こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.11



90)11/9〜11/11

11/9(金)

口内炎が出来ている。そのせいでもないが、大学にいって入学課の小川さんへ、つい大したこともないのに強い調子でしゃべってしまった。
また、高松市役所の城下さんにも、人にものを頼んでいるのにしてはまどろっこしくて失礼で(KAVCの岡野さんに履歴書を出せとすぐに言ったそうだし隣の文化振興課とも何も相談していない)、あまりにも役人的な態度なので(でも役人だから仕方がないといえばそうだが、やっぱり芸術施設を作る人は役人的でないようにやってほしいものだ)、かかってきた電話に強い調子で話してしまう。

なんだか、かりかりしているぞ。気をつけなくては。

5日に上田假奈代さんからメールがあった。「お茶飲んで、トイレ連込み朗読につきあってくださるかたを5〜6人緊急募集しております。朝日放送(ABC)の昼の番組(13日の16〜18時)のための撮影です・・」。天満橋からタクシーなんか乗ったのは間違いだった。何だか感じの悪いドライバー。やっぱり山科から新快速で大阪に出て、梅田ロフトからまっすぐ行った方が近いし値段も安く付いた。

SALON DE AManTO天人。古い商家(か民家)を改造した結構天井も高く奥に小さな中庭がありトイレが付いている空家。中崎町一丁目。「戦火を耐え忍び100年以上の時を刻んだその家屋は2001年7月26日再生された」。

16時を20分以上遅刻したが、ちょうど撮影が始める直前だった。京都LETSをしている橘くんという学生やこのあたりでお店を探している女性たちなどは假奈代さんの詩の朗読は初めて。一方、應典院にも来たという中年の男性やトイレ連れこみ体験のある若い女性もいて、10人以上が集っていた。

撮影をするのだが、一応自然に下心プロジェクト主催の詩の朗読会『A>BC』が行なわれているという想定なので、思いもかけず上田假奈代の詩の朗読をきけてラッキーだった。

「なすびのきもち」。そして前から名作だと思っている「嵐電」「厄年」「蜜蜂」などを含む短詩集。テレビのタレントである若い落語家がトイレに連れこまれてそれを撮影するのがメインで私たちはそのためのうそっこ風景になっている。でも聴く人がいるこの環境のなかで彼女がいる方がきっと感じはよかっただろうし撮影も観ているのも面白いものだ。

オフレコでテレビ局採用のええ大学を出ただけの連中と下請けのプロダクションとの悲惨な関係を話していたし、結構興味深い話が飛びだしていた。最後に「メヒコ」を読む假奈代さんはああ「戦う詩人」だなあとほれぼれする。30歳代の上にしっかと立つ女性詩人なのだ。

そうそう、中田敬史さん(大阪/25歳/大阪形而上学研究所所長/1997年/前彼)のメールに答えて書いたものがここにある。32人の男性から「あ」で始まる文章を假奈代さんの32周年記念ライブ当日パンフとして載せるというのだ。以下その原稿(きっちりと400字ね):

《あれっ?いつでしたか。初めての出会いって比較的最近ですよね。假奈代さんの住んでいた部屋が撮影現場になった自主制作映画をたまたま観たのが、初めての出会いでしたか。いやいや、ギャラリーそわかの催し物のときのほうが先でしたね。あなたの隣に住んでいた人にネールアートしてもらっているとき、その爪を塗ってもらっていた人の横に立っていたワンピースの女性。それがあなたを見かけた初めての瞬間でした。そして詩の朗読を聴かせてもらいました。でも、映画を暗闇で観たという記憶が強烈で、確か香港映画でしたか、京都みなみ会館でも暗闇で一緒になりましたよね。もう取り壊された黄鋭さんのアトリエでの吉増剛造の詩の朗読のときとか色々とご一緒できて嬉しいです。この前の應典院の交流会では、私の大勢の娘たちにお話ししていただきありがとうございました。カオレレのお見送り演奏もありがとうございました。大学にもふらりと遊びに来てください。
《こぐれのぶお(京都/46歳/京都橘女子大学教員/1998.4.29(彼女との初めての出逢い日)/こぐれ芸術探偵事務所アーティストファイル所属、現在も継続して探偵調査中なり)》

18時になったので失礼してアイホールへ。こちらも「再生」だった。
199Q太陽族としてのこれまでの地道な作業の集約でもあるように感じ、当たり前だが、再生とは過去を捨てることではなく生かすことだということをつくづくと感じた舞台だった。

作者の思いである「生まれ変わる」というスタイル上の冒険は、どちらかというと過去の社会主義リアリズムとか新劇とかの良い部分を合流させるようなものではないかとすら思った。そういう面ではいままでの90年代の小劇場のスタイルではない重厚な、ちょっとスローモーな晦渋さ(隙間が多くて、もう少しテンポが速くてもいいようにも思った)が新しいものなのかも知れない。

劇団○(○の実際は音楽符号のコーダマーク)太陽族。『Re-Born』作・演出:岩崎正裕。「私戯曲」という。遊劇体のキタモトマサヤのこの前の芝居を思い出した。
19:34〜21:32。美術(今井弘)がちょっと昨日観た新歌舞伎座の書き割りのように見えた。実はよく見ると違うのだが、あえて左右対称でちょっと見では古典的なリアリズム演劇を思い出させるような古い田舎の家の一階部分である。

ところが、その上に古代の遺跡の発掘現場が載っていて、この物語に挿入された土木工事がないと暮らせない地方のエピソード(新しく建てる公民館建設を遺跡にょって中断されている)と、ここに住むことをやめようとする中野夫婦(三上剛、上宇都理恵)によるこの家の取り壊しという舞台とが上下で同時に進行しているような作りになっている。詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記286」をみてください。

11/10(土)

應典院コモンズフェスタ公開ゼミの本番の日。少し早く谷町9丁目に着いたので、高津宮(高津神社)にお参りする。ここの「高津の富亭」(ダンスやコンサートが行われている場所だから一度行かなくちゃと思っている)寄席のチラシを眺め、かわいい象の置物を撮したりして遊ぶ。

ゼミ生たちの「初めてのアーツ遭遇日記、8月丸ごと日記」のコーナーは結構人が立ち寄っていただいたようで、率直で嬉しい感想を大橋らが用意したノートに書き付けてもらっている(誤字が多いという指摘もあった)。
今日の司会をする担当の和田と渡里が既に着いていて驚いた。和田はどちらかというとゼミに遅れたりするタイプ(写真好きのアーティスト的自由さが身上)だと思っていたから。

前田も11時前にはやってくる。そして合わせて7人ぐらいが来たので、池野さんに連れられて隣のパドマ幼稚園の3階にある学習塾の小学校低学年用の椅子を運ぶ。幼稚園に久しぶりに入る彼女たちは懐かしそうだ。きっと色々な思い出(いいものだけではないそうだが)が蘇るのだろう。
和田がカメラを貸してと言う。ピンクの靴箱に一足だけ上履きが残っていたのだ(あとでプリントアウトするとこの写真が一番素敵に出てきて、はながこれはお父さんが撮ったんじゃないでしょ!という)。

昼ご飯はスーパー玉出にてテイクアウト。ここはとても安い。
13時からは『應典院ダンス参観日〜ダンス発、子ども経由、おとなの発見。』。キュレーターは高松平蔵。まず、黒いスーツ姿の清水敬司のソロ。足は裸足になる。何も手を入れないでも実に美しい阿弥陀如来が鎮座する講堂には、下手から光が差して、上から2枚の布がシンプルで美しく垂れている。

彼の立ち姿はどこか間抜けて寂しそうだ(あとで教えてもらうのだが、高松さんから「おなら」という言葉を清水さんに渡して、この言葉から連想することなどによってこのダンスが生まれたという)。
そのまま立てばとてもかっこよく横からの光で見えるのに。無音の時、外のBGMが微かに聞こえる。これは4日のオープニング時にも少し気になったことだった。20分ほどのソロだっただろうか。私は終わっていないのに最後の直前で拍手をしそうになった。

このあと、子ども連れの親子を中心に今見た不思議な踊り?についての感想を言い合う。嫌な気持ちになったという男の子もいたし、かっこいいという妹の反応もあった。ただ、子連れの人は3組ほどだったのでちょっと展開が難しそうだった。

それに、子どもはずっと話し中心だったので途中から退屈し出す。そこで、とっさに白板を下手に寄せてそこにお絵かきをしてもらうことを提案した。押し掛けインターンの辻さんが子どもの相手を上手にしていた。子どものすることはそれ自身限界芸術そのものであるという当たり前の事実に感動したりしてその姿を見ながら、トークを聞いていた。

オドラーの清水さんに対して奥さんはシャベラーである(高松さんはシカイスラーか)。ただ、間に奥睦美による擬態語(すべすべ、ねとねと、だったか?)を使った身体(利き腕、足、背中)の動きワークショップもあった。ただ、子どもには分かりづらかったように思う。子どもに子ども向けでないダンスを見せて自由に感想を聞くという発想はユニークで面白いが、まだ試行錯誤が続きそうだ。

うちのゼミ生も座って見させてもらった。でも感想をなかなか言葉に出来なかったようだ。私としてはまだダンスを観させるまでにはいたっていないと思っていて、先週假奈代さんとともにマリィさんの踊りを見たはずなのに、それとの比較をしたりすることすら思いつかなかったみたいだから、彼女たちへの「観るダンス」封切りをいつどのようにするのかは未定なのだし、自分とは関係ないといま思っていてもいいんじゃないかとも思う。

こういうコンテンポラリーダンスを見て何も感じない学生はダメだと言い放ってショックを与える教員の話を少し前にレン・コーポレーションの後藤さん(今日もちらりと姿を見かけた)から聞いた。

が、それは芸術創造を志している学生には言ってもいいフレーズだろうがアーツマネジメントに関わろうとする学生にはよくないと思っている。このうちの何人かがダンスにも関心を示すようになればいいと思う、それもふと気が付けばそうなっていた、という感じで。

さて、15時に無事参観日も終わり、15時半からは私たちの「未来のコモンズ人育成プログラム『大学の公開ゼミ』」だ。14時からはすでに中村正助教授のNPO論が始まっていたはずだがその様子はあとで教えてもらうしかない。

2階のロビーにはすでに運んできた小学生の椅子が丸く並べられている。そして後ろに椅子を10席足らず。本当に少ない参観なのだが、やっぱり司会の三人(前田、和田、渡里)はその聞いている人を意識したそうで、つまらなかったらどうしようかと心配だったという。

アサヒビールの河村さん(三線、三味線などの多ジャンルコラボレーションの公開練習の話をしてもらう)や、大阪芸大の二人(OBPでお馴染み)、フランス文学者(日本人学生がパリで日本人同士で固まることを憂いていた)、漫画が美術の教科書に載ったことを憤る女性などが来ていただいて、熱心に聴いてもらっていたようだと私には思えた。

席につこうとしてびっくりしたのは、ゼミ生と私が座ろうと思っていた椅子におじさんが座っていたことだ。とても話好きのおじさんで、最近の芸術体験をゼミ生と私が話した後に参観者の皆さんにもしてもらったら、北堀江の小さなギャラリーについて話していただいた。実はこの人は堀蓮慈というお坊さんで、アメリカ村あたりで「坊主バー」を3人で毎週やっているのだという。うーん、これもまたすごい話だ。

最近の芸術体験について、うちの学生もいつもよりもちょいとしっかりしゃべった(声が小さかったりはするが)し、それ以上にしっかり客席の方々も熱心に話していただいたために、予定以上に時間が経ったので、OBPプロジェクトの発表や4日の應典院オープニングの感想を言う部分は飛ばして、8月6日、この日に彼女たちはどこで(高知の浜だったり色々だから)何をしていたか、という定点発表に移った(8/6は大橋らがみんなの日記を見てこの日が一番みんながしゃべりやすいだろうと設定した日付)。

私はこの日トリイホールで今日踊った清水啓司のダンスをたまたま観ていたのだ。偶然というものもなかなか味なことをする。
16時23分頃からしばゆりさんに、このゼミの輪の中へ参加してもらう。3〜4人が彼女に質問。「ひ・み・つ」のはずだったのだけれど、とうとう、しばたさんの大切なモノについてまで話し(さらに切り取った彼女の髪の毛も見せ)てもらえた。

彼女たちが一番不思議だったのは、なぜ大切なモノを撮したのにそれを削るという行為をしばたさんはするのか?という点で、これは彼女たち自身にとってそれが行われるとちょっと嫌だという気持ちがあるからだろうと推測する(写真自体の所有権はしばたさんにあるのだが、割り切れなさを感じるのだろう)。

それに対して、「撮されたモノをあえて削ることによって、そのモノのいつかはなくなってしまうという未来のことを、このようなお墓があって人はいずれ死ぬのだということを深々と感じさせてくれるお寺だからこそ展示している」という深い解答をもらって、うちらの学生はどう思ったのだろうかな。

最後に自分たちも撮してもらったり展示を見て感じた思いを、直接彼女たちなりにしばたゆりさんに伝えて無事?この公開ゼミは終わった。彼女たちには大成功だと伝えようと思う。ほんとにまだまだ彼女たちはフォルムをもったピュアだったり冒険的だったりする芸術にきちんと向き合っているとは言えない情況なのだが、いまはアウトリーチされる実験台として、それなりにけなげに、彼女たちは心開いてくれていると思うからだ。

應典院倶楽部から私たちのゼミ生に過分の謝礼をいただいたこともあり、近くの「マヒマヒ」で打ち上げをする。ちょっと飲食しすぎて、2000円ずつ旅費援助をする予定だったのが、これに参加した者は半額となった。
(アーツ・カレンダー「こぐれ日記287」に、この日の部分を抄録する)

11/11(日)

芳江が斎藤環(精神科医)の話を神戸アートビレッジセンターで聞きたいというので、実は彼女たちには劇団八時半の公演に行ってもらって自分が聞こうと思ったのだが、はなは自宅でうたの練習をしなくちゃと言うし、まずはふたりでKAVCに行くことにした。まず腹ごしらえ。新開地の商店街で中華を食べる。八宝菜定食(680円)がうまかった。

神戸アートアニュアル2001/ねむい、まぶた。主任実行委員/中川佳宣。
うっかりと溝江壽之のインスタレーションを見るのを忘れた(地下の別の部屋にあったようで白い部屋に白いエアコンがあったと芳江)。だいたい、私は去年もそうだったが地下の方が落ち着いて若い作家たちの作品が見えるようだ。

芳江が一番いいといい、私もかなりの時間その世界に立ち止まって削った縞縞のゆがみ具合に漂ったのは、岩谷由愛の削ったクレヨンの溝であった。彼女は少し前に作りかけの作品をSUMISO(中西美穂プロデュースの企画)で目撃して興味を示したことのある作家だった。

入ったところの巨大なバルーンの木村望美や赤紫の画面に浮遊している絵画に囲まれた北城貴子にも立ち止ませるものはあるのだが、つい、地下へと階段をすぐに下りてしまうのだ(まあ、それなのに溝江作品を見落としたのだが)。1階では、坂川守はボディビルダーを描いている。あと、太った裸の女性。首だけの描きかけみたいな平面。古川智大はぼやけた写真。大竹竜太のテレビゲームの寂しさは舞台のかき割りのようだ。

中西信洋が地下へと2車線の道路を造っていた。白い分離線ができたてっぽい。そこに、おもちゃみたいに色とりどりの車がへばりついている。すごい坂だからもう転落するのをさけることだけが車の役目だったみたいに。インスタレーション系を好むという部分が自分にはあることを昔から知っているから、これも割り引く必要があるが、階段の上り下りが楽しくなってくる。こういうのが導線を作ってくれるといいな。

インスタレーションとして中西の自動車と響き合うのが、木藤純子の児童公園のオブジェと写真の連動である。飴色の小さな小さな遊具たちの模型が、台に浮かび上がっている。台の下に明るい無の空間があるのがかなり効いている。ブランコが2つ、少し長さが違う。滑り台の下は砂場になっている。その砂場の玉がかわいい。
逆上がりができない私にとっては大嫌いな鉄棒、そしてジャングルジム。ジャングルジム遊びに加わるのをでぶだという理由で拒否された小学校のことを思い出してしまう。

前後に写真が写される。自動でその景色が変わる。変わっても変わっても普通によくある規定内の児童公園である。児童公園には箱ブランコというのがやたらあってこれが事故をよく起こすのでようやく廃止されるようになったという報道を思い出す。

ふー。こんなことを書いても詮無いのだが、いまは月曜日の7時過ぎ。5時からこの日録の土曜日からを書いていてこのあたりにくると、かなり草臥れている自分がこのマックの前にある。カーテンを開けてみる。夜中に雨が降ったのだろう。サティの前の道路が濡れている。いまは朝の青い空に薄い鰯雲がゆっくりと東へ動いている。カラスがサティの丸い照明の上に止まった。

きっと、個人的なこととシンクロしたお芝居だったために書きづらくて、でもどうしても素敵な芝居だったから書いて是非これからの東京公演を見て欲しい公演を観たのだが、何せ、書こうとする私のエネルギーがほとんどゼロに近づいている・・・

扇町ミュージアムスクエア。
劇団八時半公演『うれしい朝を木の下で』作演出出演/鈴江俊郎。15:03〜16:35。いま関西の最強のユニットの一つだろう技術陣(舞台美術/柴田隆弘、照明/吉本有輝子、音響/狩場直史)。
下手からの光が黄色く、そこには大きな木があるのだろう。
家全体がなにやら廃屋のように見える。
作業をする土間がある古い農家。
高い天井。真ん中にテーブル。
この真ん中にテーブルというのは八時半にお馴染みのセット構成だ。そして、何よりもここを特徴づけるのは、泉とか池の存在(舞台上にないこともあるが、背後には絶対に水がある、小川とかも)である。

今回は、上手手前にある古井戸だ。家の中の隅にある井戸を登場人物の一人、都会から来た姉が初めて見たという。でも私は結構そういう所に住むともだちの家で一緒に宿題をした記憶がある。私の長屋は石畳の角に共同井戸が2つあっただけだったが。

深い井戸の水底から光が照り返す。井戸にいる虫たち。そして言い伝えの人物(ダラスケさんとかつぎのばばあ)の幻影?
一昨日観た太陽族のお芝居が古い田舎の家を捨てる話だったから、まるで逆のシチュエーションがここから展開する。

(以下はアーツ・カレンダー「こぐれ日記286」をみてね)


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