こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.11



96)11/30〜12/2

11/30(金)

朝、コンビニで読売新聞を買って大学に出かける。22日(提言部門)、23日(イラスト部門)審査したコンテストの結果が1ページにわたって載っている(大阪本社版)からだ。特にイラスト部門は237名の応募があって本当によかった。多くの人に協力をしてもらい迷惑もかけたが、やっぱり嬉しい。

生命保険を変えたので年末調整がややこしい。さきの住所変更もあって、これは芳江に任せているが、結構確定申告のこととか大変な仕事をやってもらいうことになる。3日の出張を生協で頼んだら、すぐに発券されないことを知る。もっと計画的にしなくちゃ。さまざまな反省。

あと、研究室のパソコンを学生に使わせていると、当たり前だが、自分の作業が出来ない。これはあんまりルーズにする訳にはいかないな。もうすぐ来年度のシラバスを入稿する必要もある。

應典院の川井田さんから22日にインタビューのメールをもらっていたのに、見過ごしていた。ごめんなさい。あわてて、インタビューに答える。以下がその内容:
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*川井田さん質問と私の答え*
1.コモンズで公開ゼミをしようと思われた理由(最初は秋田の強引な(?)勧誘だったのかも知れませんが、最終的に出張しようと決断された理由は?)
京都橘女子大学文化政策学部における私たちのゼミは「芸術のリボンをまちに結ぶ」というテーマで始めています。ただ、1回生の入門演習なので、芸術と社会を結ぶアーツマネジメントを学ぶといっても、まちにアーツをプレゼントしている先輩たちの姿を拝見し、感動し、その場の空気を一緒に吸わせてもらうのが精一杯です。
今回コモンズの中に入り込むといっても、きちんと研究していったり実践的なお手伝いをするということを私たちではできないというのが正直なところで、皆さんにはご迷惑をかけるだろうなと不安でした。
ただ、大げさに構えないでいつものゼミ風景をそっと公開するというぐらいならば、参観日を外部に設定するというだけですから、できるだろうと思って引き受けました。

2.実際にやってみた感想や反省点など
いつものように「自分たちの等身大の姿で自由に芸術に接していこう」というスタンスで行いましたが、実際はあれでも3人の應典院10日担当組(4日のプレゼンテーションと日記担当3人組も4日によくやってくれたと思います)は、事前に打ち合わせをして司会する手順などを考えていたところです。しばたゆりさんのお話を聞けて、自分たちの感想といばたさんへの感謝の気持ちを伝えることが最後に出来たのはよかったと思います。これこそアーツの力が彼女たちに気持ちよい声を与えていただいたと感謝しています。

そういう面では、自発的な学習をいつものゼミよりは出来た面ではよかった点ですが、どこの授業参観でも同じように、普段よりはみんな緊張していましたし、お澄ましした意見になっていたように思います。いつもはもっと率直にコンテンポラリーアーツの分けわからなさに戸惑ったり、憤ったりすることもありますし、何も言えずにパスしたりいろいろあるのですが。

反省するべきことはいろいろあると思います。もう少しせっかく参観しに来た方々と話し合う場面も作れたらいいのかと思いました。お話を聞くのが精一杯で、私が司会をしていたらトークになったのかも知れませんが、そのあたりのシミュレーションは不足したと思っています。つまり、どれぐらい参観していただいた方に来てよかったと思ってもらえたかどうかが心配です。

3.ちょっと横道にそれるかも知れませんが、学生にアーツ日記を書いてもらっている理由は?そしてそれを第三者に見せたり語ったりすることの意義を小暮さん自身の言葉で語っていただければ、と思います。

アーツ日記(この方法は私のやっていることしか彼女たちに伝えることができないと判断したからです)については、公表することを前提に書いてもらうようにしています。ですからプライバシーをよく考えるようには言っています。ただ、彼女たちもヒヨッコながら、アーツマネジメントを担う人として登場するのですから、もう匿名ではなく、自分の姿を公表する責任を集団ではありますが担っていいのではないかということで、日記を公表させてもらいました。

ただ「アーツ」の概念を限定していませんので、普段の生活そのものの記録が多かったりはしていますが、それを振り返って言葉化するのは、アーツに一歩近づくのではないか、少なくともそういうスタンスでアーツに触れた方が素直に自分の感じや意見を書けるのではないかと思って、日記帳という昔懐かしい手書きスタイルにしました。イラストを描いたり写真をはったり、半券を袋に入れたり、彼女たちなりに記録をすることの面白さを感じ始めてくれているようです。

後期の日記をいま提出してもらっていますが、格段に前期や夏休み1ヶ月丸ごと日記よりも、アーツへのアプローチが進んできています。これはとても嬉しいことで、それは應典院はじめ外部プロジェクトに参加させてもらったことが大きな力になっていることは確実だと喜んでいます。
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12/1(土)

昨夜も珍しく大学からすぐに家に帰った。そこのメンバーを見て気になった「みかんがむ」という劇団を、ジャングルという自主映画館みたいなところで見ようと思っていたが、出来なかった。「ギャラリー ou」という天満橋そばの画廊も覗こうとかとも思っていた。

今日もいつものように早く目が覚めてまったが、朝食を取ったあと30分ほど寝たのがよかったのか。それとも今週ステージものをまったく見ていなかったこと、そして、かつ「こぐれ日記」に書こうとかまるで思わないでぼんやり見たのがよかったのか。
扇町ミュージアムスクエアでの阿佐ヶ谷スパイダースの『日本の女』(作/演出/出演:長塚圭史)は、単純素朴に面白かった。そして個人的なダークな欲望についてを終わってから色々と考えさせられた。それに長塚圭史は、コンドルズのメンバーだったなんてことは全く知らなかった。

始まる前、OMSの松井さんからビデオ購入のお礼を言われる(京都橘女子大学文化政策研究センターの基礎資料整備として日本の演劇ビデオ購入費を予算化できたが来年度もつくかどうかは怪しい)。

14:05〜16:23。長さはまったく感じず。ただ、暗い結末らしき一応の区切りのあと、大江戸大地震がご都合的にあってからの2年間を文字を映して説明してしまうけれど、これまで芝居にしたりしたらやたら長い大河ドラマになっていただろう。(あとの詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記293」をみてね)

文房具屋で買い物をしたりマンガ喫茶で時間をつぶしたり。そこにはエッチな雑誌も置いてあるのだが、手に取るとごわごわしていてとても読まれていることが分かって切なくなる。なんていいながら、特にごわごわしているものばっかりを選んで席に戻って眺めている。きっと隣の人はこのおっさん、エロ雑誌を大量に持ち込んで昼間からかわいそうだなとか思って気色悪くいるんだろうなと思う。

まだ時間がある。ゆっくりとOMSから北上していく。ちょっと寒くなりそうだった。さきが私のマフラーを山梨に持っていったので、買いたくて、レゴの店も向かいにある「WHO'S WHO GALLERY」という店に入り、マフラー(長くてしましま)とセーター(そんなに暖かくはなさそう、マフラーよりも安い)を買った。

そのマフラーをして時間つぶし。ドラマシティーが入っている椰子の木が中に入っているビルも覗く。椰子の木がクリスマス飾りをしていてびっくり。
さて、梅田LOFTからゆるゆるSALON DE AManTO(天人)へと行こうと信号を待っていると、應典院の大塚さんと、イベント仕掛け人学校運営委員の大森さん(久しぶり)に会う。わたったビル(翻訳関係の会社)に赤崎みま(南芦屋浜プロジェクトで私には馴染み深い)の作品が飾ってあって、それを大森さんが見つける。よく見るとアメリカ村から引っ越してきたギャラリーのフェニーチェがここにあったのだ。

JRのガード下を潜ったら以外と早く酒屋が見える。その手前の道を曲がり少し行ってから左を向くと、もう「あ」が天人の2階に映っていた。ちょうど、東側の家の隙間から「何事か」と大きなお月様が顔を出した。「あっ月ました」(お粗末)。アマントに入ると準備中で、素敵なカフェがあるからと上田假奈代さんがその場所まで案内してくれる。

cafe caneton。ここは酒屋を通り過ぎてまっすぐいけばすぐ右側にある場所で、前は何屋さんといっていたか(バイク屋?)、いまは綺麗な白いカフェ(フランスぽい)になっている。私はチャーイ。カレーの大森さんにスパゲッティの大塚さん。素朴なケーキは売り切れていた。

19時になったので戻ると人だかり。もう天人はいっぱいだ。一番後ろの背もたれのある椅子に座る。前は丸椅子に木の長い板を置いた座席。目の前に大きな男二人。上田假奈代が座って詩を読んでいるときにはほとんど見えない。
左の所に瓢箪楽器の奥田扇久さんがいる。共演者だった。

上田假奈代生誕32周年記念ライブ『あ』〜愛とコトバと技術の詩生活29年、朗読活動13年。どこへ行くのか、それより歩くこと〜3部構成。19:30〜21:32。

今日が上田假奈代の本当の32歳の誕生日だった。赤い冊子を中田敬史(前彼)が作って渡してくれる。これでドリンク券もついて1500円。安いからぜんぜんマネジメント的には大変だな。自分の文章を探す。他の人がすごいのでちょっとがっかり。32人の男のところ、70人も書いている。最後は、上田芳美さん(父、出逢ったのは、彼女がうまれた、1969年12月1日というのだから、これにはみんな負けている)。

初めの5分間は、曼陀羅映像に続いて朗読詩としては代表作の一つと思われる「メカコ1/2」が映像化(保田善彦、久保明教)されて映っていた。中でも下る階段のシーンが気になった。そこに汗や尿や香水や清水が流れているようなものだった。

17歳の彼女が作った詩がまず読まれた。ゆっくりと始まる第一部。「最後の日曜日」(1987)。「紺色のリボンを結んだ/ありふれた笑い顔の私よ/高校三年生だもの」がまぶしすぎる。音楽がついている。マック使いの小川くん(小川泰典)。タブラーとかブラジルあたりのがらがらいう実をつけたパーカッションなどを演奏するひろくん(岡崎大道)。それから天人のオーナーJUNさんはカリンバとか細い尺八とか。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記294」をみてね)

このあと、本当の假奈代さんのバースデイパーティが始まりそうだったが、人数も多そうだったので、一人でハッピバスデイと呟きながら地下鉄中崎駅に向かう(とっても近いので驚いた)。風が強くなって襟巻きが助けてくれる。

12/2(日)

ちぐはぐな日曜日。帰って風呂に入ろうとしたらお湯が入っていなかったり、いろいろに行き違いが行き交う師走。でも。

磔磔での「ふちがみとふなとカルテット」は最高だった。来年の2月には色々とお世話になります。渕上純子さんとのトーク楽しみ。音楽とは少し離れた生活とか趣向とかに関する質問を100ほど作って、中京青少年活動センターでのトーク(2/24)は対応しようかな(北村成美さんとか衛星の制作の橋本さんとかも一緒だし)。じゃあ、前日の京都橘女子大学文化政策研究センターの方はどうしようか。

昼は国立京都国際会館「アネックスホール」。大きなところだ。モニターが8つぐらいもあって、ほとんどライブではないみたいだ、うしろで空いた席をいっぱい使ってごろごろしていると。13時からだったが15分ぐらい遅れた。ピエロみたいな人が前座をしていた。彼が石川九楊という人かと思った。

司会の女性(秋尾沙戸子)は大げさでこりゃ、羽毛布団の実演販売会場かと思ったが、さかいまちゃあきに似ている石川九楊自体は、かっこよくもなく、ぼそぼそとしていて感じ悪くなかった。『書の宇宙〜世界にとって書とは何か』。「日本書史」という本が出来てそれの促進販売講演会だった。荒木瑞穂さんからチケットを買ったときは精華大の関係かとばかり思っていた。荒木さんは黒いスーツを着て黒板が光って見えないのを調整していた。「書生さん」という死語が復活しているみたいだった。

かなもりゆうこさんや山下残さん(来週チラシができるという)も久しぶり。納谷さんと100%ORANGEさんっていい人達でしたねと話す。
細馬さんが、「日本書史」に自分の名前をサインしてもらったら、とても変なところに馬がいたりしていたという。でも、それはまだ読めるからいいよね。

最後に吉増剛造の詩を、九楊が書にしていたが、それをカメラで見ても綺麗な模様を書いているようにしか見えなかった。「か」の説明とかはあって、そう言われるとそうかとも思うが。(そのまえに、原稿を見ながら吉増が今朝までかかって書いたという石川の本を賛美する自分の詩を解説していた。が、これもなんだかほとんど引用断片で、講義としては面白いけれど、すごい詩なのかどうかはよくわからない。もともと彼は、西脇順三郎を師匠としながらも詩の結晶度を追求するというよりもこうしてパフォーマンスをしてきたわけで、ミーハー的かわいさが身上なのだと思う。)

「早わかり日本書史」という小冊子には面白いことが書かれている。應典院の秋田光彦さんがNPOの場所に寺院を再生しようとしているのは、中世の寺院における政治思想の場(文官的役割としての僧侶性)の再興という見方も出来ると思ったのだ(禅宗と浄土宗との違いは大きなテーマではあるけど)。

以下引用:
《近世の禅宗寺院は、中世の禅宗寺院とは異なり、徳川幕府によって三教の中から儒教(政治思想)部分を奪われ、仏教専念型のいわば葬式仏教へと追い込まれた。ここに、日本の禅は、修行と公案と位階を争う特異な宗教空間と化し、中国には見られない一連のず太い禅僧達の異様かつ無法の書(墨跡)が生まれることになった。》

さらに、この墨跡について、これが太いのは、社会との距離が近くて、社会ときちんと対峙していないからだという。一方、良寛の書が痩せているのは、彼が社会との距離を確保し、近代的な批評性を持っているからだという。このあたりは、アートと社会のえんむすび、アウトリーチを考える私にも色々と思索を巡らせてくれるものだった。

17時半ぐらいになった。この大きな場所はどうしても空疎な感じ(天井のコンクリの擬古的形などのせいか)がするなあと思いながら、18時過ぎに磔磔へ。「ふちがみとふなとカルテット」19:05に始めるときにはぎっしりの人。21時きっかりに終了。

まあ、そうか、ふちがみとふなとファンを核として、千野秀一のピアノ即興好き、そしてクラリネットの大熊亘(シカラムータ。チラシをみたら、大熊ワタルとなっていた)シンパが来るのだから。年齢層がだから幅広い。録音している男性が同じテーブルに二人もいる。ダウンタウンブギウギバンド時代の千野秀一を知っている人がたまたま前にいた。

そして若くて初めてのグループもいてとても感激している。
だってアンコールは「Nalala」だったし、さらに「博学と無学」をリハなしでアンコールのアンコールだったんだから。

1)アリの話。ハミングが聴こえる。クラリネットがまつわりピアノが飾る。ウッドベースはしっかりとリズムを支える。船戸博史は高い椅子に座っている。reedsの大熊ワタルは黒いボーシに黒いチョッキ。派手なパンツ。渕上純子は白いシャツ。緑のチェックのパンツ。一番上手のアップライトに向かった千野秀一。タータンチェックのマフラーが首に掛かっている。

2)しゃべりたいことがいっぱい。でも時間がもったいない。やらな!
汚い言葉で。くそったれ、やってみろ!の曲。バスクラリネット。
3)ちょっとやさしいやつを。ケセラだった。
4)ふくよかでよくぶかな女。千野の襟巻きが気がつくと膝に落ちていた。パララッラ。最後はクラリネットと同じメロディー。強く強く。

5)怒る人は怒るかも。実在の名前だろうか。ある会社の人たちの部署と役職を淡々と観察して紹介して伝える唄。とらえようによっては可笑しくも哀しい唄。でも、平気の平左な私が観察しているのかも知れない。こちらが庶務の田中さん、こちらが経理の中田さん。部長に主任。バイトに臨時。
6)大熊がおもちゃみたいなオカリナを変な音で。

7)try to remenber。11/26に出た最新アルバム「マイ・フェイバリット・ソングス」より。思い出がなつかしくて、二人はここにきて語り合う。優しい3拍子の曲。ピアノの高音が入る。おもちゃのピアノみたいな切れ切れの味。小さい子ども連れの若い夫婦が、子どもを膝に乗せて手拍子を小さい手でさせている。

8)休憩の後再開。ものすごい悪い人とを好きになった歌。手を振って足踏みしながら歌う。眠れない夜。つらいうたをしっかり前進しながら前向いて歌う。
9)お店屋さん。童謡風に色々なお店(引越屋さん、果物屋さん、喫茶店のマスターなど)がいろいろ紹介されながら、これが実は恋にあこがれる純情な男の子の唄。「単純に、簡単に、唐突に、あっけなく」というフレーズが耳に残ってこれからこのフレーズがみんなを応援してくれそうね。

10)拍手が多くすぎて(ふちがみとふなととしては史上最大だと言う)、ばちがあたるみたい。イアンの水。機が熟す。ざっくざっく。赤い葡萄。実に象徴的な歌詞のドラマチックな曲だ。ベースは弓。
11)坂を上る。「みんな山とは呼ばない景色」。歌詞と曲のマッチ、そしてありふれた郊外を歌う感覚鋭い名曲。坂を上りながら、下りるときの景色を背中の目、未来の心で見て思うことの素敵。

12)CDが早々と売り切れてしまったらしい(いつもは残って重いなあと持って帰るからだ)。座頭市の唄。ああいやな渡世だなあ。およしなさいよむだなこと。
13)鈴を両手にもって、キリギリス楽士。冬を知らないキリギリスの潔さを歌う。

14)トラおばさん。ピアノの、型に縛られない演奏が印象的。元気?と聞くとみたら分かるというトラおばあさん。胸には写真の虎次郎。いまのはアンコール曲でした。
15)「ガラスと夕焼け」。これも名曲。心に沁みたものでは、アンコールのnalalaと双璧。クラリネットが高く歌う。「闇より暗い闇夜」。リフレインのすごさが渕上の詩的資質のすごさを現している。見える山の名を知らない。

16)ゴミの日。ステージ最後の曲。淵上純子の黄緑色の鍵盤ハーモニカと彼女のパンツがコーディネートされていることに気づいて嬉しくなる。フナトさんも立ってベースを演奏している。終わると純子さんがふーっため息。

アンコールで千野さんが遅れて入ってきた。Nalalaというのは、私は眠るという意味だったそうだ。拾得でヘリオスの米田さんが泣いていたのを思い出す。地下鉄のうたた寝。気づくと外に出ていた。それが夢というものだろう。

ほんとに最後のアンコール。練習なしの「博学と無学」。山之口貘の詩に船戸博史が曲をつけた(のに、コードをみんなに聞いていたフナトさん)。「バレリーさん、でも」と渕上は呼んでいた。


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