こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.1



208.1/1〜1/5

1/1(水)

のんびりと起きあがる。それでも7時だ。曇っていたが少し青空も見え出した。いつもは不景気なサティも今日は石清水八幡宮の関係もあって、駐車場への車が列をなしている。久しぶりにラジオ体操をすると胸のだぶつきが腕に当たってぶよぶよになった身体を感じる。

昨夜は、はな中心に紅白で一緒に歌った。中森明菜が元気だった。中島みゆきはあのトンネル内で歌うのはもったいなかった。さだまさしは情けない。はながまだ演歌の方がましだと言っていたけれど、きっと演歌は昔と余り変わらずにあって、いまの歌たちが力を無くしているのだろうと思う。

4人が仲良く正月を過ごすことはほとんどない。いつもどこかで喧嘩になる。今年はそうならない気がする。きっとぼくが老けたからもあるが、はながもうすぐ家を出るし、さきもめざすもの大切なものが見つかりだしたからだろう。でも、女3人の会話を聞いているといつプンプンになるか分からない感じもある。ぼくの問題は酒だから、お詣りの後、冷蔵庫に残っていた缶ビールを飲むだけにする。

4人で石清水八幡宮へ上る。少し石畳を上がっただけで、みんな、はーはー言っている。80歳以上のおばあさんが杖をついて一歩一歩あがっているというのに。子どもは石段を数えている。さきもイタリア語で数えだした。きちんと手と口をすすぐ。白い馬を観てお賽銭を投げて、長いお願い。願い事が多くすぎてもう一度賽銭を投げた。

裏には男と女の厄年(還暦にもあったりして厄年は結構多く巡るようになっている)にかかわる厄落としの輪が掛けられていた。ここにも冠婚葬祭のサンプルがある。「冠」の部分だ。実は「祭」というのが季節の節句祝いだとは思うが「葬祭」となると葬式のあとの7回忌とかを指すことになるので、この辺りもう少しきちんと調べなくてはならない。

帰ってからサッカー、高校ラクビー。ラクビーのルールをはなに解説する。昔は関西の高校や大学が負けると酒を飲み不機嫌によくなったものだ。4人で、ばばばーちゃんのカルタ。さきは絵をよく覚えている。カルタのイラストもなかなかに楽しいものだ。

そしてぼくが提案したダンス遊び。はじめは及び腰だった娘たちもやりだすと大変、終わらない。芳江が独自に大野一雄みたいな踊りをし出すし何だか大変なことになった。部屋があつくなって暖房を止め空気を入れ換えする。ぼくはこんなに多くのダンスを観ているのに振りをしようとするとパタンが限られる。4人とも違う動きなので動くスピードも部位も異なるから、それが互いにとって新鮮。

何周も何周もぐるぐるダンスと振りの物まねをした。でも飽きないものだ。さきはやっぱり舞踏の腰になる。はなはすぐに飛び跳ねる。
少なくとも元旦は幸せな正月となった。

1/2(木)

芳江が朝起きて腰がぎくっとなったから腰にシップを貼るという。中腰を続けるのはなかなかに大変だから、中高年のダンスワークショップはそれぞれの身体をよくチェックしながらしないと逆効果になることもあるよなあと二人で話したりもする。

はなが「ダダ」についてレポートを書いている。島本浣先生が「ダダダダダダ」と唱えると眠れると言ったというのでそれを取り上げるという。変なの。トリスタン・ツァラが序文を書いている古いダダイズムについての美術叢書が芳江の本棚にあったのでそれを読んでいる。

さきがまた石清水八幡宮へ行こうというので上る。昨日よりも人が多い。帰ってから、深夜にやっていたNHK BS2の『戦争と平和』(1956、キング・ヴィダー監督)を4人で観る。トルストイ原作、長い。オードリー・ヘップバーンとヘンリー・フォンダが出ていて、はなはジェーン・フォンダを知っていた。

去年一年間のアーツ鑑賞(体験なども含む)数を数える(ベスト10などを選ぶのはやめておこう)。まずメインの演劇ダンスは合わせて156本。そのうち一応ダンスが64、演劇など92(分類は大まか、一つの公演に両方があったりするし分類が難しい舞台も結構あるから)。音楽伝統芸能は57本。美術90、映画27。

合わせると2002年の芸術鑑賞は、330本ということになる。年末の風邪がかなり影響しているように見え、幾分昨年などと比べて減少している。2002年になってつけはじめた読書記録では、68冊が記録されているが、これは漏れが多くて参考程度の数に過ぎない。

1/3(金)

4人で今度は連句をやろうということになった。まず俳人名を考えて、さきは子豆、はなは柊、芳江はあさ子、そしてぼくは風媒子。決まりはさきがうろ覚え状態なのでもういい加減にただただ作り、いらないカレンダーの裏に筆ペンで書いて遊んだ。これがまあ限界芸術であり、敢えてかっこつけていうと「親密圏芸術」と呼んでみてもいいものなのかも知れない。顔のよく見える者同士でしか成立しないささやかなホームパーティ的芸術(以下、お恥ずかしいが、参考まで)。
*****
初夢やこどものころの雪の中  あさ子
雑煮に浮かぶきりたんぽ一つ  風媒子
渡り鳥似ているのかな朔あかり  子豆
蛙がこっそり俳句をよんだ     柊
真夜中に妻が残せる生姜湯   風媒子
静かに更けよ京の元旦     あさ子
頬そめてゴムとびをした女の子   柊
曇天のなか神話に変えて     子豆

今年の初アーツお出かけは十三の第七藝術劇場だった。「風まかせ」からはいつも案内をもらいながらなかなかに行けないので悪いなと思いながら松井寛子さんに挨拶。新宿梁山泊の金主珍(きむすじん)初監督作品『夜を賭けて』。原作:梁石日。133分はあっと言う間。主演の山本太郎はちょっと線が細いが、バイプレーヤーが何かと濃かったりごつい感じなので、上手い具合にバランスが取れている。

ただ「アパッチ」たちのバラック内でのアクションがちょっと多すぎる感じもあるし、音楽も少し鳴りすぎるきらいもあるが(朴保)、それも初めての映画と言うことで分かるような気持ちもする。1956年、京橋。大阪ビジネスパークの前身の姿(空襲で廃墟みたいになった巨大な兵器製造工場群だった)が浮かび上がる。

六平直政と清川虹子の存在感が際立っている。風吹ジュンとヨー・ヨンギョンがそれぞれに可憐。うんこばかりしている大久保鷹、新宿梁山泊の役者たちも映画だからといってあんまり違う感じでもなく、いつものように船にのり舞台を駆けめぐっている。狂う樹木希林はそんなに多く登場しない。

おわりに近づくほど画面構成が粗くなっていく感じがして、終わると惜しいなあと感じるのは、ぼくにおいてはラストのせいだ。きっとあと50分ぐらい物語りたかったのではなかったか。そんな感じがする。二人の男の子がバラックの間を駆けめぐる冒頭のシーンが好きだ。雨と泥。そのなかに浮かび上がるコリアの歌、詩心。

八幡も大阪も今日は雨。十三はなかなか来なくなったエリアだ。金日成の大学に行くという詰め襟きちんとした息子を持つ家族のその後が知りたい。
帰ってから今日は同じくBS2の『アンナ・カレニナ』を観た。1948、イギリス。ヴィヴィアン・リー。監督はジュリアン・ディヴィヴィエ。

1/4(土)

はなはアトリエ劇研でやっている演劇人たちによる落語などの寄席を見に行っている。芳江と一緒に確定申告の準備。立命館大学の後期アートマネジメント論のシラバス作り。だいたい京都橘女子大学文化政策学部と同じ感じにしようと思ったが、詳しく書き出すと微妙に違ってくる。まあ、後期だから、夏休みにちゃんと微調整しよう。めんどくさいので即オンラインでアップして確定する。以下はその原稿。

アートマネジメント論 立命館2003後期

【講義内容・テーマ】
1)アーツ(=アート、芸術)を社会に伝えるにはどうすればいいのか。2)アーティストが「いま、ここ」にいる意味とは。3)教育/福祉/医療現場にアーツはどう関われるのか。4)演劇ダンス音楽映画美術文学などの各アーツジャンルはどのように鑑賞され創造されるべきか。
これらアーツマネージャーが行うアーツマネジメント課題を明らかにしつつ、アーツマネジメント手法を更に社会に広げる方策(冠婚葬祭など)を考える。

【受講生に関わる情報】
中間に小テストを行うので、小劇場演劇あるいはコンテンポラリーダンスを実際に鑑賞しておくこと。その際は劇場ホール、周辺などの環境観察を行っておくことも大切。なお小テスト、定期試験とも持ち込み可。

【評価方法・基準】
定期試験60%、中間小テスト30%であとは時折感想カードを配布して平常点を加味する。A+とAの合計は3割以内とする。中間小テストがどうしても受けられない者は実施日までにレポートを提出すること。

【授業の流れ】
1.はじめに〜文化政策、まちづくりとの関係、市場芸術以外のアーツとは?
2.アーツマネジメントのabc〜アーツマネージャーはどこにいる?
3.アーツマネジメントの分類(1)〜実演芸術とNPO
4.アーツマネジメントの分類(2)〜視覚芸術とNPO
5.アーツの「いれもの」論(1)〜劇場ホール・ライブハウス
6.アーツの「いれもの」論(2)〜美術館・ギャラリー・映画館
7.アーツの「いれもの」論(3)〜カフェ・歴史的建造物・野外・出版
8.中間テスト(演劇ダンスの鑑賞レビューと環境観察)
9.限界芸術(親密圏でのアーツ)をサポートするには
10.アウトリーチを巡って〜ワークショップ、パブリックアートなど
11.芸術の可能性〜アーツセラピーとエイブルアーツ
12.冠婚葬祭にあるアーツマネジメント的要素とは?
13.「葬祭」と「墓」にみられる自由な動き
14.人生の節目節目マネジメント〜「親密圏アーツマネジメント」
15.まとめ〜アーツマネジメントが向かうべき「みち」とは

【参考書】
「自治体政策とユニバーサルデザイン」小暮宣雄他著、学陽書房
「社会とアートのえんむすび」小暮宣雄他著、トランスアート

【参考になるWWWページ】
アーツ・カレンダー http://www.arts-calendar.co.jp
こぐれ日録 http://www.t3.rim.or.jp/~hs01-ckc/KOGURE/Diary.html
OBPアーツプロジェクト http://www.obpartsproject.com/index2.htm

【その他】
京橋の大阪ビジネスパーク(OBP)ではOBPアーツプロジェクトを実施していて各大学のアーツやアーツマネジメントに関心のある学生が参加している。またここではJAM West(日本アートマネジメント学会)も開催。アーツマネージャーへの志向を持つ学生は是非参加すること。

正月に読んだ本。1954年に光文社のカッパブックスから出版された『今日の芸術〜時代を創造するものは誰か〜』の復刻版(光文社知恵の森文庫、1999.3)、岡本太郎(1911〜96)の本文は、ですます調で話しかけるように書かれているが、いまでも色々と悩んでしまう問題をあっけんからんに言い切ってくれていて、清々しい読後感がある。

序文が横尾忠則、解説が赤瀬川原平というのも豪華。各章を抜き出すと:「1.なぜ、芸術があるのか」。「2.わからないということ」。「3.新しいということは、何か」。「4.芸術の価値転換」。「5.絵はすべての人の創るもの」。「6.われわれの土台はどうか」。

たとえば第2章を読んでいると、芸術において、「分かる、分からない」という議論がいかに無意味かということがよく分かる。その先(あるいはそれ以前)のところにアーツというのがある。他方、アーツと違って、この文章のような説明文は分かる(物事が分類できてうまく整理整頓される)か分からないかが問題となる。つまり悟性が関与する領域というわけだ。

《きれいでもないし、うまいとも思えない、だからわからないという絵が、もしほんとうに、すぐれた作品だったら、わからないながらも、それにふれたつぎの瞬間から、心の目がひらけてきます。じじつ奇妙と思われる、新しい絵を見てから、今まで安心して楽しんでいたふつうの絵がなにかつまらなく見えてきたという人が多いのです。人は気がつかないでいるかもしれないが、芸術は生活に物理的といえるほど強大な力と変化をあたえるのです。知らないあいだに、すべてのものの見方、人生観、生活感情が根底から引っくりかえり、今まで、常識や型にしたがって疑いもしなかっな周囲が、突然なまなましく新鮮な光にかがやきはじめます。自分では、あくまでわからないと思いこんでいても、すでに正しく理解しているのです。》(36〜37p)

芸術なんてなんでもない、下手の方がいいと勇気づける点で実に爽快な第5章より、ここではいまぼくの最大の関心事である「親密圏アーツ」の参照個所となりそうな一文を紹介しよう(p170〜171)。

《・・なぜ自分がへんてこりんな絵を描くかということを、みんなに説明してきかせて、おじいさんやおばあさんに鉛筆やクレイヨンを持たせる。お父さん、お母さん、姉さんにも弟さんにも、みんなに持たせ、家内じゅうみんなが同じような気分で絵を描くように、引っぱりこんでしまうのです。・・(翌朝に自分の描いた絵を見ると自由にかいたはずなのにこだわっているもの、不自由なものを発見するものであるという解説のあと)

《また、おたがいに批判しあえば、いっそうおもしろい。おじいさんやお母さんを呼んできて批評してもらったり、子どもに好きほうだいな熱をふかせたり、他人(ひと)のことだから、だれでもかってなことを言うにちがいありませんが、そのなかに、かならずなにか、すこしずつは、ほんとうのことを突いているものです。・・

《さて、それらの意見をとおして、おたがいの精神の自由さ不自由さがはっきりと浮かびあがって見えてきます。そうしたらこんどは、もっと自由な気もちで新しく描きなおし、そのようにしてだんだんに精神の内容をゆたかに強めてゆくのです。「こんどこそ、おれらしいものができたぞ」「まあ、おばあさんの、やっぱりおばあさんらしいわね」というふうに、楽しい競争のうちにだんだん芸術、つまり自由への自覚をすすめてゆくのです。》

1/5(日)

洒落にならないぐらい寒い。でも行ったことのないホールに出かけるのは楽しい。そこがかなり古い建物であっても。
今日目指すホールは、川西市文化会館、1974年7月1日開館というから、もうすぐ30年になる。MapFanWebで場所を確認。阪急川西能勢口駅から能勢電鉄に乗って滝山駅から歩くのが普通だろうが、何とか歩けそうだし、少し回りを眺めていこうと思い立ち、川西能勢口駅から線路伝いに歩き出す。

地域文化行政論で川西市を文化行政調べのフィールドにする学生はいないだろうが、こういう何でもない(というと失礼だが、兵庫県なのか大阪府なのか知らない人もいるのではないだろうか)郊外都市を調べるのもなかなかに渋くて貴重である。人口が15万6千人というから中規模の都市で、宝塚市と伊丹市という文化関係でも名前が通っている都市に挟まれている(大阪府池田市とも接している)から、ここではきっと他都市と比較されて「遅れている」とかよく言われたのではないだろうか。

どうしてそんなことを言うのかといえば、1996年6月8日に川西市みつなかホールという音楽主体のホールができていて(席数525)、これは例えば宝塚市のベガホールとかがそのモデルではないだろうかと推測するからだ。でも「みつなか名画シアター」とか、「みつなか文化セミナー、マッキーのおしゃべりサロン〜オペレッタへの誘い」などのような川西市文化財団の自主企画もあるし、研究するのには適した都市だと思われる。3/21、21には第11回川西市民オペラ喜歌劇「ボッカチオ」前3幕日本語上演があって、芸術文化振興基金から助成があり、ボランティアスタッフの募集がされている。

このホールに行く途中、駅ビル1階に川西市立「ギャラリーかわにし」があり(今日はお休み)、「パレットかわにし」もあった。「パレットかわにし」の1階部分に、男女共同参画センターと市民活動センターの共同施設があり、2階部分に川西パートサテライトと川西市高年齢者職業相談室がある。1階では何かの催しのための練習が子ども達と高齢者が一緒になって行われていた。

みつなかホールから能勢電鉄の鉄道を越えて、川西市文化会館まで歩く。川側は小戸神社があったり鉄工場があったり、下水処理場や体育館があったりする。反対側はマンションが立ち並ぶ。都市には当たり前の何でもない風景なのだろうが、その当たり前の世界がこうして初めて目の前にあることがなぜか嬉しく思ったりする。それはなぜだろう。今年初めてのコンサートであるとか、この先の鶯の森という駅近くに親父の会社の保養所があって夏にはよく昆虫採集や川遊びに行ったことも少しは関係しているだろうが。

意外と早く川西市文化会館に着いた。が、まだ14時なのに大ホール前には、もう人の列ができている。整理券を発行すればよかったなあと会場係が話していた。年配の人が多い。川西市では初めての沖縄音楽ライブだということ。14時40分に開場、1000席ほどの大ホールがいい具合に埋まっていく。この人数、みつなかホールでは溢れただろうし、ひょっとしたらPAを使った音楽はしないのかも知れない。

『沖縄(うちなー)の心(くくる)を唄う』。主催は大工哲弘コンサート実行委員会、事務局の波照間永興さん(市内で沖縄料理店『ちゅらか〜ぎ〜』を開いている)が大工さんと同郷(石垣市新川)の縁で川西市に初めて八重山の歌が聞こえることになったのである。ぼくは、ザ・ひょうたんフィルハーモニック代表の三木俊治さんからこのコンサートを知り、ひょうたん楽器と沖縄もなかなかに乙だろうと思って、今年の初ライブをこれにしたのだった。

開演の15時過ぎから、10分間の休憩はあったが18時過ぎにみんながカチャーシーで踊り出すまで、まったく退屈しないで面白くライブを満喫した。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記415」をみてね)

ラストは、「三曲萬歳」に「月ぬ美しや」、そして「とぅばらーま」。やっぱりこのままではいけないでしょうと、大工哲弘が言って最後にみんなで踊るカチャーシー。カチャーシーの腕の使い方で、ゆっくりからすっと早くなる感じがぼくにはなかなか会得できないから、前に出て踊れないのだ。指でピーと吹くのもやってみたいし、是非沖縄音楽ライブを楽しむために簡単なワークショップがあったらいいなあと思う。

帰り、一直線で駅まで歩く。寒かったがそんなには遠くはなかった。明日からまた授業だ。


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