こぐれ日録 KOGURE Diary 2001.9



72)9/7〜9/9

9/7(金)

高松へ、梅田阪急三番街からバスで出かける。西国巡礼の第1番札所(徳島県)を通って香川県へ入る。県庁通下車。
まずは、讃岐うどんで腹ごしらえ。「根っこ」というセルフの店。地元の人たちに聞くとそんなに評判はよくなかったがそれでもうまい。ここは、安さでも「うどん市場」に負けるし(翌日のお昼に大森さんと食し確認)、麺自身、夜食べた五右衛門(飲み客相手で深夜までやっているので割高なのは博多のラーメン屋などどこでも同じ)の方がずっと素晴らしい。

突然「ダイエットセラピー」に入った(笑)私なので、うどん文化国はラーメン天国よりも格段に私にとって住みやすい国となった。

不思議なことは、2日間高松をうろつくがカフェなるものに会わなかったこと。高松市教育委員会文化部文化振興課文化振興係=今回の「たかまつアーツの人づくり基礎講座の担当の石川よしの(入って2年目、大学院ではゾウリムシを研究していた)さんによると、まずそんなカフェなる文化風景はここにはないのではという。
ただし、タウン情報かがわの2000年10月号の特集は「保存版カフェブック」だったから隠れてどこかにはあるはず。

そんなわけで15時から高松市役所で今回のコーディネータ大森誠一さん(岡山アートファーム)と文化振興課の佐藤さん、石川さんで打ち合わせ。ちょうど9月議会が始まっていて、公明党が文化芸術振興基本法がらみで質問するとかで上の方はばたばたしていた。

予め大森さんに渡していた今日のペーパー(8/30のこぐれ日録にアップずみ)が好き勝手に書いていたもんで、ちょっと文書で残すのはまずいということになり、レジメ風に変更(自己抑制みたいだけれど、ちょっと初めにしては参加者に過激すぎるものだったと反省)。
会場の高松市民会館会議室をチェック。新しい会館が出来るとここはなくなるのだそうだが、意外と声も響いて使いやすい会議室だった。はじめに挨拶した新しい文化部次長(文化振興課長兼務)の岸上賢二さんもずっと会場に残って聞いてもらっていた。

ただ、40人近くが参加するというので(30人定員の会議室)、間引いた机を3つぐらいにまとめ、結婚式の披露宴あるいは理科実験室の感じで椅子を配置して、参加者に座ってもらうようにした。これは互いの顔が見られるし、私も7〜8人ずつ固まっているテーブルの近くに行って話を聞いたりできて、自画自賛ながら、割といい会場づくりとなったように思う。

四国新聞の記者も入っていて、翌朝に社会面で報道してもらっていた。その記事を紹介すれば講座の報告に代えることができる。ただ、新市民会館の話が大きくなっていたり、宿題と言われているものの内容は実は体験についてかいてもらうものなので、まるで違う。
でも、なかなかに内容をよく聴いてもらった文章であるので、翌日みんなに配った(以下記事本文)。

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「舞台文化醸成へ 人づくり目指す 高松市が講座スタート(四国新聞2001.9.8、27面)」

《高松市教委は7日、2004年の新市民会館オープンに備えて、舞台芸術文化の醸成を目指す「たかまつアーツの人づくりプロジェクト」をスタート、第1回の基礎体験講座を同市番町一丁目の市民会館で開催した。演劇などの運営リーダーから目利きの観客まで、市民と舞台を橋渡しする人材の育成を図る。

《講座は来年3月まで13回開き、「劇場・観客・演劇」をテーマに講義や体験型のプログラムを実施。参加者は会社員、経営者、主婦、演劇人などの37人で、年代は20代から60代まで幅広くそろっている。
《オープニングは京都橘女子大助教授の小暮宣雄氏が「今。演劇?」と題して講座を行った。小暮氏は「演劇が敬遠される十の理由を考える」という宿題を課し。自身では「せりふや動きがオーバー。独特で入りにくい雰囲気」などを挙げた。

《さらに「アーツを通じたまちづくり」の必要性を提唱。「まちづくりには自分で考え、感じる力を持った市民が必要。その市民を形づくるのが芸術であり、入れ物の建物である」と訴えた。
《新市民会館はサンポート高松に建設中のシンボルタワーに入り、1500席の大ホールと2つのホールを備えている。》

9/8(土)

午前中、高松市美術館(毛利直子さんはちょうど関東へ視察中だった)の会議室を使って、これからの打ち合わせ。地元の劇団マグダレータ代表の大塚和明(ペンネーム大西恵)さんと主演女優の中越恵美さんと一緒に。
中越さんは自分たちの公演を参加者たちがみたあと、稽古場やホールを訪ね実際の現場を体験する担当。大塚さんは私の前(11/24)に観客編のなかで「新しい観客と出会おう」というテーマを受け持っている。

私は「観客のニーズを探ろう」(11/25)が担当で、今日(14〜16時)参加者にお願いしたものである1000字から2000字ぐらいの演劇日記について。それと、やはりフィールドワークとして大森さんに考えてもらっていた「3人以上の人に演劇について質問して答えてもらう」という課題を発表してもらうのが内容となりそうだ。

今度は3時間あるので、チラシをいっぱい持っていってチラシ=宣伝美術研究というのもしようと思う。それは、そのあと「制作を体験してみよう」(岡本康子さんの担当)に繋がることになるだろうからだ。「ニュースリリースについて」も結局観客を生み出すことではチラシに繋がってすべきことかも知れない(時間があればやろうね)。

今日の講義、目利きの観客になろうの第1回「観客としての感性を磨こう〜受け身でない観客になるために〜」については、8/30(木)にレジメをあげているのでそれを見てください。

文化振興課の佐藤係長によれば、昨日よりも早口になっていて「テンションがあがっていたのでしょうね、ピッチも1度ほど高音になっていましたよ」と指摘された。ずっと話す状態に自分を持っていっているので、そうなったのかも知れなかった。

夜、博多駅前の都ホテルに着く。岡山まで一緒の大森さんはこれから明日の大野一雄上映会の準備があると言っていた。

9/9(日)

京都橘女子大学父母の会地区懇談会(福岡会場)。都ホテルにて。福岡、大分、佐賀、熊本、山口のお母さんとご両親。1回生の父母が多いが2回生以上のご両親は就職や大学院進学のことにもっぱらの関心。橘のOGが呼ばれていて、そのニーズを果たす。

今年、通信制の高校の教員になったこのOGは、4回生の春にお母さんが病気で倒れ、地元で看病をしながら、大学へは深夜バスで通ったという。どうしても教員になりたくて、福岡市にある高校のアルバイトからはじめ、150人に一人の競争に勝った。履歴書に手紙を入れたこともあるが、家庭と勉強を両立させた彼女の努力や、物怖じしないしっかりした態度が採用者に好印象を与えたことは明白。

ただ、彼女は日本語の専攻なのに、英検2級を持っていることから(国語の教師は充足しているために)英語を受け持っているということ。それに、苦手だった数学も教えている、と。通信制の生徒はうちの娘のさきみたいな経過の子が多いだろうし、なかなかに実際の授業は大変そうだ。でも、イラストコンテストについては、美術大学の受験を考えている生徒もいるのですぐにファックスで流しますと反応してくれて、さすが、自分の希望した道に就職するOGは違うなあと思った。

午後からは、京都橘女子大学の創立1年前から在職している鎌田明子教授によるレクチャー。朝日新聞などを見て来ている人もいたが、もっと京都橘女子大学の学生なども含めて多くの人が聞いてみたらよかったのに、と思う内容だった。
「美しさの神話〜現代アメリカからの問題提起〜」。

鎌田さんは研究室にビデオを2台おいてBS番組などを録画し編集しているという。やっぱりビジュアルは必要だ(もちろん、彼女のテーマがビジュアルが不可欠ということもある)。ビデオでは、美容整形の話(マイケルジャクソンを手術した医者のインタビューとかバービー人形と同じように数十回整形し続ける人。アフリカ人やアジア人の特徴を減らす人たち・・)。1950年代のミセスアメリカのコンテスト(ベッドメイキング審査などもある)。

そして、拒食症のアメリカテレビ女優。スーパーチャイルド(精子バンクで頭のいい子どもを産むシングルマザー)の成長のビデオ(編集)。どんどん肉体の内部、遺伝子操作へと人体改造の欲望は深まっている。

結局は自分で考え自分で決められない他律的な人間の行きつくところなのだろう。特に女性の場合は、男性だけに女性美の神話を決定させられるのではなく、その決定過程に入り込むことで、内部から変えることが必要なのだという。当たり前に見えるがそれしかないと私も思った。

福岡アジア美術館は20時まで開いているので帰りにちょっと寄ることができる。企画展は小規模なもの〜「スダルシャン・シュッティ展〜現代アジアの作家-2〔インド〕〜や、国際交流基金アジアセンターが中心の企画〜「アジアINコミック展〜アート横断-1」である。それは、想像だが、来年3/21から「第2回福岡アジア美術トリエンナーレ2002」が始まるので、いま学芸員さんはこの準備で大忙しだからだろうと思ったりする。

でも、常設展を見て、「アジアコレクション50」を買ったり、かわいいインドの子鹿(ジャミニ・ロイ)が描かれたTシャツやカエルの蝋燭立てを買ったり、ここに来て実に正解だった。

ショッティの「椅子や机、ボート、弦楽器、飛行機などが機械仕掛けで動く、新作インスタレーション」は、8階で楽しむ(若者が多くロビーにいるなあと思ったら同じフロアにある「あじびホール」でお芝居があるのだった)。
インドの1961年生まれの美術家。ムンバイ(ボンベイ)を拠点としていて、ここの商業大都市の特徴が出ているのかも知れない(少なくともケララ州やパンジャブ地方に住むのとはかなり違う表現になると思う)。

このインスタレーションは特にインドの社会を強く意識させるものではなく、ほろ苦さもあるが自由で遊技性に溢れたものである。みんな、足で踏むと動くものでボートを弦楽器にしたてて弓で弾いてくれたり(音は残念ながら出なかった)、並んだワイングラスを載せた机の脚が伸び縮みして少しおどけたりするものばかりだ。

椅子に座ってマントを広げて自分がコウモリになった気持ちがしたし、飛行機の先端が折れ曲がるのは戦争へのまなざしもあるのかもしれないが、セクシュアリティとも関連しているように私には思えた。

アジアの漫画の方も、日本、中国、香港(中国)、韓国と並んでいて「私たちはどこへ行くのか?」という共通のタイトルで描かれているものがほとんどだ。北京に行ったとき、まちかどにドラエモンの中国語版が売っていたし日本の漫画やアニメのアジア進出はすごいなとは思っていた。

中国政府が自国の漫画振興をしているという。恋愛を描いたりストリートでの火遊びも少し描かれたりして、かなり表現の多様性に寛大になっているように思われる。日本の漫画をよく研究しているようだし、それぞれけっこう面白い。香港だけは「ガロ」ぽい不条理をもとに軽快なはずしをいれたりする作家を紹介している。

日本の作家は「アフタヌーン」に描いている五十嵐大介と黒田硫黄、それに「ガロ」のみぎわパン。
「ガロ」誌上では、80年代から続々と女性漫画家が輩出されているのだという。友沢ミミヨ、山田花子、ねこぢる、そしてみぎわパン。内田春菊や近藤ようこに続く人たちらしい。みぎわパンの漫画をみて大阪で観たウィメンズパフォーマンズアートを思い出した。それは、どこか共通するもの、「美化しない女性世界への直視」が感じられたのだからかも知れない。

この旅では、かなり前の発行だが、『インパクション125号』〜特集/グローバル・ミリタリズム』を読んでいた。武者小路公秀の次の発言は、「ヒューマン・セキュリティ」の原則に関わる発言だが、これは多文化の共存について広く当てはまるし、そのなかの芸術の多様性にも援用できる話だと思った。

《バイオ・ダイバーシティ(生物の多様性)という考えは、システムの中で最も弱い種を保護しないと、弱い種から多様性というのは崩れていくというもの。だから弱いものを大事にしないと人類の多様な人間の安全も守れないという問題がそこにあるだろう》。

もう一つの本。PHP新書143『自閉症の子どもたち〜心は本当に閉ざされているのか』01.8。著者は酒木保、48年姫路生。臨床心理士、京都文教大学人間学具臨床心理学科助教授。

自閉症児には「ここ」はあるが、他者の「ここ」と自分の「ここ」の間を埋める「そこ」がなく、「そこ」を自閉症児が発見することが課題であるということなど、興味深い話が、豊富な症例、治療例によって語られる。「そこ」の形成についても「あそこ」から「そこ」に近づく話など、色々なバリエーションがある。

少しの期間だったが、自分が大学4年生の時、文京区の福祉センターで自閉症の子どもを2時間ぐらい預かっていたことがあった。ほとんど車椅子をぐるぐる回したり、ただおもちゃで遊ぶその男の子のそばにいただけだった(パートナーの大学院の女性がその専門だったから)けれど、お母さんが買い物に出かけていく時に見せるその後ろ姿の様子を覚えている気がする。

最初の文章は、実は高松でも紹介させてもらった。応用範囲の広いことばだと思う。
《よく「自閉症児は分からない」といわれます。しかし、分からないのは、何も自閉症児に限られたことだけではないと思います。そして、子どもたち、とりわけ障害を持った子どもたちを見ていると、「分かる」とか「分かっている」というのは、物事が自分の思い通りに動いていることを指しているにすぎないのではないかという思いにしばしば駆られます。》


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