こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.10
10/26(金)
天満橋から降りて、近畿経済産業局サービス産業室がある合同庁舎1号館を探していると、衛星(有限会社如意なんとか)の連中たちに出逢った。みんなスーツ姿で、蓮行さんも昨日とは違って髭を剃っている。省庁訪問していた昔の自分を思いだしておかしい。
当たり前だが、サービス産業室長の吉見庄司さんもネクタイを締めていて、いつも彼を見るときは普段着だから何だか調子が狂う。
「ライトシアター事業のビジネス化に関する研究会」第1回講師として出かけたわけだが、「中小パフォーミングアーツ事業者によるサスティナブルなビジネスの構築」が目標だという。IT化の進展でリアルタイム性という阻害要因が排除されてきていることや良質のコンテンツに対するニーズなどが研究する価値としてあげられているが、まあ、経済官庁の調査ならこういうことしかないのだろうなとこの時もらった紙をみて思う。
私は「ライトシアター演劇の抱える諸問題」というのを話すことになっていたようだが、何となく長い自己紹介とアーツマネジメントのABC、ソフトPFI(これは理解してもらうほど説明しなかったかも。公共ホールの劇団委託運営ということにつなぐ話だったのだが)などを30分間しゃべって、あと山納洋さんがいままでの新劇などの実際の経営の仕方を話した。
来ている人は、NHK大阪ホールのプロデューサーとかダン計画研究所、前プラネットステーションをやっていた自主映画の河野清麿さんなど。吉本興業の吉本ワイズワンシアター支配人の菅知史という人がよくしゃべっていた。民放の仕事をしていた人みたいだ。同じ吉本ライズワンのプロデューサーで劇団赤鬼の高見健次さんが赤鬼が学校公演をしている話もしていて、ふーんと思う。
ちょうど、平田オリザ『芸術立国論』(集英社新書、01.10)を読んでいたので、演劇図書館のことを話したら21世紀協会の総務部長さんがメモをしていた。6億円かけて御堂筋パレードをするかわりに、3億円を図書の充実にあて、20人の職員を雇用した図書館を作っても、毎年5億円ぐらいで運営できるだろう。ただパフォーミングアーツライブラリー(音楽はとりあえずやらないとしても)ぐらいに範囲は広げていいと思うけれど。
以下に指摘させていただく事実誤認とか「発信」などという気になる言葉遣いはあったが、660円という値段でこんな素敵な提案がある本は他にないので来年度の教科書にしようと思う。事実誤認だとたぶん思うので、これは次の版で訂正して欲しい箇所は以下の通り。
196p
《後年、こまばアゴラ劇場が、小劇場のモデルケースとして自治省主催の研修のコースになり、多くの公立ホールの担当者が見学に来たときには、正直、ザマアミロと思った。ただ、まだその当時は、役所の都合による配属で公立ホールの担当になった職員ばかりの時代であり、劇場の公共性について話をしても知らん顔で、私は再び歯がみをした。》
この「自治省主催」というのは、少なくとも私には覚えがない。研修でアゴラ劇場を訪ねたことといえば、1996年2月に自治省から国土庁に出向していた私が国土庁地方振興局で初めて行った実験的研修「ステージラボ」であり、確かに基礎コース(演劇コースの連中らよりも初めて配属になった人たちが多かったけれど)のみんなとアゴラ劇場を訪ねた。
そこには碧水ホールの上村さん(彼はホールの学芸員として志望して入った職員であり、「知らん顔」をするどころか、顔を輝かせて劇場の隅々を探検したのを私は知っている)もいて、実は初回のステージラボはその後に来る人たちよりも意識の高くこの時を待っていた人たちが集まっていたのだ(盛岡劇場にいた坂田さんや練馬の佐々木さん、いま世田谷パブリックシアターの川島さんなどなどへ私が声を掛けたからではある。文化庁による執拗な妨害の話などは昔書いたからもうどうでもいいが)。
その研修のことを平田さんは全体としてきちんと知っていないはずだ。「歯がみ」をするという事態が起こっていたのかは彼の内面だから分からないが、ちょっと心外な文章だと思う。
松阪屋のじゅんく堂で「アメリ」(イポリト・ベルナール著、挿画:100%ORANGE、リトルモア、01.11)を2冊、それに映画の本を数冊。この小さくかわいい小説「アメリ」は、もうすぐ上映される作品(監督:ジャン=ピエール・ジュネ)の原作(かノベライゼーション)。来年に入ってゼミはグループ発表にしようかな。そのなかでこの小説と映画の関係についてなんてやってもらうと喜んでするだろうと思う。
それにしてもアメリ・プーランの恥ずかしがりのくせにとても大胆な冒険と策略のアンバランスが、どんな映像になっているのか、想像しておく楽しみが十分にある小説だ。100%ORANGEのイラストがすごく多くて二人は映画もみてこれを描いたのだろうが、映画とイラストとのイメージはどんな具合に比較されるだろう。
トリイホール。アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル、Bプログラム。19:05〜20:51。先週よりも観客は少ないがそれでもぎしぎし。大阪市の本田さんやパナクリの松本さん(11/17のJAM全国大会が近づいてきた。バイトの話は京都橘女子大学には回ってこないようだ。仕方ないか)、中西理さん、中西美穂さんなどなんだか知り合いばかりが周りにいる。理さんが鳥のマーク(通称)を京都に連れてきてロケハンさせたいと言っていた。
(いまこれを書いているのが29日なので記憶がかなり薄れているけれど)いまも印象に残っているのは、インドネシアのムギヨノのギョロ目と柔らかい身体、それと対照的な中国のウェン・ウイの拘束されながら細かく刻まれる脚の動きと、自分の首を絞めてしまいそうな腕の交差だった。
ムギヨノが小さな舞台に乗ることで大きな時代性を撃とうと笑わせながら仕組むのに対して、ムギヨノは、拘束されたバカ殿風の長いズボンのまま、トイレのドアまでその引きつった身体を運ばせていく。何と対照的なのに共通する抑圧への深い憤りと身体に滞る悲痛さだろう。
この二人に比べると北村成美もオーストラリアの二人も切実さにおいてどこか甘い感じがした。もちろん北村においても怪我をしたあとのいらだちとか舞台までの道を行き来する姿に真摯な気持ちが溢れてはいた。
でも中間にあったダンスはいかにもコンテンポラリー風な洗練さに影響されていて初演の時の猥雑さが少し減ったのが肩すかしのように思った。この『rep』もまたどんどん変化し面白くなると確信している。がんばれ!
禁酒の「禁」を破ってしまった。
第1回全国まちづくり・学生インターゼミナールが無事終わる。
120名(読売新聞には200名と書いてあった。延べにすればそれぐらいかも知れないが)ぐらいが参加してなかなかに盛況でよかった、交流会で乾杯にお酒が出なくて、飲みたいなとT.A.の豊さんは言うし、私もちょっと裏方をしていると打ち上げってしたくなるのだ。
学生も7人ほどついてきて13人が近くの居酒屋(お家みたいで、他の人たちには少しうるさかったかも知れないがなかなかにアットホームなところ)を占領した。私は最終便で帰ったのだが、寝ていて、乗り過ごしたかと飛び降りると一つ前の淀駅でばかみたいにタクシーで八幡まで帰った。
久しぶりにビールだけだったが飲んでいたので二日酔い。また弱くなっている。しんどい。京都橘女子大学まで芳江の車で送ってもらう。会う人からくたびれていますねと言われ、かなり顔に出ていることを知る。
京都芸術センターの丸井さんが来ることをどこか頭の隅には覚えていたはずなのに何時かを忘れて、彼は少しぼくが来るより早くきて空しく待っていたらしい。
餃子を作っていたTAM研の代表をしてくれている佐藤さんらのテントは26000円のもうけだったと言っている。一方、生協で材料を買いたこ焼きの機械も借りているうちのクラスは、7万円以上の売り上げがあったのに、とんとんというところ。
やっぱり材料から作るともうけが発生するのだなあ(その分下宿で夜遅くまで作っていたらしい)。ボトルで聞茶などを売っている川上や石野にアウトリーチすればというと段ボールに入れて勧めている。結構売れたようだ。京都工芸繊維大学の映画サークルの男子学生達と交流している。
昨日はどこも観れなかったので少し大学内の展示とかダンスデモンストレーション(歌番組で後ろで踊っているみたいなもの)をぼーと眺めている。ピース何とか書いてあってガンジーとかを調べているから歴史の学生らかと思ったら、すぐに説明に来て池田大作について熱心に説明し出す。なるほど創価学会の青年部も出しているのか。
清和館114教室。劇団万国博覧会第19回公演『絢爛とか爛漫とか』13:33〜15:28、作:飯島早苗(自転車キンクリート)、演出:皇希久(すめらぎきく)。制作:安藤きく(すぐ分かるように演出と同一、彼女が2回生で演劇部長だから、新人公演みたいなもの)。前の日録でクライ雰囲気の演劇部員が3人来たと書いたが、きっと研究室では緊張していたのだろう。そのうちの一人高松で高校演劇をやっていたといううちの文化政策学部の中條裕美(正田薫役)など、なかなかの役者で舞台上では度胸も良い。
確か、『絢爛とか爛漫とか』は93年に男性バージョンを観ているが、かなりしっかりした本でその本のよさは、十分4人の役者と演出、それにスタッフで引き出していたと思う。冒頭のジャズに合わせた踊り(?)はかなりこれからのクオリティについて不安になるものだったのは確かだ。棒立ちになって相手の台詞を聞いている姿も何とも初々しい。結構の量だから台詞を噛む者もいるがそれも仕方がない。偶然に鈴木裕美に似ている役者もいる。特に女性小説家の卵における歴史物というテーマはうちの文学部の学生には馴染みやすいのかも知れない。
大きすぎる窓から夕日が入る。初雪も眺める窓。出入りをする下手は黒い幕だけ。ちょっと寂しいが、ここの向こうへと野村文香(織幸)がリョウタに声をかけるわけだ。
役柄(柳原まや子、大金持ちのお嬢)と同じく鈴々(りゃんりゃん)もしっかりしている。卒業式の袴を着ている小林すえ役の木村藍子はおっとりと丁寧言葉。
昨夜はジッタリンジンのコンサートがあってダイブする人がいたり、タテノリで床が上下したとあまりライブの経験のない若手の先生が驚いていた。今日は後夜祭ということで私などきいたこともない漫才師が来ていた。どちらもチケットが売り切れている。
京都橘女子大学の大学祭の後かたづけをちょびっとだけ手伝ったあと坂を下る。たこ焼き屋で余ったキャベツなどを運ぶクラスの3人組とぶらぶらと、だべりながら。
四条に来ると雨、大学祭期間もってくれてよかった。
磔磔へ。ビジリバのライブ。
前座とはいえない対バンが、はじめにきよし。東京でもこのセットだという。ビジリバ自身が年に3〜4回しかライブできないし東京では特にお勧めの関西からのライブになるだろう。19:05〜19:50。終わってから、まだ彼らの『いえ』を買っていなかったので『ロッキュ』と一緒に購入。それにコンピレーションアルバム『ソー・ファー・ソングス』も(ふちがみとふなとは「ママの山羊は10匹」)。
会場は満員に近い。小さい子どもを連れた夫婦もいるし、サキタハジメが新谷きよしにつっこむと笑いが止まらないかなり若い女性達も前を占めている。
二人の会話の絶妙さ。ライトで暖まるのか、ギターのチューニングをたびたびするハジメ。それをキヨシがまんまの説明をする。
休憩の後、ビジリバ。現代音楽の作曲もしている古田マリがドラムも叩く。ロック心だもんなあ。でもロックになりきれないロッキュと名付けてみたのか。「主婦」というアルバム名も候補になったと淵上純子。船戸博史や古太郎はそのときどうなるの、主夫か。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記281」をみてね)
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