こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.8
8/28(木)
OBPに舞踊家清水啓司さんのワークショップを見に行く。一昨日は大阪市立中央青年センターで子どもたちにワークショップを清水さんはしたのだが、それに比べると格段に子どもたちの動きがよくなっていると、リボンゼミの伊瀬さんや東迎さんがいっている。蓮行さんのワークショップにはじまり、ここまでずいぶんと続けてきた子どもたちがいて、その親たちがいる。
今日は12時からワークショップを発表するのでリハーサルが中心。最初の一歩、だるまさんがころんだ。時報による静と動。清水さんによる振付と演出がすすむ。演出されるなんてみんなはじめてなんじゃないかなあ。こんなことが体験できるなんてあとになればきっと得難いことだったって思うにちがいない。
12時半にJR野田駅のそばにある大阪府NPOセンターに行かなくてはいけなかったので、せっかくの本番を見れなかったが、あとで松本さんにきくといい緊張感がただよったいい公演になったようだ。
8/29(金)
大学に行く。芝田事務局長から呼ばれて、OBPの話など。湘南で加藤種男さんがうちの大学に来てもいいっていっていたと報告したら、加藤さんってどんな人っていっていた。なかなかに説明するのはむずかしいが、彼がもし来てくれるのならば、芸術の内容に対してきちんとできる人がふえるわけで、芸術鑑賞演習とかいろいろ手分けできて助かるのだがなあと思う。
大学の会議(15時から17時まで)のあいだもこぐゼミのゼミ旅行を担当する4人がいろいろ調べていた。沖縄に行くのも久しぶり。9/16〜9/18までだが、16日の夜は下山さんにお世話になることにしている。
東山青少年活動センターへ。会議で草臥れてビールを公演前に飲んでいたら、少ししんどくなってしまった。明日、東京の旧千川小学校に行こうかと思っていたが、それはやめることにして、もういちど、藤田一『これが私の優しさです』を見ることにした。丁寧なダンスだったから。それに即興部分も多そうなので、また楽しめるだろう。
8/30(土)
14時から芳江と藤田一のダンスを楽しむ。昨夜はブラインドからはもちろん外光が漏れていなかったので、床の蛍光灯が照らす逆光の藤田くんとかの照明や祢津悠紀の映像が鮮やかだった。
今日は照明や映像の効果は少なくなって、それでも暗幕を使ったりしなかったのは、最後にブラインドをはずして、窓を開け放つためだったかも知れないと思った。そうするためだけに悪条件ともいえる外光の洩れを気にしなかったのだと思うとそのいさぎよさに刮目する。
窓を開けるとあたりまえだが、まず、外音が入る。冷房されていた空気も外の空気の圧力で動き、いまという雑雑としたものが侵入する。そういう雑雑とした時と場所にこのダンスもあったのだととうぜんだがとうぜんでなく気づく。でも、その前の70分間はそんなことが何でもないように(それを夢とはいわないが現ともいえないような)時間が流れていた。もちろんダンスのあとで雑雑とした世界に戻っても同じ風景ではないし、一緒に歩く芳江とも同じ道をたどりたくないという気持ちがあふれて、六波羅密寺などに寄り道したのだが。
2回も藤田君の「これが私の優しさです」というダンス公演を見たのだから、何だかダンスの未来をみすえた大論文なり(とくにポエムと踊りの関係論)、ソロを踊ることの勇気に見あうだけのディテールをすくう長編批評ができるか(2回目の後半の方がより奔放な動きをつくっていた)と思ったが、いま(31日の午後)はどうも調子が悪くて、こんどにさせてもらおうと思う。
ただ、始まる前の客席づくりにも初々しさと気配りが横溢していたし(クッションにはところどころかわいい動物クッションが交じっているし、客席になぜか明かりがある)、当日パンフにある生真面目な感謝(とくに「お金を貸してくれたうちの親」への謝辞にはおどろく)とかは書き留めることをしなくてはもったいないだろう。
その当日パンフにはタイトルに引用した谷川俊太郎ンの詩句のほか、友部正人、遠藤賢司、鈴木慶一、坂本龍一、梶原敬之の歌詞がのっていて、藤田一のなかに入り込んでいる世界のコアの一つが明らかにされている。BGMは金延幸子のみ空で、藤田君に金延幸子のライブMDをこの前のはなのライブのときにもらったことを思い出す。
ダンスをみたあと、阪急茨木市駅に行ってクラフト・カフェ「イーハ」にて河村純正水彩画展をみる。この人は1回生の伊瀬さんの高校の美術の先生で彼女からメールがあったので行った。バナナジュースを飲みながら店の人も一緒に10/12の話などをする。店の人は「手のもの市」にはきっと大勢の人が殺到するのではないかといって(ホントかなあ?)ぼくがもっていたチラシ全部が彼女に渡った。
remoに行くつもりで、でも20時半開始というとても遅い時間なので、KPO(キリンプラザ大阪)に寄る。引っかけ橋の走っているグリコ男は変なグリコ男になっていた。欄干に「黄と黒」色関係者が大勢いてうざったい。
束芋×できやよい『にっぽんの、ななかむら』は、ただ二人を並列しただけの展示だが、できやよいという束芋よりも2つも若い(1977年生)作家が意外とおもしろくて、さきがよく描く顔一杯の群像イラストとけっこう似ているなあと思いながらずいぶん見ていた。
近くにツタヤが出来ていて伊丹十三の『お葬式』があるかなと思うがもちろんない。だれか売ってくれる人はないでしょうか、いま伊丹十三『「お葬式」日記』(文藝春秋、1985)を読んでいるのですがじつにおもしろくて、この本を見ながらビデオかDVDをチェックしたくて仕方がない。きっと20年ほど前の葬式なのでいまと違う面もあるはずだし。
なんだか、もうこれからより深いミナミへ行くのは嫌になって早く家に帰る。これは、この時点では早く寝て朝から「藤田一ダンス初動論」を、清い頭脳で書こう(寝るのが遅くなって睡眠不足が重なっているから)と思っていたのだった。
8/31(日)
昨夜、10時すぎに寝たのが悪かった。11時過ぎに目覚めてこれから数時間寝れず。やっと寝たが、また早く目覚める。習慣は恐ろしい。14時から大井浩明さんのバッハを教会で聴くのも中止。それどころか、こぐれ日記(葬祭アーツマネジメントの続きも書いていない)もやめ。昼間からただふてくされて焼酎をちょっと飲んでうとうと。
でもシゴト(「ダンスの未来」)だからと力を振り絞って家を出る。たまたまTAM研の隈本さんと野木さん(猪名寺から来ていると川西市の三木俊治さんが聴いておどろいていた)に今出川駅で会い道を急いだが、アルティには5分遅れで到着。楽屋1でうち合わせ。
きゅうきょ行った音楽家と振付家との出会いの場だったけれど、ひょうたんフィルの三木さん(NHKスタジオライブでのものだったので年輩者向けのおとなしいサンプル曲だった)とインストバンドFREE WILLの若いヤギさん(大学生たちの集まり)が音楽家として来てくれたので、かろうじてこの集まり(後半はミニフォーラムになった)は成立したようにも思った。
ダンス関係者はきちんとした形ではシャッツカマーの二人(でもビデオを見せたくないということから何もうつさなかったのでプレゼンテーション的にはわかりずらい)だけで、シゲヤンはビデオ出演のみ(水野立子さんが紹介)。
どうにか帰りになると不調だったじぶんの気持ちもなんとか普通に戻る。仕事がクスリになるというのは軽度の「シゴト中毒」なのかも知れない。
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