こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.7
7/4(金)
今日はのんびり出来る。頭の毛がまばらに伸びてしまっているので、芳江に頼んで散髪をする。手拭いを取ったときのバッドインプレッションを少しでも減らすためである。が、さっぱりと未練なく刈り取られた自分の頭の皮を頭蓋骨の形にそってなぞっているととても不思議な気持ちになれる。刈り取ったあとの数日はじつに気持ちがいいのだ。
小さいときから、ずっと自分の脳を見てみたいと思っていた。生きたサルの脳を食べるように、自分の頭蓋骨をぱっくりと開けて。脳を見ているということを大脳のどこの部分で感じているか、そのプロセスが見てみたいのだった。その見ているとぼくに感じさせている脳神経を見ているという合わせ鏡の無限感にめまいを感じた。
もしいま見ていると反応している脳神経をそこでいじったら何を見るのか、それはホントに見ているということなのか、ただの電気のいたずらなのか、そんなことがずいぶん前の自分は無闇と知りたかった。そして、自分の脳を見ていてほくそ笑んでいるぼくの気持ちはどこの大脳部分がほくそ笑んでいるかも見たいなと思った。
見えない気持ちを脳を見ることで見れるということの快感と、それを自分の手ですぐにでも壊せてしまえる柔な脳という不可思議の淵を想像して10歳ぐらいの自分はぞーっとしていた。それは幽霊がいると思うことなどよりも数百倍もぞっとすることだった。
大学。TAM研。8月に直島に行く計画。ぼくも行きたいのだが芸術見本市の時とぶつかってしまう。それにしても珍しく代表の小西さんが草臥れている。賢いのに気さくで明るい彼女は誰が見てもよくやっている。だから抱えるものも多くなる。それは彼女がやりたいものを押しつぶそうとする。少しでも楽にさせたい。
でも、どうしても彼女に言うしかないことがまた多い(割り振ってもそうなってしまう)。人を動かすことの大変さはこれからも彼女にいつものしかかってくるだろう。彼女もぼくに何か言いたいのだが、ぼくもまた抱え込んでいることをよく知っているので言うのは悪いと思っている。ああ。
4限目の授業。2回生のアーツプレイス事例研究。今日集めた授業アンケートの中に「放任主義」と書かれていた。これはまあ当たっている。出席を取らないから人数も半分強だしな。期待しすぎるとろくなことがないと去年で懲りているからだ。でもこれから少しは改善の余地はあるようにも思う。
たとえばアーツプレイスへ行ってインタビューする前に質問票を提出させて、少し質問内容を吟味し、聴くべきこと、聴き方を指南したらどうだろうか。アンケートの意味はそういう改善のためにあるのだ。でも去年よりは少しはよくなっている。そして来年度やっても完璧にはならないだろう。だから今年の人は来年の人よりも損だと思う必要はない。いつがうまくいくかは結構集まる受講者たちとかの偶然性が左右するから。
夕方、そんなことを考えながら坂を下りる。
山本禮三さんの庭をみると、今日収穫した南瓜がごろんと転がっている。無人野菜お裾分けコーナー。300円。濃い緑の模様がぼくを呼ぶ。ガムラン楽器のような突起が、緑のボディーから動物のように盛り上がっていて、南瓜の花の色のままに凝縮している。77歳のあの山本さんが自分のあの畑で収穫した南瓜だと思うだけで、気持ちが丸く温かくなる。もちろん美味しいだろう。うちの大学の南瓜もこんな深い色を出せるのだろうか。
500円玉しかなかったので、南瓜の他に万願寺とうがらし(ちょっといい加減な京野菜名の記憶)を2袋買う。これから新世界へ行くのだが、沙羅双樹のポスター(とりふね舞踏舎『バッケ-花咲く乙女たち-』のポスターの掲示を三上賀代さんのゼミ生であるはなに頼まれていたので、これと張り替えて、芳江にあげようと思い)とともに、南瓜やとうがらしも新世界へ移動することになるなんて、山本さんも想像できないだろうと思う。
アートシアターdB。Dance Box 《dance Independent vol.97》。19時37分から。満席だ。大谷燠さんが言うようにトリイホールの時に比べて客の入りがいい。それにいままで見たこともなかったという感じのグループが結構目に付く(今日も若い男の子たちが、間違った!という背中をしつつそれでもびっくり体験を繰り返しながら座っていた)。
アンサンブル・ゾネ。岡登志子さんの旦那さんがちょうど後ろに座っている。今日は舞台だけを見れるので楽しみですよと言っている。確かにそれまでのことをよく知っているとおちおちのんびり客席に座っていられないからなあ。ふと、彼にとうがらしをプレゼントしたくなって渡すと、いい匂いがしますねとすぐに反応してくれる。
岡さんのダンスにとうがらしの匂いは合わないかなとも思ったが、旦那さんにそういう嬉しい反応をしてもらうと、アンサンブル・ゾネの生活空間がわーっと広がる気がする。そういう目線で眺めると抽象的で禁欲的なダンスだと思ってみていたぼくが見落としている部分がきっといっぱいあるのだろうと思えてくるから、じつに不思議な唐辛子効果である。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記457」をみてね)
7/5(土)
1年ぶりぐらいに東京へ出かけた。銀座にお仏壇のはせがわのビルがあると聞いていたが見つからず(仕方なく資生堂のギャラリーをのぞく。あとでHPを見たら、京橋の方へ行ったところ〜たぶん芸団協があるあたりだった)。東京でしかないアーツを探す必要性をほとんど感じないが、葬送については関東の方が動きが激しいから、そのために、1年に1回ぐらいは出かけても損はしないかも知れない。
行きは中山夏織さんの大作『演劇と社会〜英国演劇社会史』(美学出版、2003.4)を半分近く読んでとても色々考えさせられた。「レパートリーシステム」は「ロングラン公演」よりもずいぶんと重要だと思うが、これを日本で再現するにはどうしたらいいのか。日本ではお能とか歌舞伎以外は成立していないのではないか。
午後から日本アートマネジメント学会の代表会。日本科学技術館の会議室(山崎さんが見つけてくれたのだが安いらしい)。JAMのホームページも再度出来てとてもよかった。http://www.artsmanagement.jp/
中部部会(今年、11/22に全国大会があります。関西からは近いので大勢参加して欲しい)や山陰部会(来年に全国大会をすると宣言しに来られた。鳥取県智頭町が中国地域の中心になると嬉しい)も参加。あとは九州部会が出来るといいなあ。そうそう春日市の古賀さんとか福岡市アジア美術館とかが反応してもらえるといいんだけど。そのうち北九州が落ちつけばメインになってくれるだろうし。
帰りに、東京国立近代美術館に寄る。たまたま牛腸茂雄(ゴチョウシゲオ)展があってラッキー。スライドで見せていたカラーの『見慣れた町の中で』は、展示されていたモノクロームの静かな写真とはかなり違っていて、牛腸茂雄がいま生きていたら、20年分のショットが世界を独自にしかもクリアに捉えつづけただろうにと思わす。
7/6(日)
大阪市立中央青年センターへ。岩崎正裕さんが今日の子どもの演劇体験ワークショップの講師である。子どもたちは10数名。大学生も多く交じって、子どもたちが演劇へと向かう第一歩としてのコミュニケーションゲームをした。
「一音詩」づくりを見ていると、小学校高学年になるとずいぶんと子どもたちは不自由になるのだなあと思う。その他、名前呼びキャッチボールや鬼ごっこで親しくなってから、図形を言葉だけで説明してそれをどう伝えるかゲームや色をグループの身体で表現するクイズなど、大学でも使いたくなるような内容満載の時間だった。13時過ぎから15時半まで(2回休憩)。
夕方はスコールみたいな雨。ライブハウス『拾得』での第31回目七夕コンサートに相応しいような天気だ。満員。「杜撰の宴」とあるが、よく出来た微笑ましいライブだった。年季が違う。これだけの歌うたいが年に一回集まり続けていることのありえなさを満喫した。
出演はくじ引き。今日はひがしのひとしがトップバッター。船戸博史ベース。三上ゆうへいハーモニカ。バックコーラスは小暮はな。三上さんもはなも1曲ずつ歌わせてもらう。ひがしのひとしの歌は、石鹸になりたかったり、なめくじをつかまれたり。あざらしの心になってのほほんとしているかとと思うと、亀さんと親指が混じり合ってエッチだったりする。彼の妄想がボソボソと繰り出すと、なぜかしっとりした歌に変身していく。
はなはこれに出るので浴衣の着方ビデオを見て練習した朝顔の古風な浴衣に江戸ぶりの帯。「海のまんなか」とかいう新曲をなんと船戸さんのベースサポートで歌わせてもらっていた。いつか船戸さんと一緒に演奏したらどんなに素敵なことだろうかと思っていたら、もうこうして実現しているなんてじつにラッキーなやつである。
古川豪はバンジョーの名手。カントリーウェスタンが新大宮商店街の話にぴったりだ。声もよく出て朗々としている。ぼくの中学生時代へと一気に戻らされた。野に咲く花はどこにあるのだろう。テロリストを優しく回顧する歌もあった。古典落語のような落ちもある。
三浦久。今日の一番の感激、衝撃。ストレートな歌。宗教学の先生だという。ホントに昨日のことも忘れてしまう毎日。思い出させてもらわなくては2001年の新大久保駅でのイ・スヒョンの死のことも忘れていたわけで。2枚CDを帰り買って、芳江に聞かせる。「それぞれの道」で泣かない人はいないだろう。
中山ラビ。なんという若々しさ。スタイルの良さ。声の張り。ビールが3本気がつけば空いていた。人間はいつになれば自由になれるのか。最後は豊田勇造。歌も若々しくギターも美味く、ボディーを叩く音が深く響く。ミシシッピー川は観光船で上ったな。古川豪のバンジョーも楽しく入る。顔は少し安藤忠雄に似ている。もっと若くステキだが。
そして全員で歌。帰りぼくも何の歌なのか分からないが、ずっと歌っていたような気がする。雨はあがっていた。京阪で編入生に会った。大学院の斉藤さん(今日のワークショップに楽しそうに参加していた)が一緒に連れてくる熱心な学生だ。
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