こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.7
7/9(月)
昨夜早く寝たら、3時に目が覚めてしまう。立命館大学のアートマネジメント論の中間レポートを一気に読み出すが、途中でくたびれて朝食。さきのこれからの話を芳江や本人としてから、再開。
181通のレポートを読んで採点したら、もうお昼に近づいた。全体の中で京都芸術センターが2/3以上を占め、そのなかでもアネッテ・メイヤー展が一番多く90ぐらいあった。ボランティアやアートコーディネーターに質問をよくしているし、全体的になかなか興味深いものが多かった。
扇町ミュージアムが20ほど。拾得、磔磔、ネガポジが合わせて11(自分が演奏している人なども多い。ここだけでないが、マスターの話を聞いたり産業社会学部の学生はインタビューすることに慣れている)、東山青少年活動センターは手頃なワークショップが少なかったのか、5件。神戸アートビレッジセンターへが8人(「帰ってきたタコ」にめちゃめちゃ刺激された男性もいた)、アイホールやさきら、碧水ホールにも出かけた学生がいた。
すでにそこへ出かけた経験を学生はかなり少なくて3/4ぐらいは初めての体験、発見だったようだ。レポートだから少しはリップサービスもあるとしても、これからもアーツセンターに訪れていきたいという感想が多かった。
エッセイとして読ませるものや分析的なものなど学部の違いや、自分がやっている芸術があるかどうか、その分野によっても書きぶりがさまざま。こちらのプレゼンテーションがどう受け止められていたかをこれでも少しはフィールドバックできる。反省も多々あるし、こちらが教えられることも多い。
今日は一日家にいた。さきもいる。沖縄に行くかどうか迷っている。私としては京都市内の公立の高校を受験してもらうのが一番いいのだが、それももう彼女はしんどい(できない)のだろうか。
芳江に、どちらにしても7/4づけでさきが立命館宇治高校を退学したということを、卒業した大津市立粟津中学校へ話さないといけないというと、彼女はとても落ち込む。
お母さんが亡くなったばかりで何ともかわいそうな限り。
一緒にサティへ行ってできあいのお寿司などを買い、料理しないで(といっても青野菜を茹でたりアサリのみそ汁は作る。そうしないと芳江たちは駄目なのだ)、夕飯を囲む。そのうちに、はなが、モノクロームサーカスのダンスの中で木村さんと歌でご一緒することになり、その練習を終えて帰ってくる。
さきは、はながいま元気なのを見るのはやっぱりつらいのだろうが、はなの歌のよさを一番分かって応援しているのもさきなのである。
今日の京都橘女子大学での授業は冷房が効かず(近くの子が寒いので「弱」にしてしまっていた)、ドキュメンタリー映画(「科学者として」)を見せたのだが、この作品の面白さを伝えるにはもっと時間をかける必要があった。ただ山形国際ドキュメンタリー映画祭には関心を持つ学生がいた。
昼休みに学生学会総会。独自の研究会を作りそこで講師を呼んだりするお金が出るらしい。これを活用してワークショップの講師とかを呼んでくることを学生が考えてくれると嬉しいのだが。
午後からはいつものような授業。中間レポートの未提出は3人になった。うち二人は知っているだけに同じクラスの学生に言うのだが、どうも遊びまくっているらしい。4人でコピーして出した連中もオリジナルを作って持ってきた。これにはほっとする。
(いつも感じることではあるが)丹野賢一は麻薬だ。あとを引く。大脳皮質を通り越して脳幹とか小脳、海馬、脳漿とかに作用する。「海馬」という部分は長期記憶の倉庫だそうだ。自分の生まれる直後の記憶、あるいはもっと前の・・
目が霞んで耳がつんざかれているのに頭蓋骨の裏側の風景が見えるなんて錯覚させられる。やけにハイになったり偉そうなメールを出したりしてしまう。人と挨拶したりするのが極端に億劫になる。
山田うんを初めて経験した。大脳皮質をえらく刺激されられる。右脳とか左脳とかいつも使っているはずのところなのに、どこか微妙に刺激場所が違うように感じる。同じなのに触られ方が違うのだ。左脳と右脳とに一度にタッチされているので、何だか変にクールになってくるし、思考するべき脳の部位でぞくぞくと皮膚感覚を覚え、逆に触覚の部位のはずなのに論理構造を積み上げることができると思ってしまう。
19:38〜20:11。前半が終わりここで休憩。20:28〜21:06。後半も3つの10分ぐらいの作品が今度は丹野賢一から始まり山田うんと交互に公演される。
トリイホール、dance box協力公演、丹野賢一+山田うん 合同ソロプロジェクト《SSW〜Short Solo Works〜》。
この予想もつかなかったコンビによるパフォーマンスは、札幌の琴似日食倉庫コンカリーニョを皮切りに、7/4には沖縄の大地アトリエ(浦添)へとびゅーんと日本を端から端へと飛び、大阪難波が3つめの会場。8月には愛知県芸術劇場小ホール、9月に、扇町ミュージアム(そのOMSの松井さんに京都橘女子大学コンテストチラシを渡す、もちろんトリイホールへも)、アサヒスクエアA(浅草)、仙台メディアテークと全国を巡回する。
なんて素敵な場所ばかりでするのだろう。そういう場所にこのたぐいまれなパフォーマンスがやってくる。それを本当にひりひりする感覚で生きている人たちが遭遇し彷徨し、揺さぶられた体験をもって町に散らばっていく。
株価がとんでもなく下がって心配には違いないけれど、このツアーを聞くとただただ、日本も捨てたものではないと思うばかりだ。
大谷さんが終わった後短いトークのときに言っていたが、よくあるコラボレーションではなく、それぞれのソロを交互に挟むという新しい形になっていて、沖縄の時とは違う作品がここでも披露されている。でも、もちろん単独公演とか、前半が丹野で後半がうんというのではなく、交互の挟み込みによって微妙な作用を客席に及ぼしているのは間違いない。
つまり、私の場合は、脳内刺激の交互性だ。実際に丹野の2つめの作品FINで、赤い光のあとに、補色である青緑の光線がかってに目に映ってしまってとても狼狽した(=「嬉しい」のです)けれど、同じような刺激のランダム性が、10分ごとの交代によって程良く施されたのだと思う。
そうだ、ナチュラルチーズとロースハムが交互に入ったクラブサンドを食べたような、そんな感じかな。休憩の時に冷房が入ってほっとする、休憩はレタスかなにかの新鮮野菜。
具体的な内容はアーツ・カレンダー「こぐれ日記242」(いつもよりも長く書いてしまった!)をどうぞ。
應典院の池野亮さんと辻牧子さん(インターン生、立命館大)が橘のゼミを見学にくる。11月のコモンズ(アートオブライフ)の打ち合わせでもある。辻さんがイヴァン・イリッチの話をする。懐かしい。帰って本棚を見たが、『自由の奪回』(祐学社、79.3)しかない。もう少しは読んだはず?
ひょっとして『学校・医療・交通の神話』(山本哲士、新評論、79.7)を読んでイリッチを勉強しただけかも知れない。でも、一番はじめに宮崎県庁で地域計画に関わったときか、そのあと国土庁で三全総のフォローアップの担当だったとき、かなり影響を受けたことは確かなのだが。
ゼミは「本を読む」ワークショップのリハーサル。午後からは割とのんびりと学生の相談に乗ったり事務のことをしたりして過ごす。社会人入試の問題もできていたし。
そんなわけで幸せなことに、もう一度トリイホールで「SSW」を見ることが出来た。
19:36〜21:03。そのあと昨日と同様大谷さんが話してから二人が出てきて少し彼の質問に答える。
昨夜の公演として書いたものは今日を見てからのもので、だいぶん、今日の公演の影響なり確認が入っている。特に山田うんについては、今日の方が強い感激を得たのでそのエモーションが言葉になっているかも知れない(昨夜はやっぱり丹野賢一に意識と無意識が集中していた)。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記243」へ)
中西恵子さんに来てもらってエイブルアートの実践の姿を味わい、コンソーシアム京都での『芸術を社会(まち)へ〜「癒す力」〜』の前期は無事終了した。
あとはテストのみ。でも、学生のなかには、自分の大学でのテストとバッティングしたりしていて受けられなかったりすることもあるようだ。後期はレポートか最終回テストにした方がいいかなと京都橘女子大学に戻るときに久保課長と話す。
中西恵子さんのお話しは、特に社会人の聴講生に強く届いたと思う。学生にとっても「誕生日はあるけれど、年齢はない」個人としての恵子さんの語りには共鳴することが多かったはずだ。宍戸信子さんとは東京で出会ったのだ、とか私もよくは知らなかった彼女の個人史をかいまみて興味深かった。
彼女自身のダンス観(空を見上げていたら身体が気持ちよくて自然に動いていたようなダンス)、あるいは一人でできるワークショップの例示(普段、2分で行ける距離を裸足になって、30分間かけて歩く。足の裏に感じるはっぱや道の凸凹、熱さなどを感じながら)もあった。学生とやってみたいなと思う。
知的障害者の作業所でのダンスの実際について。まず、ボランティアや職員の人たちだけのワークショップをする。ワークショップでは日頃とは違いお世話をしないようになってもらうためだ。自分自身が楽しむことが大切だから。
それから、障害のある人たちと一緒に踊る。それは空間を作ること。まねっこをするとそれは自ずからダンスになっていく。
入ってこれない人がいても、そのままでいてください、その場で楽しんでくださいという姿勢でいる。つまり《あなたはあなたのままで「ここにいる」というところからはじまる》のだ。
いままで障害のある人たちは、他人にはぶつかってはいけないと、介護する人から事前に安全なように困らないように・・幾重にも保護されてきた。だから、ここではあえてぶつかるまで動いてもらう。そしてぶつかったときどう相手とやっていくか、自分がそこで曲がって別の歩みを続けるのか、それとも手をつなぐのか、などなどの決定を彼ら自身がぶつかった時点でするような機会を作っている。つまり「自己決定することの促し」ということなのである。
時間がなかったからこの場ではできなかったが、新種の動物を描いてくださいというワークショップも用意してもらっていた。彼女もマイクなし。壇上からしゃべりたくないので、机を同じ高さのフロアーに出した。それにしてもビデオ装置はどうも使いづらい。
京都橘女子大学に戻って会議(この仕事も一段落)。互助会で京都朝日シネマの割引券を購入していたがまだ観たい映画が始まっていないので、今日は京都芸術センター界隈をぶらぶら。
烏丸御池から行ったのでいつも寄る手ぬぐいやさん(永楽屋)で1枚おニューの手ぬぐいを買い、京都芸術センターで『京都・住まいの近代〜西洋館からモダン住宅へ』をみる。奥の座敷もあって、ここにいるととても落ち着く。展示の仕方も参考になるが、こういうパネルはセンターにまた保存されるのだろうか。
もしできれば應典院での展示とかに使いたいし、まだ、100%ORANGEさんからいただいた大きなイラストをセンターに展示していないので、うちの学生たちに展示技術のWSを誰かいい人を捜してしてもらいたいものだと思う。
フランスワ・ジェスマン展。アートコーディネーター山本麻友美が当日パンフを書いている。彼女のキュレーションかな。南ギャラリーでは、流木を銅で覆ったもののインスタレーション。流木は骨に似ていると思った。
北ギャラリーでは、煮干しの鰯、ジャコが壁に三角形に並べられている。ほとんどのジャコはへの字になっていることが不思議だった。ちょっとぎらっとしていて、そんな光が美しい。床にはアサリの貝殻が積まれている。積まれた山の周りに貝殻が水輪のように丸く並んでいてこれもなかなかにきれいなもの。ボランティアの監視員の中年男性とちょっと話す。
少し行くと祇園祭の鉾(菊水鉾、山車と鉾って同じなのかな)が置かれている。ちまき(1年間のお守りで、食べれないものだった、がっかり)が800円というからそれを買って鉾の上までのぼる。ビールを買ってきて上で飲めばよかった。ぼくは博多にいたときもお祭りには縁がない、というか、避けている節がある。阿波踊りも、当時ははながちいさかったこともあって、ホールでのデモや事前に公演でやっているのを眺めたぐらいだった。
帰りに本屋へ。さきが梶井基次郎の「檸檬」がどこかにいったと騒いでいたからだ。ついでに光文社知恵の森文庫「名画感応術」(横尾忠則、97.6)、これは案の定芳江が夜ずっと読んでいる。雑誌は31日のAO入試用で、「カフェ・スタイル1」(ワールドフォトプレス)、「カフェのごはん〜大阪・神戸・京都のレシピ71」(アスキー)。
あと個人研究費で買ったのは、「浅草一二階〜塔の眺めと〈近代〉のまなざし」(細馬宏通、01.6、青土社)、「洞窟へ−心とイメージのアルケオロジー」(港千尋、01.7、せりか書房)、「老人さん〜ある特養ホームの試み」(山内喜美子、01.5、文藝春秋)。細馬さんと港さんはどちらも1960年生まれ、よく知らない人だが山内さんは1962年生まれ。
人間、40歳代前後は一番生産性に溢れているのだろうな。まあ、私はその年齢の頃には、いまではお荷物になっているかも知れない「財団法人地域創造」の立ち上げの前後で興奮していたわけだ。そんなことしないで自分のために研究して本でも書けばよかったかな?(なんてね。きっと暇だったとしてもそんなことは出来なかっただろうし、まあ、なわばり争いなどの官僚としてのお仕事もいい経験だったと思う)。
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