こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.5
5/28(月)
出かける前に、P.A.N. PRESS vol.34の原稿を書いている。今度は「アーツ日記」という副題にしようとホームページ上にアップさせているアーティスト日記を確かめる。
「踊りまわり」というタイトルではあるが、ダンス関係者だけでは日記に膨らみがないので、奈良美智や長谷川孝治までひっぱってきてしまった。昔の人の代表は芭蕉。もちろん、自分のPRが目的の一つであることを隠すつもりではないが、日記という形態の面白さやプロセス重視の考え方、アウトリーチとのつながりなどにも触れようと思うと、すぐに分量がオーバーしていまった。
大学へ行って明日の授業の準備。やっと元気になったJAM West事務局の松本さんから電話。31日の件など。さきの話をしたらびっくりしていた。
たまたま、大学へ行く地下鉄のなかで学生に会った。石川に帰り彼女の出身高校(吹奏楽部の演奏会か何かがあった)に行ったら「文化政策学部」って何を習っているの? と聞かれて困ったとイラストのうまいその学生が話しかけてくる。
彼女はとっさに「舞台芸術」って説明したと。確かに、大学PRのポスターで、このホールを満員にする仕事がありますというのがあって、彼女はそれに惹かれてうちの大学を選んだのだ。
そうだね。舞台芸術みたいな「文化」の環境をよくする仕組みを学習していますっていうともっといいかも知れないね。「文化」とはと聞かれたら、うーん!とりあえず「一人ひとりの自由な心から生まれる営み(活動)」って答えておいたらいいかな。
京都みなみ会館。DEEP SEIJUN。蘇る伝説。清順美学の頂点“浪漫三部作”完全ニュープリント一挙上映!!。製作は3作とも荒戸源二郎。
映画監督鈴木清順。1923年5月24日東京都生まれ。78歳か。旧弘前高等学校卒業。
彼は津軽の人、という印象が自分の頭の中では強烈にあって、きっと寺山修司作品みたいな映画だろうから、そんなじめじめした(いまになっては実験性よりも情緒の方が目立ってしまう)ものは苦手だなあとことごとく敬遠していた。「ツィゴイネルワイゼン」すら映画館では観ていないし、ひょっとしたら最後まで観たことがないどころか、予告編しか観ていなかったかも知れない(それを確かめることが今回の主要な目的であったのだが)。
“三度お会いして、四度目の逢瀬は恋になります”『陽炎座』1981年、139分。いやあ眠くなったり退屈すると思ったのに、全然正気に返っていくから不思議不思議。
初めは、最近の寝不足で瞬時に寝ることがあって、すると場面がぽんと飛んでいる。これは自分が瞬眠をしたからだろうな、と思っていると、実は目を開けていてもぽんと飛んでしまうのだ。
リアリズムなんて関係ないよとぽんと飛ぶのだが、でも飛んだ先はきちんとそれでいいよねと納得できるから、眠くならない。
麿赤児がどこに出ているのだろうと思っていたら、髪の毛がある麿赤児だった。佐藤B作も若い。
博多人形の裏側に細工があって、男根とか、男女の交わり、女陰などを見せ合って楽しむ会合に原田芳雄が演じる革命家が加わっている。こんな秘密の集まりが本当にあったのだろうか、風俗研究史家が調べているのだろうな、きっと。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記225」で)
3時間(昼休みが挟まるが)、講義をしているとへろへろになる。でも、初めの90分の最後の方が一番くたびれた。日本の国の一般予算、そして文部科学省の予算、そして文化庁の予算。これを俯瞰からクローズアップするように説明するのだが、面白く話すのはなかなかに難しく、やっぱり学生の反応は「難しい」という一言になる。
ただ、中間レポートにチラシを10枚ピックアップして、分類表を作るという課題にしたら、文化政策研究センターのチラシ入れからかなりチラシが抜き取られたし、最後の試験は公立文化施設へ訪問しておかないと出来ないものだと言っておいたから、少しは外に出る学生が増えるだろう。
まあ、大学の講義を活用して、芸術のアウトリーチ活動をしているようなものだ。外務省と国際交流基金の文化交流予算を話しながら、大きな額だなあと思っている。実にその果実分(9億円)が少なくなった日本芸術文化振興基金のなかに、生活文化とかアマチュア地域会館活性化とか町並みなどの「非芸術」を入れることが特にばかばかしいなあと説明はしなかったが、心の中でいやになる。
今日も京都みなみ会館で鈴木清順を楽しむ。『ツィゴイネルワイゼン』1980年、144分。思った通り、『陽炎座』に比べてかなり地味だ。原作は内田百けん(門+月)。
陽炎座の松田優作に対応するのは映画監督でもある藤田敏八(青地という独逸語教授)。友人を演じる原田芳雄(元教授、中砂という豪放な男役、原田のキャラそのまま)とは対照的に自分から積極的に女に近づくようなタイプではない。
樹木希林(悠木千帆と昔は確か言っていた名脇役〜お手伝いさん〜。このときはすでに昔の名前をオークションで売っていたんだな)が、ウナギを捕まえて、その生肝を病気の亭主に口移しで食べさせているという冒頭のお話があって、中砂の妻がむしり続ける蒟蒻(こんにゃく)と比較してみるのも面白い。
サラサーテのレコードに入り込んだ声とか、ラストの舟の少女とかはいまいちぴんと来なかった。中砂の家へ行く切り通しの道が心に残る。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記225」で)
シアターXの上田美佐子さんとはこの映画館の前で落ち合うこととなった。ちょうど京都造形芸術大学の春秋座のお披露目の帰り。歌舞伎に便利に作られた舞台がこれからどう使われていくんでしょうね、と話し合う。
一緒に東京から来た株式会社アフタークラウディカンパニー(ACC)代表取締役の西田敬一さんとも懇談。
東寺駅のそばの無国籍料理「しま」にて。すごく目立たない店なのに、めざとく見つけた西田さん。彼は群馬県勢多郡東村座間の閉校などを活用し、NPO法人国際サーカス村協会の村長さんとして日本に本格的なサーカスクラウンを養成しようとしている人でもある。
地元の人の説得ってむずかしいですね、という話をしていたが、サーカスという技術はあいまいなダンス芸術とかとは違って圧倒的に卓越しているかしていないかは目に見えるから、そこは少し希望が持ちやすいのではないかなとも思う。
そんなこともあって、上田さんのお話しをもっと聞かねばならなかったが、中国の演出家の話とかロシアの演劇学校で学んできた日本人の若き演出家の話とか(それ自身チェーホフ的な話だなと思う)、いろいろ大変だけれど本質的に深いところからの企画なので教えられることが多かった。
今日は京都橘女子大学デイ。ゼミもいつも通り。ただ、話す人に聞く人という試みも先週よりは成り立ちそうに思えて嬉しい。聞いてインタビューをするというこのあり方はみんなはずかしがったりいやがったりしているが当分続けよう。
アートセラピーのことを話す学生がいたので、ちょっとミニレクチャーをする。庭園を観察したり、路傍にある詩の立て札に感動したり、彼女たちの話を聞くのはいつもながら面白い。
午後から文化政策学での授業の問題点などを教員同士で話し合う。大教室でうるさいときにどうしたらいいかとか、みんな悩みを話す。しゃべっている学生に注意しないと、せっかくまじめに聞いている学生からクレームがつくから、きちんと注意しないといけない・・・などなど。基礎ゼミのあり方は確かに継続してすりあわせをすることも大切だが、ゼミごとの個性は大切にしてもらいたいとも思う。
英語の必要性については、たとえばアーツマネージャーを志すには当たり前の要件であるということを、就職直前ではなく2年生で必修ではなくなるときから伝える必要があることを確認する。
高校への大学説明会へ行く話や文化政策研究センターで行うコンクールの打ち合わせなど、大学事務のミーティングが続く。
午前中は、大学コンソーシアム京都へ。今日と来週は、大谷大学名誉教授の岩田宗一さん。仏教における音楽の役割。できるだけ平易にお話ししてくださいと事前に伝えていたこともあって、丁寧に板書して教えていただく。
仏陀の死後500年ほどして、(バラモン教の影響を除外するため)いままで禁止していた音楽を、はじめて最高の供え物と考える「北伝仏教」(昔は「大乗仏教」と称したがいまではその表現は不適切となっている)が生まれる。それまでのいきさつは、原始キリスト教における音楽の禁止と類似していることなど実に興味深い話が続いた。
ただ、声明(雅楽)にも五線譜とは実は違うが音階がある(呂音階と律音階など)という件などになると、それをつっこんで知りたい受講生と詳しくなると難しくなる学生はあったのは事実だ。
それでも、テープがうまく作動しなかったというトラブルのために、先生に、天台宗大原流声明「散華」とグレゴリアンチャント「キリエ」を歌って(声明の場合は「唱えて」)いただいたのは、ライブならではの醍醐味だった(岩田さんはもともと京都市芸の声楽科から出発され、研究者へと移られたのだった)。
このコーディネート科目のために最初テキストとして私が配ったもののなかに、ドキュメント2000の中間報告書のなかの用語解説がある。
そこで、「アウトサイダー・アート」の解説に資生堂の樋口さんが次のように書いていた。
《精神障害者や社会的落伍者など、社会から疎外された世界(アウトサイド)に生きる人が制作した美術作品。このような人々は正規の美術教育を受けておらず、全く自己の内的欲求に突き動かされて制作しているため、作品は一種異様な、神経症的迫力を持つ。アウトサイダーアートの概念は、1945年頃、画家のジャン・デュビュッフェにより確立された。》
このなかの特に「社会的落伍者」という言葉について、これからレクチャーしてもらう予定(7/12)の中西恵子さんから、不用意である(不適切でないか)というクレームのファックスが届く。
確かに、さまざまな障害を持つ作者を主な主人公とする「エイブルアート」とほぼ同じ内容であると一般には思われがちなこの用語だから、具体的に「社会的落伍者」とは誰か、どんな価値判断があるのか、少し考え直さなければならないなと思う(いままで気にならなかった私にももちろん大きな責任がある)。
「社会的落伍者」ということばからは、イメージ的には野宿者、スラムの生活保護者などが例にあげられるのだろうか。アル中やドラッグ中毒者とかも入りそうだ。
ただ、「正規の美術教育を受けて」いない(これ自体もそのフレームが揺れているという事情もあるのだがそれはとりあえずおいておいて)という点では、障害のある作家のみならず、日曜美術家(ナイーブ派、アマチュア画家)や、いまのストリートアーティスト、児童画なども含められる恐れもある。
だから、それらを示すため(精神障害者とともに)「社会的落伍者」という価値判断を伴う言葉で例示するのはちょっと誤解が生むこともあることに気づけばよかった。では「社会のマージナルに存在すると通念的にはみなされている人」という言葉に代えるといいのだろうか。あるいは、意図的に社会の外側にいる人は社会的落伍者ではないので、「非選択的アウトサイダー」と限定して解説するといいのかも知れない。
美術教育を正規に受けていない人を単にアウトサイダーと言うと日本の現状では特にどうも混乱してしまう(美術をやっている人こそ社会のアウトサイダー=変人=落伍者みたいな感じもないことはない)のでそのあたりの整理も課題だ。
ただ、アウトサイドアートと呼ぶこと自体はアート中心主義(村田真さんからの解説メールあり)からの定義なので、福祉的な運動につながるエイブルアートとは方向が逆だから、エイブルアートの人には社会的落伍者ということばはクレームがつくけれど、アウトサイダーアートという観点から眺める人にとっては、問題はないのではないか、ということだった(それも美術ジャーナリストとしての立場としては納得しやすい解説で少しほっとする)。
《KOGURE
Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る