こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.6



150) 6/7〜6/9


6/7(金)

朝、芳江からさきのことを聴く。彼女のことは、身体だけの問題ではなく、余りにも妥協の出来ない感受性の行き所の問題だと分かる。特に自分にとって大切なものである美術や国語の授業が出られない。指導要領からはみ出してしまい誰にも理解されない彼女のオブジェ。

国語は教科書がよくなくて、それを開くと身体が火照ったり凍えてしまうのだそうだ(私も『銀の匙』を読み解く橋本先生の国語ですら別の本を読みながら聴いていたからなあ)。それにしても助けてくれる人がいるみたいから何とか死なないでいてくれるだろうと、他力本願の毎日。

9時過ぎに淀屋橋へ着いたので、駅から中之島センタービルの(社)関西経済連合会まで川辺を歩いてみた。30分弱。パブリックアートが並ぶ川辺と野宿者が眠るベンチ。もちろん野宿者の方がインパクトが強い。失礼なことだがつい目がいく。においの力ということもそうだが、野外で場を作って生きていることのかけがえのない価値を彼らに教えられるからだ。それに比べて、パブリックアートの所在なさ。

大阪市の科学館とともに国立国際美術館が建設中。私がそこで生まれ大学入学とともに肝炎で入院し、時が経って鼻ばかりが目立っていた赤ん坊だったさきが生まれ、この前親父が肺を摘出した住友病院がホテルみたいに変わっていた。

着いてセンタービル会議室から自分の実家を眺め、少しぼんやりする。
10時から12時まで第1回劇場文化研究会ワーキングチームとしての会合。参加者の紹介がまず行われたので、ここにも記しておくと:劇場をもっと楽しく特に若者には「かっこいいもの」として伝えていただければという発言が多く出たメディアの人たちとして、朝日放送、NHK大阪放送局、読売新聞大阪本社の方々。

非会員からは特別にFM802の谷口純弘さんが参加。彼からは南堀江でやっているdig me out CAFEの話を聴く。また、dig me outされたストリートアーティスト(イラスト)の冊子を2冊いただきもした。

そして、鑑賞者としていままで参加していて、これからは所属する従業員の感性みがきや自由時間活用を考えていただきたいメンバーの関経連の会社の方々。つまり、近鉄百貨店、関西国際空港ビルディング、清水建設、博報堂、阪急電鉄の人たちにも感想や意見を言ってもらう。

さらに作る側として、近鉄劇場の松原さんやシアタードラマシティの古沢真さん、それにOMSの山納君がいた。なんとかNPOか劇場サービス会社みたいのが出来ないかと思う。それがこの研究会の一つの目的でもある。

私が、鑑賞者づくりとして、美容院やタクシーの運転手にアウトリーチすることで伝わる大切さを話したら、ホテルの人たちがとても有効だと教えてくれるメンバーがいる。そうそう。
実は、関経連の中でこういう話をすると、メンバー自体に交通もホテルも業務として抱えている企業があるから実に面白い。メセナや鑑賞者づくりの対象だけではなく、アーツマネジメントとしての場所やスタッフづくりの素材がいっぱい転がっているわけだ。

大阪駅でパンを買って車内で食べて大学へ。アーツリボンゼミ12名に日記を返し、2回生の事例研究にのぞむ。西本さんや福田さん、坂下さん、そして隣のゼミだった田嶌さんが、ギャラリーについての報告をする。

初めてなので少し心配したが、行ってきた共通の質問を板書して、虹やすずきなど4つの画廊から聴いたことを的確に伝えてくれる。別に貸し画廊と企画画廊についての解説、そして現代美術について調べたことも用紙にまとめて配布。この調子ならオーケーだ。

余った時間は、ビデオで昨年度センターでOMSから買ったラックシステムの「お祝い」を流して、これからの発表もあるから自由に研究するために出ていってもらってもいいと言った。
が、生理帯を開発する話でかつ分かりやすくコミカルだからか、芝居好きな連中中心に熱心に見ていた。

また、大阪へ。OMSはぎゅうぎゅう。めずらしく「どっこいしょ」をする。15年前にはポピュラーだったとブカンの久保克司さん。コング桑田のしゃべりはとても面白い。橋田雄一郎(転球劇場)、落語の桂米吉など芸達者な面々。
ラックシステムvol.6『お弁当』作・演出/わかぎゑふ。19:08〜21:00。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記353」をみてね)

6/8(土)

山本育夫さんがやっているメールマガジンにこんな書き込みをした。
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on 02.6.8 9:13 AM, Nobuhiro SHIIHARAさま、みなさま。
<合意形成は幻想であるとしちゃうと民主主義を否定してしまう>(しいはらのぶひろさんの発言に関連して)
ごぶさたしております。小暮宣雄です。みなさんの議論を読んでばかりです。大切なことを議論されていて、でも、ちょっと自分の言葉で参加できないもどかしさがあります。そこで、いま読んでいる本を引用することで、何らかのお役に立てれば嬉しいです(C.ダグラス・ラミス『ラディカル・デモクラシー〜可能性の政治学』岩波書店より)

《市民社会は国家に対して自由をうちたてることをめざさず、むしろ自由のスペースをうちたてようと努力する。「革命後」に訪れるはずの理想的未来のあめに現在を犠牲にすることを要求しない。ハベルが書いたように(Havel,The Power of the Powerless)今日から始められる。・・・・》62p

《民主主義はわれわれをジレンマに立たせる。一方で、人びとは自由だし尊重されるべきであり、ありのままにして置かれるばきだ。他方では、民衆が権力を持つべきだとすれば、権力を原理的に保持できる一つの組織体をつくらなければならない。一方で、当局が人民の思想をきれいさっぱり洗脳し、画一的イデオロギーを注入するのは反民主主義だ。他方、個々人がいかに集合したところで権力は持てず、政治的美徳のために公然と献身することによってみずから「ひとつの民」(ピープル)となった人びとがあって初めて権力が持てる。この民主主義のジレンマはまた、民主的教育者のジレンマでもある。人びとに政治教育を行いつつ、いかにしてその人びとを自由のままにするのか。ここで再びソクラテスの信念が出口を示してくれる。どの段階であれ相手を自由にしておく教育法を使ったとしても(ソクラテスが問いしか出さない意味はここにある。相手は常に「ノー」と答える自由がある)、われわれは正義と政治的美徳で合意に達することができるという信念である。・・》73p

私も及ばずながら、学生たちに自由にアーツに接してもらい、話すようにしむけながら(それも場を作っておくという意味では啓蒙性を帯びるアウトリーチなのではありますが)、対話するデモクラティックな関係(市民社会の一員として生きること)をいささかでも学ぶことをしているのだろうと思っています。その信念はいつもいつも揺らぐのですが。
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京都芸術センターへ行って、藤本由紀夫『in/out』を鑑賞する。このタイトルの「/」が大切だと作者が言っていたな。具体的には「out」の角砂糖の擦れる音と「in」の部屋のキーボード音の間には、2つのギャラリーを結ぶ導線がある。というかそういう導線に私たちは意識が向かう。つまり今日の私には、「運動場でテニス練習する音と光、黄色い転がる球があった」ということがすーっと浮かび上がってくる。

かなり音に敏感になってしまった自分がいる。美術展示に出かけたあとに、連動して無伴奏のヴァイオリンのピアニッシモを聴く耳と脳細胞の準備になっているのも面白いことだわ。

アルティスタッフに京都府の人事交代としての異動あり。野崎課長にインターンシップの確認とコンクールのチラシの依頼。

今日の俊英演奏家シリーズvol.17『玉井菜採(たまいなつみ)』〜イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会。15:06〜16:50。そのあとにアンコール。アンコール曲を別に用意しなかったので、初めに弾いた第1番の3楽章をもう一度奏でる、と玉井。高音が笛のように消えていく楽章をアンコールに選ぶのも、彼女の大仰でない性格が出ているのかも知れない。

ほぼ満席。年齢層は高いが若い人も。ヴァイオリンを習っている人たちにはこのソナタは重要な課題曲になることが多いだからだろうか。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記354」をみてね)

帰り、ギャラリーそわかに行ってもう一つ個展(田尻麻里子)を見ようと思ったが、先ほど聴いた曲を即座に買いたくなって新星堂に行く。680円なり(ヴィンセンツォ・ボロネーゼのVn)。帰ってこのCDを聴くと、思い出すところとまるで思い出さないところが結構曲ごとに違っていて面白かった。

他に、『唄うベートルズ』など知らない最近のCDをジャケットのイラストなどだけの判断でいくつか買っていて、聴いているうちに、NHKのFMシアター「小さな雨」(NHKに入った須崎岳の作/演出。広田ひうみ、カネダ淳ほかMOPの人たちなどが出演)が終わっていたことに気がついてしまった。せっかく、ハガキを送ってくれていたのになあ。

6/9(日)

ほんとに笑っちゃう。夢中になって日記についての本を読んでいたら、バスが終点の能勢のキャンプ場に着いていた。歩くと何分ぐらいですか?1時間。ああ。1640円かけてタクシーで通り過ぎた浄るりシアターに戻った。

夢中になった古本は、紀田順一郎『日記の虚実』新潮選書、1988.2。海野一三や野上彌生子、岸田劉生、竹下夢二などのそれぞれの日記についての記述(なぜ日記で嘘を書くのか。何が書かれ何が書かれなかったか・・)にはまる。永井荷風はちょっとカッコつけすぎ。

日記を付けだした動機。そして続けている理由。やめる訳。自分に置き換えて考えている自分がある。読まれることをどう意識するか。最近、この日録は楽でいいのだが「こぐれ日記」が重荷になっていることを思ったりする。

《平時にせよ非常時にせよ、日常そのものは耐え難い。平板なものとして私たちの前にたちはだかっている。平板な日常の中に存在しつづけることは難しい。記録しつづけることは、もと難しい。それを敢えてするというのは修練を要する。・・》p221〜2(でも、日本では四季の変化が修練以外に日記好きの人種にしたという説明が続く。つまり、日本人の日記は俳諧だというのである)

《人が日記をつける動機、それは風景が変わる予感をいだいたときにほかならない。》p204
《無論、日記は非常時というだけでは成立しない。喜びにせよ悲しみにせよ、毎日応接の遑なく現れる新事態と自分との関係が、客観的に重要な意義をもっていると感じられる場合にのみ、人は記録への情熱を喚び起こされる・・》p181

浄るりシアターでは、新作「閃光はなび〜刻の向こうがわ〜」(原作者はみゆき君と言って、竹本住大夫のお孫さん)が上演された。昨年は素浄瑠璃で披露されて、今回、お人形も出来、美術(加藤登美子)も揃って公開された。浦島太郎みたいな趣向とか、宇宙人と地球人の恋とか友情とか。三味線が特に気持ちよかった(作曲:鶴澤清介)。

その前に、高校生トリオの素浄瑠璃や能勢三番叟も披露される。ロビーでは台本(床本って言ったっけ?)を書くワークショップの成果が披露されていて、独特の文字を広めて楽しんでいる能勢町の事業が楽しそうで嬉しくなる。
帰り、『しょうがの甘煮』が売っていたので、おみやげに買って帰る。


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