こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.3



19)3/5〜3/8

3/5(月)

愛知文化情報センターの藤井明子さんが来る。新潟市のりゅーとぴあ、金沢市のネシャット展などを回ってきたという。外を眺める機会をやっと作って、少しリフレッシュした、と。
同じような悩みや苦しみを持ちつつ、それでも音楽(アーツ)の力を信じている人たちに会うのが一番の滋養になるんだなあ。

予算の止めどない減少はじめ、どこもみんな苦しく。日本のどたばた政治劇と同じぐらい心あるスタッフにとっては空しいもの。でも、諦めれば、同じ泥沼に入る。いや、入っていても、心の眼を開き、魂の耳を澄ましていれば、水脈は地下で通じているはずだ(一般論として、硬直する組織、定期移動を繰り返す上層部、仕事をしてもしなくても一緒の評価システムなどについても雑談)。

彼女の尊敬する先輩、中川真さん(実はちゃんとお話ししたことが私はない)が、京都市芸から大阪府立大学へ移るらしい。藤井さんは大学2年生の時に地元の田植え歌?と衣装、踊りのフィールドワーク(撮影)を中川さんらとやってから、この道に進んだという。

トヨタアートマネジメント講座(音楽編プラスアルファ)が愛知で冬に行われるそうで、直接関係があるかどうか分からないけど、私が知りたいことについて話す。たとえば、携帯端末と音楽配信の動き(著作権)、街歩きと音環境、地下鉄構内などのライブ、消防法とコンサート(公演)・・。
さらに、なかなかまとまって教授されていないテーマである芸術と法律(地方自治法、公務員規則)、芸術と契約(就労規則や著作権も含む)、税制と芸術活動などが勉強できれば嬉しい、と。

山納洋さんにこの前の哲学カフェの紹介が朝日新聞(夕刊、2/1)に載っていたことを教えてもらっていたこともあって、この講座をいくつものカフェにしたらどうかと思いつきで提案する。カフェのテーマも募集したり、自分たちで考えて参加するというのもいいなあ。私なら、ストリートミュージシャンルーム、teen ageアーツカフェ、喫茶「芸術消防」、日記作家倶楽部、「芸術家と税」相談室・・。

DANCE BOX vol.60、DANCE CIRCUS 15(初日。今回は3日間、15組)、20:02〜21:07。このあとの挨拶でも、松本芽紅見と前田紀和(二人とも、ぐいぐい化けつつある身体を持っているから、眼が離せない)が切れるような身体の描線を見せてくれた。

トリイホールは18時の回も20時の回も満員(階上からも眺めている人が出た)。これは2番目と5番目に登場した人たちの仲間たちの力のようである。初めてトリイホールに来た人たちが多い。このなかから数人でも、松本芽紅見や前田紀和のような観客の存在を前提としたダンスアーツに目覚める観客が生まれるととても嬉しいことだと思いつつ、帰った。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記202」を)

帰り、初めてアサヒビールが出した赤い発泡酒(本生)を飲む(キオスクでは160円)。発泡酒の中では、マグナムドライが最初の口当たりのもちゃっと感が一番少ないと思っていたが、これもよく研究されている飲み物。ビール類似をやめようとする方向性か。

3/6(火)

『上方芸能』140号の原稿を書く。テーマは「関西でひとり芸を楽しむ」(浪曲・講談・落語・漫談などの寄席芸を除く、ひとり芝居様のもの)という注文。自分は、典型的なものには最近縁がないので、「身体によって語ること、互いに聴きあうワークショップのこと」と題して、若井博人のソロダンスと、『本を読む』ワークショップについて書いた。

トリイホールにいく前に、ソフマップでさきなどが欲しがっているiMACなどを観る(帰ってパソコン一覧を見せると、マックの模様つきは嫌だけどデザインは一番。ただ学校とか考えるとwindowsかな、いいのがないけどデザインはやっぱりソニーがまし・・っていうこと)。CD-R/RWとかいうのがついていると、はなの歌をCDにできるのかしら?

DANCE CIRCUS 15(二日目)。トリイホールは昨日のような混雑はなくほどほど。ダントツに東京から来たakoという人がよかった。20:04〜21:09。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記202」を)

待っている間、ジャーナリストの高松さん(デジカメでダンス撮影をする係)と関西の文化行政について雑談。きっとその頃からうるさいなあ、と隣に座っていた女性に思われていたのかも知れない。
暗闇でライトペンの明かりをカチカチ無造作につけて書いていると(いつもは、周りに気使ってノートで見えないようにかいているのに)、眩しいからやめてください!と注意される。これはしくじった。しかし、ダンス中に声を出して言うのは勇気のある人だと思った。

3/7(水)

大津駅を降りて、滋賀県大津合同庁舎へ行く。初めての場所。「文化の見えるまちづくりネットワーク」の東野さんに、湖北の余呉町にきてくださいと言われる。滋賀県民だったのにどこも知らないままに5年以上を過ごしてしまった。

今日は彼女が発表する提案にコメントするゲストとして参加した。碧水ホールの中村館長など知り合いもいて少し気恥ずかしい。25名ほどの参加。ロの字型に座るので、熱心なホール担当者たちの顔がよく見える。

このミニサロン「市民が支える文化ホール」の概要は、私に来た依頼文で(以下に抜粋)分かるだろう。

《さて、(財)滋賀総合研究所では、今年度滋賀県からの委託事業として、県政におけるさまざまな課題について、県民とともに研究し提案することを目的とした「みんなで考える政策広場」の事業を実施しております。その一環として、文化の見えるまちづくりネットワークと共同で、「文化振興の拠点となりうる文化ホールのあり方について」をテーマに調査研究を進めてまいりました。・・》

提案の骨子はそれぞれ深く長期的な困難を伴う項目ばかり。芸術文化のアウトリーチ、評論誌の充実、アーティストと市民が出会う場としての機能、アートマネージャーの育成機能、異分野のアーティストが交流する場としての機能などなど。私は、特にカフェの可能性を具体的に話す。インターネットについてはまだその効果に消極的な人たちが多いように思った。

ホール職員の人材育成(アートマネージメントできる職員)という項目では「職員の研修等を充実するとともに、外部から2〜3年契約で、アートマネージメントできる人材を募集することも考えられる」というコメントがついていて、思い切ったものになっている。

京都芸術センターの3年契約のスタッフの存在6人が注目されている。
そんな人材はどこにいるの?という中村さんの突っ込みもあったが、その人材養成の片棒(大学でも学会でも)を担ぐ私としては、嬉しくもあり身の締まる思いでもあった。

また、福井市文化会館が、公共施設等管理公社が施設管理をするが、事業運営は「福祉芸術フォーラム」というNPO法人化を進める団体に1800万円で任せているやりかたが注目される動きだという報告。住民企画事業を行ってきた中町ベルディホールなどとともに研究すべきホールだ。

県内では、甲南町情報交流センター(担当は山崎さん)がオープンし、800万円の予算を住人に任せて使ってもらったという。三上寛ライブが出来たのは画期的だったようだ。
安土町の文芸セミナリョでは、直営をやめてプロモーターに丸投げをすることを検討しているという。これについては、賛否が分かれた。NPO法人的なところに任せる福井市も、実は完全に任せる点では同じではある。何かしらウォチングする手だて(自由に書き込まれるレビューメディアや認知/関心調査など)がいるように思える。

京都芸術センターの練習室などを多く開いての『チャンネル・n 〜多層世界への水路』の始まりに出かけた。校庭にも、チラシに開いていた円形が投射されている。いろいろな通路、水路、運河。ラジオを借りることができて、自分でチューニングする(さまざまなミニFM局があったようだ)。

さまざまな、チャンネルがある。真っ暗な場所。傾斜廊下が浮遊するインスタレーション。ピアノ室の音の版画、巨大な「の」の字習字機械。生物標本・模型(京都科学)。それに、京都工芸繊維大学のホログラムは動きがあって、単純に感嘆する。アマンダ・ヘンの母親との写真などなど。

水木しげるの原画に引きつけられると、漫画棚の前で佇むことになるし、ソバットシアター(代表中田秀人、いま出ている大阪市のc/pで今日も会った山下里加さんが紹介している)「オートマミー」のストップアニメーション(チェコが本場ね)を観ると、横にあるパペットとミニ台所などのセットががぜん息づいて見える。
自働機械「オートマミー」に育てられ(哺乳シーンが怖ろしい)、母親(父親はもっと存在感がない)に見捨てられて、地下でモヤシになる。その直前に見せる彼の素顔のフラッシュは、強烈だ。

一番の私のお気に入りは、「豆」のミュージアム《マメの世界:「バースト・ビーンズ」》。世界中の豆の色と形と手触り、転がり方。太田三郎の切手を思い出す。琵琶湖博物館(布谷知夫)とボランティア(150人以上いるという。コーディネートするのは塩田京子さんたち)らによって展示されたようだ。

人形(ヌイグルミ)もこんな形で展示されると、微笑んでばかりいられない迫力がある。河野咲子(河田博子が展示協力)の作品。いま美術の楽しさを伝えるのに、ヌイグルミと展示の工夫という観点は大切なものだと思う。奈良義智が募集している横浜美術館での個展のためのヌイグルミにも思いが及んだりする。

帰りに、実に良心的で遊び心のあるパン屋さんを知った。「ハーベルベーカリーアドニム」(075/213/1208)。
漬物パン(買ったのは、すぐき、山ごぼうのパン、あとしば漬、京壬生菜、ごぶ漬など)という名前がまず好奇心を引きつけさせられたが、ハーブを多彩に使い、しかも無添加、卵や牛乳を使っていないパンも多い。通信販売は冷凍して送るという。添加物の入ったパンは冷凍したから解凍するとまずくなるがここはそうではないとのこと。帰ってジャコ入りパンを食べて、さきが味噌汁の合うパンに初めて会ったと喜んでいた。

3/8(木)

朝早くメールを開けると「上方芸能」から、ダンスは「語り芸」に入らないから書き直して欲しいということ。あちゃ。・・少しあたふたした後、土方巽の語りテープのことを書こうと思い直し、恥ずかしながら書き直した。題名は《聴衆のいない「語り」、互いに聴きあう「語り」》とする。
ボツになった「身体によって語ること、互いに聴きあうワークショップのこと」の初めの部分をここで救済しておく(書き直したものは雑誌でごらんいただければ嬉しいです)。

《テーマをいただいてとても困った。「ひとり語り芸」と言われる「ひとり芝居様のもの」に最近とんとご無沙汰しているからだ。故マルセ太郎を観て以来だろうか。
 そこで拡大解釈することにした。まず、言葉ではなく身体で語るソロダンスについて。いま、東京などでも公演を行っている山下残はダンステクニックという形式を外れて身体で静かに「語って」きた。最近は双方向的コミュニケーションへと進んでいる山下だが、彼と同じく岩下徹のワークショップから出た若井博人のソロは、観客数を気にせず、痛々しいほどに等身大の身体でしか語れない芸を希求している。
 場所はウィングス京都の小さな音楽室。そこでは若井の身体が床にぶつかる音や衣服と身体の間にある空気を叩く音が、言葉にはとうてい置き換えられない真情を伝える。
私がここ3年に観た(聴いた)公演は、「大切なコトを忘れないうちに」、「何処かからの音」、「ただ、ひとつの、こと」、そして今年の「上を向いて歩こう」+「掌の中のささやき」である。・・・・》 

橋本敏子さん(D2000プロジェクト事務局長)のお母さまが92歳で永眠された。数年前、京都観世会館でお能を観られていた姿を拝見したが、その時はしっかりされていた。
仕事が入って橋本さんのお母さまのお通夜に出れないので、暇な時を見つけてこそっと橋本さんの顔を見に行った。雪が降り出してきた。初めて行った芳江がそのお家の立派さ(鳥居をくぐって入る格好になっているし)に感心していた。

文春新書『新聞新聞があぶない』2000.12。著者は本郷美則。朝日新聞社出身。インターネットに詳しいのは、退職後アトソン(朝日ネット)専務取締役の経験もあるから。いつもマスコミに作られたアーティスト像なり、有名人志向を問題にしている私ではあるが、これを読むと、きちっとしたマスメディア、つまり営業ばかりになるモラルなき新聞ジャーナリズムへの警鐘もまた必要だと痛感する。

《野球だ、サッカーだ、オリンピックだと、大衆のスポーツへの関心を意図してあおり立て、センセーショナルなニュースを創ってはポスターまがいの大仰な紙面を繰り出し、部数を拡張して広告増収へ誘導する。その道が、大衆を映像に向かわせ、活字離れと思考停止、そして新聞離れという墓穴につながっていることに、経営者は気付いていないのだろうか。・・》

《企業の側も、広告を大量に出していれば、いろいろと手心を加えてもらえることを、体験的に知っている。・・読者は、新聞社が「編集権」で濾過した上で送ってくる情報に対して、購読料を払っている。広告にカネを払ってはいない。・・》

インターネットにおいても、人びとが頼りになる情報を求めるようになってきたことは、大切な指摘だろう。マスコミのジャーナリストとしての総合的な責任と、電脳網のなかでの無数のニューロンの結節点としての役割とは自ずからその柔軟性に違いはあるだろうけど、「編集」能力やその魅力度によってサイトが選別されてくることには違いがないだろう。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る