こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.10



87)10/29〜11/1

10/29(月)

いろいろと企画の参加打診がやってくるが、一番多い役回りは「司会」である(きちんとした講演はできないことをみんな知っているのだろうね)。

第41回トヨタアートマネジメント講座が2002.1.13(日)と次の日に愛知芸術文化センターであるらしくて、唐津さん(音楽部門なのだが藤井さんの代わり)から電話がある。久しぶりに西巻正史さんに会えたり音楽家の港大尋さんと初めてお話ができるわけだ。

同じく司会役でちょっと変わったものもやれそうだ。それは午後から来られた表美由紀さん(京都市中京青少年活動センター)と西田尚浩さん(京都市東山青少年活動センター)からもたらされたもので、『ユースinfo.スクエア』というもの。この事業は、セミナーと個別カウンセリングと活動紹介ガイダンスなどをミックスするもので、「何かしてみる」というのがこの秋のテーマ。

そして、来年すぐのテーマが「好きなところで生きていく」というもので、NPO関係座談会とともに表現活動系座談会があって、このコーディネーターが私というわけ。2/17ということだったが、この日はできれば岡山市で大森さんがやっている戯曲講座の発表があると思うので、2/24にしてもらった。

自分が愛してやまないパネリストも出るみたい。楽しみだ。ビデオ視聴とか実際にプロの仕事を見たりするオプションもできるかも知れない。「好きなところ」をどうパネリストに伝えてもらうのか、せっかく表現系の人たちだけに工夫しなくちゃとぼんやり思う。

文化政策研究センターへコンテストのイラストがいままでと同じぐらい(いや高校まとめて来たりしたのでそれ以上だ)どさっと届いている。ふー、嬉しい。明日100%ORANGEトークカフェの打ち合わせにも力が入る(東京から来られる人もでそうだし)。審査だって簡単ではなくなるかも・・

アトリエ劇研協力公演、劇団飛び道具VOL.12『きょうりゅう狩り』。
作○大内卓、演出○山口吉右衛門(優しい刑事役も)。19:10〜21:12。長さを感じさせないのはまず脚本がウェルメイドにきめ細かく作られていること。結構幻想的な場面がこの劇団にはあると思っていたが、今回はほとんどない。地下鉄での異様な急ブレーキ音がやけに大きいというぐらいだ。

でも、まったくリアリズムというわけではない。途中までどういう接点か分からない2つの場面が同じ部屋で展開する。それはアメリカの郊外の青い芝居がある一軒家のダイニング。嫌いな来訪者には吠える犬がいて、3人の子どものいる夫婦が、傍目には、平凡だが幸せそうに住んでいる。

その部屋が、一方では地下鉄付属の一室にもなっていて、そのために地下鉄の駅構内としてはかなり変な感じのセットになっている。ただ、カーテンの裏はコンクリの壁でこのカーテンは飾り。つまり場面転換(ここは前から転換で暗闇になることが多い)でホントの窓になったりフェイクな地下室になったりする。

非常に混雑した車内で10ヶ月の赤ん坊が押しつぶされた。近くにいた乗客5人が一室に集められている。東京サンシャインボーイズの雰囲気にとても似ている。こういう芝居は久しぶりに見た。

参考人ということなのだが、結局犯人探しになる。そして被害にあった赤ん坊の母親についての詮索。次第に地下鉄と交互に転換するアメリカ家族の場面が地下室にいるサカキ(大嶋英司)の元妻による懸賞小説の中の物語だということが分かってくる。

藤原大介が地下鉄乗客ではカトウというおかまバーのママ、アメリカ一家では母親役を巧みに演じ分けている。見たことがある顔だなあと思っていた姉(地下鉄では未婚の母トビタ)の雨野ジャックという役者は、前期に立命館大で教えた学生だった。西一風にいたということの縁らしいが、全然遜色なく演技していて、昨日の橘大の芝居もなかなかと思ったが、彼女は3回生だけに一枚上だ。

この劇団はこういうウェルメイドコメディを一つの核とするだろうと思う。着実なストーリーテリングに気持ちがこもることの大切さを、当たり前だが感じた。

10/30(火)

イラストコンテストは50人を越えた。よかった。熊本、高知から秋田まで。同じ高校(明石高校)からどさっと来た部分もあるが、100%ORANGEのサイトを見たりして、個人的に自発的に書いてくれたのだなあと思う。うちの学生達はどれがいいというのだろうか、それも楽しみ。

事務局の新人、谷川さんと11/23トークカフェ担当のゼミ生、西本と坂下がチラシづくりとか準備とかの打ち合わせ。クレジットを入れたら100%ORANGEさんのイラストをコピーすることもできる。部屋の飾り付けはどうするか。トーク(=楽しいおしゃべり、14:00〜15:00)のあとに交流会(=カフェみたいな団らん)をどのようにするか。

同じ部屋で、初めからテーブルでお茶を飲むようなセットができればいいか。でも、東京からもお客さんが来るし入りきるだろうか。いろいろと制作者や準備する担当は読めないことが多い、ということを実感してもらうのも学習のうちだ。

審査の方も多くの作品が来たので、てきぱきと段取りをつける必要がある。それに、そのあとのトークで審査の感想をしてほしいなと思うけれどここで決定としていいのかどうか(してもいいように思うが)。11/14に納谷さんと清水さんも来るのでそこでよく相談しよう。とりあえず、60分間のはじめの20分間で審査がらみの話をして、そのうちイラストの世界全般の話、そして会場からの質問に答える感じで100%ORANGEの秘密に迫ろうと思っている(もちろん、どんどん話は色々な順番でいいんですけど)・・。

TAM研の方は佐藤さんと飯田さん、それに演劇部長の安藤さんが来ただけだった。これからの体制づくりをしようとペーパーを作って待っていたのになあ。学園祭疲れか。

トリイホールへ(そうそう、今日はNPO法人アーツワークス関連で東京に行く予定で丸井さんには迷惑をかけたのだが、結局こちらの体がもたないようになってしまって、ここに来た)。

Dance Box vol.71『世界という牡蠣をこじあけて』今貂子+倚羅座舞踏公演。19:37〜20:50。客席は満席である。年配の人も初めて舞踏も見た若い女性達もいる。倚羅座の4人が新しい観客を開拓するきっかけになっているのかも知れない。

会場の照明などの並ぶ上部に大きな鯉が3匹。真っ赤な金太郎がまたがっている。金太郎かどうかはいい加減だがともかくも赤い肌の男の子だ。「おっと」という美術の人と今さんらとは前からコラボレーションしていたが、今回は映像の小倉恒夫が新しく参加している。なぜかその映像は今なのにとても懐かしく、今貂子が少女となってどんどん昔の路地に引き込まれていくみたいだ。その映像の視線の低さが懐かしさの源泉なのだろう。

音楽の選択にもとても注意が払われ、多様で気になる組み合わせだと思う。シャンソンから小唄まで。サックスの即興的な演奏がアバンギャルドみたいには肩肘張らないもので後半になるとジャズを遊んでいる感じだった。また、オペラ曲からもそうぞうしい飯場みたいな気安さが、そのダンスのなかではにじみ出してくるように思ってしまうから不思議だ。

衣装と装置が交差する。衣装がまるでカタツムリみたいにデュオの二人を覆う。踊るということの激しさは痙攣としてしか現れず、多くは静止と表情の変化。その絵画的な提示にちょっと目をつぶってしまうこともあるが、それもまた自分なりの享受の仕方と思えばいいとかってに納得する。扇子を使ったデュオもあった。

後半の今貂子の迫力あるソロ。痛々しくなく上手への倒れ込みを続ける。そのリズミカルなフォールに舞踏のいまが感じられる。
ラスト、5人が背伸びしてゆっくりとお辞儀をするところまで、きちんとダンスの世界が時間を編み込んでしまっている。前半に少しはけるタイミングが狂ったりはしたが、完成度はなかなかのものではないだろうか。

その楽しんだ余韻で淀屋橋に特急に乗ると、ちょうど児玉画廊からの帰りの立命館大でT.Aをしてくれていた板井さんに会った。

10/31(水)

今日はゼミを日曜日に振り替えたが、誰か遊びにくるだろうしプロジェクトの相談にやってくると待っていたのに午前中は誰も来ない。待つと来ないのに、29日みたいにお客さんがいるときに来て寂しそうに帰って行くこともある。難しいものだ。夕方、学部教授会が終わって研究室に戻ると100%ORANGE組がチラシの案を作って机においてあった。

去年の10/2(月)に電視游戯科学館の『カークランド大佐の軍事的愛情』京都大学西部講堂を見たが、とても面白かった。これについては、過去の「こぐれ日記」を参照しください(http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/Denshiyugi-Kagakukan.html)。その続編のような感じの作品が今度はアートコンプレックス1928で公演していて、うちのゼミ生の工藤が招待券か割引券ありませんかと言って来るぐらい評判になっていた。

最終日ということもあるが、立ち見がでてすごい熱気。女子高校生(制服だったので推測)が立って見ていて途中から涙ぐんでいる。『みなそこにねむれ』19:10〜21:15。
脚本・演出:国本容疑者。舞台美術:松本亜希子。話はどんどん血縁関係など隠された過去が現れ別々の時空がつながっていく。これは飽きさせないテレビトレンディドラマの感じそのものだ。それに映像がCGでタイタニック号の映画に感動する若者たちにはぴったりの作品だ。

始まるまでの装置は1928の丸い窓と潜水艦の円い窓やレーダーの大きな丸い表示などなかなかにうまいなあと思っていた。今回は前回に比べると体調もよく、また音響も大きかったがうるさいとは思わなかった。ただ、どこか分かりやすいセンチメントを活用しているというこぢんまりした感じがあった。

劇団飛び道具の面々が一番前に座っていた。
帰りながらビールを買うのをぐっとがまんしながら、何が自分にフィットしないのかを少し分析しなくちゃいけないなあと思う。このような感じは多分主観的だが何かの根拠があるはずだ。それなのにきちんと分析できないのがもどかしい。

11/1(木)

大学コンソーシアム京都。ロビーで芸術系大学作品展2001をしている。OBPアーツプロジェクトを討論するJAM全国大会学生セッションに関わっている中野陽子さんが「こちらの方が人が入っている」と。彼女はOBPの展示やアンケートでの冷たい反応と比較して嘆いているのだ。でも、学生がここは集うところで、OBPとは場所性が違うからなあ。

さて、昨週に続いて日比野英子さんのレクチャー。今日は、化粧を心のリハビリテーションとする実践事例紹介。40名ほどの受講生はやっぱり具体例には目を輝かし目を潤ませる。精神障害者への化粧による変化を研究するところから、実験的な変化だけではなく、実生活への変化を拾い上げることを日比野さんは試み始める。これは数値化できないから大変。

大阪での特別養護老人ホームでは大がかりにしたけれど、施設の第一線で働いている介護職員の理解が得られなかったから8回すべてに参加できたのは22名中1名だけだったのだという。

トップダウンだったことも原因している。労働強化受け止められたり職員の固定観念(高齢者の口紅は赤でピンクはおかしい、など)が強かったり。もともと目立つことがよくないという空気が地域的にあるとか、さまざまな原因分析ができてそれは研究としては得ることが多かったそうだ。
あと、ある意味、働いている人の嫉妬というか、無責任に来て、という感情があるのだと思う。これは芸術領域における福祉施設などへのアウトリーチとも共通の課題だからとても興味深い。

それから東京ではボランティアとして慎重に小規模でいまは実践しているという。プロがメイクした98歳のおばあちゃんの美しいこと。慈しむハンドマッサージについて。顔を上げられることの大切さなどなど、受講生に伝えられたことは多い。また、山野美容芸術短期大学の3年生がデイケア施設で美容を活用した介護という実践をしているし、身体障害者のファッションショーも行われて、そのビデオの上映のため時間が少し延長されたが受講生はとても熱心に視聴していた。

それにしてもここ京都キャンパスプラザの装置には困らされる。パネルが実に分かりづらい上にビデオのボリュームを下げるとマイクのボリュームも下がるし、OHCの映りも暗いし。

「化粧」ということばだけ最後までちょっと違和感が残った。化粧品会社の販売促進との関係とか始めは気になっていたが、それは2週間のお話で余り気にならなくなる。化粧品会社やエステ企業から研究開発に援助があるということがそんなに特殊じゃないからだ、いまは少しはましになっただろうが、医薬品業界や食品業界も同じだろうからだ。

それにしても「化ける」というのではなく、整える、美しく装うという単語があればいいのだが。整粧、美粧・・。一方、比喩的な意味を含め「素顔」を絶対視するような価値観についても考えさせられた。仮面やタトゥーなども議論に入れると、また面白くなるようにも思える。


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