こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.2



224.2/28〜3/2


2/28(金)

午前中、昨日の入試の採点。午後からはこれから出す本のための整理などをしていたらあっと言う間に時間が経って、大阪市立芸術創造館のクラシック・ルネサンスにまたもや行けなかった。

仕方がないので、アザーサイドをのぞく。20名ほどの入り。白波瀬みきさんという演奏が上手な女性のピアノ弾き語りがはじめにあって、そのあとが小暮はなだった。19:36〜21:01。白波瀬みき(前の方に座っているお客さんはほとんど彼女のお客さんだったみたいだった)さんは、9曲で44分、はなは、11曲で37分。

22時頃までかかることもあるのに、はなのときはいつも早くなるが、まあそれでもいいでしょうとマスターは言ってくれる(でもなあ、もう少し長くならんものかなあ)。アザーサイドで初めて歌ったときは叫んだりしていてどうかなと思ったけれど最近は素直に歌っていてずいぶんよくなっているとその静かなマスターは言ってくれる(なかなか人が集まらなくてすみませんねえ)。

久しぶりに歌うとMCしてからの「みどりの声」が、ぼくにもちょっと新鮮に聞こえた、ギターの小声加減がメリハリとなっている。最後を「風のうた」にしたのも珍しい構成だが、少しずつ安心して聴けるようになったなあと思う。

三上ゆうへいさんか誰かに高野悦子の「20歳の原点」を貸してもらってそれを読んでぐぐっとはまりこんでいるともMCにて言っていた。はなのことはこうしてライブハウスのMCを聞いて(まあ、もう少し話して欲しいところだが)知るようになるのかと、ちょっぴり客観的に娘を見ていた。

3/1(土)

10時半に待ち合わせてタフ3の事前打ち合わせとワークショップの場所探し、そして竹林めぐり。こんな小路があったのかと教えられ、小鹿さんの白い靴はずぶぬれになっていたけれど、とても楽しかった散歩を雨の中でする。

徐々に『五感で感じるスロースタイル〜縁側でつづるアーツ』の形が見えだしてきた。

タフ3の第1期は、6月から7月にかけての4つのワークショップからなる〜農・食・紙・竹。「農」はこの前に来てくれた布瀬さん。「食」はプリンツの鈴鹿さん。そして今回来てくれたのが、「紙」の村田英樹さん(成案造形大学住環境デザイン終了)と「竹」の笹尾千草さん(竹のグループ「地下茎」代表、彼女自身は4月に郷里の秋田に戻るけれどずっと気にしてくれそうだ)。

村田さんだけちょっと男性だけれど、まあ、そこは大目に見てもらおう(前例もあったということで。そうそう「関西ほぼ女性アーティストファイル」とすればいいな)。村田さんには紙で最後には座れる椅子をつくってもらう予定。ワークショップの場所としては1階の開放室が最適なのだが、新年度から大学院生の部屋になるため、何とかそこをクリアしなくちゃいけない。

一方、竹の方はまず前半、近くの竹藪から竹を伐採するところから始めたいということ。そこで14時に、笹尾さんが勤めている中川竹材店よりは歴史は新しいが、それでも江戸末期から続いているすぐそばの辻竹材店へ出かけることになった。

その前に笹尾さんらと切り取ってきた竹を細工する場所を探す。人知れず桃の花が7分咲き。明後日は桃の節句だなあ。孟宗竹がある西門付近を第一候補とするが、その過程でいままで見たこともなかった弓道場(工事中みたいな建物)を見たりもした。

訪問した辻竹材店社長の辻義巳さんは6代目。もともと奈良街道沿いには竹林がいっぱいあって、昔はそれを切って洛中に売りに出れば、物干しとかいろいろ、生活に欠かせない用品としていくらでも需要があった。そして、それぞれの親方の代ごとに、時代ニーズに合わせて竹の用途を変えてやってきたのだという。家庭用から農業用へ、さらに造園や建物にも欠かせない建材であった。

先代のときは、角竹(四角い木の枠に成長期の竹をはめて形を変える)、あるいはお酒の樽に使う竹とかスダレ(富田林が産地)だったが、いまの代になってから、防虫処理加工を始め、そのうちに独自に開発した染色竹材製造を行いだしたという。いまではどんな色でも染められる。青々としたままだったり、100年以上年期が経った竹にしたり自由自在。全国的にその技術は有名だと笹尾さんはあとで言っていた(彼女は社長に会うとき、そういえばとても緊張していた)。

うちの大学は35年前に出来たのだが、その前は竹林(あるいは竹藪?)だったという。昔、山科は真竹の産地だったが、いまはもう真竹はなくすべて孟宗竹に置き換わったらしい。実は笹尾さんは真竹でお箸などを作るワークショップをしようとしていたので、ここで思案しなければならなくなる。が、何とか孟宗竹で何かが作れるのではないかと思う。後期は真竹を使いつつ、前期と比較すればより面白いのではないかという話も出た。

辻さん所有の竹林に案内してもらい、そこから大学へと歩いていけるほとんど誰も知らない山道を教えてもらう。ラッキーだ。水に濡れた落ち葉を踏みしめながら行くと農業用水(洛東用水)へ出て、それに沿っていけば、あれあれ、もうそこは大学だった。

農の場所と考えている所ともつながっていて、孟宗竹はタケノコづくりと関係しているし、農と竹って緊密につながってきた。そこに紙と食が加わって、どんな予想外のコラボレーションが生まれるのだろうか、楽しみ。そして木、廃材が付け加わる。何が起きるのか分からない企画はじめの状態の感じが何とも言えないもの。これがアーツプロデュースの醍醐味。

チラシになる文章について、小鹿さんの原案にちょっと手を加えてから大学を出て新京極通りを下る。ここでも映画館が70年ほどの歴史に幕を閉めていた。

ビブレのそばのお寺さんの横、ギャラリー連(れんげ)でお芝居があるというのだ。レンゲというと、辻野さんやつき山さんのイメージでは、蓮の花ではなくて、かつて春の田んぼを覆っていたレンゲ草や、ラーメンの汁を救うスプーンみたいなものを思い出す(辞書を引くとその匙は蓮華の花が散っているようなところから「散り蓮華」という名前が正式だという)。

はっさく公演『スナックケー〜AとBのポロネーズ』。1時間半ぐらいだったか。表方にうちのゆっこ(小林さん)がいる。互いに少し照れくさい。階段を上る。30名ほどしか入らないところにぎっしり。ソファーに座っているとリビングにいる気楽さ。そのうち、名前が思い出せないが(失礼)車椅子で出演する役者さんが負ぶされて階段を上ってくる。

納谷衣美さんが来てお願いしているタフ3のチラシのことについて聞く。モトキシノブさんが撮り続けている写真を使う予定だという。いいなあ。前は砂連尾理さんの天気絵を使ってもらったし。そういえば、5/4.5の山下残ダンス公演「透明人間」のチラシが出来ていた。河上隆昭さんの写真が網目から水を通しほおっと地上を撮している。また当日パンフづくりで大変だろう。ダンスを語るダンス。裏には残君のの言葉が散らばっていて読み応えがある。

おっと、はっさくだ。はっさくは多分辻野惠子さんと豊島由香さんのユニットで、チラシとか1500円のTシャツ(3/3のレクチャーに着ようと思ってゲット)とか、芝居中に登場する小道具、若い男につながっているカンカンにつり下がっている絵も、すべてつき山いくよさんの絵だ。なぜTシャツに褌一丁の男の絵が使われて売られているかは、お芝居を観ると分かるのね。

(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記427」をみてください)

3/2(日)

アイホール演劇ファクトリー第6期生情熱公演(「アッパー」組)『人魚伝説』作:鄭義信、演出:大塚雅史。14:10〜15:50。慌てて京都芸術センターへいけば16時から始まるハイディさんの踊りを見れるかもと思ったが無理そうなので、京橋駅でラーメンを食べて(金魚のラーメンを見ながらどうしても食べたくなったから)、のんびり誰もまだ帰っていない家に着く。

今日は、うちの橋本奈々子さんのピッコロ演劇学校研究科の公演もあり、いろいろ実はあったのだが、結局、アイホールにて作者、鄭義信さんの近くに座り(隣が佳梯かこさん、そして5/10.11にここで高校生とお芝居する角ひろみさん)、新宿梁山泊の舞台を思い出しながら、のんびりと若い人たちのお芝居を観るだけの日曜日となった。

演出自体は明かりがいっぱいでうるさい感じもする。とくにラスト、白いスモークで十分想像できるのに、輪をかけて青のブルーシートの波まで出すのはちょっと想像力を萎えさせたが、でももともとが良い脚本である。しかも、うまくはないが精一杯の若者たち。そんな舞台に、迂闊にも涙がつーっと流れ出した。するともう止まらなくなって、何だかすごく久しぶりにお芝居で泣いた。

芳江が久しぶりに徳島の友人に会い、その関係で展覧会を見て、ある物故作家に感動、画集を見ながら夜話し出すと止まらず。さきははなと出町柳あたりの河原でずっとおしゃべりしていたという。暖かい日だった。安心は出来ないが春がそこまでやってきている。


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