こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.8
8/1(木)
番外の「詩の学校」は應典院のお墓の中で行われた。そして。丼屋さんでの打ち上げ。これからお盆で忙しい元映画プロデューサーの住職が生チューをおごってくれる。そのとき、和装の詩人は。目の前のワークショップ生から「先生」と呼ばれ、前の恋人と顔を見合わせていた。
ぼくは、ちょっと「先生」と呼ばれることに慣れだしていた。せっかく。成績表もつけ終わって、上田假奈代先生のもと。ほっと詩のワークショップをさせてもらったのに案の定。自分が作った詩の後半は、学生たちを秋田住職に紹介するさもしい内容になっていた。
應典院を一日取材していた毎日新聞社の記者。彼女と一緒に歩いているとついシアトリカル應典院はいかにユニークかを語ってしまう。
あなたは関西の芸術環境評論家?
ううん、ただの詩のワークショップ生です。
こんな開放感は久しぶり。それは假奈代先生とお盆の前のお墓という場所のおかげではあったが。
風で燃えだしてしまう即席の行灯の火で、言葉を手書きで縦に綴り始めたら、忘れてしまっていた詩の感触がちょろりと蘇る。一度書きつけた文字をもう一度書き直す。少し見られるようになり始めた?
通貨のようにニュートラルを装って使っていた言葉たちが、少し自分に戻りそうになった。十代のはじめ、自分のためだけに書いていた文章、詩の試案、短歌のはずの短い綴り。ちょろちょろ。自分で自分を葬り去ったものが顔を覗かせた気がした。
もちろん、いま自分がこうして書いている日記や日録の言葉も自分の「ことば=事の端」のはず。でも。
それは自分が紹介したいアーツのための不完全な言葉でしかない。
授業の私の言葉は学生が整理して考えるための学生のための言葉。
そんな縛りが、お為ごかしが、結局自分の言葉を薄くしていたように思う。
自分の考えて生み出すべき言語の構造をステレオタイプにしていた気がする。
あえて。混沌のなかへ。自己満足かも知れないけれど(自己弁護や自己防衛、自己模倣よりはましだということで)。ちょろ、ちょろちょろ。8月は自分のために言葉を歩かせてみたいと思った。
8/2(金)
あるダンサーから「先生」と呼びかけられた。照れる。そんなんじゃないけれど。彼女たちのダンスはこの前の東山よりいい感じだった。いや何も変わってないのだろうけれど。きっと自分の見る目がその時はなかったのかも知れない。だから「先生」じゃないってば。
大きなこの大阪府の施設はがんがんと冷房が効いていた。今日は少し涼しい日だった。寒すぎるおかげで関節が痛くなった。帰りは歩いた。今日、言葉は出てこなかった。
中途半端なパブリックアートを食卓にして、野宿者たちが中之島の緑道で夕方の支度をしていた。彼らはタウンマン、自分はタウンレスだと思った。そして、ポエムレス。セルフレス。他人を「-less」なんて簡単に言えない。アートレスに行きつきそこから出発するのも、それは川俣さん自らの意思によるネーミングである。
アーツフルなはずの芸術見本市の書類が自分の右腕を重くしていた。この辺に「graf」というデザイナーたちの拠点があるはずだと思ったが、その建物は見つからなかった。
芸術に「見本」という概念はないのだろうと思う。(聞こえないぐらい小声で:それでもやっぱり、イベント屋さんのパンフをもらいながら学生の就職候補を探す目線になっている先生のぼくもいたんだけどね。)
コンテンポラリーダンスのショーケース。この大きすぎる空間に、メイン会場の音楽がもろに漏れていた。品のないショーが沈黙のなかでのダンスを困らせていた。こんなところでする意味があるのかどうか、分からなくなっていた。
それでも。
ブラインドをぐあーんとあけて、少し今風でない高層アパートたちをバックに踊ったアマンダの身体はのびのびしていた。松山のヤミーたちが終わってほっとしていた。
矢崎さんトリオの新作は装置がないからか、とても期待できると思った。じゃれみさんは今日が終わるとようやく夏休みだ、と彼らの日録で言っていた。
若いお母さんらに連れられて、珍しく子どもたちが多い。あとには怖いと言っていたが、踊りの間、男の子二人は由良部舞踏にちゃんと出会っている背中をしていた。
10階では和楽器の体験コーナーやクイズ博物館も出来ていて、ここにも子どもの姿が多く見られた。琴(箏という方が正しいのだったか)や三味線が学校教育に入ることで、少しでも音楽のあり方が変わればいいのだが。
田坂さんが書を天井からぶら下げていた。おみくじは大吉だった。
もうすぐNPO法人になるdance boxの大谷燠さんのお母さんが来られていて、二人とも鼻がそっくりだった。
事前申込みだったあるシンポのあと会場に入って(終わるのを待つと言っていたかこさんはすでにつーさんに会っていた)、ヘリオスの米田さんに、昨日届いた『自治体政策とユニバーサルデザイン』という本を渡した(苦労した学陽書房の編集者がうちは自治体以外にはまったく知名度がないからと嘆いていた)。
ぐうぜん、米田さんは、滋賀のぼくの部屋に泊まって美空ひばり館などに行ったヘリオススタッフたちとぼくの話をしていた(という)。
帰って、明日出かける娘らとダンスボックスの2本のビデオを見た。『i.d.』を踊るしげやんがアップだからか実際に見たときより悲壮に見えた。まだ、そんなに過去でもないのに、精華小学校の校庭、椅子のシーンがやけに懐かしい。
ぐりとぐら、大きな蕪、アリス、サンドリアン、ピーターパン。それらを短冊にした読読読読読のBISCOはどうしているだろう。
8/3(土)
昼間は家にこもって、188種類の「言葉」を読んだ。といっても、表面は現代美術中心のアーツレビューであり、裏面はうそっこのアーツNPO法人づくりの記述だから、そんなには草臥れなかった、学生たちの本音の声を直接聴くものではないから。
手軽さと建物のよさから京都芸術センターの訪問が圧倒的に多い。が、京都市美や京都国立、同時代ギャラリー(アートコンプレックス1928)と並んで芦屋や西宮の美術館もある。CAP HOUSE訪問記も。アーツカフェ論が答案に見られるのは予想範囲内のことである。
読んでいてその感動が一番伝わってくるのが大山崎山荘美術館の探検記だった。どうもグループで行っている連中などはアーツに縁遠かった学生たちみたいで、これが美術との初対面というのならばラッキーなことだと思う。
須田悦弘における職人的な技を極めようとしている姿勢と、驚きを生む利休的なしつらえの発想の大胆さが、特に西陣などの町家保存などに極めて関心の深い立命館大学の学生たちの共感を得るのかも知れない。
そういえば、須田悦弘(33歳)の紹介が夜テレビであった。山梨県立美術館に保存されている1993年の内壁すべて黄金の移動画廊(中に雑草が一輪)が彼の処女作品なのだそうだ。山梨出身の人にも保坂和志さんとかすごい人がいると、この前芳江は大山崎でさきに話したという(下の娘さきはとりあえず関東へ戻った)。
ただ、片岡鶴太郎展(京都駅前のギャラリー『えき』)のレビューが多くてこれにはのけぞった。そして、これが同時代的な現代美術だと思ったとわざわざ書いている学生もいて考え込んでしまう。
この問題で演劇を書こうととどうして思うのか不思議なのだが(演劇ダンスのレビューは小テストでしたから今度は美術だと言っておいたのにもかかわらず)、衛星のkiss(授業で学生が紹介したからか)の他に、前にもうんざりさせられた劇団四季まで登場する(私は甘いから出来るだけ善意に取って答案を読むことにするけれど)。
これを深読みすれば、こんな問題(現代美術のアウトリーチを中心に後半は授業をしたからなあ)はつまらないと思ったということにつながるかもしれないが、それでも大半の学生は神妙に答案を作成してくれていて、採点というささやかだけれど権力的な行為は同時にはひるがえって自分の授業を反省する時間となる。
小テストを2度とも受けて、このテストを半分だけ解答するだけで単位を差し上げられる学生たちで本試験を受けていない人がいるのは不思議だ。他方、就職活動で授業には出られなかったけれどどうしても卒業したいから何とか単位をくれ!と書いてあるものもある。昔のぼくだったらこういう陳情型は逆に厳しくしたかも知れない(いまはつねに淡々と、ひそかに温情的に)。
昨年度と違ったところは、+Aという90点以上の評価が設けられたところ。これは助かる。Aが80点以上のすべてということだと、どうしても70〜79点のBにくらべてかなりAが多くなって、遠藤先生に一番はじめに言われていた正規分布どころじゃなくなるからだ。
夕方扇町公園を横切る。遊劇体のテントがぽつんとあった。もうすぐ受賞パーティのある遠藤さんの姿が遠くの受付にあった。帰りの公園はビル越しに少し顔を出す花火を見る人たちで賑わっていた。夏の花火の魅力はなんなのだろう。
扇町ミュージアムスクエアではMONOの『きゅうりの花』が再演されていた。まったく古くならない舞台がさすがである。19:03〜20:40。もちろん土田英生の作・演出。嫁が来ない30過ぎの独身男は肩身が狭くなってしまう「村」における、健気で寂しい地域おこしのお話。どこにでもありそうでどこでもない田舎(下河部町)の若衆たち。日本風のしっとりした公民館の一室(美術:西田聖)。
初演時は、田舎の生涯学習事業やぱっとしないところの「地域発信」、隣村(上河部町)との無意味な競争、青年衆によるまちおこしの滑稽さなどに目が行ったが、今回もシチュエーションは同じなのに、普遍的な人間関係を描いたとても静謐な舞台だという印象が残った。登場人物たちそれぞれが有する底知れない寂しさ。そんな「弧の佇まい」が、それらのおかしさのなかにくっきりと彫塑されていた。
帰ると夕刊(京都新聞)に国土交通省が緑の回廊を造って都会に「風の道」をつくるという政策を載せていた。脱ダム志向のなかで国民受けのする都会型公共工事を提案したいのだろう。河川や公園、街路樹の他に屋上緑化とか壁面緑化なども関連してあるのかも知れない。
でも、ヒートアイランドの問題の本質はコンビニエンスをビジネスとするサービス産業が生む絶え間ない商品交通のための自動車交通量の削減(結果として緑を奪う道路整備が縮小できる)や、大量の電気を消費し続けている自動販売機の抑制だろう。
脱ダム化とともにファーストライフビジネスを制限しCO2削減に努力し、サービスの人間化=脱マクドナルド化を本気でする知事(候補)がいたら応援したいと思うし、環境省や厚生労働省こそそんな知事を奮い立たせるための政策を立案すべきだろうけれど。
8/4(日)
【日録ソネット*1 20020804】
大津市歴史博物館には、広告のなつかしいポップキャラクターが並んでいた。
大津の商店街が作った双六(すごろく)には、長閑な限界芸術の香りがする。
チラシやポスターの源流は、浮世絵の系譜に繋がる引札(ひきふだ)だった。
須田悦弘の真似をして、御陵のそば、夏に揺れる黄色い花を目で木彫にする。
博物館帰り今井祝雄のヘドロオブジェの中で、変調した道路音を聞いてみる。
三井寺の蝉たちは、八幡の男山の連中とは少し違って涼やかな声をしていた。
扇町公園に連れられてくる犬たちは、みんな動くぬいぐるみの小さいペット。
もうすぐ、子どもまでペットにする遺伝子ビジネスが生まれるかも知れない。
星野さんに会って、そうそう、魚灯を東福寺で見るべきだったと思い出した。
結局、佐藤真監督セレクション『ドキュメンタリー映画の世界』も見逃した。
二人で狂う、好きなだけ。密室でのイヨネスコ作品が公園で野外劇になった。
夕立の雨が舞台を濡らしサーカスの火の輪が煙をあげる。太陽のドラの叫び。
第2回の大阪野外演劇フェスティバルは、遊劇体の第35回公演で幕を開ける。
通りすがるアベックやおじさん、ヘビみたいな花火、降りてゆく飛行機の灯。
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企画展『広告博覧会』〜商売繁盛、北原照久コレクション〜。大津市歴史博物館、9/1まで。関連企画/まちかど広告スタンプラリー、第26回ミニ企画展『近代大津の引札』。
遊劇体公演『二人で狂う……好きなだけ』大阪・扇町公園特設野外劇場、演出/キタムラマサヤ、舞台監督/塚本修、照明/葛西健一、音響/大西博樹。19:37〜20:58。
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