだろうけれど。それと美術館以外の博物館って今ひとつ私には意義とか楽しさが分からないんだ(水族館や動物園、植物園は好きだし琵琶湖博物館とかまあ例外もあるんだろうけど)。

なので、悪いがドナルド・キーンの「百代の過客〜日記に見る日本人〜下」(80歳になろうとしていた宗祇が旅をしながら死にたいと思うのだけれどなかなか死ねなくて、付き添いをしていた宗長〜隠し子のこととか一休に心酔していたこともあってどんどん告白する近世的現金人〜も実は帰ってしまいたいのだがそれも師匠の手前言い出せない、なんていう話は日記の面白さだよね)もこっそり眺めつつ、お話を聞いていた。

次にうちの青木学科主任。「サービス経済における労働と価値」。
青木さんに初めてお会いしたときは怖そうな人だなあと思ったし、広島カープの話ばかりでドラゴンズファンの私としたら困ったとも思っていたが、この前、彼が「暗黙知」(ポランニー)の話をし出してすごく素敵って気づく。で、今日も熱心に聞かせていただいたせいもあり、色々触発されることが多かった。

ホームヘルプ労働の特質がコミュニケーション(人間と人間の精神代謝の媒介)にあるのに、いま民間委託が進んだこともあって、それは効率的でないと否定されてきている。「口が動けば手が止まる」という有名な民間会社のマニュアルがあるぐらい。へー。

すぐに「マクドナルド化」という最近言われ出した言葉を思い出す。サービス労働の生産性をあげるために合理化と工業化を行う話はいまもうスターバックスコーヒーとか吉野屋(400円から280円に値下げ)とか、デフレスパイラルなのかどうか知らないけど枚挙にいとまがない。

固有価値論は価値論というよりは一定の価値観(世界観)にもとづいた運動論あるいは制度設計論だと指摘する北村洋基の説を紹介しながら、「潜在能力アプローチ」(セン)によって、固有価値論を青木さんとして次のように位置づけるという。

つまり「固有価値論は、価値法則のもとで疎外された労働を克服するために、人々が評価能力を高めようとする過程を研究する」という考え方で、これは人間の変化の研究を怠っていたと批判したマーシャルの再発見ということでもある。
これはもちろん池上惇さんからもよく聞かせてもらう展開だが、なんとなく京都橘女子大学文化政策学部の一つのコンセンサスでありそこからのバリエーションがあるというのは心強いなと思う。

教育投資の効果論(マーシャル)を読みながら、企業メセナの意義(芸術への支援が社員や潜在的な消費者への広い意味での「教育投資」と考えられないか、と。私の領域では「芸術投資」ということにはなるが)について考えていた。

つまり「この教育効果は、直接的な生産性向上というより以上に、労苦による生理過程の悪循環の根絶、異質な世界への柔軟性と適応力、多彩な情報知識の積極的摂取、仕事の自己管理と不正の防止、技術革新を行う能力やこれに適応する力など、人間の成長に及ぼす効果も含めてはかり知れないものがある」わけだ。
あと、若手研究者と研究室で雑談。二人にCD-ROMを販売する。やった!。

昨夜、アイホールに京都橘女子大学文化政策研究センターのコンテストのチラシを渡した。今日は、ヘップホールの福田さんに渡す。ちょうど、客席に東山&中京青少年活動センターの西田さん&表さんがいたので、二人にも手渡す(チラシ置いていただけるホールや美術館、画廊がありましたらお教えくださいね。icps@tachibana-u.ac.jpまで)。

チャーズっていうのは、イワナ(岩魚)のことだそうだ。HEP HALL女性作家・演出家フェスの第2段。TARZAN GROUP第25回公演『チャーズ イン サマー』桧垣平作、演出は大幸亮平(満月の夜にだけ透明になる気の弱いしのさんの役も)。19:04〜20:53。

ほのぼのしているのね、ここは。演技的にはかなり下手って言ってしまっていいと思うけれど、それも何となく許せる。そこはかとやってくる愛情っていうやつが沸いてしまう舞台。だから、シンパシーが感じられない場合には皆目駄目って思う人もいるかも知れない。

とても慎ましいお話。こんなに純情な男女がいるのかどうか?って思わせながら、でもこの人たちは役者としてだけでなくて、実際にもこういう不器用なサラリーマン生活などをしている人たちだろう(と思わせるたたずまいがある)から、それも説得的だったりする。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記241」をみてね)

7/8(日)

芳江に付いていってもらって、新京極のユニクロで2本パンツを買う。どちらも2900円、パンツはユニクロで十分だと思う。でもストレッチつきでおじさん向きかな。てきぱきサイズを持ってきてくれるし裾の直しも15分だし。芳江にその時間を待ってもらうことにして、私はコピーなどの雑用をしてから、BALのコムデギャルソンでTシャツと靴下を買う、半額セールでも合わせて1万円札が必要だが、いままで同様ここのはずっと着ることになるからそんなにもったいなくはない。

意外と浜大津まで早く着いたので、ここで降りて琵琶湖沿いに歩く。いつまであるか分からないので、ヤンマがてっぺんにある古い滋賀県立琵琶湖文化館へ入ってみる。
大人250円。1階のギャラリーは何もやっていなくて閉まっている。

2階は冷房も効いていてそれなりの展示ができる空間になっている。財団法人滋賀県文化財保護協会設立30周年記念展『近江発掘創世記〜湖西線・長浜バイパス関連遺跡〜』。昨日美術館以外の博物館にはその価値が自分には分からないことが多いなんて書いたけれど、この隣のびわ湖ホールの完成ですこぶる珍奇で矮小な建物に見える文化館がけっこう居心地がいいのに驚く。

屈折して埋葬された壮年女性の骨を発掘の現場丸ごと展示されている。壮年というのはどこで判断するのだろうなと頭蓋骨や骨盤を眺める。かなり欠けているけれど実物のすごさがじわじわと迫る。お芝居で使う頭蓋骨レプリカではどうしても出せない電波がそこにはある。

男根の形の木製品。亀頭はそんなに大きくない。何に使ったのか。江戸時代なら女性の自慰道具なども揃っていたと西鶴が書いていたけれど、この頃はやっぱり神具だったのだろうか。使い道の分からない木製品のくぼみや穴をずっと見るのも楽しい。

髪飾りや櫛が獣や魚の骨で出来ているというのも、考えると奥深い生命の連続だ。自分たちが食べて生命の血肉にした残滓を髪や首にかける。思いがけず、シンプルな展示から色々なことを思わせてもらって、何だか昨日の日録の記録が恥ずかしい。

3階から5階の展望台までは冷房がない。でも窓が開いた展望台で一人ぼんやり風に吹かれて琵琶湖を見るのは気持ちがいし、何か誰も忘れてしまった楽しみを自分だけがしている気持ちになって空間の裂け目に入り込んだみたいだ。

階段ですれ違った物思いに耽った女性は職員だった。少しぼんやりしていると、職員があがってきた。危ないことをするとか自殺をするとか思われたのだろうか?それとも余りにも暇なので珍しいお客さんを見に来たのだろうか?

ハムレットの悲劇。びわ湖ホール中ホール。ステージが外されてだいだい色の四角い絨毯が浮かんでいる。あとは赤い小さな持ち運べる台が2つ。座布団がけっこういっぱい。ピーター・ブルック(1925年生)の脚色・演出のシェイクスピア劇だ。『ハムレットの悲劇』14:09〜16:30。

初めの20分ぐらいは集中して観れたし、土取利行の音楽の生(ちょっとテープを操作していたように思う)は、静かな空間にマッチして緊張感が漂っていた。ハンマーダルシア(たぶん。ヤンチンかなと思ったが)と太鼓、初めの方のくわえた笛などの操りはさすが、ピーター・ブルックのベテラン音楽家の面目躍如。足で叩くタンバリン、縦笛は途中ハムレットが取り上げる。尺八もちょっと。

でも、結局、芝居に合わせた巧みな音効という役割を大きくは出ないから、たとえばオフィーリアと並んで演奏するところなどは舞台に入り込むのだからもっと即興的に演奏して欲しいと個人的に思ってしまう。

ブルックが描くハムレット像は(かってな印象だが)快活な描写の影に、どこか脳天気な偽善者の姿がちらつくものだった。
前から(原作からなのだろうが)ハムレットって自分だけが正しいって感じだし他のみんながかわいそうで胸くそが悪い主人公だといつも思っていたのも事実だけれど。

いっそ、父を殺したのはハムレット自身だったというぐらい、もっとあからさまに悪を演出した方が、その悲劇性が出るのではないだろうか。あるいは、ハムレットの母さんを中心として描くとかしてハムレットの軽薄さを後退させるとか。

客席が暗くなるのは劇中劇のときだけ。何もない舞台から芝居をするという古典的演出のお勉強になるものだが、90分間ぐらいで十分その学習はできるだろう。単調さは(幾度意識を失ったことだろう)、墓堀のダンスや快活な腹話術的頭蓋骨とハムレットの対話でちょっと緩和されてはいたが。


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