こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.8



269.8/4〜8/7


8/4(月)

待っていたリポートも着いたので前期の成績をつけ終わって教務課に提出。大阪府の仕事の宅急便もちょうど来ていたのでそれも午前中に片付ける。

午後、岐阜県加子母村にいた小川知子さんが岩屋保育園に来たからと言って訪ねてきてくれる。郵便とメールばかりでじつは会ったのははじめてなのだ。いろいろ。大津にも来たボアダンさんといま一緒にワークしているという。びっくり。

秋紀よしえ君という人から、ぜひぼくにパフォーマンスを見せたいとうちの村田哲子さんが言われて、チラシを渡しに来る。「opportunity」という催しで町家を借りた若い人たちが企画するものだった。そのなかにふたり、竹のワークショップに来た人がいて、素麺流しをここでできたのは、京都橘女子大学文化政策研究センターの経験を活かしたからだという。よかった、役立っているわい。

そのよしえ君のパフォーマンスは町家の座敷の狭い中でほとんど一カ所で踊るもので、前半が轟音、後半がたぶんバッハのゴールデンベルク変奏曲(グールド)による即興。すごく汗がお互いに流れた。いま何かをしたいという強い気持ちが伝わってくる。能を習っていたという。

8/5(火)

すごい一日だった。まるで早とちりな家族を扱うコメディ映画みたいな日だった。主人公は「すれ違ったお袋」である。近鉄電車のなかで、お袋は死んだと思ってあれこれ葬式のこととか残されたオヤジの看護のことまで考えていた。地下鉄烏丸線ではお袋が言っていた香典返しには何がいいかを検討した。もちろん生きていることを祈ってはいたが。それにしても芳江にもかわいそうなことをした。

芳江がぼくより早く起きて6時半すぎには家を出て大阪へ行く、これがすべての始まりだった。お袋がお盆の前にお墓まいりをすませるというので、一緒に姫路へ行くためである。7時半に芳江はこの前と同じ待ち合わせ場所の野田駅改札口に立った。8時が待ち合わせ時間だけれど、いつも母が先に来るので今日は自分が母を待とうと思って早く来たのだ。

一方、あとで聞くとお袋は7時半寄り少し前ぐらいに野田駅に着いていた。もらい物のお菓子などを持っていて重いこともあり(いつも立ち寄る浪花屋さんには今朝は寄らなかった)、待ち合わせ場所は改札口だけど座るところがないので、まだ芳江はいないことを確認してプラットフォームに上がってイスに座った。ここで芳江が下りるところを見ていれば改札口でなくても大丈夫だと思ったのだ。

運悪く大阪環状線で人身事故があり、次第に駅はごった返してくる。芳江はずっと改札口の手前からお袋がやってくるのを待っていた。お袋は電車がやってこなくなってこれは芳江も到着できないかも知れないと思った。7時前に電話をしたときにはお袋は食事をしていたが、かなり草臥れた声を出していたと感じた。7時40分に電話をしたらもう家にはいなかった。

お袋は8時半まで待つがきっと芳江は来れなくなったと思って大阪へ行く。八幡のぼくの家に電話をしようとしたが、公衆電話はいっぱいでやっとかけた番号がまちがってしまったら、後ろが並んでいてもう一度かけることを断念。姫路に行くことにしたという。これは、オヤジが病院でずっとお袋を待つようになっているので、早く行ってやらなければと思ったからだと思う。

一方、芳江はお袋が来ないと8時15分にぼくらに電話をしてくる。まず思ったのは、途中で事故にあったか倒れたかしたということ。その次に思ったのは、家の階段が急なのでこけて怪我をして動けなくなったか、心臓発作が発症したという可能性。家を出て突発的に記憶がなくなって徘徊老人化することがあるかも知れない。さらに、オヤジの病状が急変したおそれ。住友病院にかけたが、そちらの可能性はなくなる。

芳江もぼくもプラットフォームにいる可能性をどうして思いつかなかったのだろうかとあとになったら思う。芳江は野田の家の鍵を持ってこなかったのだが、一度家に行くが真っ暗。ただ、二階の物干しの窓が開いていることを発見。家で倒れている可能性が増大する。いつも鍵を預かってもらっているYさんちへ行くが閉まっていた。浪花屋さんに行ってお袋が来たかどうかを尋ねるがこなかったという。

お袋は携帯電話を持たず、しかも芳江の携帯番号を控えた手帳を忘れていた。芳江も姫路の不動院の電話番号を書き留めなかった。さきは明後日に大検入試だったが、野田の鍵を持って芳江の元まで届けてくれる(人身事故の影響で地下鉄に振替運転だったので時間が余計にかかる)。

ぼくは10時半に家を出て京都芸術センターへ向かう。インターンシップしている上田さんの激励訪問があるからだ。それまでずっと無事を祈りつつ、万一のこととしてお袋の葬式のことを思っていた(葬儀屋さんの電話やどこでするか、香典返しなどのことはすでに聞いていた)。オヤジが喪主で大丈夫だろうかとか、はなの渋谷でのライブのこととか色々。

四条駅で芳江に電話をする。二人で勢いよく実家に入ったという。でもどこにも母は倒れていない。アドレスブックに載っていた不動院へ電話。すると、もうお袋はお参りをして20分前ぐらいにタクシーで姫路駅まで帰ったという。他方、お袋は八幡へ10時40分を皮切りに何度か電話をしているが、もちろんわが家は留守だ。

ほっとして昨日捻挫をしたという上田さんに会う。雑誌の発送の仕事をしていた。元気そうでよかった。毎日の記録を見なかったのが少し残念だったが(ブラームスホール協会では黒川さんの記録をみせてもらった)、とても充実していて楽しそうだった。捻挫をしたのも飛び道具のワークショップの加勢に入ってそこで飛び跳ねすぎたらしい。ワークショップの手法も体験的に学んでいるようだ。

その前に両ギャラリーと廊下にあった北山善夫作品(と中学生によるワークショップ作品)を見る。今日は身内の死を想像上だがとても意識したので、特に心を打つ。描かれた死者が重なり合って、その一人ひとりを目で追っていくと次第に脳だけではなく身体全域がびんびんしてくるそんな宇宙が広がっている。行きの近鉄電車のなかでずっと絵の「良妻賢母」の子どものように拝んでいたなと思う。中ハシ克シゲのゼロ戦も和室の大広間に置かれていた。貼り合わせた写真のためにすごく波打つもので、その揺れ動きが波動となって伝わってくる。

少し時間があったので山科駅の北側を少し散策。雷の音が山の向こうでずっととどろくなか、慎ましやかな佇まいの諸羽神社にお参りして、いつもより少し大目の賽銭を投げる。

今度は、大津駅のブラームスホール協会の事務所への激励訪問。こちらも萩野理事長がいて丁寧に黒川さんのインターンシップの様子などを教えてくれる。毎日違う場所でコンサート準備をしたり、カゲアナをしたりしているという。記録ビデオを撮ったがどこを撮していいか分からなかったなど貴重な体験をしている。

夜はシアトリカル應典院舞台芸術祭、space×drama2003の一つ、しかばんび第六回公演「ひトで」(作・演出:大橋歩)19:08〜20:51。ぎっしりの人。夏休みということもあって、若い人が平日でもやってこれるのがよかったのだろうし、きっと7つの若手劇団が選ばれて公演しているので、互いに見る機会ができたのだろうと思う。

歴史物かと思ったが、その末裔が出てきてそれは同時代の世界でもあった。ベースは平家物語。それにわら人形の呪いについての物語が重なる。阿弥陀仏に関する法然上人の教えが出ていて、浄土宗の應典院ですることを意識してこの作品ができたのかどうか、それはよく分からないがあまりにもぴったりとしていた。若い人たちが「死」や怨念を考えるとこうなるのだなあと思う。

一方、ぼくはぼくで芝居を見ながら、祠と僧侶、神と仏の対比を思った。呪いや祟りや穢れの神話的観念を持つ衆生を仏教がいかに脱却させるのか、それはエリート宗教家だけが持ちうる特権的な教えなのか、このお芝居を離れても考えることがいっぱいあるなと思いつつ長い一日の帰路につく。

京阪電車の北浜駅でお袋に電話。ぜんぶ自分が悪かったのと言っている。そういう面ではぜんぜんぼけてはいない。ただ、その気配りの気持ちにもう身体がついていっていないのだ。

8/6(水)

校務と組合の協議会。昨日があまりにも濃かったので、今日は短く。

これは学生に読ませたいなと思った本、『なぜ日本人は賽銭を投げるのか〜民俗信仰を読み解く』新谷尚紀著、文春新書、2003.2。新谷尚紀さんは、国立歴史民俗博物館教授で、葬儀や墓制度、ケガレ論など、民俗学における葬送研究では第一人者の人かも知れない。

《縁起物とはケガレの逆転したものであるということ、神社とはケガレの吸引浄化装置である、ということが確認されたわけであるが、ここから、神とはケガレが祓へやられる展開のなかから生まれるものである、という仮説が導かれることとなる。》p208

《貨幣にはケガレ(死)がいっぱい詰まっているのである。貨幣は死を内在させているものなのである。貨幣は死の隠蔽装置なのである。だから、貨幣はすべてに死をもたらす。すべてを無化するといってもよい。民俗の身近な例でいうと、手切れ金や退職金の例がわかりやすいであろう。手切れ金というのはすべての関係に死をもたらす、無にしてしまうものなのである。・・》p209

8/7(木)

午前中、神戸市役所の生活文化課長らが京都橘女子大学に来る。都市文化創造研究所代表、永田宏和さん(大阪市都市協会とも関係しているらしい)が間に入って作業をしている。9月初めに会議が始まる予定。しゃんしゃん審議会みたいなことだけはしないでおこうということになる。

昼飯は居酒屋パセリにて。ここの親父さんは話し出すと止まらない。やくざや笹川良一関係とのおつき合いの話などなど。蹴上のアートスペース虹に寄ってお願いしていた赤崎みま作品3つに対面する。クローバー(であう)、ざくろ(つながる)、折鶴(とどく)の三作品だ。

どきどきして(美術作品をちゃんと購入したのは生まれてはじめてなので)、家に帰ると同時に箱から黒い額縁の作品を取り出し、「折鶴」を玄関に置いたりいろいろ試す。展示場所を考え、明かりをうごかしたりするのは、とても楽しくなかなかにむずかしい。結局シンプルだが同じ高さにして等間隔に並べることにする。やっと3つとも置く場所が決まったのだ。椅子に座ってぼんやり見ているとあっと言う間に時間が経つ。

芳江がこれらがきて、どうもごたごたある置物などが一挙に見苦しくなったとリビングを片付け出す。アーツの効果はやっぱり絶大だ。それもこれらが3つ合わせることでかなり深く強い世界(「死」からの再生を強く刻印する世界)へと導く作品展示になっている。だからだろう、大検1日目でへとへとになって帰ってきたさきは、はじめ怖いと言って近づかなかった。それから夕食を終えてほっとして、やっと彼女は鑑賞し出す。「良薬口に苦し」ではないが、癒し的なインテリアアートとかとはくっきり一線を画していることが、プライベートな空間にこういう力のあるアーツ作品を置くとより明確になる。


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