こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.7
7/8(月)
いつものようにTAM研があって、そのまま浜大津へ向かう。明日都浜大津ふれあいプラザの大会議室で、60数名の市役所職員の研修があり、そこでレクチャーをした。研修は係長級に昇任した人たちで、私の話はそのなかでは柔らかいものではあったが、MDをうまく再生できなかったのが残念と言えば残念。
2時間弱を休憩なしで話してしまった。「ひょっこり松山」(ワークショップづくりのワークショップと本番のアーツツアー。99年のことだったろうか、ずいぶん昔のことに思える)の映像を流したところで休憩を兼ねようと思った計画もうまく実現できず、その分しんどかったかも知れない(レジメを以前日録にアップしたが、それに基づいています)。
そのあとJIAMに大津市から出向していた3名の懐かしい人達等と近くのおでん屋(町家を改装した素敵なお店)で楽しく食事した。来年度の市役所職員の採用数は21名なのだが、1000名近くの応募があったということで、例年(700人ぐらい)に競争率が高くて公務員になるというのは大変なことなのだなあと思う。
食事の前に、音楽や演劇の練習・発表の場であるスカイプラザ浜大津を案内してもらう。大阪芸術創造館より少し早くオープンしたこの施設のことを全く知らなかったが23時まで空いていて、とても多くの利用があるという。市役所からの出向(2名)以外のほとんどの職員は音楽専門学校の卒業生で1年契約だということ。
また、昭和9年という額がかかっている旧社会教育会館の講堂も見させてもらう。精華小学校などと同じ感じでいまも壊されずに(スカイプラザができることで壊されそうになったが保存運動があり生き残った)、吹奏楽などの練習に使われているそうだ。周囲は真新しい映画館などに変わっているのに、この建物だけぽつんと昔の懐かしい香りがしていた。
7/9(火)
大阪府が「文化スタッフ制度」という組織を作るという。大阪府立現代美術センターの中塚宏行さんから昨夜スタッフ就任依頼のメールがありOKすると、早速立命館大学に出かける直前にファックスが届いた。ちょうど、先々週文化芸術振興基本法の話を立命館のアートマネジメント論でしたところだから、さっそく今日はそれを使って都道府県の動きがこうして連動しているように見えるなどと話そうと思う。
実は、京都府からも同じような依頼があったので、一斉にそういう地域側の動きを作ろうとしているのだろうなあ。どういう行政指導が文化庁などからあったのか(ないという可能性も極小だが残されてはいるし、府の議会あたりで国の法律が出来たのだから何かせいという話があったかも知れない)も文化行政学的には興味のあるところ。
文化スタッフ設置要綱を見ると、大阪府の文化振興施策について意見を述べるのはもちろん、「庁内の各部局が実施する事業に対して文化的な視点から意見を述べること」とあるから、たとえば消費者行政について、マクドナルド化問題について意見や提言を行ってもいいことになる。
とはいえ、私はこの32人もいる文化スタッフ構成(案)のなかで、「アートマネジメント1人」として出ることになるので、年に一回ぐらいのスタッフ会議は別だが、文化スタッフ制度のもとに設けられた美術部会(5名で構成、他に生涯学習部会7名というのがある)では、美術施策とか大阪トリエンナーレのあり方、ボランティア活用、NPOとの協働などについて助言提言をすることが望まれているようだ。
報酬は聴取を受けたり出席したりすると税込み1万円。京都芸術センターのお仕事ではそういえば税抜き1万円だったからほぼそういう相場が役所系では出ているのかも知れない。
興味深いのは「分野及び人数」というところ。「美術3人、音楽3人、演劇2人、舞踊2人、メディア芸術1人、文学1人、芸能2人、伝統芸能2人、生涯学習3人、生活文化1人、国民娯楽1人、まちづくり3人、NPO2人、人権文化1人、プロデューサー3人、アートマネジメント1人、マスコミ1人」と想定されていて、これも実に色々と考えさせられるもの、よねえ。
人数のバランスも微妙な感じ。これだけ多いと文化翼賛会的なものになってしまう危険もあるからどんどん様々な発言を府庁べったりにならないで行わなければならないだろうし、具体的な名前が分かるともっと面白いのだろう(特に「国民娯楽」はどんなジャンルが選ばれるのだろう。錦鯉愛好会とかが出てきたら嬉しい)。
でも、関西では特に重要な課題である人権問題が入るところをのぞけば、あとは「メディア芸術」、「生活文化」や「国民娯楽」のように文化芸術振興基本法で馴染みの分類になっていて、この法律に対して忠実なものとなっている。文化芸術振興基本法であがっている文化ジャンルについて、これらは文化の限定列挙ではなく例示だと説明していたが、それでも都道府県は準拠していくことになるだろうという大方の予測どおりに、この制度はなったことが分かる。
さて、「アートマネジメント論」は次回で最終回となるので、もうかなり楽な気分で「アートの家」についての熊倉純子の文章を解説する。熊倉さんも、山口市の新しい「情報芸術センター(名称も変更するという市民会議の意見も提言も出ている」建設ストップ問題では大変だっただろうな(県も市も礒崎新アトリエというがそもそもちょっとえぐく不安な感じだった)。
ある学生が、金沢21世紀美術館の広報の仕事をしたくて電話したら市川照代さんが出た。彼女とはぼくは知り合いのようだから(この日録で知ったらしい)ぼくに彼女のキャリアを知りたいとその学生が事前に聴いてきた。
ので、急きょ「市川照代物語」という短編も上演した(「ばけつにごはん」のエピソードはちょっと受けた)。こうなれば「市村作知雄物語」とか「宮本初音物語」などなどとして、アーツマネージャー列伝を小冊子にしたり、講談にするのも一興だな・・・と思うのは、まだ昨夜のアルコールが抜けないからだろうか?
バスを乗っていると真新しい暖簾が目に付き四条通西洞院でふらり下車。ここが井口ゼミ(TAM研の上田さんや水野さんが入っている基礎演習のゼミ)で行ってきたという『四条京町家』(京都市伝統産業振興館」だった。座敷で会議などをすると有料だが、見学は無料。隣に茶房があって、ぜんざいやところてん、フルーツなどが食べられる。
1910(明治43)年に隠居所として建てられた町家らしい。4月オープンということもあって内装はけっこうピカピカしている。夏冷房を入れないでどれぐらい暑さが和らげられているかはちょっと体験してみたい気持ちになる。
そこから和服産業の一帯をくぐり抜け、祇園祭の兆しが街角にうかがえる初夏の京都を縫って、京都芸術センターへ。ギャラリー北・南では、写真交流展「Asian Crossing:vol.1 韓国×日本」京都展が開かれていた。3年ごとに京都の写真家とアジア圏の1都市の写真家を集めて、「現代写真芸術を通じて芸術家交流と文化交流の場を提案」するという企画。
水口県立文化芸術会館で見たことのあった、山中葵の「巣」(布団と傘がぎっしり干されているアパート窓の集合写真を絨毯にしたら面白いなあと思う)や澤田知子の「●OMIAI■」にまた出会えた。
韓国独特のモノクロームな寡黙さや、いまの韓国を映し出すオーソドックスな家族や人物、街角風景が温暖に並んだ表現が多い中で、日本(京都)の写真家はやっぱり日本の風景と人物がいまの腐りかけた日本の姿なので、馴染みやすい。
けれど、一方これでいいのかなあとも思いつつ見る(それは写真表現としてでもあるしそういう日本の薄汚れたような状況としてでもあるが)。中では寡黙な相原玄、廃墟に人間の影が光になって逆に浮かぶような徳永好恵、着色ペットボトルのインスタレーションが明るく空しい湖面を彩る永原ゆりなどに着目した。
坪口恍弋(こうぼと読むらしい)の「せいらぁ・ぽとがらひ」は、「木炭紙に塩化銀技法」という写真らしいのだが、あくどいところを狙っているようでやけにもの悲しいものに映った。
ちょっと、面倒なので、タクシーを使って東山青少年活動センターへ。
黒子さなえさんと明後日の同志社中学で320人を前にしたダンス学習をするらしい砂連尾理さん。京都芸術センターで彼女とその打ち合わせをしていた砂連尾理さんもあとから来たが、自転車かなにかで来たのだろうな。これぐらいの距離は自転車が一番だろうなあ。
私には都合がよかったが、18時から開演にした理由はいまだに分からない。高校生あたりを狙ったのだろうか?でも今日はそういうお客さんはいなかったし、火曜日ということもあるが、空席もあってとてももったいなかった。
劇団衛星7月興行『ここでkissして』作/松田正隆。グループA。18:03〜19:38。
劇団衛星は芝居の中身とともに興行方法や環境づくり、PRなどに様々な工夫と実験を繰り返す集団である。今回の実験の第一は、まずもって彼らとは全く違うと思われている京都演劇界の先輩、松田正隆さんの戯曲を選んだことだろう。
そこにもってきて今度は既存の戯曲(それも「静かな演劇」と言われてきた静謐な戯曲)の演出だけを衛星的に挑戦することになるのだが、ここにまた仕掛けがあって、グループAは劇団主宰の蓮行の演出、そしてグループBは正直者の会でその実力が顕在化してきた劇団メンバー、田中遊が演出するという。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記364」をみてね)
7/10(水)
台風が近づいている。朝、洗濯の干し竿などを片付けて大学へ。基礎ゼミの「本を読む」ワークショップは外で読む人が多かったので中止となる。来週に延期。同じく来週に提出する日記の話をするとほとんどこの前提出したときからつけていないという。
次に、試験が近づいてきたので、彼女たちが理解できないところをアドバイスしようとこの時間は考えて、少し文化経済学などの話をする。
最後に「文化について」「政策について」「文化政策について」のうちいずれかを選んで、簡単なスピーチをしてもらった。これは、この学部の半年の復習でもあるし、彼女たちが母校や地域に行って話をするときにどうしても身に付けておかなければならない必須の話題だからでもある。文化政策学部って何やっているの?って地元に戻るとずっと聴かれるのは目に見えている。あとで、高校の恩師に話す場合と自分の後輩に話す場合を分けてやってもらえばより効果的だったなあと思う。
12時半から総合計画委員会が作った答申案についてのヒアリング、意見交換会。14時45分から『キャリアとライフプランを考えるシンポジウム』のコーディネーター。研究室に戻って上田さんと水野さんとで「ノマド」の梱包。そのあと、新阪急ホテルでシンポのパネラー3名と学生部の面々で食事。もう1軒と誘う某課長がいたが、私ら数人は1次会で退席する(だから、衛星のレビューが書けたわけである)。
シンポジウムは表美由紀さんと東美佳さんが25分間ずつ自分の仕事について裃を脱いで語っていただき、その話を中心として学生が書いた質問票を回収。少し休憩して、岡本武史さんからコメント、そのあとは、みんなで回収した質問に答える形となった。とてもまじめな質問があって、それであっという間に16時半を過ぎてしまう。
まとめをちゃんとすべきだとか(いつもこういう感想を書かれるはめになる私ではあったが、もっともらしいことを、自分のことをおいといて言うのは超恥ずかしいことなのねえ)、事務職みたいなもっと普通の職にある人など京都橘女子大学の卒業生の話も聴きたかったという感想などもあったが、80名ほどの参加者の感想はそのほとんどが熱心なものでありほっとするとともに、こうして書くようにすると丁寧に書くのが本学生の特色だろうと思う(問題はこんな環境をこちらが作らないうちから話しに来たり、研究室の扉をノックする学生がもっと増えることだろうな)。
7/11(木)
妹の誕生日なので茨城へメールする。会議の設定や通訳的な仕事以外に最近は亡くなった山野君がやっていたような仕事も(身分は違うけれど)、彼女がいまは努めている日本原子力研究所でしているのだという。不思議なものだ。
お袋の誕生日(7/9)を忘れたことをこの日に思い出すのがいつもの習慣で今年もそうである(電話をしたりするとさきのことで心臓をまた悪くするしなあ)。
はなは、凄い知識人家庭で育った鶴見俊輔を取り上げたある関西の知識社会学者の本と格闘している。リポート提出期限が迫っているからだ。サディスティックな知識人とマゾヒスティックな知識人がいるけれど、お父さんはどちらだと聞かれる(それにしても用語を知らないから大変そうだ)。
はなも初めから分かっていると思うが昔はサドだよなあと、朝は上の空で話すが、夜中にはなとこの論文に添って考えると私の父親などの環境がまるで違うから、ぼくと鶴見俊輔を比較するなんて格が違うしもともとまるでナンセンスだ)ということに二人とも気づく(どちかというとはなと彼を比較した方がまし?。
さて、コンソーシアム京都『アーツ&セラピー論』もレクチャーは最終回である。問題を最終的に確定して配布。前に示したテストAの用語群に次の5つの言葉を追加した。つまり、パブリックアート、アートスケープ(芸術の風景というのが直訳だろうかな)、異化、アウトリーチ、エイブルアーツ(エイブルアートとしてももちろんOK)。
来年度はないだろう(断ればいいや)と思って恥ずかしいけれど人生訓めいたこともちょっと最後に話したのに、コーディネーター科目は最低3年は続けないといけないのだと大学にいくと教務課の長尾さんはいう。
まあ、そんなことはおいといて、今日も受講者は本当によく聴いてくれていて、こちらが慰められることすらあり、こういうコーディネートをしてよかったなあと(いやいやまだ来年度があるのでした)、終わって提出してくれた受講生の感想を読みながら、思うのだった。
《一番最初の「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」はとてもいい企画やと思いました。スティールドラムの音にはとても癒されたし、あの音はキレイな海、南国ってカンジがして、ちょっと幸せな気分に浸れました。障害者の人々とともにスティールドラムを楽しんでいた映像がありましたケド、「なんかイイナ〜」って思いました。》(今年のサントリー地域文化賞を富山県福野町ヘリオスが受賞したことを話せばよかった。なおこの賞の個人賞を遠藤寿美子さんがもらったのもとてもよかった。)
《木村俊郎じんじんさんの野点、ぜひ参加したいと思いました。・・・アーティストが「下りてくる」というよりも、じんじんさんは初めから「中」にいらっしゃいます。アーティストが媒介者という意識を持つことで、私も単なる受け身ではいられなくなるし、自分の可能性にも気付くことができると思います。by artistsではなく、with artistsなんですね。》
《(特別養護老人ホームへのART DELIVERYのビデオを視て)福祉施設へのアウトリーチに大変興味を持ちました。日常生活をおくる中で、誰でも芸術などの表現活動をしているはずですが、施設に入ってしまうとほとんどが受け身になり芸術の楽しさ、喜びなどを忘れてしまい、遠ざかっていくような気がしました。》
《劇団態変さんとすずかけ絵画クラブさんが、とくに印象的でした。僕は将来音楽療法士になりたいと思っていますし、もっと障害者や子供たちや老人に社会に飛び出してほしいと思っています。そういうことも含めて就職活動をやってきました。いまだに決まっていませんが、今回のお話が大きなヒントになります。「マハラバ伝説」で黒子の役割を見たとき、福祉の理想を見た気がしました。本当に障害者自身がのびのびと表現していて、それを陰でさらりと支える健常者の姿が印象的でした。》
《彼らのパフォーマンスからはとても多くのメッセージがあるのが分かったし、エネルギーを感じることも出来た。それはただ「体が不自由なのによくがんばっているね」というレベルをはるかに超えたものであることは当然なのかもしれない。一人一人がアーティストとしての自覚を大きく持っているだろうから。ただしぼくはそれでもやっぱり見ていられない気持ちを持たずにはいられなかった。・・》(こういう感想とか「こわいという感情」が出てきて困ったという告白もいくつかあって、はじめて、それもビデオで態変の舞台を見てもらうことの大切さと難しさを感じる。見に行きたいと書いてくれた人もいたな・・誰か裏方を手伝う人も出ると嬉しいのだが)
《今回本当に色々なことを思ったんですが、うまく言葉にできません。でも、こういうことを、ちゃんと言葉にできないといけないんですね・・・・でも、言葉にできないこういう感覚を味わったのは久しぶりで少し感動しました。感動しいの私が、大学2、3年はなぜか忙しすぎて色々手を出して将来に結びついていきません。さきほど先生が就職などの話をされましたが、勇気づけられました。私は何事もすんなりできなくて、時間がかかって、回り道ばかりで、でもそういう性分で、しょうがないし・・楽天家なので少しずつ稼いで何とか食いつなぎつつ、アートに関わっていきたいです。》
《私はもともと音楽や絵をかくこと、踊ったり楽しんだりすることが好きで、さらに大学で心理学の方面のメンタル的なワークショップをうけたことからアートセラピー、アートマネジメントに興味を持ちました。・・・しかしただ「アート」をするだけのために何処かに通う気にはなれませんでした。けれどここに私の求めていた空間があったように思えます。アートを水辺として楽しむ気持ち、ただ専門的でなく「見えないものを見えるようにする」やさしい心のアート。・・そしてこのアーツ&セラピー論では知識をもらったばかりでなく心も育ててもらったなと思います。》
《知らなければ生まれない、知ってもらわなければ生み出せない、アウトリーチには深い意義があると思いました。「芸術は水だ」「芸術は人生の可能性を引き出す術である」「able arts」「限界芸術」・・・・いろいろな言葉がすっと体に入ってきました。アーツって人に人生に心に寄り添っている必要不可欠な存在なのだと改めて実感しています。講義を通して生きることがとても楽になりました。人っておもしろいですよね。》(社会人の方)
《一番印象に残っていることは「限界芸術はRealである」ということです。Realというのが胸にひびきました。それだけ普段の生活ではRealが感じられていないのかと気付かされました。》
《講座を通して竹内敏晴氏の紹介を受け数冊読みました。読んでいて身体性についての記述は共鳴でき大きな収穫でした。今井美沙子さんの著書も読んでみようかと思っています〜「夢の知らせ、虫の知らせ」〜。いつか機会があればお逢いしたいなと思っています。お話もしたい気持ちもありますし・・。》(こちらこそありがとうございました。社会人唯一の男性の方で、どういうふうにこの講座を受け止めてもらっていたか気になっていたんですが、最後に溢れるメッセージをもらってメチャ嬉しい)
ARTSと宗教的な考え方を組み合わせて人を癒すことを職業にしたいという学生もいる。いま宗教施設ではそういう動きが増えているようにも思える。職業としては教会やお寺に勤めることから出発して、そこから應典院の秋田光彦さんらのようにアーツ(コモンズ)へと展開は充分可能だろうと思うけれど、なかなかに具体的な就職斡旋まではできないものです。
朝から憂鬱だった人、織りの作品を作っている人。
いつもぎっしりと2枚に渡って感想を書いてくれる人。
ミスチルの「深海」を思い出してくれた人。
人前で話すのが苦手(自信もって偉そうに話すことが苦手)なのだろうと、逆に私を勇気づけてくれた人、・・・
このまま別れるのって寂しい気持ちもするけれど、きっとどこかで出会うような気がする。
みんな同士も・・・えっ、あの時のコンソーシアムでBGMが流れていたあの教室で一緒やったんやねっと、思い出話をしながら。
《KOGURE
Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る