こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.12
12/24(火)
アルティの4階の会議室。第7回「京の文化振興プラン策定検討会議(文化振興・条例)」。今日は、いままでヒアリングしてきた分野別現状分析の最後、ぼくが舞踊分野がないと指摘したことで追加されたものである。
文化芸術室長の三品さん、参事の吉川さん、杉山さんはじめ7名のほかに、舞台芸術ということからか、京都府立文化芸術会館の浅井均主幹(うちの安藤さんや小林さんをよく知っていてとても嬉しかった)とアルティ舞台芸術課長の船阪義一さんが出席していた。
はじめは日本舞踊分野として、坂東流の坂東温子さんから。冒頭、すぐに彼女が、どんなことを話したらいいのでしょうか?と船阪さんに聞く。それで彼らが臨席している理由が少し分かる。確かにこの分野と文化行政との関わりは、以前はほとんどなく(観光とか国際交流、生涯学習での施設貸与ぐらいか)、お稽古ごとが隆盛だった頃にはそんなことを議論する必要もなかったのだろうと思う。
京都において日本舞踊(邦舞)というと、大きく坂東流ほか西川流、花柳流、若柳流、藤間流などの歌舞伎の流れを汲む近世「舞踊」の系譜と、能楽からの系譜に連なる「お座敷で品良く舞う」上方舞に大きく分かれるということが分かる。
前者の拠点はほぼ東京であるのは歌舞伎の有り様から当然ではあるが、坂東温子さんが6歳の6月6日(これも決まりだった)に入門したときは、京都においてもとても盛んであり、それは女の子の教養でありしつけであるとともに、楽しみやら母から子どもに嗣いでいくべき「暮らし文化」の系譜でもあったと言える。
この文化は、子どもが高学年になると塾で忙しくなったことなどからほぼ20年前から崩れていき、いまでは入門する人も高齢の方が多くなり、子どもの登場する出し物はできなくなった。彼女が入門した頃はテープもなく自分で三味線を弾いてマンツーマンで「教え=伝え」たし、それでないといけないとされていたが、最近ではテープでグループによる教授法もさほど抵抗はなくなってきている。
観客の増加も課題だが、日本舞踊の仕草とか物語を理解するために必要な一般的な常識がすでに日常生活とはかけ離れていていまに伝承されていないことがネックになっている(物語といっても学校で学ぶようなものでなく、かつては大衆劇場などで娯楽として自然に身に付いたものだった)。
したがって普及という面では習いたい人を増やすことと見るための事前学習が必要であるとともに、関係者以外への訴求のためには演者の向上と創作やら他流との交流やもっと広く各種ダンス界との接触が必要だろうと思う。アルティは関西で一番そういう機会づくりに励んでいるとこうしてヒアリングすると改めて思うが、この分野のみでクリエイティブになるというよりもコンテンポラリーの人たちが「型」を見つけるためにとてもヒントになる分野ではないかと思った。また、前から気になっていた新舞踊についても話が及んだ。
後半はコンテンポラリーダンスということで砂連尾理さんに話してもらう。まずこういう場所が慣れなかったみたいで心配したが、彼の特質である静かでしかも諄々と語る教育者的な話しぶりに、杉山さんなどはあとでやっぱり人ですねえと感想を話してくれたりもした。
1980年代から集団主義より個を大切にする動きが出てきて彼自身も高校時代までのスポーツ少年からダンスへと移っていったわけで、東西の価値観が崩れる時代になってシステムの中でとらえきれない人間をいまにとらえようとするのがコンテンポラリーダンスなのだろうと話していた。NPO法人JCDNも含めて京都の貢献はこのコンテンポラリーダンスにおいてはとても大きく、アルティブヨウフェスティバルから始まったムーブメントが積み重なって(旧明倫小から京都芸術センター、日仏会館などでのレジデンスなどが絡み)、いま京都でワークショップをすることが海外ではとてもステイタスになっているという(伝統という京都のブランド力があるからでもあるが)。
東山青少年活動センター(京都市の文化セクターでは、全国的にとても珍しい旧「青年の家」のアーツを通じた青少年育成プログラムを余り評価でいていない感じがあるのはもったいないことだ)でのコミュニティアーツ的ワークショップの動きや、同志社中学校や京都橘高校などの学校での活動について。
さらに元白虎社のメンバーの紹介で、介護者と非介護者の関係を、「する-される」の一歩的な関係でないあり方でとらえるためにダンスワークショップをしているという福祉領域での話は余り聞いていなかったので新鮮に聞いた。コンタクトインプロヴィゼーションがとても活躍するのだそうだ。
このあと、河島伸子さんに彼女が2カ年にわたって行っている科研費(NPOについての項目が出来たのを察知していち早く彼女が獲得したのだという)の調査に関わって、NPO法人の動向を教えて欲しいと言われ、特に全国の映画の非営利活動におけるキーパーソン情報を伝えていると、あっと言う間に時間が経って、ぎりぎりで京都駅から新幹線に飛び乗る。
小倉へ。クリスマスイブの夕方に(あとで聞くと北九州芸術劇場オープニングのための大切な記者会見前夜に)市山裕之さんを改札口に立たせて本当に悪いことをしているぼくなのだが、悪い悪いと思いつつ彼に久しぶりにあって、とても有り難くかつ懐かしくて嬉しい。
八幡駅を降りて北九州市立響ホールへ。ここを施設見学かなにかで見させてもらったことはあるが、演奏を聴くのは初めてだ。秋にあった北九州国際音楽祭の関連プログラムの始まり(31日まで)。このコンサートの後に招かれている演奏家たちによる講習会(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)がある。
(北九州の詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記412」をみてね)
12/25(水)
小倉のホテルから船が見える。生憎の雨。風が強く寒い。
市山裕之さんが車で戸畑の北九州市立美術館(礒崎新の設計)まで送ってくれ、そこで7th北九州ビエンナーレ『ART FOR SALE:アートと経済の恋愛学』を見る。
まずは、お目当ての白川昌生(よしお)。美術における地域通貨をテーマに群馬県という美術界の地方圏域で活発な言動を展開している年配の人だ。awのメーリングリストでの書き込みもすごくまじめ。無人駅のパフォーマンスがよく言及されていたが、実は無人駅でお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べるというものだった。これは来年に福岡のどこかの無人駅で実際に行われるということ。
(このあとはアーツ・カレンダー「こぐれ日記413」をみてね)
レストランに行こうと思ったが白川部屋にあったカップ麺を食べてしまったので、そのままタクシーに乗って北九州市立大手町練習所へ。ここが演劇などの稽古場であり北九州演劇祭の事務局、そしていまは(仮称)北九州芸術劇場準備事務局である。たぶん、(財)北九州市芸術文化振興財団の一つの場所でもあるのだろう。
ぼくが乗ったタクシーの運転手さんは北九州芸術劇場が出来ることを良く知っていた。そしていま駅から小倉城見えているのに、これが出来ることで見えなくなって残念だという世間の声があることも教えてくれる。劇場の管理費などの議論があるかと尋ねるとこの人は好意的で、福岡市にはない北九州市独自のものが行われればいいんじゃないかと言っていた。ただ、タクシーが停まれる所があるのかどうか、利用する人が多いかどうかを心配していたが。
この北九州芸術劇場については、すでにかなりの年月担当してきた(確か6年)神野譲嗣(こうのじょうじ)さんから詳しく聞いた(が、予算要求の話とそれと密接に関わるスタッフ体制については2月議会が終わるまでは公表できないから、それからあとに授業などでしゃべることにする)。当初再開発の担当であり演劇や劇場についての知識はなかった神野さんがここまで学習して自分のことばで説明し文章化するようになったことにとても感動した。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記414」をみてね)
神野さんらに工事現場を案内してもらって帰ってくるとちょうど市山さんや津村さんらが無事記者会見から帰ってきていた。そのあと、熊本に行くまでよもやま話。たとえば、京都橘女子大学の演劇部の学生たちが鈴江、土田、松田らの名前をほとんど知らないし京都にいながら京都での数々の公演をまるで観ていないという寂しい現状を津村さんから指摘され、そのことは知っていながらも(演劇部以外の学生でもう少し外部を知っている者も少しはいるがどうしても賑やかな若手ぐらい止まりである)やっぱりいかんなあこれではと思いつつ慌てて小倉から熊本市へ向かう。
12/26(木)
駅から10分以上歩いてたどり着いたニュースカイホテルは広々として快適だった。すぐそばの白川沿いにはお地蔵さんたちが集まっているが、これは河川改修のために集められたもののようである。
熊本市へ足を伸ばしたのは今年になって開館した熊本市現代美術館へ行く(市電に乗ってみた。130円也)ためだった。でも、ついでに熊本県立美術館も観ようと思っていたからそのあとに行ったが分館も本館も閉まっていて(23日で終わり。あと閉館時間が私立は20時までなのに、県立は17時までなので、新しい美術館がかなりサービスを意識していることが分かる)時間が余ってしまう。
そこで、熊本の冠婚葬祭という本を買った後、仕方なく新市街というアーケード街でハリーポッターの第2作目を観た。本当にただただジェットコースターに乗っているだけの映画で原作はまだましなのだろうが、こういうのを子どもに見せている日本もアメリカも先はないなあと思うのに十分役に立つ体験が出来る。だから時代を知るためには観る方がいいのかも知れない(こういう時間つぶしをできる余裕のあるときでないと勇気を持って観ようとは思わないだろうが)。
熊本市現代美術館では日本芸術院会員・文化功労者『井手信通の世界展』をやっていて、仕方なくすでに終わっていた『ATTITUDE2002』の図録を買っておく。でもそこに紹介されている地元の養護学校の若き作家たちの作品は宮島達男の作品とともにまだここに展示(渡邊義紘)してあったりして見られるのが嬉しい。すごい全集(藤岡祐機)になって子どもの遊び場にマンガとともに置かれているのもステキである。
また、美術図書室が、プリンツみたいにリッチなカフェ的ソファーでロビーのように開かれてあるのもなかなかにすごい。ここでは富山近代美術館の情けない事件の記録本も読むことが出来るし、演劇やダンスなどの本も揃っている。
上の階にはキッズファクトリーがあってすでに壁まで子どもたちの楽しいグラフィティがびっしりで、各々によって考案されたチャンピオンベルトが置かれていた(ワークショップがあったのだろう)。その隣のホール(アートロフト)では金曜日に音楽のコンサートがあるようだ(月曜日には映画ロードショーも)。
12/27(金)
風邪がぶり返して、鼻水が止まらずほとんど何もせずいた。さきが関東から帰ってきてごきげんさん。はなはいい部屋が茶山のプリンツのそばにみつかり1/15から引っ越すと言う。
12/28(土)
今日は、伊丹のアイホール(SHOW CASE)へ行く予定だったが、まだ出かけるだけ回復していない。だから、この日録=日記を書くのが精一杯。
ただ、はなの言語学リポートを少し手伝った後。私の身体・・という三上先生のレポートをはなが書く準備のために、二人でブレーンストーミングをする。たとえば、演劇的身体と舞踊の身体、歌うときの身体の違いについて、はながいろいろ体験的に話すのを聞きながら、空っぽの「からだ」に「身=味」をどうやって容れるかの違いだということを認識し合ったりする。でも話した後こちらの身体がぐったりとしてしまったが。
12/29(日)
芳江とはな、さきは大阪野田の両親の家に行く。かなり親父は元気になったようだ。電話をすると、野田に一足さきにお正月がきたと親父が行っていて、はなとさきは家にあった晴れ着を着て写真撮影をしようと、親父が久しぶりに外に出てカメラを構えたりもしたという。3人はお年玉に加えて、はなの成人祝いまでもらって帰ってきた。
今日から、「都市研究・京都」第15号の原稿に取りかかる。8000字ということ。頼まれたのは財団法人大学コンソーシアム京都事務局。1/7の締め切り。「2222円/400字」が執筆料である。
テーマが難しい。『京都の文化力とは』で、「全国の様々な地域の文化振興に関わってきた観点から、京都の文化力について検証する」というのが依頼内容。2000字ほど書くが、どうも文章が長々となって苦渋の色が見えるものになっている。風邪のせいもあるが、それだけでもないかも知れない。
12/30(月)
昨日よりも原稿が進む。夕方出来上がり、メールしておく。とりあえず目次だけ、ここに書いておく。発行は来年3月。これも含めて、秋に出せそうな単著(いまのところ「アーツマネジメントみち〜未知を孕むまちづくり〜」というタイトルが一番の候補)にしようかなと思っている。
京都の文化力とは〜各地の文化振興動向から京の独自性を探る
1.はじめに〜文化の力とは何か
2.最近における国の文化振興の動きを踏まえて
3.地域の芸術政策成立過程を振り返る
4.スタッフの顔の見える自治体文化政策
5.ヒューマンウェアをベースにしたシステムウェア
6.京都のヒューマン文化力を概観する
7.京のアーツヒューマンウェアの諸相へ
12/31(火)
今年一年のニュースを見ると、拉致事件以前の政治のゴタゴタがとても昔のことになっているのに、ああと思う。レコード大賞のテレビを観ていて、なんと自分と無関係な世界だろうと思うが、1年に一度ぐらいは辛抱して観ようと思い少しだけ観る。元ちとせがこの中ではまだまともに見える。
そうそう、森山良子がかなり痩せていた。テレビドラマに出たりしているらしい。もう少し艶やかな声だったのではなかったか。でも「サトウキビ畑」がギターだけで歌われているときだけわが家は静かになった。結局、今日もどこも行かず。
本当は、風邪がかなり良くなったので、京都みなみ会館へ行って19時過ぎからのエリック・ロメール監督の「緑の光線」を観ようかと思ったが、娘らに反対され断念。彼女たちがおせち料理をつめるのをぼんやり観ている。
やっと読んだ本は、森岡正博『生命学に何ができるか〜脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房、2001.11)。読むことが対話になる著書。彼と一緒に芸術と生命学の関係について聴いたり話してみたいと思わせるし、まだ観ていないがHPも読みたい。
少し彼の流れたゆたう文章を引用して、平穏なでも色々と考えることの多かった年の暮れとしよう。
《たとえば中絶を選択してしまった私の心の中にあるエゴイズムと、大切な生命の萌芽を殺してしまったという後悔(あるいは大切な異性との関係性の結実を無化してしまったという後悔)の衝突から生じるところの、荒波のような私の揺らぎに焦点を当てて、その揺らぎの内実と、揺らいでいる私の存在のあり方について、ゆっくりと地道にことばを「語り出して」ゆくことができる。傷つけたこと、殺したこと、奪ったこと、選択してしまったこと、それらが否応なしに突きつけてくる〈揺らぐ私〉のリアリティを、具体的な経験に即して語り出し、互いにそれを聴き、自分の場合はどうだったのかを再考し、けっして分かるはずのないものをそれでも伝えあっていこうとする無限の試みこそが、生命学の営みとなるはずである。・・》(p129)
《・・たとえ、子どもへのある種の遺伝子操作が法的には許容されたとしても、自分の子どもをそのように操作したいという親の欲望を実現することが、ほんとうにその子どもにとって良いことなのかどうかを、大人たちは考えなくてはならないはずだ。具体的な場面において、ある欲望を追求することが、長い目で見てほんとうに私自身や私の大切な人々を幸せにすることにつながるのか、悔いのない人生を送ることにつながるのか、ということを絶えず考え続ける必要がある。人々は、往々にして、そのような思索を十分に行なわずに、目先の欲望充足へと走ってしまうからである。具体的な場面において、われわれにそのような思索をうながし続けるものこそが、「知恵」である。これからの社会において必要なのは、われわれに権利上与えられた自由を、みずからのためにあえて行使しない「知恵」だ。そして、それがけっして苦行や禁欲にならないような道筋、けっして他人への強要とはならないような道筋を案出しなければならない。欲望追求によっても、苦行・禁欲によっても、われわれは豊かな人生には至れない。かと言って、ほどほどの欲望の満足というかけ声だけでは、何も言っていないのと同じだ。その間を縫って、悩み、ゆらぎ、おろおろしながら進む「知恵」を、われわれは創造しなければならない。》(p415)
たぶん『これからの社会において必要なのは、われわれに権利上与えられた自由を、みずからのためにあえて行使しない「知恵」だ。そして、それがけっして苦行や禁欲にならないような道筋、けっして他人への強要とはならないような道筋を案出しなければならない。』と彼がいう道筋が「文化」と呼ばれるものであり、文化政策学徒も同じようにその道筋を探索するのだろうと思う。
ぼくはとりわけアーツというみち、アーツマネジメントという「未知孕み」によって、グローバリズムが唆す欲望から「文化」が踏みとどまるための勇気と友愛を人びとがまず養えるような環境づくりをすることになるのだろう。
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