こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.1



106.1/4〜1/6

1/4(金)

去年の同月同日の「こぐれ日録」を見るとJIAMに出勤した後、すでに1つ展覧会を見て「こぐれ日記」に書いている。今年は出遅れているな。それにしても随分昔みたいに思う。さきが入試前だったのは、今年も同じだから奇妙ではあるが。おふくろがおやじの看病でこの1年間でかなり草臥れたことも思う。昨年の正月は、はなにおふくろは民謡を教えてくれていた。

逆に出遅れなかったのは、バーゲン。四条河原町界隈はすごく多くの人が買い物をしていた。特に藤井大丸の1〜2階は多くの女性でごったえすなか、芳江のジャケットやシャツなどを「JOURNAL STANDARD」でゲット。このお店は70年代の匂いがする。SHIPSなどは芳江には無理だが。
私の方はBALのコムデギャルソンでベルトを2本買うのみ。あとは破けてきた黒のスニーカーの替わりにオレンジ色の運動靴。

はなは岡山駅で大森誠一さんに会ってそこから津山市へ。27日に歌わせてもらう作州城東屋敷に車で連れてもらったという。「つやま芸術祭」がこの27日から開催されるからだ。HPで調べると半年前から作品が募集されていて、北川フラムさん、大田三郎さんらが関係していた。

はなは、11時から30分間ずつぐらい、このお屋敷の付近や中で歌うという。アカペラとか色々。ふらりと立ち止まって聴いてもらう感じらしくて路上ライブのバリエーションみたいなものか。ダンスグループのLaftや朗読の人も一緒らしい。

大阪駅前からノンストップで3時間弱。こっそり行けたら津山に覗きに行くのも面白いかも知れない。津山市文化振興財団がしているのだから金道さんも関係しているのだろうな。

文化環境研究所ジャーナル(株式会社乃村工藝社)のサイトに、「芸術のリボンをまちに結ぶ/京都橘女子大学文化政策学部こぐれゼミの途中リポート」(http://db.bunkanken.com/journal/journal_data.php3?id=45)がアップされる。さっそく美術品観察メーリングリストに紹介すると林容子さんから、参考になったとお返事があって嬉しかった。みんな、ゼミとかは悩むよな。(新川貴詩さんからも天文台職員についてのありがたいメールあり。確かに天文台職員になりたいと書いた彼女は大きく成長した。)

このゼミサイトを学生の携帯電話にメールするとまたアドレスを変えている子がいる。いろいろと携帯被害があるんだろう。それにしても、大学に来て若い人たちを観察できるようになったことがこの1年の私の一番大きな変化だ。ポップス情報はほとんどついていけないが、ポルノグラフィーというバンドが馴染みやすかったり、ヤイコ(矢井田瞳)は歌は大したことはないが、しゃべり方とかはナチュラルで関西やなあと思ったりする。

京都みなみ会館で買っていた中古のビデオを芳江と観た。芳江が始まってからずっと泣いていて、私も思ったよりそんなに悪くない映画だと思った。戦場カメラマン、一ノ瀬泰造の短い26歳の記録。同じ年に生まれた浅野忠信が演じていて、落ち葉を踏む彼の足を映されるだけでどきりとする。

1999年、111分。One Step on a Mine,It's All Over『地雷を踏んだらサヨウナラ』、浅野忠信主演、チームオクヤマ第一回作品。ビデオのパッケージを見ても監督(五十嵐匠)の名前は小さい。

カンボジアにもベトナムにも泰造を慕う女性が出てくる。なぜフリーカメラマンになったのか?その正義観とかは全面に出ているわけでもなく、また一緒に戦場にいるアメリカのカメラマンのように妻が浮気して逃げ出してきたというような具体の理由もない。

平和な日本の虚無感というのか、そういうものがこの泰造にはあったのかも知れない。学生運動や70年安保のあと、そんな70年代初頭の日本とカンボジアのクメル・ルージュやポルポト政権下のカンボジアの落差がよくはもうぼくにも見えなくなっているし、この映画もクリアにしているわけでもない。

ただ、カンボジアや南ベトナムの子どもたちがとても泰造を慕っていること。泰造の両親や姉のこと。彼がアンコールワットを撮したいという憧れを引き出すきっかけとなった、戦争犠牲の幼い命が切々とさせるのみだ。ビデオが終わってから流れるカンボジア観光旅行の宣伝のなんと皮肉なこと。

このときにもアフガニスタンでまたカメラマンが亡くなっているのかも知れない。見なければ見たいとも思わない戦争映像なのに、見せるといえば見たい欲望が生まれるのだろう。その「怖いもの見たさ」の欲望創出過程でマスコミビジネスはほとんど成り立っているわけだ。

当時のカンボジアを描くのは日本では難しい。ただ、それに向き合った日本のカメラマンの姿(カンボジアの人びとと同化して行き死ぬことが怖くなくなっている)がちょっとシンプルすぎるが、浅野の魅力と残された写真や実在の話のリアリティがずっと私たちを惹きつけたのだろうと思う。

1/5(土)

文化庁長官に河合隼雄さんがなるという。なるなら文部科学省の大臣の方がまだ相応しいだろう。どちらにせよ彼としては70歳を越えて文化行政をひっぱり新しいビジョンを創ろうとは思わないし、もしそうしようとしても周りは動かないだろうな。やっぱり、もう少し若い人がなるべきだ。

文部科学省の中に文化庁がある限り誰がしてもだめだろうと思いつつ、自分が選ぶならば誰がいいだろうとちょっと考えてみる。年齢的にも若くできれば女性・・・たとえば、熊倉純子さん。彼女なら現代美術を核としてアーツマネジメント全般に通じているからばっちしだ。理想的なのは現実的でないとして、もう少し現実的に考えると:加藤種男さん、秋田光彦さん、・・これでも理想的だな、では、有名どころで鷲田清一さん・・・あとが出てこない。

民間から文化庁長官になった三浦朱門とかいう人が昔やったことといえば、「国民文化祭」という文化部門の国民体育大会もどきを作ったことだ。これにはほんとに情けない思いがした。生涯学習フェスティバルとかいうものも出来ていて、都道府県は誘致合戦をさせられている。(国体の第2巡目が北海道で始まろうとするときに何とか国体はやめるか規模を縮小してほしいものだと福岡県教育庁で思っていたら、北海道は馬術部門を拡大したりして憮然としたことを思い出す。)

小泉さんとかいう首相が歌舞伎とオペラが好きなのだという。「教養ではなく道楽」、この言葉が歌舞伎とオペラの共有点で、それが分かれば十分(道楽にできない教養レベルの田舎出身オペラ愛好家がまた多いのも特色)ということを、たまたま、『オペラと歌舞伎』(永竹由幸、丸善ライブラリー、1993)を読んでいて納得する。

この小冊子は、少し眉唾だったり、大丈夫かなあという戯れ言も多いが「女形とカストラード」の比較など面白い雑学になる。でも、冗談にしてもこの出だしはないだろう(歌舞伎とオペラ好きの人たちは大体こんな風なのだろうなと、同じような感じの数人の人を思い出したりした):

『第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった。オペラを持たない鬼畜米英は、ヴァーグナーを軍旗とするドイツ第三帝国とヴェルディ軍旗を掲げるイタリア共和国、並びに東洋に於てオペラと同様の文化産業である歌舞伎を持ち、大東亜共栄圏をめざす大日本帝国に対し、これ以上大きな文化的格差をつけられることは国民的屈辱であり、全世界における彼らの利益を損なうと判断した。かくてオペラを持たぬオランダ、オペラを半分しか持たぬフランス、ソ連等とかたらって、日独伊の三国同盟に対し、戦争を起こさせ、それを叩こうと言う陰謀を抱いたのである。』

今日までお正月のつもりで芸術訪問もしないで家にごろごろしていた。溜まっていた日経アーキテクチャーを読んで、多治見中学校の巨大な縁側っていいなあと思ったりするぐらい。

1/6(日)

平常の日々へ。はなが梅田の周辺部として注目されつつある中崎町でモトキシノブさんがやっている写真の個展を見に行くというので、一緒にお出かけ。
まず、天満駅から扇町ミュージアムスクエアへ。ここで第6回目の「OMS FLEA MAEKET〜フリマへいこうよ!!」が開催されていた。

フリマはアーツの交歓の場としても地域通貨とのからみとしてもとても興味深いものだと思っている。それに学生などが入り込めやすいから研究とか制作のエレメントとしても最適であるからだ。冬は野外よりもホールの方がほかほかしているし、OMSのような固定席がないホールでは手軽な企画だと思う。

40ブースが埋まっていた。昨日の方がアート部門の出店が多かったようだが、昨年暮れ西陣ほんやら洞で会った橋本姉妹も出していた。妹さんはちょっと100%ORANGEさんに似ているなあと思う。他にも水彩でうまいイラストを描いている人やディジリドゥを売るお店もあった。

1.8m×1.8mで2000円(11:00〜17:00)だと松井さんに教えてもらう。支配人の山納洋さんらが出しているブースもあるというので覗くと300円の緑のセーターが2枚あったので買ったりもした(一つはちょいと小さかったので芳江が着ることになる)。

10円で売っていた文庫本をおまけでもらう。私が選んだのは、『詩集ロマンス』銀色夏生、角川書店、1990年の発行。銀色夏生という人はよく本屋で見かけたしこの人ぐらいになったら詩人としてもポピュラー路線だけれど印税で食べれているのだろうか、と思ったりする。

中崎町へと歩いていく。賑やかになる手前を北に行くとすぐに高架が見えて中崎の地下鉄駅があった。実に近い。4番出口を起点にすると分かりやすい。北に行く道を少し上るとすぐに右側に学校がある。その向かいに、じゃれみさダンスワークショップをしているモトキシノブさんの個展会場、gab galleryがあった。あっけなく見つかって拍子抜け。ここは男物の小さな洋服ショップと並んでいるほのぼのとした小空間だ。

14時から開廊だったので、実際は假奈代さんらの集まりの帰りに寄ったのだが、話の流れで書いておくと:
motokicks photo exhibition #4『keep walking』モトキシノブ。12/16から約1ヶ月開いている。友人とか、あるいはふらりと入ってきた人が置かれているノートに言葉を丁寧に書き込んでいる。

この展覧会では、被写体が3人のおともだちであることや、本にもなっていることで、展示とは違う見方が出来るので、ゆっくりと隣のノートにも言葉を書こうかなという気持ちが湧き出るからだろう。モトキシノブの写真は芸術芸術していない心の風景の一瞬だったりするけれど、そこに淡い友情の襞が見られたりする。

昼ご飯に行きたかったお店(canetonなど)はまだ開いていなくて、これも古い家を改造したカウンター中心のカレーカフェで食事(でもカレーは市場が開いていなくて仕込めなかったということでサンドイッチとコロナビールとなった)。はなもがぜん、野田の実家をバーかカフェに出来ると考え出したようだ。

まだ早かったが明かりがついていたので、SALON DE AManToへ行く。ここのマスター、Junさんがお正月なので靴を脱ぐスタイルにしたということなので座布団を持ってストーブの近くに座る。Junさんはパフォーマーだけれど、ここを自分なりの仕方で改造すると宣言して地元にその現場を隠さないまま仕事に取りかかったという。

ゴミを一切出さない。近所の粗大ゴミを集めて再利用すると宣言し、それを実行したら、疑っていた近くにある安藤忠雄事務所の人たちも感心していたという(「住宅建築」にも紹介されたらしい)。

面白かったのは、開放してやっていると、近所にいる様々な工事の技能を持った高齢者の人たちとかが見かねて色々と教えてくれたり手伝ってくれたということだ。また、ここをパブリックスペースとするために、子どもの遊び場にもしたいということで、午後のひととき、近くの小学低学年ぐらいの子どもを中に入れていることも興味深い。

詩のワークショップの時に二人の男の子が遊んでいて、詩の朗読をしたりしていると、その言葉に反応しておちょくったり、物まねしてかってに次の言葉をつけている。半分以上邪魔な感じもあるのだが(もともと男の子は調子に乗ってしまうことが多い)、うまくそれをコントロールしていると、素直なだけにとても怖い観客にもなるということが分かる。

2階で同じように子どもの書いた詩の本を使ってその男の子たちが詩を読み合っていたと、Junさんが報告していた。見よう見まねで子どもも大人の詩のワークショップを真似ている。ふと、さきたち疎開組が小学校時代に白州アートキャンプでベツニナニモクレズマーバンドに合わせてみんなで踊っていたことを思い出した。

SALON DE AManToでの私の目的は、一つは上田假奈代ファンクラブ(あるいは後援会の中にヘビーなタニマチ倶楽部とフェザーなミーハー倶楽部を設ける?)の設立についての打ち合わせで、それは、後援会長になったのんさんと、呼びかけ人でこのたびシタゴコロプロジェクトの代表になった松尾一廣さん(47歳から詩作を初めた環境学博士)らが中心となって徐々に形になると思われます、みなさんよろしく。

つまり、上田假奈代さんが主宰していたシタゴコロプロジェクトはより広く詩人たちの集まりとなり、上田假奈代さんは別に個人事務所を開くということになったようだ。のんさんは病院に勤務しているのでポエムによるアウトリーチ的展開を假奈代さんらと企画し始めている人(この前のクリスマスイブには假奈代さんが患者さん一人ひとりに朗読をするカフェを開いた)で詩作ももちろんしているしっかりした人。

私は詩作もしていないので平の会員として仲間に入れてもらおうと思う。ただシタゴコロプロジェクトの名誉顧問になってほしいを帰りに言われた。もちろんそれは嬉しいことなので引き受けたが「名誉」という名称は20年ぐらい早いようにも帰りながら思い直す。出来れば、「コモン」というライトな感じで「common」にもつながる肩書きがいいなとあとで思い直す。

15時前から始まったシタゴコロプロジェクトによる詩のワークショップは、私が途中で帰らせていただいた18時になっても引き続き行われていて、とても興味深く楽しく色々と勉強になった交歓会だった。

今回のワークショップは、作詞の指導を行っているフォークシンガーのドクトルミキ=篠原三樹さん(43歳)がコーディネータ。いつもポエムを作ってリーディングしている人たちが、作詞として歌になりうる歌詞(ワード)を作って持ってくる。そして、その場でドクトルミキさんがギターの弾き語りで歌にしてしまうというものだった。

トップバッターは松尾さん。彼の歌詞は彼の年代にぴったりの哀しげなフォーク調になる。でも、それをジャズ風にも出来るということで、違う歌をまた歌ってもらえてワクワクする。みんなどうしてデジビデオを持ってこなかったのだろうと残念がっていた。

荒木瑞穂さんもかっこいい歌詞を持ってきて、いくつもの形で歌ってもらい、「トーキングブルース」の形で語り風にギターに合わせてやってみたりもする。假奈代さんの歌詞「るのうみ」も歌になる。はなもギターを貸してもらって、假奈代さんの「スイヘーリーベーぼくのふね」というフレーズが心に残る詩を即興で歌っていた。

ドクトルミキさんの作詞作曲のワークショップは色々なところでやってみると面白いだろうなと思う。うちの大学で椎名林檎などをコピーしている連中がオリジナルを作りたがっていたし。特にポエムとワードの違いについては示唆的だった。東京や岡山からも人が集まっていたり、ボイストレーニングの人もやってきたりしていた。

はなはアメリカ村に寄っていて、古着屋でアジアぽいワンピースとでかいカツラを買ってきた。津山でそれをつけるという。どうかなあ、とかぶっている。私もかぶった。この前の忘年会はこれにすればよかった。


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