こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.2
2/1(金)
文化政策学部だけセンター入試をしないで、独自に前期日程Bというのをすることになって、56名のテストをまた全国で行った。
今度は日帰りで大阪会場(阿倍野YMCA)の監督補助役だった。大阪は13名、試験用紙を配ったりする。3人はルーズソックスでやっぱり下火になったといえ、ルーズソックスは根強いものがある。
大学に戻って、入学課が作る学部独自パンフの取材、TAM研について。
そして、京都橘女子大学文化政策研究センター運営委員会。
運営委員会では来年度の事業についての大まかな考え方を議論した。センターの研究補助的な人材はなんとしてもほしいものだ。タフ2は勿論6/2に行うしコンテストも1ヶ月ぐらい早い日程でしようと。私からはデザイン料を印刷費とは別に出せないかという問題提起をしておいた。
また、8月ぐらいに京都府のリカレントセミナーを運営委員がすることになる(とりあえずはじめてのことなので)。京都橘女子大学にすると、受講者はいるだろうか?4日間3コマずつ4人が1日ずつ講義する。文化開発(端)、まちづくり(織田)、文化経済(金武)そして私のアーツマネジメント。私はコーディネート的なこともしますと、自分から言い出した。そうしないと受講者にとって1日ごとの断片になるからだ。
京都府外の人にも開かれているので、遠い人で、夏休みに集中的に文化政策のエッセンスを身に付けたい人にはいいかも知れない(ただ、受講料2万円ぐらいは必要だけれど)。夜などは京都の文化探索にあてれるし。そうだ、希望者は夜の京都のアーツシーンなどを私が案内しましょうかね。
そのあと、拾得へ。入るとはながステージでしゃべっていた。「涙でる人」を歌う導入のMC。そして最後に「白い雪」、渋谷アピアではじめて歌った15歳の時の歌だ。
えー?もう終わり?19時からの始まりだったのか。50人ぐらいが入っていていい感じにいっぱいになっていた。水口町碧水ホールの上村さんが聞いてくれていた。酒游舘以来だ。知らない曲が多い中で、やっぱり「靄(もや)」はいいと言ってくれる。覚えてくれていたのだなあ。
咳はまだ喘息ぎみだが、声の不安定感はだいぶんなくなってきたようでほっとする。9曲の予定を8曲にしたらしい(「君に捧げる歌」へといく前のプロローグとして小さな詞「東寺のそばで」をポエムリーディングみたいにしたともいう)。
次は軽快な三上ゆうへい。焼酎のロックを本当に注文して、その唄をうたうなんていい雰囲気。笑いがこぼれる。はなではどうしても笑いを作れないから貴重だ。3拍子の曲が多い。絵が一枚もない美術館にカンバスを立てて絵を描いているおじさんの唄は、前もレッドライオンで聞いたが、名曲だ。彼は歌詞が特に気持ちいい。
最後に、東京からきたという「きよみとくみこ」。アコーディオンの伴奏がなかなかうまかった。アコーディオンの人が神戸出身でその関係のお客さんも多かったみたいだ。バザールカフェの人(=グッチさんがさきのことを聴いてくれた)やはなの大学の友達/先輩、それにうちの大学の2人(村田さんと岡田さん)も来てくれた。この前ウララでお世話になった脇秀樹さんがせっかく来てくれたのに、はなは終わっていて、悪いことをした(3/15に脇さんのコーディネート、あのウララで三上ゆうへいとかっちゃんらのライブがある)。
2/2(土)
昨日の問題の採点。この前は政治経済と英語だったが、今度は国語。けっこう、昨夜が遅かったせいで採点の集計間違いをしでかしていた。織田先生らがきちんとチェックしてくれたからいいけれど。
14時に中西美穂さんが6/2のタフ2の実測に来る。彼女が京都精華大学の学生だったときもそういえば大学を使った展覧会(パフォーマンスつき)をやったことを思い出したそうだ。6/1に準備して軽くパーティ。6/2に来れない人も6/1の夕方に来ると展覧会に参加できそうかもね。
タフ1も假奈代さんが日記風のプロセスを当日パンフで公開する予定だが、タフ2でもなんらかの形で制作過程も展示に入れようかと彼女は考えている。これはとても楽しいし、こちらの授業にも反映できるので、とても良いアイディアと思った。2回生の事例研究のチームにタフ2担当を配置したらいいかも知れない。最初の授業でこの中でとりわけ貧乏な人、手を挙げて、と聴いて。
京都府立府民ホール“アルティ”へ。京の舞台芸術新生事業『創造空間2002』の始まりだ。アルティ・ブヨウ・フェスティバル特別公演『ダンスの未来』クリエイティブネットワーク/ユニット「n」。19:05〜20:05。
入るとカメラが客席を撮してそれが舞台に映し出されている。映像/豊崎洋二。確か、これはNPO法人JCDNが係わり、15名のダンスサポーターを集め、その人たちが視たいダンスパフォーマンスをまず選び、その人たちとワークインプログレスによって作りあげたものだという。
15名もいて、その意見がまとまりしかもアーティストたちへうまく伝わるのだろうか?多数決になるとそれは「未来」が見えるのではなくて、いまの観客層の見たいものの欲望が出るのではないだろうかという気持ちもするが、なかなかに挑戦的な企画だった。
ダンスが宮下恵美子という人。美術(高原尚司)や照明(岩品武顕)はダムタイプを分かりやすく巧みなテクニックで表した感じのプロたち。そのなかで行儀良くダンスも収まっていた。
ふと、お能の発表会で稽古中の人が、プロのお囃子に支えられて舞っている舞台があるがそれにちょっと似ているように思った。踊っている人たち(4人の女性と一人の男性)が緊張しているようだったが、こういう大きな舞台に出るのは良い経験になるだろう。
音楽は寒河江勇志。サックスとフルート。コンピュータ処理。千野秀一とかと共演している人という。どこかで聴いたことがあるかも知れない。田中沢という人とも共演と書いてあって、これは田中泯と違うの?と五島さんに聴いたがそうではないだろうという。
すぐにさきがお世話になる田中泯さんをすぐに連想する私。彼らがいる敷島町に俳優のPが女に追いかけられるとかで逃げてきたことがあったそうで、さきに、その男優が自分は女よりも自分の子どものことを考えたいのに、と話したということを思い出す。船戸さんがひきたまさんと一緒にいた。二人のセッションが聴きたいのだが、なかなか聴けていない。
2/3(日)
何も誕生日祝いを買っていないので(芳江は赤い花をつけた安い植木鉢をつじとみで買ってきていた)、私は那珂太郎の「音の歳時記」を、19歳になりたてのはなの部屋で読む。
《・・二月 ぴしり:突然氷の巨大な鏡がひび割れる ぴしり、と きさらぎの明けがた 何ものかの投げた礫のつけた傷? 凍湖の皮膚にはしる鎌鼬? ぴしり−それはきびしいカ行音の寒気のなか やがてくる季節の前ぶれの音・・》
去ろうとすると、化粧している間、ずっと読んでいてよとはなに言われる。娘の化粧のためのバックポエムか。ああ。《・・血のねむり乳のねむりちちの實のチイズのねむりは/よどむヨオグルトの夜あけのそらの裂けめから/めばえるむらさきの焔のほさきの欅のこずゑに/小鳥のあへぎのしびれる舌がふるへだす/あをざめた浅葱のあさへ》(那珂太郎「ねむり」より)
2つとも中期の詩集『はかた』のなかの詩編(思潮社*現代詩文庫144「続・那珂太郎」)。詩集を出したのは彼が50歳を過ぎてからだが(1975年)、きっとこのあたりの詩編を書いていたのは私と同じぐらいの年齢の時だろう。
さて話は昔話になるが、那珂太郎がこれらの詩を書いていたときの私はといえば、ビクトリア朝の猥褻話の紹介されている雑誌とか、美術の図版、サドの小説や那珂太郎の詩で自慰をしていた。
自分が夢精を繰り返して夜中に深い縁に落ちる夢を見ては飛び起きたのが小学校高学年。その頃は自分に生えだした因果な陰毛がいやで剃刀でそっていた。中学生になってからは(たぶんオナニーの仕方が分かって夢精はもうしなくなったはずだが、陰毛が仮性包茎の皮に引っかかり痛くて夜中幾度も目覚めたような記憶がある)、中原中也や室生犀星、荻原朔太郎などとともに、買ってきた那珂太郎の詩集のなかの『音楽』の詩編のなかのこんな詩句からエロスのざわざわとした肉感を刺激され続けていた。
特に、中学1年生か2年生の夏休み、ずっと2階に上がったきりこれらの詩を音読していて、声変わりした低い私の声に近所の人はのぶおちゃんが「お経」をあげているとみんな思っていたそうだ。
《a: からむからだふれあふひふはだにはえる毛/ /なめる舌すふくちびる噛む歯つまる唾のみこむのど のどにのびる毛/くらいくだびっしり おびただしい毛毛毛毛毛毛毛毛・・・・d: ゆらゆるゆるゆれゆれる藻/ぬらぬりぬるぬれる藻/もえるもだえるとだえるとぎれるちぎれるちぢれるよぢれるみだれる/みだらなみづの藻のもだえの毛のそよぎ・・》(『〈毛〉のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス』より)
そうそう、「展覧会」について水口町碧水ホールで3/9にトークしなくちゃいけないのだった。上村さんはいつでもいいよと言ってくれていたけれど。とりあえず、「展覧会」を漢和辞典で調べてみた、1字ずつ。
「展」:広く見る。つらね並べる。「尸」は人があおむけに寝ている様で、死骸(あるいはカタシロ)が上向けに並べられているところからのようだ。
「覧」:いちいちよく見る。この文字はもともと「監」と「見」から出来ていて、その「監」は水鏡に人が下を向いて顔を映している様。
「会」:會は、「集」と「増」が上下に合わさったもの。そこから、出会う、出くわす、寄り合うという意味が生まれたということ。「会館」とはもともと同郷人の親交や相互扶助などを目的とする事務所という意味だったそうだ。
昔の日本人が中国のこのような意味深長な文字を驚嘆しながら学習した飛鳥時代のことをふと思う。西洋言語などのことも少しは知ってしまった私たちでも、すごく感動してしまうほどだからなあ。ついでに「企」:爪先立って伸び上がる。
伊丹・アイホール共催/劇団態変『マハラバ伝説』作・演出:金満里。去年ベルリンで初演したが、日本では今回が初演となる。4公演のその最終公演。
楽日なので、本公演終了後、役者以外に黒子大勢や舞台監督(塚本修)、照明(岸田緑)、音響(秘魔人)スタッフまでが紹介される。
立ち上がって去ろうとするお客さんたち。ところが、音楽がまた流れたかと思ったら、アンコール的に態変の人たちがまた踊り出た、今度はにこやかに伸びやかに自分の身体のままで。この作品がかなり物語性を全面に出した無言劇の様相を呈していたので、やっといつもの態変に特徴的な身体性をも直接眺めることができ、得した気分。そして15:41にすべてが終了。
燐光群の坂手洋二さんが、週末の名古屋の世界劇場会議とか演劇人会議などで名古屋に来ていて、今日ここではじめて態変の舞台を見れたと横に座って話している。いつもとはどう違うのですか?とか、服を着てまた脱ぐというのはどういう象徴でしょう?とか坂手さんから尋ねられる。
が、こちらも金満里さんではないから要領よく答えることも出来ず、少しだけ最近の態変の様子を伝えるのみだ。つまり、私がはじめて態変を観たのは大野一雄とここで一緒にやった舞台からで、最近は結構生死のシンプルな表現や、自分の母親への純粋な思いを表現したりしていた。確かに身障者の舞台への参加を進めたりはしていたが、社会政治的な主題はダイレクトに現れないものが大半だった・・・と。
私は劇団態変を、言葉を伴わない身体表現のなかでも特に広義のコンテンポラリーダンスとして鑑賞しているし、その部分で、とても強度のある身体表現だと思っている。したがって、今回でもそういう目線で6割ぐらいは見ていた。だから、アンコールはいつもの井上朋子の動きが見れたりして美味しいボーナスになったわけである。
もちろん金満里自体は従来のジャンル分けに組みせず、従って自分の表現をダンスとは規定しないで単に「身体芸術」と述べ、そのなかでも抽象度の高いものが91年以降、最近までの作品だった。その上に今回は、「抽象の上に具体を織り交ぜ、どちらにも傾かない身体芸術としてストーリー性も伝えられる」身体表現を企図したと当日パンフで語っている。
(内容の詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記314」を)
昨夜のダンスにも鑑賞者が選ぶことの難しさを痛感したのだが、OMSで内に閉じた自分には何も届かないステージを見た。創っている方もそうだし、ここにこうしていっぱいに集まった若者を理解するのも困難を極めるだろうな。OMSにはなじみのない人たちが多い。前売り2500円!
ロヲ=タァル=ゴガ(草壁カゲロヲ主宰、白塗りで登場もしていた)『数独1』。脚本・演出・作曲・映像:近藤和見。この人がはじめに登場してていねいに説明してくれる。感じもいいしきっといい子なんでしょう!。言葉を書いた豊原エスという女性と、足田メロウというイラスト(ストリートアートかも知れない)の人を最後の挨拶の時に紹介していた。
一言でいうと、前にOMSでもやったことのある「フィーリングアート」の若者版である。首を傾げ肩をあげることを何度も繰り返す動きとか、ワイヤレスマイクで言葉を叫ぶだけのシンプルで繰り返しのみの舞台。まあ、こういうのですねと静かに退却するのが一番いいのかも知れない。
見たことのある役者がいた、南船北馬の片桐慎和子だった。
詩というには何の変哲もない教訓言葉。絵はシャガール的イラスト。「死んだら宇宙に出よう。青い地球を見よう」とか「自分のやっている事に/誇りがあれば/理想がしっかり/像を結んでいれば/憧れることに/責任を持つなら/それが前人未到であるという事は/さして問題ではない・・」。いやはや!
こういうセンテンスを大声でしかもマイクつきで聞かされる。維新派よりも聞き取りやすいから逆にしんどくて死にかかる。が、最後にラクビーのタックルみたいのを次々にしてみんなが集まってくる。これは面白いと思った。首を相手のお尻に隠して集団で押しくら饅頭・・・。なるほど、自分たちを意外と良く知っているかもね。
無辜の善意の集合の閉塞。
帰りの京阪電車の中で須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫、95.11)を静かに読み終える。
《・・それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということ、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったようには思う。》
先ほど見てきた舞台も「孤独」がテーマ。でも他者には遭遇せずに「自分かわいさ」の周りを巡っているだけだ。同じ所から出発しても道がこうして分岐してしまうから恐ろしい。
「(丸い静かな)月と(ブリキの丸い文化)勲章」という比喩を、「月とすっぽん」の替わりに色々使おうかと思っていたら、隣の席のかなり風体が変な初老のおじさんがビデオカメラをやおら構えて立ち上がり、通り過ぎるパチンコの月のように丸い輪になったネオンサインを撮っていた。またうまく撮れなかった!、そう呟く彼はいつも京阪沿線のパチンコのネオンを車内からなぜか撮影している人なのだろう、ヘンなの。
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