こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.3



25)3/26〜3/29

3/26(月)

應典院の秋田さんが、京都キャンパスプラザの講座を受講(前期は京都橘女子大学文化政策学部による入門コース、後期は私のコーディネートした「芸術を社会(まち)に-癒す力-」してくれるということ。徐々にプレッシャーが加わってくる。

立命館大学産業社会学部から出講簿とかティーチングアシスタントの要望などの書類が届く。非常勤講師の月額給与を見ると、私はB級(たぶん助教授だから)で13100円(講義1週1時間)。これは!。あとで考えると、2時間(90分だけれどこうカウント)だから26200円かも知れないが、非常勤だけで暮らすことはまず考えられないわけだ。

JIAMのスタッフの中で国(旧自治省)から来た者の送別会。滋賀県庁そばの「文福」にて。私以外に二人が送られる。私の後任がオーストラリアの自治体国際化協会の事務所長から来る。これはびっくりした。「参与」はまず引継をする必要がないと思ったからだ。

3/27(火)

2001年度京都橘女子大学専任教員の懇談会。「平成○○年度」っていわないので気持ちがいい。2002年度で大学開学35周年、学校がそもそもできて100周年になるという。

文学部の教員の皆さんに新参者の文化政策学部の私たちが紹介される感じ。文学部は、英語コミュニケーション学科、日本語日本文学科、歴史学科、文化財学科から構成されていて、伝統がある。新年度は定数が減少したが、受験生の歩留まりが予想以上によくて、定数(250)を大幅に上回る(1.5倍)入学者になる。京言葉を研究している方や中世芸能史を専攻している教員、70年代にバーミヤン遺跡を写真測量した牛川教授など紹介を聞いているだけでも興味深い。

文化政策学部は、まず池上惇部長から「ひとりひとりの個性を輝かす」という実に大変な課題を持つ学部を創設してしまったとあいさつ(きめの細かい対応を出来る限りしようという宣言でもある)。しかし新設学部がいまは定数割れをおこす所が多い中、文学部の先生や事務局のお陰で定数を確保でき感謝しているとも。
一方、文学部長の田端泰子さんからは、住みやすい大学になるために、まちづくりを専門にしている文化政策学部に期待している、と。

このあと、非常勤講師のみなさんへの説明を一緒に聞き、校内案内についていく。メディアセンターが新しくなってiMACも2台入ったりしているし、教室の窓から見える景色も春らしく広々として女子大だからかも知れないが美しくて気持ちがいい。

午後からは文化政策学部だけの打ち合わせ。12のゼミの希望を学生から取ったが、ばらつきがあって(しかも120名しか返答がなく)基礎クラス編成が遅れている。文化政策研究センターの説明を端所長から。新入生キャンプの説明。30日にオリター(クラスに入ってお世話をする上回生)の集まりがあり私は親睦会の指導をするために出るべきなのだが、東京で辞令をもらわないとダメなのだ。

親睦会の出し物のアイデアを考えていたりしていると、日が暮れてしまった。どれかに行こうと迷っていた次の三つはどちらも欠席した。
つまり:トリイホール、楽音live「沙弥音」。ピッコロシアター、昴・美醜(韓国)共同製作公演「火計り〜四百年の肖像〜」。そして、いずみホール、松下電器産業「癒しの芸術フィーリング・アーツ」(北村義博、林絹代、関西フィル)。

3/28(水)

朝、何気なく手帳を見て驚く。8:40から滋賀県庁にて國松知事から辞令をもらうことをすっかり忘れていた。あわてて駅前でタクシーを呼ぶ。はーはー。県庁の階段にあるシンプルなステンドグラスの窓が開けられ、もうすぐ桜が開く。知事室の隣の会議室は歴代の知事の写真が並び明治時代へタイムスリップした気分。

県庁のあと滋賀県市町村振興協会へ寄って、大津市役所へ。中に入ったのは初めて。納税課長から公園緑地課長へ移る中野さんに挨拶。彼とは名古屋出張で骨を折ったときも飲んだ仲。公園づくりにおいて、市民ワークショップを取り入れる話とか興味のある仕事に関わるようだ(た・の・し・み)。

転職のあいさつ廻りをしていて、ふと滋賀会館シネマホールが「独立少年合唱団」を今週は上映していることを知る。5年前、「ショーシャンクの空に」をここで観て、「いつか!」主人公と同じようにこの檻を脱出しようと思ったことを想い出す。こつこつ日記を書き、チラシを壁に貼りながら私もまあ、やってきたわけだ。

でも、この県立映画館も近頃は滋賀県内に映画館(シネコン)がどんどんできて、お役目は終わったと思われつつある。今日も7人だったしなあ。でも、絶対にシネコンではやっていない映画をやっているので、琵琶湖線沿線の人はラインアップを一度はみて欲しいと思う。4月では、「ペパーミント・キャンディー」「美術館の隣の動物園」と韓国映画が続くし、5月には、イランのモフセン・マフマルバフ監督の4作品が上映される。

さて、129分があっという間だった『独立少年合唱団』。40歳になる監督、緒方明の初作品。シアトリカル應典院でやっていたので観たいと思いつつ、やっと去っていく大津の最後に観る。プロデューサは仙頭武則(彼の活動は、京都橘女子大学のリボンゼミで研究してみる価値がありそうだ)、原作・脚本:青木研次。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記206」をどうぞ)

3/29(木)

JIAMの送別会。『独立少年合唱団』をPR、司書の鈴木さんは見逃していたらしいので、一人、滋賀会館のお客さんを作ったかも知れない。
仕事場の片づけも終わり、宿舎のチェックも何とか大丈夫。

静岡県立大学助教授の八木公生(やつききみお)。彼の講談社現代新書(2冊とも2001.1発行)はしっかりした解釈と論証、引用の明記、そして索引もあって読み応えあり。内容も実に考えさせられる。

『天皇と日本の近代(上)〜憲法と現人神』。「写真に写った天皇」の項で、〈見える〉天皇になる前の女装の天皇という話が実に刺激的だった。つまり、明治天皇は「幼童天皇」期をすごして元服した後、明治6年3月までは、「お歯黒と薄化粧・描き眉という女性的な扮装ですごした」事実からこの本は始まる。

この「見えない」天皇から「見える」天皇へ(=御真影!→儀式の問題)。そして「御覧になる」天皇へ。
原点としての「見えない天皇」は「祭祀者」(祀る神)としての天皇であって、明治憲法の側面である立憲君主制の表面にぴたりと張り付いたもう一つの君主像なのである。

祀られる神は「空」であり、祀る方が日本教においては重要になる。つまり、神命/神秘の「通路」としての神である「現人神」としての天皇。さらに、「知る」神から「知らす」=治らす(しらす)神へ。すなわち、「はつくにしらすみこと」である神武天皇の登場。

上巻の中心人物の一人は、明治天皇の側近中の側近(侍講)であった元田永孚(もとだながざね)という儒教学者である。彼と天皇との擬似的父子関係や森有礼の暗殺、軍人勅語などが触れられる。そして「万世一系ノ天皇」へと接近するのがあらすじである。

そして『天皇と日本の近代(下)〜「教育勅語」の思想』。ここでは、もっぱら井上毅(こわし)という「教育勅語」の実質的な執筆者の思想が本格的に記述されている(かなりの人物だったということだ)。

漢文の知識や厳密な解釈学に基づいた著者の記述は、最近の新書には見られない重厚なものがあって、ページをなかなかすすめられずに前にもどったりしながら読んだ。井上毅の思想が教育勅語の完成時にどう修正され、その後の公布から以降どんどんと国家主義教育のバイブルとして利用されていたかを考えるためにも、教育勅語の出来る前での改変を実証する彼の作業は貴重だ。

彼の最後の文章を引用しておこう(以下の結語の前提には、明治以来戦後の憲法にいたるまで、キリスト教的とりわけプロテスタント的な「宗教」と、天皇の「祭祀」行為とを混同してきた=西洋近代化に影響され疑似「宗教化」してきた「あやまち」についての指摘がある):

《「日本国」が、いかなる国家のありようを有しているか、有すべきかは、天皇の祭祀行為を、憲法の条文として、いかに規定するか、あるいは逆に規定しないかにかかっているといってもいいだろう。それは、天皇を「日本国民統合の象徴」と規定した憲法第一条の、さらにその前提として、天皇の祭祀行為を「日本国」とのかかわりで、いかに規定するか否かの条文、いわば憲法「第零条」をどのように表現するかという一点に、現在のわたしたちの課題があることを意味している。》


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