こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.1〜2



216.1/31〜2/2


1/31(金)

昨日よりはましだったが、でも寒い冬が続く。キャンパスにある栴檀(匂わない種類らしいが)に実がいっぱいなって鳥たちが大勢やってきている。学生が通りかかると近くの林に一斉に逃げ込み、また鳥たちは懲りずにやってくる。そんな繰り返しを教員や職員がぼんやりと見ている。のどかな昼休みの光景。

今日はえらく学生が研究室に出入りした。リポートの締め切り日だったということもある。今年度のゼミ生は淡白だなあと思っていたが、はじめに宮尾さんがやってきて、それから中野さんが来たりして、そこへ1期生もやってきて(和田さんと白川さん)それなりに縦系列の交通が生まれてくるのが嬉しい。

川上さんが16時締め切りに間に合わなくて、猪熊先生にせっかく書いたリポートをどうやって受け取ってもらうか悩んでいる。和田さんは昨日の締め切りだったリポートを織田先生の研究室の扉に張り付けている。白川さんはいままでの人生で一番勉強したと言う(中谷先生、3回生からの専門演習よろしくお願いします)。川上さんは提出すると池上先生の成績が5点アップするはずと研究室のパソコンの前に張り付いたまま。

箕輪さんは大人しいが、今日は一緒に飯食べようかというと元気についてきた。彼女はスポーツが好きなのだという。織田ゼミになるのでかなりびびっている。2回生から3回生へのこの時期はけっこうドラマになるなあ。20歳の成人式に始まって何かが確実にゆっくりと動き出している、屈託のなかった彼女たちのなかにも。

そんなわけで、お芝居を見に行くには遅くなりすぎてどこかカフェに行こうよとぼくがいうと、こんなすっぴんな姿ではどこも行けないという。それならと、近場で(さんま)かるく食事して(今日はビールをやめて冷酒1パイだけ)、早く帰る(でも寝過ごして京橋まで行ってまた戻った)。

2/1(土)

最近、やけに学生との交流が多いが、多分今日でこの現象はほぼ終わるだろう。みんなはぼちぼち郷里に帰ったりバイトに精を出したりし出す。あるいは、運転免許。

TAM研の校外活動日。こういう集団で動くのははじめてで、他の研究会はミュージアムの視察とかまちづくりの現場に行くとかがメインなのだが、ぼくらのアーツマネジメント研究というのは自発的な芸術との交流が理想なのであんまり集団で動くのはやめていた。というか、かなり参加動機とか趣味の部分でばらつきがあるからちょっと難しいかなと思っていたのだ。

でも、TAM研メンバーのなかで誰も扇町ミュージアムスクエアに行ったことがないと聞くと、形があるうちに一度ぐらいは行っておくことにこしたことはないだろうと思って、14時にJR天満駅に集合ということにした。用事が出来たり単に忘れていた学生もいたが、5名は集合する。

ぼくは30分くらい早く来て普段は見ない北区の施設や関西テレビと一緒にある子どものミュージアム(大人が1200円というのはかなりの高額だと思うが子ども連れでかなり賑わっていた)なども見つつ、OMSに行ってあらかじめ写真を撮ってもいいかどうかなどを聞いておく。

野宿者が多い扇町公園の南部分が工事をしていて、また追い出された人もいるのだろう。スケートボートの禁止立て札もあったが、その目の前で男の子たちがいつも通りびゅんびゅんやっていた。何かが少しずつ変わっているのだが、特段気にしないで通過すれば何も感じず見ないままである。

OMSは、第2回の『関西ガチブクロ展〜叩き、叩かれ、叩きあげ。舞台美術屋、ひと暴れ』のために、いつもの劇場入口が閉ざされている。どんどん閉まっていく感じが強くて、もうカフェもやっていないのかなと思ってのぞくとそこはやっていた。ここもTAM研のために買った『間宮吉彦設計の店2』というミーツリージョナル別冊号で見れば、ちゃんとした写真で紹介されているお店(REPAIR saloon)なのだそうだ。

けれど、OMSの中ではここの店はお芝居と有機的に続くアフタートークの場所であったり、ライブがあったりした場所としてぼくには意識されていて、そんな有名な人によるお店という意識はまるでなくて、それがもちろん一緒になくなっていくのだろうが、それも特段大騒ぎすることもなく、街はそうしてとめどなく変遷するんだろうなとも思う。まあ、とりわけ間宮吉彦という人を尊敬している学生がうちにもいて彼女にとったらまた別なのかも知れないが。

さてガチブクロ展に入る。当初30分ぐらいあれば学生も十分だろうと思ったが、1時間以上見ていた。最初の音響(T&Crew)の部屋でさまざまな音の効果を楽しむ体験があってまず惹きつけられ、岩村原太の照明部屋でも明かりを操作し、人形芝居のように幕を上げたりするブースにも興味を示して長く動かしていた。

宇宙訓練のために逆さになってボールを受け取ったり水を飲んだりするブースでも、たまたま男の人が体験していたので興味深く見ていた。場内に貼ってあるチラシの多さ。これがここでやっていたということも、頭では分かるとしても、いまはただの展示場なのでいささか実感はないみたいだった。

名物の2本の柱のことを話して、自分だったらどこにステージを作って客席をどこにする?と聞いても、やっぱり一度ぐらいはOMSで観劇していないとこの空間の様を想像することは難しいようでもある。

そういう意味では、この空間がこの舞台美術セットではこういう風になったのだよとか、この舞台では柱がステージの両横にあって客席は双方から見るようになっていたのだよとか説明したらよかったのだろうが、まず展示を観るだけで時間がかなりかかったのでそういう説明をする余裕はなかった。

できれば、11日までに行く人がいたら、まず誰かの舞台美術モデルをこのいまいる空間に置き直して考え、さらに自分がどういう風にこのがらんとした空間に劇場を作ることが出来るのかということまで想像すると、実にいい勉強になるんだろうにと思う。

池田ともゆき(多分)だっただろうか、具体的に美術が決まるまでのスケッチやイメージ図、参考図表などをファイルして置いてあって、こういうingプロセスを見るのも実に参考になるなあと思って見た。やっぱり舞台を造っている人に一番役立つ展示だろうが、観客であるぼくなどもこうして美術が出来るんだなと感じてとても有意義な体験が出来る。どこかでまた、関西の「美術屋」(美術家でないところもまた一つの主張なのだろう)展が行われることを期待したい。

このあと、少し南船場のカフェめぐりをしようと思って、6名で本町まで行き、そこから陶器神社をちらりと見て、インドの香辛料がかおるShanti Shantiを見つける(意外と近くて、イメージよりも庶民的なお店だった)。ここも間宮吉彦設計ということでチェックしたところである(17時までランチが食べられるから選んだわけね)。

ケーキはベツバラということでスウィートのお店はよくわからんけれど、近くにあったCAFE GAEBにも入る。上の方はまだかつての事務所のままの佇まいがしていて、ここで働いていた人が来たらどう思うだろうとか話す。満腹になって、後半はTAM研ではなくタベケンになったとオヤジギャグを言ったら、珍しく一人のメンバーは納得していた。

彼女たちとは心斎橋で分かれて、ぼくはウィングフィールドへ。糾い〜あざない〜第12回公演『雪迎えの朝』作・演出:芳崎洋子。19時過ぎから21時半過ぎまで。なかなかの盛況。当日リーフレットに芳崎洋子が文章を書いているけれど、そこにある消防車のサル騒動が、そのまま毒蜘蛛騒動になって舞台に現れる。

まあ、正直で素直な舞台といえばそうだろうけれど、どうも言葉で説明する部分が多いのではないかと思った。それはできれば芝居として、つまり演出の形で伝えなきゃなと思った。「雪迎え」というのが、蜘蛛の糸が空に流れる現象を言うというのもやっぱり劇中によく出てきた説明である。老婆が白いレースを編んでいるのも蜘蛛そのものだし、その比喩というか象徴というのが分かりやすいので、見ていて悪夢のような世界に入り込む感じにはならない。

他方、姉と妹の葛藤を二人の祖母の住まい付近で何とかするというのがメインの主題らしいのだが、そこの部分は誠実に芝居をしようとする姿勢になっていると思う(問題はその紡ぎ方、糾い方であるから、性急すぎず焦らないで作品を拵えることだろうと思う)。

最後にこの姉妹が歌う雪の童謡になって(蜘蛛たちも少しカノンする)はじめて舞台が光ってきた。そこまではどこか頭だけで理解させられていたのだろうと思う。

2/2(日)

はなが大事にしていた本をぼくも買った。通崎睦美『天使突抜一丁目』、淡交社2002.12。京都の出版社で茶の湯などの本を良く出しているところだけれど、いい社名だなあと、この本が写真も装幀も中身もいい本だからか、出している出版社までステキに思えてくる。それに京都の本屋にはどこでも置いてあって編集者冥利に尽きるだろうとも思う(ちょっと現実的だけど)。

京都のお菓子屋さんには、3種類あって(おもちやさん、おまんやさん、菓子司)、それらを使いこなすのが京都人の文化なんだというくだりを読むと、彼女はぜったいにうちの大学で演奏とレクチャーをしてもらわなくちゃなとまた思う。「山科なす」も京野菜のなかの庶民派代表で出ていた。これも要チェックだ。

アトリエ劇研でC.C.T.の上演会を見てから(「劇団伊藤さん」は、なかなかにウィットに富んでいて他の二つの劇団/集団がまだ舞台という域に達していないのとは好対照だったからかも知れないが、今日の収穫だと思った)、そのあとにあった合評会は失礼して((C.C.T.の上演会では、いつから始まったのかは知らないが、300円まで〜3つの劇団の横に○をつけ、合計が3つまで有効〜アーツコンペティションと同じような投票による還元が行われていた)、桜ノ宮までコンサートを聴きに行った。

ところが、ドイツ(ザクセン)美術のレクチャーがなぜかあって、さあ音楽を聴くぞと思うと、なぜかまた日本アートマネジメント学会関西事務局長の長い挨拶が始まった。そんなに松下電器が協賛しているとか神戸大学藤野一夫研究室がコーディネートしているとか立派な当日パンフが出来たとか(そんなことはそれに全て書いてあるからわざわざ音楽を奏でるステージにマイクで立っていうものでもない)いつものように長々と言う(そういえばぼくには神戸新聞の記事をもらわなかったがそれも余計だし、肝心のアンケートは逆に入っていなくて、佐々木雅幸氏とかの連続講座のチラシなどが無粋に入っていた)。

だから、ああまたかと思っていると(企業が宣伝費として行ってきた冠コンサートをやめてより社会貢献としの文化支援をやろうとした90年代はもうなくなって株価と同じく80年代以前に戻ってしまったのだろうか)、これは酷(ひど)いと思うことが、まだ待っていた。

というのは、こともあろうにその事務局長がステージスタッフをしている二人の神戸大学院生をステージに呼び寄せて紹介しだしたのだ。まだコンサートは始まっていませんよ。アーツマネジメントの説明とかスタッフ紹介をされに音楽ホールに誰が来たというのだろう。

この会は「大阪クラシックデビュタント-次世代をになう若い音楽家たちの競演」なのだよ。まだレクチャーや挨拶をするならば、どんな審査(推薦基準)でこの23名が選ばれたのか、どんな演奏が最近の動きなのかとか、このコンサートをより身近にするために何かがあればまだましだが、こともあろうにここでアーツマネージャーのデビューをしてどうするのか。それに彼女たちは大学院でホールのことを調べたりしているけれどアーツマネジメントを仕事にしようなんて本気に考えているかどうか。

ほんとうにこれにはまいった。アーツマネジメントというのは芸術と社会の橋渡しを目的にすることであるというお題目だけを頭だけ知っていて(書いたりしゃべったりすることだけは得意げに出来て)、具体的にホールではどんなことをするのがアーツマネジメントで、絶対にどんなことをしてはいけないのかという、そんな初歩の初歩を学んでいないとでもいうのだろうか。

コンサート当日になればそこではいい音楽を演奏家が演奏しそれを心ゆくまで聴衆が享受出来るように、さまざまなアクシデント(今回は小さな子ども連れ夫婦がいて子どもがすでに泣いていた)を除去していく(そして出来るだけ満足度を高める)ことがアーツマネジメントの初歩の初歩(それに至る前の過程ももちろん大事だが、肝心の本番を無視するのは愚の愚)だろう。

火事になったりしない限りアーツマネージャーが表に出て目立ったりしてはならないし、うまくコンサートが終わった後で、みんなが帰ったのを見届けて鍵をしてほっと月の光を眺めるのがアーツマネージャーであることなどホールを訪ねたりすれば自分がやっていなくても聞けることであろう。

そこに座っているとうんざりするどころか、まじに発狂しそうなので、慌てて扉を開けて外に出た。

家に着くと、ちょうどはなが帰るところだった。星ヶ丘のソーイングテーブルで玉井さんが作った陶器を買いに行った帰り。明日は、はなの誕生日だったな。さきは、大橋歩さんが発行編集人の「Arne」という、最近2号も出たかわいくてしっとりした雑誌をはなの20歳の誕生日プレゼントにしていた(実は大橋歩さんというのはan anなどでずっと憧れていた人で、わたしよりもずっと先輩なのよと芳江がいうと、さきは大いにびっくりしていたのだが)。


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