こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.11
11/2(金)
朝、NPO法人徳島の太陽と緑の会(杉浦良さんの所)でとても楽しかった体験をさせてもらったさきが「むつっ」としている。一つは私が忙しくて彼女の話を全然聞かないということ。そんなこともあり、大学に行くのをずらして朝色々と話をする。
はなに比べて私はさきには甘い、とはなや芳江に思われていると自分で思っている。
が、確かにはなに対するよりも安心しきってさきに対応していたことが問題だった。
彼女には実はかなりもろい揺れ動く感情があり、それを私は半分無意識に踏みにじっていることが多いんだろうと、最近になって薄々は気づいてきている。
彼女はとりあえずは文章も書けるしコミュニケーションも表面的には取れるために「出来ない」「分からない」と言い「ぐずぐずしている」と言われることが恥ずかしくて、すぐに大胆な行動をとってしまう、ということが話しながらお互い分かってきた。
このような大胆な行動は私ら自由を愛する者どもにとっては感心してしまう類の行動で、昔からさきは女房と私が喜んで家庭内のごたごたが解消するために「良い子」をやってきたらしいのだ。
これは芳江にさきが次の日にいったことだが、小さいときからいい成績でいようとしたのは、はなのアトピー問題で親同士がもめて争いが絶えなかったから、それを少しでも和ませるために、がんばっていたから、学校で成績が落ちることがずっと怖かったという。だから学校は怖い所だったし、自分では勉強なんて何の興味もないというのだ(これもいまになって自分の感情などを説明するものだろうが)。
さきが自分の私的自己意識(先週のコンソーシアム京都で日比野先生が受講生に配ったもの)を計ったら66点、ほとんど「7」だった。田中泯さんの舞踏のワークショップの影響もあるのだろうが、もともと彼女はそういう人だったのだろう(私とはえらい違いだ)。
彼女がいま悩んでいることの一つは、もう高校はこりごりということで(ルーズソックスの高校生を見ると身体が凍り付くのだそうだ)、無理に県立の農林高校に行くこともないなあ(そのために芳江が山梨県の住民になるという無理をして山梨県教育委員会に頼むところだったが)とみんなで話し合う。だって、彼女が杉浦良さんやその仲間から得た貴重なものは、高校で教えてもらえるものではないし、農業だって白州の農場で十分だ。
「旅人になる」というのが彼女の将来のなりたいものだと前から学校に書いていたが、もう彼女はミニ旅人になりつつある(また甘いと言われそうだが)わけで、芳江や私は家にいてくれなくて寂しい。が、彼女には犬や猫、ロバがいる農村の生活しか出来ないということも分かる(地下鉄恐怖症は幼いときからすごかった)。
だから、東北や北海道(徳島で帯広の1年間ボランティアと朝まで話したという)に滞在する生活をすればいいのだろうと(オリザさんみたいにかっこよくないけれど)思う。イランやモロッコにも行けるしね。今まで見ることもなかった立命館宇治高校に入学した時の写真を見たさきが、私ってショートが似合うしかわいいなあ、と言うから少し彼女にとっての高校問題は乗り越えられたのかも知れない(と、この日は思ったが、実際は揺れている。風邪と同じで治らないなあと思っていていつの間にか治っているんじゃないかとはなを見て思うのだが)。
私的な話を続けて恐縮だけれど、はなの方は京都精華大学の木野祭でギターを弾いてくれる男性とともに小さなカフェで歌ったという。芳江がそれを見て、昔自由の森学園の学園祭に地べたで歌っていた時に比べて成長したなと感慨深かったという。当たり前だよ、それは。
ほんとに不思議なものだ。中学校になかなか行けなかったはなが大学に行って(さらに東山青少年活動センターで砂連尾理さんらにダンスまで習っている)、小学校から日能研に通っていた(これも小学校だけだと息が詰まって死にそうだったからではあるが)さきがいま高校に再度行くのをやめようとしている(田中泯さんらの舞踏だって身体は柔らかくなって嬉しいけれど、それが自分で納得するものなのかどうかよく分からないらしいし)。
慌てて大学へ。昨日はコンテストの高校生作文を読んだ。お勉強のできる女子高校が課題として大量に提出してきたものは、いかにも優等生の文章でパタンが同じで面白くなかったけれど、それ以外は本音も書いてあって楽しかった。特に家政科の生徒が身近な衣食住文化に言及するある県立高校の集団作文は、くだんの女子高校に比べて格段に個性を殺されていなかった。
今日は一般の部の作文を読む(どちらも80通前後来ていてそういう面では、イラストほどではないが数的には成功だったと言える)。これは自分の町の行政施策を個条書きしたものやちょっとした感想文などでかなり高校生に比べると新鮮度が落ちる。時にちょっと自分の言葉で書かれたものが散見されるが、コンテストに応募して作文の練習をしようという生涯学習の場になってしまっていた。もともと一般の部はやめようと、前回を知っている金武さんと考えていたことが実証されたように思える。もし、改良の余地があるとすれば(高校生もイラストだけで十分面白いとは思うが)、大学生や大学院生など研究への道を歩む人たちを中心とした、今回よりは分量を多くして小論文を募集することは可能かも知れない。
23日14時からの100%ORANGEトークカフェ(京都橘女子大学清風館 room9502)のチラシを西本=坂下=福田組が作り直してくる。タイトルは「100%ORANGE(BOY+GIRL)と過ごす休日」か。かなかないいぞ!。15時10分からは、より緊密な感じの「カフェみたいな団らん」(これは谷川さんに受けていた。特に「みたいな」に)。つまり、サイン会に展示(それにできればグッズ販売も)。大勢になったらどうしよう。一応16時頃終了予定だが、ちょっと伸びるかも。
昨日から、多和田葉子書き下ろし作品「サンチョ・パンサ」を、劇団らせん館(地域創造時代からアプローチがあった所だが未見)が、関西ドイツ文化センター京都で行っている。見たいのだが、明日、明後日とつぶれている。
それに、やっと第3回目で観ることができる《こりお》に行かなくちゃいけないのだ。
東山青少年活動センターへ。西田さんが帰る途中だった。
チラシが見あたらないと思ったらハガキ大のものだったようで、どこかにまぎれてしまったから、あとで清水俊洋君にもらおう。
当日に配られた丸い星座表みたいな円盤状のパンフレット、凝っているなあと見ている。そうそう清水君が作ったものだった。
この宣伝美術だけでも色々な発見がある。言葉の見え隠れ、月が隠し現すものとは。三日月と月食。
「石を拾いに行こう。」・・あなたは答えます。「ロケットで。月に。」
こりお第三回公演『石を拾う』(京都芸術センター制作支援事業)19:05〜20:20。作・演出の荻野晴生が前説で1時間15分ですと伝えていたが、まるできっちり。精密に作られていることがそれだけでも分かる。
初めは石を持った女が不条理に撃たれたりして、夏目組的な世界なのかなあと思った。でも、もっと台詞には具体性がある。それがどこまで現実なのか、想像なのか、映画のシナリオなのかは分からないが。
稲垣足穂の宇宙世界についてを、次に思う。金平糖のようなコスモスがその青緑の石の丸さにはある。
そこから無限に広がる静かな、でも心の中は狂おしく騒がしい地平。透明なメルヘン。色々観た後にこりお宇宙について考えた。ふと、北村想を初めて観たときに感じたことを思い出した。北村想塾にいたというのは偶然ではない。
「石を拾う」という言葉や動作、それがぽつんと何もない場所にあることから、紡ぎ出される想像力、連想のものがたり。夢のかけら、見たくても見れなかったもの、聞きたくて聞きそびれたお話。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記282」をみてね)
「こりお」についてをばたばた朝に書いて、さあ高松へ。大森さんが旅費出しますなんて嬉しいことをいってもらったのでバスで行くのをやめて新幹線で行く。やっぱり楽チンだ。激しい雨。12時過ぎに高松駅についたので、最近出来た駅前のホテルのビジネスルーム(20分間200円)を借りて、17日のシンポについて松本さんにちょっとメール(OBP アーツプロジェクトの第2段、成安造形大学に入って大変そうだけど、気持ちはゆったりとね)。それにゼミ生に明日のことを確認同時メール。
タクシーに乗って、あかつきホールを探す。分からなかったがすぐそばでもう少し行けば「劇団マグダレーナ」の幟が見えたのだった。入り口は古風な門。でも中は鉄筋コンクリート4〜5階建てのお家。あかつき水産とかの社長さんが人形館かなになのために作った建物で、その3階を去年ぐらいから劇場として使わせてもらっているという。
下駄箱がありスリッパで3階へ。100人入ると窮屈だろうが、今回のように80名弱だとちょうどいい満員感がある。私は気づかなかったが、大森誠一さんが室内の壁が白いのは残念ですねと大塚和明さん(劇団マグダレーナ主宰、作・演出をするときは大西恵という)に終わって話している。
初めは客席に段々はなかったそうだ。これでは見にくいということでさっそく客席に段々を作ってもらったという。感じは、心斎橋のウィングフィールドを横とか天井とかを広くした感じ。舞台の使い勝手はもちろん劇場ではないのでバックステージがほとんどない。子どもを登場させなくてよかった(ずっとおトイレをがまんさせないといけないので)と、中越恵美さん。
一番感心したことは、客層の多様さだ。若い人たちもいれば年輩の人もいる。男女比だって4対6ぐらいで、50歳(〜60歳)代の女性グループが目に付くが年輩の男性もいる。年輩の役者さんがいてその知り合いだったりするのだろうが、市民参加劇のような空々しさはなく、ちゃんと役者として年輩の女性もとてもいい味を出しているのがすごい。
ある意味、高松はまだ演劇を細分化しないで楽しむいい時代を生きているのかも知れない。一番老舗の劇団ドラマ・サロンは、500席以上ある高松テレサを満席にしたというし、新劇と小劇場とが関西のように分かれていないで、未分化のままお芝居が地元にあるというのが、逆にうらやましいと大森さんなどは思っているようにみえた。
ただ、もちろんのんびりした四国でも演劇の新しい動き、多様性の波はかぶるだろう。その選択肢はもう少し多い方がいい。ただ、相互に相手を毛嫌いするのもどうかと思うわけね。余談みたいだけれど、いまの関西ではオリザ嫌いというのが単なる合い言葉になっているだけで、「90年代の演劇の新しい動きを吸収せずに80年代に退行している劇団が多い」と中西理さんなどは言っている。私も半分ぐらいはその意見に共感する。
高松でお芝居を見てやっぱり各地に出向いてお芝居をみてその演劇環境と地域を考えるのは、自らの現場のことも考えられるし、なかなかいいなあと思った高松行きだった。
さて、劇団マグダレーナ第31回公演『たそがれの瓦町交番』である。14:06〜16:03。作・演出はもちろん大西恵。彼は角の席でカメラのシャッターを切っていた。
一言で言うと、大西さんは時代を憂うかなり社会派のお芝居を書いてきた人だと思う。今回も最近のテロリズムまで取り入れ、セクハラやえん罪についての批判的な視線が盛りだくさん(権力者をシンプルに悪者にする点は図式的な感じもちょっとするが)で、昨夜見たお芝居とあまりに正反対なので、とても興味深い観劇体験だった。
盛りだくさん、というのは地域演劇ではよく起きることだと思う。今回は社会への批評の視点を失わずに、そのしんどさをカバーするためもあるのか、つか芝居的な活劇が入っている。その殴る蹴る、参考人をいたぶる、痴漢シーンを再現する、人質に取るなどの暴力満載でこれもまた盛りだくさんである。
それにキャッツみたいなメーキャップに新聞記事が刷り込まれたシャツやワンピース。それによく通る声がほとんど全編にあって、500席ぐらいのホールでも十分に楽しめる声量である。逆に言うとここではそれらはオーバーアクションになることがある。
初めのかなり無謀な3重唱の踊りがあって、えん罪を作っていくあたりは、このハイテンションも実に効果的なので、この後の何もない瓦町交番のシーンをより普段の声でするともっとよかったのではないかと思う。つまり、メリハリをつけることがまだ出来そうなのだ。メーキャップも落とすことも出来るといいのだろうが、最後はまた活劇になるのだから現実にはそれは難しいか。
リズムの変化ということでは、メーキャップと衣裳も登場人物間で少し分けて施してももいいようにも思った。途中のとても素敵なシーンである二人のおばあさんが交番でお弁当を食べるシーン。それに珍珍亭のおかみさんが出前の後少し油を売っているところ、女子高校生、道を尋ねる女、これらはキャッツの顔や新聞記事の衣裳ではない方がよかったのではないだろうか。
それにしても看板女優である中越恵美さんの圧倒的な演技力があり、それに引き続いて女優陣がとても強い演技をする(別のタイプの演技の味を出せる人が中越さん以外に出てくるともっと多様性が増えるのだろう)。男優陣もちょっと情けないような味を出し、少し無理のある展開もそこは演技力で見せていくのはなかなかに面白いものだ。
帰り、大森さんが市役所の馬場さんから教えられていた海岸にある北浜倉庫群を探す。ここは駅から10分ぐらい離れたところにあって(対岸にソープランド街あったりする)、しゃれた美容院やアジアテイストのインテリアショップやレストランが出来つつあり、岡山でもここを紹介する番組が流れるそうだ。
その大型木造倉庫は、レンガ倉庫とはまた違う別の味があり、変な喩えだが、瀬戸内海のジャコ味が入ったラーメンのような和風さがある(讃岐うどんの邦でこの比喩は岡山的過ぎるが)。農協の食糧倉庫だったところで、農協が外観を変えないならばと貸し出しているらしい。
その一つで、つじまさあきとかいう人のガラス板に白い絵の具をぶちまけるアクションペインティングの催しを少し眺めた。和太鼓を鳴らすなか没入しているような姿でその人が、その描いている様を、絵の具がつかないかとお客は心配しながらみるという趣向だ。
馬場さんがお友達を連れてやってくる。彼女は本当にこういうアーツシーンが好きだし楽しんでいる。お友達(の一人)は、高松市議会議員の森谷芳子さんという人で、馬場さんも仕事へと繋がる休日を楽しんで使っていく自由な公務員なのだあと感心した。二人とも日本アートマネジメント学会のことにとても興味を示してくれて、ひょとしたら入ってくれるかも知れない。
昨夜から肌寒くなったが、天気がいいのは気持ちがいい。
9時半過ぎ、ストーカーのようにデジカメさげて、3人の小柄な女性の後を、谷町9丁目から應典院へと向かう。今日の担当の魚谷、大橋、大森(橘こぐれゼミ)の三人の後をたまたま歩いているのだ。カップルがホテルから出てくる。渋谷の道玄坂の朝みたいな風景。
コモンズフェスタ2001(第10回大阪生涯学習フェスティバル協賛事業)の始まりだ。應典院の建物の壁にしばたゆりの大きな手のプリントがモノクロでかかっている。しばたゆり「私のモノ、私とモノ」(キュレーター:樋口よう子)の準備をしているみなさんは9時から作業を始めていた。
11時までにやってきた私のゼミ生たちが、應典院の内部の壁やガラス、扉に撮影した写真とキャプションを貼る作業を少し手伝う。インターンの辻さんやボランティアさんに教えられておっかなびっくりながら学習としてはいい体験をさせてもらっていると思う。
1階はしばたゆりさんが平野などで撮したこれまでの作品が中心だった(今回の撮影を含めて200以上を展示しているそうで、この数は期間中も撮影しているので増加していく)。キャプションがワープロで作られて英訳もある。モダンde平野のプロジェクトで大念仏寺の境内で撮してもらった「1歳前後の私の裸を撮した額縁写真」(私のてのひらにある大切なモノ)の写真タイトルは「僕 I」だった。
2階は今回の「私のモノ、私とモノ」で撮したものが展示されている。思ったより大きさが小さいので目がくらむような展示ではなく、一つ一つゆっくりと見れる感じがこのプロジェクトにふさわしい感じがした。ガラスの向こうのお墓も自然だ。うちのゼミ生も撮してもらっていたが、それをここでこうしてゆっくり見ていると奇妙な感じもする。
小さいモノを撮してもらっている場合、ほとんど目に飛び込むのは彼女たちの掌の存在感でそれがどきっとするのだ。こんな掌をしていたのか!とそのモノ自体よりも訴えるものがある。携帯電話はもちろん多いがキャプションの違いがあったりもする(前田のは、手と携帯だけが浮かび上がっていた)。ぬいぐるみや愛読書・・年齢や性別、感じ方の違いが提示されるモノでかなり見えてくる気がする。
今日もかなりのゼミ生が撮してもらっていた。好きな音楽アルバムや寄せ書きのうちわなどなど。撮影現場があり、展示の準備作業も目撃し、そして美術の展示はこう完成するのだという過程に遭遇できて、これらは今日のゼミの大きな課題だったわけだが、それは十分達成されたと思う。
また、うちのゼミ生15名(一人は翌日に届けた)の日記を1階のいい場所に展示させてもらったわけだが、子どもっぽいと思われても「等身大」にこだわって彼女たちに好きなような看板を作ってもらい、思い思いに日記を展示させていただいた。これも大橋=大森=魚谷のチームワークの所産。なかなか感想を書いてもらうことはいずれにせよ難しいと思うけれど、そういうことも10日になれば分かるだろ
う。
さて、13時からのオープニングは、秋田光彦さんと樋口よう子さん(美術のキュレーターとして)、高松平蔵さん(10日のダンス参観日のキュレーターとして)のアーツトークから始まった。余談だが平蔵さんの家族がみんな来ていて、ハンナちゃん、モモちゃん、ケンゾウ君(1ヶ月)はみんなの人気者だった。
そして続いて13:29〜45まで、お待ちかねのコモンズフェスタ2001オープニングイベントだ。うちのゼミ生はデカルコマリィさんて外国人と思っている。ほとんどのゼミ生はこのようなダンスを観るのは初めてだ(まあ、彼のダンスは舞踏とも違うし独自のスタイルをもった大道芸的まがまがしさをもったコンテンポラリーダンスなのだが)。
瓢箪オーケストラの奥田扇久さんが音を作る。長い瓢箪が床をする音もなかなかに気持ちよかったりする(共鳴するからだろう)。瓢箪の笛、そしてウクレレじゃなく、カオレレ。カオレレがつまびく前半はほんとにのどかで美しくて静かな世界が音環境として創られていて、マリィさんがとても美しく見えた。
顔半分の白さ(半分の黒さとの明暗)や白いドレスと中年男の年季がはいったずっくりした身体のアンバランスという外見を隠すことなく、「美しい動き」の瞬間が上田假奈代さんの言葉と言葉の隙間から覗かれる。
とはいえ、脚立というのか梯子というのか(これは大きな脚立なのだろうが)、に登って中空から優しく密やかに浮遊する詩人、上田假奈代の方に心はより強く引っ張られるのも確かだ。
このパフォーマンスのタイトルは「ハシゴのうえで。詩人とダンサーは出逢う。〜塔が目的の高みに到達すれば それは橋になる〜」。朗読された詩もこのタイトルなのだろう。
ハシゴと橋と脚立。その関係に言葉と身体でお互いが交流し合ったあとに生み出されたのが今回のコラボレーションだったという。一度は、詩人が動きを、ダンサーが詩を読むということも試みたようで、結局元に戻ったのだが、それはお互いの気持ちをつかむのによかったようだ。
私にはそうは思わなかったが、二人は合いすぎたかとも思っているようだ。うちらの学生は音楽のリズムに合わせて、かつテーマの描写する(なぞる)ような踊りしか知らないので、「詩の意味と踊りとの関係はあるんですか?」などとあとの交流会で積極的に和田らがマリィさんに質問していた。
ハシゴはどこかに立てかけて上るもの。脚立はハシゴとは違って自立している。でも上ってまた降りてもほとんど同じ場所に戻ってくる。
脚立が大きくなるとそれは、「塔」なのだろうなと思う。かなよさんの詩にあるように塔が目的の高み、つまり天国という別の国に行けば「橋」になるじゃないかというのをマリィさんとで話したのだ。そこがはじまり。
ここで、オヤジなので、「ハシゴ」という橋の子どもが大きくなると、「橋」になるというギャグを考えたのだが、学生に馬鹿にされるので言うのをやめた。
パフォーマンスのあとは、14時から約1時間、参加者によるプレゼンテーションがあり、Aから順番に3分間の持ち時間で話され参加を呼びかけられる。きっとうちの3人はどきどきしているのだろう。Pのうちのゼミの番までがなかなかだった。魚谷がまずしゃべり(アドリブを少し入れたと彼女は言うが)、次に大橋(彼女は高い靴を履いていた)、そして大森。
魚谷はとても上がり症だが、應典院のこのプロジェクトに関わりだしたからかなりしゃべれるようになった。彼女は天文台の職員になりたいと入ったとき書いた学生だし、日記でも自宅での田植えや籾すりを手伝わされることを書いてあって何か独特の味がある。
大橋は、勝ち気なタイプで3人のチームの中心。日記では「俺」と自分を呼んでみたり面白いキャラクターをしている。
大森は魚谷と同じぐらい下を向いてしゃべるし声も小さいが、彼女の日記を見ると大原美術館に行ったり自分なりの着実な歩みを続けていることが分かる。彼女などは特に日記を見せてもらうことでその個性がよく伝わるタイプだ。ライブが好きでミーハーだったりするのがほほえましい。
3人のプレゼンテーションのあとほっっとしていると、少し時間があったので突然何かをしゃべれと秋田さんに言われてかっこいいことを言えずぼそぼそ話した。車椅子でしゃべるのにも障碍のある男性もプレゼンテーションをしていて、学生はそれでも一所懸命耳をすましていた。
お疲れさまとみんなと分かれて、私は帰り道なのでOBPアーツプロジェクトをのぞく。
今度は成安造型大学の番だ。松本さんから聞いていたように、美術科選抜展(「ART ENSEMBLE)ということもあり、、またインスタレーションを発展させて、来年度から構想設計?といかいうパフォーマンスアート的なものもできるコースができることもあって、ポップで意外性のある面白い展示になっている。
大学からここが遠いこととトラブルがあったことも側聞していて、土日だけになったということだが、それも仕方がないだろう。一度ぐらいビジネス街との交流会みたいな町内会的な時間を設定したりすればよかったのだろうけど。まあ、休日に家族を連れて自分が働いている職場の近くのアート展を見に来るようになると理想的だが。
ファイバーアートクラスの3人の部屋は、糸でつるされた木の洗濯ばさみ(それを色とりどりに染めている)をちょっと揺らしたりできるので、そんなことを私がしていると子どもが寄ってきてさわらせてもらっている。
自分自身までを展示している『Happy Life』の山口早苗と吉谷恵美は、蛍光色の黄色に部屋全体を作って、その中に自分たちも黄色の出で立ちでいる。
すごく面白いのは、その部屋の二人の目の前には丸い鏡がついていて、二人は目が見えないのだ。入る気配や声でその声の方向に耳を向けるのが何とも不安な気持ちにさせる。ちょっと二人だけだと危ないのではないのかとも思ったが、まあ、そんなに変な人は来ないだろう。
子ども達が飴もあってずんずん入ってくる。ベッドに寝そべったりもう自分もお部屋だ。ところが一緒にいるお父さんは戸口で入ろうとしない。こんな蛍光色で大丈夫ですかと不安げだ。入るとそんなに異常ではないですよと言うのだがだめなのだ。
やっと入って、意外とここに居れることをお父さんが発見する。
美術と関係ない人へ、靴を脱がせて自分が思っていた先入見を変えさせるというところまで行ったからこれはなかなかの成果だと思う。これはぜひうちのゼミ生にも伝えなくちゃと思い帰ってすぐにメールした。
(なお、アーツ・カレンダー「こぐれ日記283」にも少し抄録して今日の様子を載せます)
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